【一六〇《断る理由》】:二

「二人はチョー本気だからさ。でも、私には凡人と同棲してるし、何より私達には付き合ってた四年間があるから、二人には絶対に負けない。このまま、大学卒業まで逃げ切って凡人と結婚する」


 凛恋はニッと笑って俺の腕を抱く。


「じゃあ戻ろ。露木先生と合流しないといけないし」


 凛恋は俺の手を握ったまま立ち上がり、俺を引っ張ってみんなのところに戻って行く。

 凛恋の話を聞いても、やっぱり俺はすんなりと納得出来なかった。でも多分、それは俺と凛恋の立場の違いだ。


 俺は、凛恋のことを好きだと言うやつらが近くに居るだけで嫌だ。でも、それは凛恋を好きだと言うやつらと俺は友達じゃなかったからだ。でも、凛恋はそうじゃない。

 凛恋にとって、俺を好きだと言った人達は友達や信頼する高校の先生だった。だから、俺のように凛恋の周りから遠ざける、なんて思考には至らなかった。それだけ、みんなは凛恋にとって大切な人なのだ。

 それに、凛恋が良いと言うのならそれで良い。


 俺はただ、凛恋のことを好きで居続ければ良いだけだ。




 みんなと一緒に真弥さんと合流し、それからみんなの希望通りカラオケ屋に入った。そして、大人数で入れるパーティールームの中に入った瞬間、俺は近くにあったソファーの上に座って目を閉じる。すると、すぐに俺は肩を叩かれた。


「凡人くん、私が来た途端に寝ちゃうの~?」

「真弥さん……昼間はスリーオンスリーとボウリングで――」

「じゃあ、歌って目を覚まそう!」


 声を張って俺を起こそうとする真弥さんは、ほんのり頬を赤くしている。それは、真弥さんが少しお酒を飲んだからだ。だが、この前みたいに泥酔しているわけではない。


「凡人、起きて~」


 隣からは凛恋に体を揺すられ、俺は欠伸をしながら背伸びをする。


「はい、凡人くん。アイスコーヒー」

「ありがとう、理緒さん」


 みんなの飲み物を取りに行ってくれていた理緒さん達が戻って来て、理緒さんが俺にアイスコーヒーを差し出す。

 冷たいアイスコーヒーを飲んでぼやけた意識をはっきりさせると、目の前にマイクが差し出される。そのマイクを持っているのは真弥さんだ。


「はい、曲も入れたから一緒に歌うよー!」


 真弥さんに腕を引っ張られて立たされ、俺はステージに上げられ歌わされる。

 隣では真弥さんがノリノリで歌っていて、正面に見えるみんなはニコニコ笑いながら歌に乗って体を動かしていた。

 歌を終えてソファーに戻り、隣に居る凛恋に寄り掛かる。


「もう俺の出番は終わった……」

「ちょっ、まだまだだって~」


 凛恋にフニフニと頬を突かれながら、俺は凛恋の体にもたれ掛かった。

 凛恋の匂いを嗅ぎながら、俺はゆっくり目を閉じる。すると、頬に冷たい感覚が走った。


「ひぃっ!」

「ひぃっ! じゃないよ」


 結露が付いたグラスを持った真弥さんが俺にそう言って目を細める。どうやら俺の頬に感じた冷たさは、真弥さんの持っているグラスを頬に付けられたからだったらしい。


「よーし! みんなは凡人くんが寝ないように激しい歌を歌おう!」

 真弥さんがそう言ってカラオケのリモコンを操作し、次の曲を入れる。俺はそれを、限界が来ている目を向けながらジッと見ていた。




 そんなことがあったのが、四時間くらい前で、俺の視界にはソファーの上で寝転がっているみんなの顔が見える。

 俺は、散々みんなが俺を起こそうとした結果、眠気の山を通り越して今はバッチリ目が冴えてしまっている。ただ、俺を起こそうとしていたみんなはすっかり寝てしまっていた。


「凡人くん、はい」

「ありがとう、希さん」


 俺は俺の前にアイスコーヒーの入ったグラスを置いてくれた希さんにお礼を言う。


「両手に花って言って良いのかな?」

「まあ、二人共可愛いのは間違いないからな」


 俺は右から凛恋、左からは理緒さんに乗り掛かられて身動きが取れない状態にある。もちろん、二人共気持ち良さそうに寝ている。

 今、この部屋で起きているのは俺と希さんだけで、他のみんなは夢の中に居る。

 俺は、寝ているみんなから視線をはずして、自分の場所に座った希さんに視線を向けた。


「私は、凡人くんに頼り切ってたと思わないんだ」

「希さんも、その話か……」

「ごめんね。でも、気になってたから」


 希さんは苦笑いを浮かべて、自分のグラスに入ったアイスティーを飲む。


「私はいつでも頼ってもらえる準備はあったし、あまりにも頼らない凡人くんにも怒ったことがある。でも、それでも凡人くんは出来るだけ人に頼らないようにする。何度も凡人くんに助けてもらった私が言えることじゃないのかも知れないけど」

「俺は助けたなんて思ってないんだけどな。それに俺は――」

「でも、露木先生が言ってることは間違ってない。凡人くんは人に頼らなすぎる。それが心配だって思うのは露木先生だけじゃなくて私も」

「そうは言われてもな」

「でも、もう凡人くんにはいくら言っても無駄だし」


 希さんはこれみよがしに大きく深いため息を吐いて言う。その言葉と態度には諦めと呆れが見えた。


「だから、頭の中には置いておいて。本当に辛くなった時に、いつでも相談出来る人はここにこんなに居るって」


 希さんは、そう言いながら寝ているみんなを見渡す。それに、俺も寝ているみんなを見渡した。


「みんな、凡人くんからの相談は絶対に真剣に聞くし、自分一人で解決出来なくてもみんなで解決出来るようにする。すぐに何でも頼ってって言うのは凡人くんには難しいと思うから、いつでも頼れる人が居ることくらいは分かっててほしい」

「分かった。ちゃんと頭の中に入れておく」


 俺がそう答えると、希さんはニコッと笑って頷く。


「それと、私は凛恋の味方だからね」

「え?」

「凡人くん争奪戦の」

「…………争奪戦って」


 希さんが笑顔で言った言葉に俺は顔をしかめる。真弥さんと理緒さんのことを言っているのは間違いないが、争奪戦という表現はどうなんだろう。


「俺が好きなのは凛恋だよ」

「分かってるよ。でも、三人だったら私は絶対に凛恋に味方するからねって言いたかったの。凛恋は大親友だから」

「希さんがそう言ってくれると凛恋も嬉しいと思う」

「もちろん、凡人くんも大親友」

「ありがとう」


 俺は笑い掛ける希さんにお礼を言ってコーヒーを一口飲む。

 みんなそれぞれ思うことは違っても、俺のことを心配してくれている。それに嬉しい気持ちが沢山あったが、ほんの少し申し訳ないという気持ちもあった。


 申し訳ないと思うことをみんなが嫌がるのは分かっている。でも、そういう性分なのだから仕方がない。どうしても、みんなに迷惑を掛けることが、酷く悪いことのように思ってしまう。

 やっぱり俺はみんなが好きでみんなが大切なのだ。だから、どうやってでもみんなに嫌われたくないと思う。でも、それは全く間違ってないと思う。


「ふわぁ~…………凡人くん、寝てない?」

「今の今まで寝てた真弥さんには言われたくないんですが?」


 目を覚まして体を起こした真弥さんが、俺の顔を寝ぼけた目で見て首を傾げる。俺を散々寝かせないようにしておいて自分は寝てしまうなんて酷い。


「寝てないよぉ~?」

「いや、ばっちり寝てたでしょ……」

「それにしても……両手に花だね」


 俺にもたれ掛かって寝ている凛恋と理緒さんを見て、真弥さんはニッコリ微笑む。


「まあ、二人が可愛いのは間違ってないですね」


 俺はさっき希さんに言われた時と同じように答えると、真弥さんはニコッと笑って首を傾げながら自分の顔を指さした。


「私は?」

「綺麗だと思いますよ」

「思うだけか~」


 自分のグラスに入った飲み物を飲む真弥さんはクシャッと笑う。そして、真弥さんを見ていた希さんに視線を向けた。


「赤城さんは眠くなかったの?」

「私はお昼にあまり動かなかったので」

「そっか。……あぁ~、みんなまたそれぞれ大学に戻っちゃうのか~」


 グラスの中身を空にした真弥さんは、グラスをテーブルに置いてソファーにもたれ掛かりながらそう言葉を吐く。


「また冬に帰って来ますから」

「その時はまたみんなで遊ぼうね」

「はい」


 俺が答えると、真弥さんはコップを持って立ち上がる。その足がふらついたのを見て、俺は凛恋と理緒さんの体をそっと俺から離して立ち上がる。


「希さん、真弥さんに付き添ってくる」

「うん。今の露木先生、ちょっと心配だもんね」


 希さんはそう言いながら困ったような笑みを浮かべる。さっきの凛恋の味方という発言を聞く限り、俺と真弥さんが一緒に行動することをよく思っていないのだろう。しかし、酔って少しふらついているだけだとしても心配だ。

 部屋から出て行く真弥さんの後ろについて俺も出ると、通路で俺を振り返った真弥さんが寂しそうに乾いた笑みを浮かべる。


「赤城さんに嫌われちゃったかな……」

「希さんは、真弥さんが花火大会の日に言ったことは間違ってないって言ってましたよ。ただ、希さんは凛恋の味方だって言ってましたけど」

「そっか、じゃあ……嫌われてはないのかな? 良かった」


 笑った真弥さんは俺を置いていくように歩き出す。しかし、足取りは千鳥足とまではいかなくてもおぼつかない。

 お酒は注文でないと持ってきてもらえないから、自分で飲み物を取りに行ったということはノンアルコールの飲み物を飲む気なんだろう。

 ドリンクサーバーのコーナーに行き、真弥さんはグラスにアイスティーを注ぎながら、俺を振り返ってニコッと笑った。


「身構えなくても、今は何もする気はないよ?」


 真弥さんのその口の動きで、真弥さんからされたキスの感触を思い出してしまい、俺は体を強張らせる。しかし、それを見て真弥さんはクシャッと顔を歪ませて、更に笑った。俺は少しその行動に「子供扱いされた」と感じて、ムキになって口を開いた。


「俺は――」

「凡人くんのそういうところは悪いところだよね」

「えっ? はい?」

「そうやって、一度出した答え以外は全部間違ってるって思っちゃうところ。それに我が強いから、間違ってても一度決めた答えで押し通そうとする」


 アイスティーを注ぎ終えた真弥さんは、グラスをドリンクサーバーの前に置いて体を俺に向ける。


「切山さんも筑摩さんも、そうやって振ったの?」

「俺には凛恋以外ありえませんから」

「一途なのは良いことだよ。でも、凡人くんは一途なんだけど視野がちょっと狭いなって思う」

「真弥さんは、色んな女の人に目移りする方が良いって言うんですか?」

「ううん、そうじゃないよ。でも、切山さんも筑摩さんも凄く良い子だと思うから」

「真弥さんの言う通り、二人は良い人ですよ。凄く」


 萌夏さんも理緒さんも、度合いは違えど最初はあまり印象の良い人達ではなかった。でも、時間が経ち、二人と関わる機会が増えていくに連れて印象が変わった。だから、俺は二人の良さを分かっている。


「凡人くんが分かってるのは、二人の全部じゃない。凡人くんは二人の友達としての良さしか分かってない。女の子としての良さは見ようとしなかったでしょ?」

「二人は見た目も可愛いし優しいから、女の子としても魅力的だと思いますよ」

「思いますって断言出来ないのが、二人を女の子として見なかった証拠」

「見たらダメでしょ。俺には凛恋が――」

「私は、別に浮気してみてって言ってるわけじゃないよ? 心の中で、友達としてじゃなくて凡人くんに恋してる女の子として見てって言ってるの。凡人くんは、二人の告白を断った理由は?」

「俺には凛恋が居るからです」


 俺は迷わずそう言った。これ以外の答えなんてない。むしろ、これ以上の答えなんてない。これが、告白を断るための最適解だ。

 だが、目の前に立っている真弥さんは笑顔を消して俺を睨んだ。


「それって酷いよね。凡人くんは二人のことをちゃんと考えないで断ってる。二人が本当に自分に合わないのか。本当に八戸さんよりも相応しくないのかって考えてもいない。それって、凄く酷いよ」

「――ッ! 俺はッ! 俺はちゃんと二人のことを――」

「じゃあ、八戸さんよりも二人が劣ってる理由は? 凡人くんに八戸さんっていう彼女が居ること以外に断る理由は?」

「それは――…………」


 俺は、真弥さんのその問いに……口籠もってしまった。でも、そのとっさに取った行動が答えでもあった。

 俺が萌夏さんと理緒さん、それから真弥さん、そして他にも沢山俺に好きだと伝えてくれた人に、凛恋が居るから以外の答えを言えなかった。


「私は、凡人くんが真剣に考えてくれて断られるなら納得出来るの。でも短絡的に八戸さんが居るからだけって言われても納得出来ない。だから――」


 真弥さんは笑顔のない顔で真っ直ぐ俺を見据える。


「もっと、先生じゃない私のことを知ってから答えを出して」

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