【一五〇《夏の始まり》】:一
【夏の始まり】
凛恋が泣き出してしまった。
テーブルに両腕を置いてその上に頭をうつ伏せに載せる凛恋に、俺は困って視線を向ける。
「凛恋~……機嫌直してくれよ~」
「だって……だって……夏休みに二週間も凡人と離れ離れなんてあり得ないッ!」
顔を上げた凛恋は真っ赤に目を腫らしていて、その凛恋に俺は怒鳴られる。しかし、俺は頭を掻きながら、凛恋の機嫌を取り戻そうと凛恋の隣に座る。
夏休みが近付いてきたとある日。俺は凛恋に言ったのだ。
運転免許合宿に参加するから、二週間くらい泊まり掛けで免許を取ってくると。
運転免許合宿とは、文字通り運転免許を取るための合宿だ。
全国に沢山ある自動車学校の大抵の場所でやっている運転免許合宿は、通常の通学では取得まで掛かる日数が一ヶ月程だが、その約半分の二週間弱で免許を取得出来る。
もちろん、最短での数字ではあるが、合宿ではよほどセンスがない人でも、三週間も掛からず取れるらしい。しかも、普通に通学するより若干費用が安い。
俺がアルバイトをしていた理由は、運転免許合宿の資金を稼ぐためだった。しかし、いざ資金が貯まって凛恋にそれを言ったら、予想外に泣かれてしまった。
「運転免許は持ってた方が何かと便利だろ?」
「……でも、今じゃなくても良いじゃん」
凛恋が泣き腫らした目のまま唇を尖らせる。
高校の時の夏休みよりも、大学の夏休みは長い。だから、運転免許合宿に参加するには良い機会なのだ。しかし、凛恋が渋っている。
「早く免許を取れた方が、レンタカーとか借りて凛恋と一緒に遠出が出来ると思ったんだけど……」
凛恋の手を握りながら、俺は凛恋の顔を横から覗き込んで言う。すると、凛恋は目をまん丸に見開いて俺の方を真っ直ぐ見た。
「――ッ!? ……ドライブ、デート」
ハッとした表情をした凛恋は、腕を組んでしばらく考える素振りを見せた後、俺に顔を近付けて首を傾げる。
「免許取って最初に車に乗る時、私を乗せてくれる?」
「もちろん。初めては凛恋と一緒にどこか行きたいと思ってる」
「約束よ?」
「約束だ」
「じゃあ……二週間我慢する!」
ドライブデートという言葉に魅力を感じたのか、凛恋が真剣な表情で頷きながら言う。これで、凛恋も納得してくれたから、俺も安心して運転免許を取りにいける。
「ありがとう。でも、全く空き時間がないわけじゃないから、普通に会えるんだぞ?」
「それでも、離れ離れに暮らすのは寂しい」
凛恋がひしっと俺にしがみつき俺の顔を見上げる。
運転免許合宿は一日中学科と技能教習で埋まっている日もあれば、半日以上空いている日もあるし、休校日は当然、丸一日休みになる。そういう時は、凛恋と会えるしデートも出来る。
運転免許は凛恋と出掛けるのもそうだが、将来を考えたら持っていて損はない。将来就いた仕事で必要になるかもしれないし、家庭を持てば家族全員で移動する時に車は便利だ。
「初めてのドライブデートはどこにしようか~?」
まだ自動車学校にさえ行っていないのに、凛恋はスマートフォンを出してデートスポットを調べ始める。俺はその凛恋を見ながら「可愛いな~」としみじみ思い、凛恋の隣で凛恋のスマートフォンに視線を向けた。
そんな凛恋とのやり取りがあった日から数日後。大学が夏休みに入り、俺は自動車学校の運転免許合宿に参加した。
自動車学校の校舎にある会議室みたいな広い部屋に集められ、俺は妙に大きく明るい声で話す男性教官に視線を向ける。
説明を聞きながら配られた資料を見て、俺は免許取得までの大まかな予定を見る。
とりあえず、学科と技能講習を定められた時数受けて、仮免許を取るための試験を受ける。仮免許を取ったら、また定められた時数の学科と技能講習を受け、最終的に卒業検定を受けて卒業になる。
卒業出来たら、自分で運転免許試験場に行って学科試験を受け、それに合格出来たら晴れて運転免許取得ということになるらしい。
よっぽどなことがない限り、自動車学校まで通って運転免許が取れないということはないらしいから気負う必要もない。
説明をしていた教官が、早速学科教習に入る。
手元には真新しい自動車学校の教科書があるが、道路標識の種類や細かい交通ルールを覚えるだけで特に難しいようには見えない。
「ん?」
俺が教官の話を聞いていると、視界の端に手を振る人が見える。ニコニコとした笑顔で手を振っているのは空条さんだった。そして、その空条さんの隣には、この前の食事会で一緒だった名前を知らない女子学生が座っている。
学科終わり、空条さんが名前を知らない女子学生と一緒に俺のところに来た。
「多野くん! 多野くんもここだったんだ! 知らなかったー」
「空条さん、こんにちは。大学に案内が来てたところだったし、割引もあったから」
席から立ち上がりながら答えると、空条さんは一度名前を知らない女子学生に視線を向けて微笑む。
「今日はこれで終わりじゃない? だから、ちょっとお茶しようよ。さっき来る時、校舎の中にカフェがあったの」
「ああ。良いよ」
「じゃあ行こう!」
空条さんと女子学生を先頭に俺は自動車学校内にあるカフェに向かう。
この後は、泊まっている部屋に戻るだけだし別に断る理由もない。
「えっと、空条さんと……」
「宝田奈央(たからだなお)です。この前の食事会じゃあまり話せなかったから、名前覚えてないよね」
「ごめん。あまり、人の名前を覚えるのが得意じゃなくて」
宝田さんに先手を打たれて、俺は謝りながら苦笑いを浮かべる。でも、宝田さんは不快そうな顔はしなかった。
「多野くんはあの可愛い彼女さんのために免許を?」
「まあ、元から欲しいと思ってたのもあるけど、半分は彼女のためかな」
「多野くんの彼女可愛いもんねー」
校舎を歩いてカフェに着くと、そこにはさっきまで一緒の教室に居た学生達で溢れ返っていた。
飲み物を買って適当に座ると、空条さんは困ったような笑顔を浮かべて肩をすくめる。
「学科は簡単そうだけど、問題は技能よねー。私、ちょっと自信ないかも」
「分かる。私もちょっと技能のせいで免許取れるか不安」
「ちゃんと教官が付いて教えてくれるんだし大丈夫だと思うけど?」
技能教習を不安がっている二人に言っていると、二人の後ろから、何だか飾磨みたいないかにもチャラそうな笑顔を浮かべた男が三人歩いて来た。
ただ、外見は髪も染めていないし無駄にジャラジャラとアクセサリーを付けていない。見た目だけで判断するなら好青年という感じだ。ただ、やっぱり笑顔がなんだか軽薄そうに見える。
「初めましてー。君達どこ大?」
「塔成大、だけど」
「そうなんだ。俺達は産業学園大学なんだ~」
友好的な雰囲気で話すその男をジッと見ながら俺が答えると、男は俺ではなく空条さんと宝田さんを交互に見た。
「塔成大ってことは二人共頭良いんだー」
俺を無視した男の行動を見て、まあそんなことだろうと思った。
同年代の男女が集まるこの場所で、男女の出会いを求めようということだろう。そして、俺はさり気なく除外された。
いや、明らかに無視されたのだから、さり気なくはない。
アイスコーヒーを紙コップから飲みながら、空条さんと宝田さんを挟むように座る男達三人の様子を見る。
すると、一番端に座っている男から「お前、何でまだ居るの?」と言わんばかりの非難の目を向けられた。
男三人は女の子の二人に用事があって俺に用事があるわけじゃない。だから、ここは空気を読んでそれとなく退席するのが良いのだろう。
俺は、男達にとって邪魔な存在でしかないだろうし。
「じゃあ、俺は――」
「多野くん、どこ行くの?」
「えっ? えっと~……」
邪魔だろうと思って席を立ったら、空条さんに呼び止められる。その空条さんは、さり気なく右手の側面を俺に見せて、手だけで拝む仕草を見せる。
なるほど、空条さんの方は行かないでほしいらしい。
片方からはどこかに行けと雰囲気で示され、片方からは行くなと行動で示される。板挟みにあっている俺はどっちに従えば良いのか迷う。
そもそも、俺は男女の妙な駆け引きの板挟みになりに来たわけではなく、運転免許を取りに来たのだが……。
「ちょっと辺りを見て回ろうかなと思って。空条さん達も行く?」
立ち上がってしまった俺は、その場に留まることが出来ないから苦し紛れに言う。
どっちの味方をするかと言われたら、見ず知らずの男でははなく同級生の空条さん達の方だ。だから、この場から立ち去ることと空条さん達を連れ出すことを考えた結果、周囲の散策に行き着いた。
「うん」
空条さんは返事をして宝田さんと一緒に立ち上がる。そして、空条さんはニッコリ笑って男三人に軽く手を振った。
「ごめんね、私達はこれで」
「あっ……ま、また」
空条さん達に声を掛けてきた男が戸惑った表情を空条さんに向けた後、俺に「空気読めよ」と言いたげな非難の目を向けてくる。しかし、空気を読んだ結果が今の状況なのだから仕方がない。
俺は自動車学校の校舎を出て、敷地の外に向かって歩き出す。すると、後ろからついて来ていた空条さんが俺の方をジッと見て、俺の脇腹を軽く指先で突いた。
「多野くん。女の子二人を見捨てようとしたでしょ?」
「いや、楽しそうに話してたから邪魔かなって思って」
「私は多野くんと話してたのに」
空条さんはジーッと俺の目を見た後にクスッと笑う。
空条さん達と自動車学校で会うということは想定していなかった。それに、行動を共にすることになることも予想外だった。
空条さんは大学であった時に話すが、宝田さんの方は今日初めて話した。それに、そもそも空条さん達と行動を共にしていることが問題だ。
凛恋はかなり心配性で、凛恋の居ないところで女の子と一緒に居たなんて知ったら心配する。だから俺は、本当は一人で行動したいのだ。その方が気楽だし凛恋に心配を掛ける心配もない。ただ、どう断れば角が立たないか分からない。
「多野くん、行くよ」
いつの間にか立ち止まって考えていた俺に、数メートル先から空条さんが俺に向かって手を振る。その急かす空条さんを見ながら、凛恋に後で電話しておこうと思い、小さくため息を吐きながら空条さんと宝田さんの後ろを歩いて行った。
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