【一四二《ありがたさ》】:二
俺は休日にバイトを入れないようにしていた。そして、面接の時も土日以外でと店長に言った。
それなのに休日の今日、俺はスーパーでひたすら飲料の品出しをやっている。それに今日は夕方ではなく朝っぱらからだ。
シフトを出された時に、休日が出勤になっているのを見て、俺は店長に抗議した。しかし、もうシフトは決まっただとか、今更変えると他の従業員に迷惑が掛かるとかなんとか言われて、一切取り合ってもらえなかった。
それもこれも、悪い意味で店長に目を付けられたからだろう。
バイトのシフトは店長が管理している。変更も店長しか出来ない。だから、出て来ないという選択肢はなかった。店長の言われた言葉を使うのはしゃくだが、俺が出なければ他の人達に迷惑が掛かってしまう。
「すみません」
「はい。どうされましたか?」
炭酸ジュースを陳列棚に並べていると、後ろからお婆さんに話し掛けられた。
「あの~、お湯を入れるだけでお味噌汁が出来るやつはありませんか?」
「インスタントのお味噌汁ですね。ご案内します」
俺はお婆さんと一緒にインスタント食品の棚まで行き、スープ類が並んでいる場所の前に立つ。
「種類がいっぱいあるんですね~」
「そうですね。何か、こんなお味噌汁が欲しいっていうのはありますか?」
「お爺さんがネギが苦手だからねえ~。ネギが入っていないお味噌汁が良いね~」
「ネギが入ってないお味噌汁ですか~。あっ、この種類はネギが入ってないみたいですね」
棚の場所は覚えられても、一つ一つの商品の特徴まで覚えられるわけもなく、俺は商品の原材料を確認しながらお婆さんと一緒にインスタント味噌汁を選ぶ。
「じゃあ、お兄さんの教えてくれたそれにしようかね~」
「ありがとうございます」
お婆さんがカートに載せた買い物カゴの中にインスタント味噌汁を入れて歩いて行くのを見送り、俺はすぐに品出しをしていた飲料のコーナーに戻る。すると、そこに両腕を組んで立っている店長が居た。
「多野、自分の仕事を放り出してどこに行っていた」
「お客様に商品の場所を尋ねられたので――」
「口答えするな」
店内だからか、店長は声を荒らげず俺にそう言う。ただ、声は荒らげていないだけで表情には明確に怒りが籠もっていた。
「では、店長のご意見をお伺いします。作業中にお客様から商品の場所を尋ねられたら、店長ならどうされましたか?」
「そんなことくらい自分で考えろ。これだからゆとりは」
俺は、店長のその適当で場当たり的な意見に、特に何か感情を抱くことはなかった。
店長に対して意見を求める気はない。答えは分かり切っているからだ。
飲料の陳列が多少遅くなったって問題はない。それよりも、商品を探しているお客さんの対応をするのが優先順位が高いに決まっている。だから、作業とお客さんという選択肢を与えられて、作業を選ぶのはまずあり得なかった。でも、店長は俺の予想の斜め上を行っていた。
店長は、都合が悪くなったから話をはぐらかした。それを予想していなかったのは、その行動があまりにも幼稚な行動だからだ。
俺よりも一回り以上年上で、一店舗の経営を任されている店長がそんなことをするはずがないと思っていたからだ。だが、実際は俺の想像以上に店長は幼稚だった。
ただ、小竹さんから聞いた店長の俺に対する言動を考えれば、店長が幼稚な人間であるのは明らかだった。だから、そんな店長の幼稚さを予測出来なかった俺も悪い。
「あの……ごめんなさいねぇ。私のせいで怒られてしまって」
店長が歩き去って行くのを見送っていると、後ろからさっきインスタント味噌汁の場所を教えたお婆さんに声を掛けられた。どうやら店長とのやりとりを見ていたらしい。
「いえ、気にしないでください。お客様が最優先ですから」
「ありがとうね~。また来るね」
「ありがとうございます。また困ったことがあれば、気軽に声を掛けてください」
お婆さんをまた見送ると、俺は品出しを終えた後のダンボールを片付け始める。
「凡人くん」
「ん? 希さん、と……凛恋はなんでそんなに怒ってるんだ?」
今度は聞き慣れた声に名前を呼ばれて振り返る。すると、視線の先には小さく手を振る希さんと、希さんの隣でムスッとした顔をしている凛恋が立っていた。
「さっき、男の店員さんに凡人くんが怒られてるの見てて。それで」
苦笑いを浮かべて希さんがそう言いながら凛恋を見ると、凛恋は両腕を組んで相変わらずのムスッとした顔で話す。
「なんなのよ、あの小太りのハゲ」
「あれが例の店長だ」
「あいつが? また、変な言い掛かり付けられたの?」
「いや、まあ……」
ふと店内の時計を確認すると、そろそろバイトが終わりの時間になっている。丁度、飲料の品出しも終わったし頃合いだ。
「まあ深い話は後だ。とりあえずバイトから上がってから話そう」
「分かった。私と希はお店の中で待ってるから」
「ああ」
ダンボールを両手に抱えて凛恋と希さんから離れ、俺はバックヤードに入る。
ダンボールを捨て終えてタイムカードを押し、俺は自分のロッカーで着替えをする。すると、後ろに人が立つ気配がして振り返る。そして、内心で大きくため息を吐いた。
視線の先には、店長が立っていたからだ。さっきあれだけ俺に理不尽な物言いをして、まだ何か俺に話があるらしい。俺の方は、すぐに着替えを済ませて凛恋達と合流したいのに。
「多野、さっき話していた若い女性客は知り合いか?」
「はい」
「あの二人をうちで雇ってやる。連れて来い」
「は?」
脈絡がない店長のその言葉に、俺は思わず聞き返す。
俺は二人がバイトを探しているなんて一言も言っていない。しかも、雇ってやる、という上から目線の言葉にも腹が立った。
「若くて見た目が良い店員には男性客が付く。レジをやらせれば――」
「二人はバイトは探していません。それに、そういう目的で俺の親友と彼女を使おうとしないで下さい。不愉快です」
着替える手を止めて俺は店長を真っ直ぐ睨んで言う。俺の睨んでいる店長は、俺の言葉に眉間にしわを寄せ、小さく舌打ちした。
確かに、凛恋と希さんが働けば、凛恋と希さん目的で買い物に来る人が出ないとは言い切れない。いや、確実に出る。それくらい二人は可愛い。ただ、だからと言って二人をスーパーのアルバイトに誘うのはあり得ない。
二人は客寄せの道具じゃない。それに、目の前に居る幼稚な店長の下で二人を働かせる気には一切なれない。
前に小竹さんから、店長に気に入られた女性店員とその女性店員と付き合っていた男性店員が酷い目に遭った話を聞いた。
それを考えると、この年甲斐のない小太りのハゲが、凛恋と希さんに年甲斐もなく好意を持つ可能性がある。いや、凛恋と希さんを連れて来いと俺に言ったということは、十中八九、店長には下心があるに決まっている。
凛恋は俺の彼女だし、希さんは親友だ。それに、栄次にも変な男が寄りつかないように守ってくれと頼まれている。店長は、その栄次の言葉の通りの男だ。
「お前は、会社の利益に還元しようとは考えないのか?」
「仕事はまだ完璧ではないかもしれませんが、言われた通りのことは出来ていると思います。それに、お客様が気持ち良く買い物をしていただけるように配慮もしているつもりです。ですが、それ以上は俺の仕事じゃありません。ましてや、自分の彼女や親友をバイト先の客寄せに使うなんて、アルバイトの仕事じゃないと思いますが? 集客戦略は店長が勝手にやって下さい」
俺は、さっさとこの場から立ち去るために、店長が言葉を挟む余地がないように言葉を発した。
きっと店長の方は俺を、自分の言うことを聞かず口答えするバイトだと思っているだろう。だが、もう既に悪い意味で目を付けられているのだから、これ以上は悪化のしようがない。だから、何を言っても気にしない。
「もうとっくに時間を過ぎているので失礼します」
手早く着替えを済ませて、俺は店長の横を通り過ぎロッカールームを出る。そして、拳を握り締めながら店内へ戻る。
凛恋と希さんと合流した俺は、三人で店を出て駅まで歩く。
「二人とも、今日は外で食べよう。俺が奢るからさ」
「大丈夫だよ。私の分は私が出すから」
「良いって良いって。バイトしてるし」
俺は凛恋と希さんを連れて、駅の近くにある鳥料理専門店に入る。庶民的なお店で、内装も高級感があるというわけではなく、ほのぼのと落ち着く雰囲気をしていた。
「いつもバイト帰りに前を通っててさ。親子丼が美味しいってバイト先で聞いたんだ。だから、三人でいつか行こうと思ってたんだ」
「本当は凛恋と二人っきりが良かったんじゃない?」
席に座って注文を終えてから正面に居る希さんに言うと、希さんはクスクスと笑って俺に言う。
「もちろん凛恋とも来ようと思っていたけど、いずれ希さんとも来ようと思っていた。だから、一度に二人共連れて来られて丁度良かったんだ」
「そっか、ありがとう凡人くん。今日はご馳走になるね。でも、いつか私もご馳走するから」
「気にしなくて良いのに」
「それで? あの小太りのハゲは凡人になんて言ったのよ」
俺の隣に座っている凛恋が、ムスッとした表情で俺の顔を横から見る。
「作業中にお客さんから商品の場所を聞かれて、教えた後に作業してた場所に戻ったら、作業を放り出すなって言われた」
「はあ? それ凡人は全然悪くないじゃん! 何なのよ、あの小太りのハゲキモオヤジ!」
凛恋がそう言うと、凛恋の言葉に苦笑いを見せるも、希さんも頷いて落ち着いた口調で話す。
「お客さんを無視して作業を続ける店員さんなんて居ないし、凡人くんは間違ってないね。店長さんの言うことの方が間違ってると私は思う」
そう言い終えた希さんはスッと冷たい目をした。
「あの店長さん、最低だね。何も悪くなくて正しいことをした凡人くんを一方的に悪く言うなんて、許せない」
「凛恋も希さんもありがとう。二人が怒ってくれると気が楽になる」
俺が凛恋と希さんに愚痴をこぼしていると、注文していた親子丼が店員さんの手によって運ばれてくる。
「「美味しそう」」
親子丼を見て、二人が女の子らしく黄色い声を上げる。
「腹減ったし食べよう。いただきます」
「「いただきます!」」
凛恋と希さんが美味しそうに親子丼を食べる姿を見ながら、俺も匙(さじ)で親子丼をすくう。
さっきまで、店長に対してのイライラが頭の中にあったが、凛恋と希さんに話したら頭も心もスッキリして、しっかり親子丼の美味しさを感じられている。
高一からずっと話している凛恋と希さんは、完全に俺の気の置けない存在になっている。
きっと、二人が居なかったら俺は、店長からのストレスで心を押し潰されていたかもしれない。
アルバイトを始めた最低限のコミュニケーションを付けるというのは、店長と完全に対立している状況を考えるとほど遠いと思う。でもその代わりに大事なことを改めて感じることが出来た。
それは、何でも話せる人のありがたさだ。
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