【一四三《彼女の居ない閑暇》】:一
【彼女の居ない閑暇】
大学生だが、俺が大学でやる大学生らしいことは講義を受けるくらいしかない。まあ、大学は勉強するところなんだから、勉強以外のことをするという方がおかしい。
「多野~、この前凛恋ちゃんと一緒に居た黒髪ロングのさー、大人しそうな童顔の美少女は誰だ?」
「黒髪ロングの大人しそうな童顔の美少女…………ああ、希さんのことか」
「希ちゃんって言うのか! 是非あの美少女とお近付――」
「飾磨じゃ逆立ちしても勝てないイケメンの彼氏持ちだ」
「ぐはぁっ! やっぱり彼氏持ちだったかぁー」
俺の真ん前の席で突っ伏した飾磨に視線を向けながら、俺は飲み慣れてきた食堂のコーヒーを一口飲む。
俺は講義終わりに食堂でレポートや講義の復習をするのが日課になっている。しかし、目の前で飾磨が女性の話をずっとしているから集中しづらい。
まあ、飾磨は大抵女性と遊んでいるから、そこまで頻繁に食堂でだべっているわけではないが。
「多野くん、隣良い?」
「ああ、鷹島さんお疲れ様。どうぞ」
「お疲れ様。ありがとう」
「由衣ちゃんお疲れ~」
「飾磨くん、お疲れ様」
声を掛けてきた鷹島さんは、手に持っていた紙コップをテーブルの上に置いてから俺の隣に座る。どうやら、鷹島さんはアイスコーヒーを飲むらしい。
「由衣ちゃん、何で多野の周りには可愛い子が多いか分かる?」
「え? 多野くんの周りに?」
「そうそう。由衣ちゃんと佳純ちゃんも可愛いでしょー? それに彼女の凛恋ちゃんも可愛くて、そんでもって、美鈴ちゃんに飛鳥ちゃんが居るじゃん? その上、今度は希ちゃんまで増えてさー。多野はハーレムでも作る気なのかよって思って」
飾磨は好き勝手言っているが、俺は一ミリもハーレムを作ろうなんて思ってない。それに、鷹島さんと本蔵さん以外は、全員凛恋繋がりで知り合った人だ。俺の意思とは関係ない。
「希さんって赤城さんのことよね? 確かに赤城さんはとても可愛いわね。でも、良い人が集まるのは、多野くんの人柄が良いからだと思うわ」
「人柄かぁー。多野って人柄良いの?」
鷹島さんの言葉を聞いて、飾磨が俺に首を向けて首を傾げる。
「少なくとも、本人に対して人柄が良いか聞くやつよりマシだとは思うぞ?」
「絶対に嘘だー。人に嫌味を言うやつの人柄が良いなんて~。世の中不条理だぁ~」
不条理だと飾磨は嘆くが、女性との関わり合いの数という意味では飾磨の方が俺より圧倒的に多い。
それに、ハーレムとは言えないが、複数の女性を相手に良い思いをしているのは、俺ではなく飾磨の方だ。
「飾磨は友達はいっぱい居るだろ。それ以上増やしてどうするんだ」
「友達はいっぱい居た方が良いだろー?」
飾磨は顔を上げて鷹島さんを見る。鷹島さんは視線を向けられて不思議そうな顔をする。その鷹島さんから視線をテーブルに落とした飾磨は、大きく深いため息を吐いた。
「飾磨、人の顔を見てため息を吐くのは失礼だぞ」
「テーブルを見てからため息を吐いたからセーフだ」
飾磨はテーブルの上に顎を置いて黙った飾磨から視線を鷹島さんに向けて、飾磨をとりあえず放っておく。
「鷹島さんはサークルどう?」
「新入生だけど、色々とやらせてもらってるわ。取材をして原稿に起こして、それをインターネット番組で紹介してもらっているの」
「そうなんだ。取材って例えばどういうこと?」
「新入学生向けのワンコーナーで、大学周辺のお店や施設について取材しているの。先輩のメンバーと一緒に回るから、私も周辺のお店とか施設に詳しくなったわ。それに時事的なことに関しての私見もインターネット番組のコーナーで紹介してもらってる」
鷹島さんは柔らかい笑顔でアイスコーヒーを飲みながら話す。
取材と言ったら、初対面の人に自分から積極的に話し掛けなければいけない。俺にはそれが出来ないから、鷹島さんを尊敬する。
「そのうち、自分で企画を任されるようになったら、多野くんにも協力してもらおうかしら」
「鷹島さんになら喜んで協力するけど、お手柔らかにしてもらえると助かる」
クスッと笑った鷹島さんに言われて、俺は困りながらも鷹島さんに笑顔を向けて答える。目立つようなことは苦手だが、もし鷹島さんに協力してほしいと頼まれたら無下に断ることは出来ない。
「今日はこれからサークル?」
「今日は活動日じゃないけど、多分先輩も居るし寄っていこうと思ってるわ。その前に多野くんを見掛けたから声を掛けておこうと思って」
アイスコーヒーを飲み終えた鷹島さんは席を立つ。すると、俺の空になった紙コップを取って自分の紙コップに重ねた。
「ありがとう」
「ついでだから気にしないで。今度、八戸さんと赤城さんも一緒にカフェでも行きましょう」
「ああ。凛恋と希さんに言っておくよ」
俺の分の紙コップも一緒にゴミ箱へ捨てて鷹島さんは食堂を出て行く。
「じゃあ、俺は京子さんと遊んでこよー。じゃーな」
鷹島さんが立ち去ると、飾磨も立ち上がって背伸びをしながら俺を見下ろして言う。
飾磨が居なくなり、一人になった俺は椅子に座りながらボーッとする。
今日はアルバイトもないしレポートも復習も終わってしまったからやることもない。が、凛恋は瀬尾さんと稲築さんと予定があると言っていたから今から会うことは出来ない。
元々、俺は凛恋が居なければ外を出歩くような人間じゃない。だから、帰ってゲームをするくらいしかやることがない。
ただ座っているだけでは時間の無駄だと思い、俺は椅子から立ち上がって食堂を出る。
大学の敷地を出て駅の方向まで歩く。すると、スマートフォンが震えて電話が掛かってきた。
「もしもし」
『もしもし凡人くん。もう講義終わったよね?』
「終わった。希さんの方は?」
『うん、私も今日は午前だけだから終わったよ』
「お疲れ。何か用事があった?」
『これから会わない? 凡人くんも凛恋が瀬尾さん達と遊びに行ってて暇かなって思って』
「良いよ。旺峰の近くまで行けばいい?」
『ありがとう。じゃあ、近くに来たら電話してくれる?』
「ああ。じゃあ、今から行くよ」
希さんとの電話を切って、駅へ向かって歩く足はそのままに、急に希さんから誘われたことについて考えた。
俺と希さんは親友だからよく会う。でも、そこには必ず俺の彼女であり、希さんの一番の親友である凛恋が居る。だから、俺と希さんが会う時は必ずと言っていいほど凛恋を含めた三人以上で会うことが多い。でも、今日は凛恋が居ない二人だ。
希さんと二人で会うことが初めてではないが、それでも数えられる程度しかない。ただ、珍しいとは思うが、それ以上は特に何も思わない。俺も暇だったし丁度良かった。
塔成大の最寄り駅から電車に乗って旺峰大の最寄り駅まで行き、駅から数分歩いたところにある旺峰大の目の前に突っ立つ。
世間では日本最高峰の大学として有名な旺峰大学の正門はテレビでも良く映されることがある。だからか、自分の通う大学ではないのに物珍しさが薄い。
「もしもし希さん、今旺峰前に居る」
『分かった。今から行くから少し待ってて』
希さんに短い電話をして、俺は正門を出入りする旺峰生の邪魔にならないように正門の端へ避ける。
出入りする旺峰生は案外、どこにでも居る大学生にしか見えない。まあ、見た目は同じでも頭の中身は全然違うのだろう。でも、失礼な話だが、見た目からは全く日本最高峰らしさは感じない。
「凡人くん、お待たせ」
「希さんお疲れ」
「ありがとう」
正門から出てきた希さんが、ニコッと笑いながら手を振って近付いてくる。
「近くの喫茶店に行こう」
「ああ」
希さんがそう言って歩き出し、俺も希さんの隣に並んで歩き出す。
「希さんと二人でって珍しいよな」
「そうだね。いつもは絶対凛恋が居るし。さっき栄次から電話があって、今から凡人くんとデートして来るって言ったら、結構焦ってた」
希さんがクスクス笑いながら話すのを聞いていると、遠距離でも変わらず栄次と仲良く出来ているのが分かる。
希さんの案内でオープンカフェに入ると、二人掛けのテラス席に案内されて俺達は向かい合って座る。
「希さん、ここ良く来るの?」
「ううん。初めてだよ。いつか栄次がこっちに遊びに来た時の予行練習にしようと思って」
「栄次と来る前の予行練習、か……」
「なんか、あの公園の時みたいだね」
希さんがクスッと悪戯っぽく笑って言った言葉に、俺は気まずさを感じて視線を逸らす。
あの公園というのは、俺が凛恋と付き合う前に、栄次から俺が凛恋のことを好きだと聞いた希さんに連れられて行った公園のことだろう。
俺も、希さんが“予行練習”と言った時に同じ公園のことを思い出していた。
「良いのか? また俺が練習相手で」
「凡人くんだと気を遣わなくて良いし、栄次も怒らないし」
「まあ、そう言われると、練習が出来る男は俺以外は居ないだろうな」
「うん。でも、凡人くんが暇で良かった。凡人くんが居なかったら、何もすることがなくて家に帰るだけだったし」
「希さん、旺峰で友達は?」
「う~ん……ちょっと厳しいかも。結構、周りの女子に距離取られちゃって……」
俺の質問に、希さんは困った笑みを浮かべて答える。
希さんはセンター試験も二次試験も満点という驚異的な成績で合格した。それはどうやら旺峰大学学内でも有名らしく、入学当初は散々色んなサークルやゼミから勧誘を受けたようだ。
ゼミはゼミナールという言葉の略で、少人数で同じテーマについて研究する集まりのことを言う。
研究と言うと、何か化学実験を連想するが、ゼミは化学的な研究の集まりだけじゃない。
教育や商業、法律に文学と、それぞれの大学の教授が得意とする分野に関するものが研究テーマになっている。
そんなゼミは人気なゼミも存在し、人気なゼミには入るために面接もあるらしい。
希さんは、そんなゼミにもサークルにも入らなかった。その理由は、きっと女子に距離を取られたということが原因なのかもしれない。女子社会のことはよく分からないが、少なからず嫉妬というものもあるのだと思う。
「でも、私には凛恋と凡人くんが居るし。学内でも特に困ってないから」
「そっか。俺も学内での知り合いは数えられるくらいしか居ないしな」
鷹島さんは刻季からの付き合いだし、本蔵さんは刻雨からの知り合い。飾磨が大学に入ってからの知り合いではあるが、あいつは誰にでも話し掛けるし、こっちが面倒くさがっても一方的に絡んでくる。
飲み物とケーキが運ばれて来て、通りを歩く人を横目に、俺はコーヒーを一口飲む。すると、希さんが紅茶を飲んでから口を開いた。
「凡人くんは、瀬尾さんと稲築さんをどう思う?」
「瀬尾さんと稲築さんか~。正直言うと、まだ話すのは慣れないな。それに、どっちも別の意味で苦手なタイプだし」
「良かった……凡人くんも一緒で」
希さんは少し元気のない顔で視線をケーキに落として呟く。その表情と声から、希さんが二人のことが苦手だと思っているのをなんとなく察した。
「まだ会って一ヶ月ちょっとだし、俺はそもそもすぐ人と気楽に話せるような性格じゃないしな。それに、瀬尾さんって結構最初っから距離感が近い人だからまだ慣れない。稲築さんの方も今まで会った誰よりも物静かな人だし」
「なんか……瀬尾さんと稲築さんに凛恋を取られた気分…………――ッ! 今のは凛恋に言わないで!」
ボソッと本音を漏らした希さんが、真っ赤な顔をして言う。それを見て俺は頷いた。
「言わない。俺も少しそう思うしな。正直、今日はアルバイトもなかったし、一緒に居てほしかったなって思いもするし」
「…………それとね、ちょっと稲築さんが怖くて」
「稲築さんが?」
恐る恐ると言った感じで口にした希さんの言葉に、俺は思わず聞き返してしまう。
稲築さんは希さん以上に大人しく、俺はほとんど言葉を交わしたことがない。凛恋や瀬尾さんと話している時は気楽に話しているが、確かに希さんとは話しているところは見たことがない。
「はっきり何かをされたわけじゃないんだけど、雰囲気が……」
「あー、確かにそれはある。俺なんて完全に居ない人間として見られてるしな。雰囲気というか無言で拒絶されてるような感じがする」
「えっ……」
「ん?」
希さんの言葉に俺が思ったことを答えると、それに対して希さんが目を見開いて聞き返す。俺は希さんに聞き返されたことに戸惑って聞き返してしまった。
「凡人くんも同意してくれるとは思ってなかったから。稲築さん、凡人くんにもそんな感じだったんだ」
「ってことは、希さんも稲築さんに?」
「無視はされないけど、あまり私とは話したくないみたい」
「そうなのか。てっきり男嫌いで、俺が男だから無視されてるのかと思った。うちの大学の男子学生と居た時もそいつにも一切話さなかったし」
「でも、凛恋にはニコニコ笑って話すんだよ?」
希さんはそう言いながら少しムッとした表情をする。そして、クスッと笑った。
「良かった。ちょっとモヤモヤしてたんだ。凡人くんに話せてスッキリした」
「栄次には話さなかったのか?」
「栄次には、少し苦手な人が居るって話したよ。でも、直接話す方がスッキリするし、やっぱり栄次には性格が悪い子とか思われたくないし」
「そっか。俺は男として見られてないんだっけ?」
「違うよ。凡人くんは無理しなくてもいい人」
俺が希さんをからかうように言うと、希さんが笑顔で言う。
「やっぱり人に対する愚痴って話しづらいし。それに、一番話せる凛恋の友達のことだから凛恋に言えるわけないし。良かった、凡人くんが居てくれて」
希さんはケーキをフォークで切りながらスッキリした表情で食べる。
人に対する愚痴というものは、必然的に人に対する悪口のようになってしまう。だから、よっぽど親しい間柄の人でなければ話しづらい。俺は、希さんのそう言う存在になれていることが嬉しかった。
「俺には遠慮せずに色々話していいぞ。希さんの愚痴くらいいくらでも聞く」
「ありがとう、凡人くん」
「どういたしまして」
俺も凛恋の友達に対することは凛恋には話しづらい。だから、稲築さんに対する印象が同じ人が身近に居て安心した。だが、そう考えると何で俺と希さん、それから飾磨は稲築さんから毛嫌いされているのだろう。
凛恋と瀬尾さんとは普通に話しているように見えた。やっぱり、同じ学校で接する時間が長いから、二人には警戒心が薄いのかもしれない。
正直、俺には稲築さんに好かれる必要はない。だから、深く悩まなくても良いのだ。とりあえず、無難にトラブルを起こさないように今まで通り接すれば良い。
「ところで、この後はどうしよっか?」
「この後かー。希さんは行きたいところある?」
「うーん。凛恋となら洋服を見に行くんだけど、凡人くんとなら……あっ!」
「何か思い付いた?」
「うん! ケーキを食べ終わったらすぐ出発しよう」
希さんがニコニコと笑顔を浮かべてさっきよりも速いペースでケーキを食べる。その希さんの表情に俺も笑顔になりながら、自分のケーキを希さんに負けないペースで食べた。
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