【一三一《一生の友達》】:一

【一生の友達】


 ベッドの上で目を開き、俺は両手を伸ばして背伸びをしてからまた目を瞑る。こんなにぐっすり寝たのは久しぶりだった。

 大学入試も終わり、後は入試結果を待つだけになった今、俺はとんでもなく怠惰な生活を送っている。

 今まで受験勉強で我慢してきたゲームをひたすらやり、朝は遅く起きて夜は遅く寝る。その生活は最高に怠惰で、最高に贅沢な生活だ。


「二度寝しないでよ~」

「もう受験終わったんだからいいだろ~」


 布団越しに体を揺すられ体を向けると、凛恋がベッドの脇で俺の顔を覗き込んでいた。


「…………」

「お爺さんが怒ってたよ。凡人が怠けてるって」


 どうやら、俺が寝ている間に凛恋が来て、爺ちゃんか婆ちゃんが家へ上げたんだろう。

 なんで一人で来た、という言葉も浮かんだが、凛恋を過保護にしないようにしようと思いとどまる。


「今日はお疲れ会の日でしょ?」

「でも、まだ時間あるだろ?」

「そうだけど、一緒にお菓子とかジュース買い出しに行くって言ったじゃん」


 凛恋が俺の布団をはぎ取って、俺の目の前に俺の着替えを置く。


「はい。お着替えしましょうね~」

「凛恋……まだ俺、起きてな――わぷっ!」


 凛恋に着ていたスウェットの上着を引っ張り上げられて脱がされる。


「はーい凡人くん、これ着てね~」

「なんで子供扱いなんだよ」


 凛恋が差し出したシャツを受け取って着ると、凛恋がクスクス笑う顔が見えた。

 着替えを済ませてベッドの上に座ると、隣に凛恋が座って頬にキスをする。


「凡人、おはよう」

「おはよう、凛恋」


 凛恋の手を握りながらあくびをすると、凛恋が俺にギュッと抱き付く。


「凡人大好き!」

「俺も凛恋が大好きだ」


 凛恋を抱き返しながら、凛恋の香りを嗅いでホッと息を吐く。

 受験が終わってから、俺と凛恋は当然毎日会っている。


「凡人」

「ん?」

「お尻触らない」

「ごめんなさい」


 凛恋のお尻から手を離して、俺は凛恋のお尻から太腿に置く。


「太腿もダメ」

「えぇっ……」

「スイッチ入ったら我慢出来なくなるでしょ? 今日はみんなと遊ぶ日なんだから」


 凛恋がベッドから立ち上がって俺の手を引っ張る。


「ほら、朝ご飯食べて買い出し行くよ」

「はーい」


 凛恋に手を引かれ部屋を出ると、居間で爺ちゃんが新聞を広げて読んでいた。そして、俺に視線を向けて、ムッとした表情をする。


「凡人、最近たるんでるんじゃないか?」

「ごめんなさい」


 受験が終わったんだからだらけさせてくれ、という言い訳を思い付く。が、そんなの理由にならないのは分かっているから素直に謝った。


「凡人、朝ご飯は?」

「えーっと……」

「お婆さん、私が凡人の朝ご飯作ります!」


 凛恋が婆ちゃんにそう言って台所に歩いて行く。すると、その凛恋の背中に爺ちゃんが声を掛けた。


「凛恋さん、そんなやつに作らんでいい。ゆっくり座っていなさい」

「大丈夫です! 私が凡人にご飯作りたいんです! 凡人、チャーハンでいい?」

「凛恋のチャーハンか。ありがとう」


 凛恋にお礼を言いながら座り、俺は爺ちゃんに視線を向ける。

 まったく……実孫に対して、そんなやつとは酷い。


「本当に、凡人に凛恋さんは勿体無いな」

「大きなお世話だ」

「凛恋さんの手料理も凡人には勿体無い」

「俺の彼女なんだから良いだろ」


 凛恋が自分じゃなくて俺に構うのがいつまで経っても悔しいらしい。

 いつになったら、この家に凛恋が来るのは、爺ちゃんじゃなくて俺が居るからだと分かってくれるんだろう。


 俺が座卓の前に座って待っていると、凛恋がチャーハンの盛られた皿とスプーンを持ってきてくれた。美味しそうな卵チャーハンだった。


「凛恋、ありがとう! 部屋で食べよう」


 居間で食べると爺ちゃんに見られて落ち着いて食べられない。

 凛恋と一緒に部屋に戻りテーブルの前に座って両手を合わせる。


「いただきます!」

「はーい」


 スプーンでチャーハンをすくって口へ運ぶ。

 不思議だ、ただの卵チャーハンにしか見えないのに、凛恋が作ったチャーハンは劇的に美味しい。


「凛恋のチャーハンには何が入ってるんだ?」

「え? 卵とご飯と、塩コショウにごま油、あとは鶏がらスープの素。それと、私の愛情?」

「やっぱり凛恋の愛情が入ってるからこんなに美味しいのか」


 納得しながらチャーハンを食べていると、凛恋が横で俺の顔をニコニコと笑いながら見る。


「ご飯食べてる時の凡人って、ほんと可愛いよねー」

「よねーって言われても俺は分からない」

「やっぱり私の料理食べてるからかなー」


 凛恋に見られながらチャーハンを食べ終えると、凛恋がポケットからスマートフォンを出した。


「もしもし? 今? 今は凡人の家。これからお菓子とジュースの買い出しに行こうと思ってる」


 希さんか萌夏さんか、それとも溝辺さんか。凛恋が電話をしている相手を想像しながら、俺はチャーハンの残りを食べる。


「はーい。凡人、萌夏が買い出しの帰りに萌夏のところに寄ってだって」

「萌夏さんの家に?」

「そう。萌夏、今日のためにお菓子作ってくれたんだって。それで、それを運ぶのを手伝ってほしいって」

「手伝わないと運べない量って、どれだけ作ったんだ萌夏さん……」


 萌夏さんのお菓子は美味しい、もちろん凛恋のお菓子も美味しいが、萌夏さんのはプロのお菓子という感じで、凛恋のお菓子は家庭のお菓子という感じだ。

 味が美味しいのはどちらも同じだが、萌夏さんのお菓子は見た目にも気を遣っている。


 パティシエの作るお菓子は当然美味しいが、更に見た目が綺麗であったり可愛かったりする。

 その辺りに気を遣っている萌夏さんのお菓子はどれも見て楽しめるものになっている。

 正直、萌夏さんの作るお菓子は食べて形を崩してしまうのが惜しいと思ってしまうほどだ。


 味も見た目も良い萌夏さんのお菓子は、一つ作るのにも相当労力がいるだろうし時間だって掛かるはず。

 そんなお菓子を一人では運べないほど作ったのだ。かなり大変だったのは、お菓子作りが出来ない俺でも想像くらいは出来る。


「萌夏も将来のための修行って言ってたし、自分がやりたいって思ってやってるんだから大丈夫よ」

「そうだけど、きっと材料費も掛かっただろう」

「みんながお菓子とかジュースを持ち寄るから、萌夏もその代わりのつもりなのよ」


 凛恋は何気なく言うが、市販の物を買ってくるのと一から手作りするのじゃ全く違うと思う。

 チャーハンを食べ終えると、凛恋がさっさと食器を片付けて部屋に戻ってくる。そして、自分の鞄を持って俺の手を引っ張った。


「ほら、買い出し買い出し!」

「分かった」


 立ち上がって部屋から出た俺は、居間に居る爺ちゃんと婆ちゃんに一声掛けてから家を出た。

 平日の昼間から呑気に買い出し。でも、家庭学習期間に入った俺達は誰に咎められることもない。

 まあ、事情を知らない警察に呼び止められる可能性はあるが。


 二月下旬はまだ寒い。だから、俺と凛恋は寄り添って互いを温め合いながらスーパーマーケットに向かって歩く。

 萌夏さんの家に寄るということで、家から近いスーパーマーケットではなく少し足を伸ばして萌夏さんの家に近いスーパーマーケットにした。


 スーパーマーケットに着いて店内に入ると、俺が買い物カゴを持ってまず先にお菓子コーナーに歩いて行く。

 店内は平日の午前ということもあってあまり客足はない。ちらほらと主婦っぽい女性の買い物客を見るくらいだ。


「とりあえず、クッキー系とスナック系は必要よね~」

「全員で八人居るんだからお徳用にしといた方がいいな」


 通常商品より量の多いお徳用のお菓子をカゴに入れ、次は凛恋と一緒にジュースのコーナーに歩く。

 ジュースの陳列棚の前に立った凛恋は、一・五リットルの炭酸飲料のボトルを手に取った。


「ジュースは一人一本持ってきたら八本になっちゃうし、一本で良いよね」

「多分、栄次と希さんで一本、溝辺さんと小鳥で一本、もしかしたら筑摩さんが一本だろうから二本くらい入れといたらどうだ?」

「そっか、流石に四本じゃ足りないかもね」


 今日は昼前から夕方までみんなが家に来ることになっている。

 昼を跨ぐと昼飯の心配があるが、お菓子で何とかなるんじゃないかという結論に至って用意はしていない。

 まあ、最悪腹が減ったらみんなで買いに行くなり食べに行くなりすればいい。

 凛恋との買い出しはすんなり終わり、そのまま約束した通り萌夏さんの家まで向かう。


「凡人、昨日も遅くまでゲームしてたの?」

「ああ、受験でやれなかった分を一気にな」

「私も昨日ゲームやったらさー、優愛が上手くなってんの。それで悔しかったから優愛に勝てるまでやったら、今朝寝坊してママに怒られた」


 凛恋が顔をしかめて少し身震いする。

 凛恋のお母さんは凛恋と優愛ちゃんに厳しくて怒ると怖い。だから、凛恋が身震いするのも仕方ないだろう。


「でも、凡人の寝顔見たら一発で元気になった」


 笑顔の凛恋は俺の腕を抱いて機嫌良く鼻歌を歌い始める。

 スーパーマーケットから萌夏さんの家の近くまで行くと、家の前で待っていた萌夏さんが俺達を見付けて手を振った。


「凛恋! 凡人くん! おはよー!」

「萌夏! おはよー!」


 凛恋は萌夏さんに駆け寄ると、萌夏さんの両手を握ってピョンピョン飛び跳ねる。

 萌夏さんも、凛恋と同じように飛び跳ねていた。


「さてさて、凡人くんにばかり荷物を持たせてる凛恋にいっぱい持ってもらおうかな~」

「持たせてるわけじゃなくて、凡人が持たせてくれないのよ!」

「はいはい、相変わらずアツアツねー」

「萌夏ぁー」


 萌夏さんにからかわれる凛恋が、両頬を膨らませて不満そうにしている。


「さっ、入って入って」


 萌夏さんの後ろを歩いて純喫茶キリヤマの裏から厨房に入ると、俺と凛恋は立ち尽くした。

 厨房にあった調理台の上には、様々な種類のケーキが置かれていた。

 それらは考えるまでもなく萌夏さんの手作りに決まっている。しかし、ケーキの種類も多く、とても一人で作ったとは思えない。


「どうやったらこんなに一人で作れるのよ……」

「やっぱり作業スピードも大事でしょ? レシピを考えながら、作業の手順とかも気を遣ってやってみたの。それに、作ってたら楽しくてつい、ね」


 ニコッと笑う萌夏さんは、手早くケーキを箱に詰めていく。それを、凛恋も手伝うために萌夏さんの隣に並んだ。


「今日、凄く楽しみだったんだー」

「やっとみんなでお疲れ会出来るしね」


 俺は荷物を一旦置かせてもらいながら、ケーキを箱に詰める萌夏さんと凛恋を見る。

 やっぱり、彼女と親友が楽しそうに笑っているのを見ているとホッとする。

 受験が終わるまでは安心なんて出来なかったし、今思えばホッとする余裕もなかった。でも今はそれが出来る。


 まだ、受験の結果は出ていない。だから、完全に安心し切ることなんて出来ないだろう。でも、きっとみんなと一緒に居れば、自然とみんなと居る楽しさに心配は追い出されるに決まっている。

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