【一三〇《みんなが付いているから大丈夫》】:二

 駅のホームで俺は鞄を背負い直しながら正面を見る。

 爺ちゃん、婆ちゃん、栞姉ちゃん、凛恋のお父さん、お母さん、優愛ちゃん、そして、希さんのお父さん、お母さんが立っていた。


 今日は個別学力検査、大学入試二次試験の前日。俺と凛恋、希さんは一緒に試験のある都市へ向かう。

 俺の塔成と凛恋の成華女子はかなり近い。だが、希さんの受ける旺峰も塔成と成華女子に比較的近い場所にある。だから、三人で行くことになった。


「みんな、頑張って」

「行ってきます」


 栞姉ちゃんがグッと胸の前で拳を握って微笑む。俺はそれに笑顔を向けて頷いた。

 駅のホームに俺達が乗る新幹線の車両が入って来て、ゆっくりと車両のドアを開いた。


「行ってきます」

「みんな、行ってきます!」


 希さんと凛恋の言葉を聞いて、俺は荷物を持って新幹線の中に乗り込む。

 チケットを確認しながら俺達の座席を探して歩き、座席を見付けると凛恋と希さんを振り返った。


「荷物を棚に載せるから貸して」

「ありがとう、凡人」

「凡人くん、ありがとう」


 荷物棚に荷物を載せ終えると、凛恋と希さんが座席に座るのを見て俺も自分の席に座る。

 窓際から希さん、凛恋、俺の順番で座り、俺は小さく息を吐いて視線を周囲に向ける。

 出張に向かう会社員らしき背広の男性や、旅行に向かうように見える女性二人組が見える。しかし、その他の人は俺達と同年代に見える。多分、みんな俺達と同じ受験生だろう。

 みんな表情は硬い。やはり、明日の試験のことを考えているのかもしれない。不安なのはみんな同じだ。


「受験生っぽい人ばっかりだね」

「そうだね。多分、みんな私達と同じだと思う」


 希さんと話していた凛恋が、さり気なく俺の手を手繰り寄せて握る。俺は指を組んで凛恋の手を握り返した。


「里奈達は大丈夫かな~」


 溝辺さんと小鳥は地元に近い大学だから、俺達のように泊まり掛けで行く必要は無い。

 栄次と筑摩さんは俺達の受ける大学とは違う方向だが、二人とも俺達と同じように泊まり掛けで受験に行っている。


「萌夏、今めちゃくちゃお菓子作り頑張ってるんだって」

「前から萌夏さんは頑張ってたと思うけど、まだ頑張るのか。凄いな」

「製菓専門学校で一番になってみせるって言ってた」

「そっか」


 進路を決めた萌夏さんは、自分の将来に向かって突き進んでいる。

 それを聞くと勇気をもらえる。俺も頑張らないといけないと。


「希は文部科学省だっけ?」

「うん。私は、文部科学省に入っていじめ問題に取り組みたい」

「優しい希さんらしい夢だな」


 希さんがいじめ問題に取り組んだら、きっと今よりもいい社会になると思う。

 希さんは人の痛みを分かる人だから、いじめを受けている人の立場になって対策を採ってくれる。


「私も辛い思いをした経験があるし。それにね、凡人くんみたいに良い人が人の悪意に晒されることが許せないから」

「希さん……」

「そのためにも旺峰に合格して頑張って勉強しないと」


 希さんがニコッと笑って言うと、隣に座っている凛恋がニヤッと笑う。


「センター試験満点の希が合格しないわけないでしょ」

「自己採点だから間違ってるかもしれないから……」


 希さんが恥ずかしそうに俯いた。

 センター試験満点。希さんの言う通り自己採点の結果だから間違いはあるかもしれない。しかし、今まで希さんの成績を見てきた経験からいくと、それが現実に起こると思えてしまう。


「そ、そんなこと言ったら、凡人くんの八五〇点も凄いよ」

「でも、満点ではないからな」


 俺が希さんをからかうように言うと、希さんが珍しくすねた顔をする。それを見た俺と凛恋は顔を見合わせて笑い合った。

 新幹線が走り出してからも、凛恋と希さんを中心に明るい会話は続く。


 凛恋と希さんの仲の良さは凄い。正直、二人の仲の良さに少し嫉妬したことも何度もある。


 俺と凛恋は一緒に居ると楽しく会話を出来るが、スッと会話が途切れることがある。でも、それは悪い意味ではなくて、その会話が途切れた沈黙も心地よく感じる。だけど、凛恋は希さんとなら永遠に喋っていられるのだ。

 どこからそんなに話題が出てくるのかと思うくらい、凛恋からも希さんからもお互いに話を振り合って、ずっと楽しく笑って話している。


 俺と栄次は間に空白期間はあっても、凛恋と希さんと同じで同性の親友だ。でも、俺は栄次と永遠に喋っていられるとは思わない。

 それは男女の違いなのかもしれない。それでも、やっぱり凛恋と永遠と笑って話せている希さんにうらやましさを感じる。


 永遠と笑って話せるということは、永遠と凛恋を楽しく幸せに出来ているということだ。


「凡人? 聞いてる?」

「え?」

「え? じゃなくてさ~」


 ボーッとしていた俺に凛恋が目を細めてジーッと見る。

 凛恋の向こう側では希さんがニコニコと笑っていた。


「受験終わったら、みんなでお疲れ会しようって話」

「ああ、またカラオケか?」

「そうなんだよね~。どうしてもカラオケとかあとは萌夏の家になっちゃうんだよね~」

「流石に、萌夏さんの家ばかりに迷惑掛けるわけにはいかないだろ」


 お疲れ会をするのに反論はないが、萌夏さんの家は仲間内で集まる時にことある毎にお世話になっている。

 それなのにまた今回もお世話になるというのは躊躇ってしまう。


「じゃあ、凡人の家にしようよ! 凡人の家でゲーム大会!」

「それ良いかも!」

「まあ、俺は別に良いけど、溝辺さんとか楽しめないんじゃないか?」

「大丈夫。みんなで出来るやつをやって、あとお菓子とジュースがあれば問題なし!」


 ニコッと笑った凛恋が両手を合わせクシャッとはにかんだ。


「チョー楽しみ!」

「うん」

「明日受験終わったらみんなに連絡しよ! 栄次くんは希から言えば良いでしょ? 小鳥くんは私が里奈に連絡すれば伝わるし、萌夏も筑摩も私から連絡するから」

「俺も手分けしようか?」

「良いわよ。凡人には場所を提供してもらうし! みんなで出来るゲームって何があったっけ?」


 その楽しそうな凛恋がまた会話を始める。でも、今度は俺も一緒に混ざって三人で楽しい会話になった。

 さっき、ほんの少しの嫉妬を希さんに抱いたことなんてすっかり忘れて、俺は凛恋と希さんと一緒に、明日の受験を通り越して、受験が終わった後の予定について盛り上がった。




 次の日の朝。俺は洗面所で顔を洗う。お湯は出るが、気合いを入れるために冷たい水を使った。

 イメージは身を清めるための禊(みそ)ぎだ。


 今日は勝負の日だ。今日の出来で全て決まる。運命の分かれ道であり、人生の岐路でもある。


「絶対に受かる」


 俺は鏡に映る自分に向かってそう宣言する。いや、そう言い聞かせ、そう自分に命令した。

 落ちるなんて絶対に許されない。絶対に受からなければいけない。


 凛恋は確実に受かる。希さんだって、あれだけの成績を持っているのだからまず落ちることなんてあり得ない。

 栄次だって、小鳥だって、溝辺さんも筑摩さんも、みんな絶対に合格を勝ち取ってくるに決まっている。それに、萌夏さんは既に勝ち取った。


 俺だけが落ちたら、みんなが素直に喜べない。みんな優しいから、俺に気を遣うに決まっている。

 それに、第一段階選抜結果発表の日の露木先生の涙が頭に浮かぶ。

 みんなを泣かせたり悲しませたりなんてこと、絶対にさせたくない。

 そんなこと、俺が絶対に許さない。


 今日まで、受験のプレッシャーに耐えられたのはみんなが居たからだ。

 みんなで励まし合って、みんなで助け合って来たからここまで来られた。だから、俺が受験をクリアして合格するのは俺だけのためじゃない。

 支えてくれた、全ての人への恩返しだ。


 みんなに助けられたのは受験のプレッシャーだけじゃない。

 俺が今ここに生きて立っていることも、みんなの助けがあったからだ。

 だから絶対、絶対に受かってみせる。


「よし!」


 顔をタオルで拭いて荷物を持った俺は、ホテルの部屋を抜ける。そして、凛恋の部屋に向かった。

 凛恋の部屋の前に着くと、俺はスマートフォンで凛恋に電話をする。すると、すぐに凛恋が出た。


『今準備出来た』


 スマートフォンからその声が聞こえると、部屋のドアが開いて荷物を持った凛恋が顔を出す。


「希の部屋に行こっか」

「凛恋、凡人くん」


 凛恋がそう言った時、横から希さんがそう言いながら歩いてくる。


「いよいよだね」

「うん!」


 希さんの言葉に凛恋が気合いの入った声を発する。

 三人一緒にフロントまで下りて行き、チェックアウトを終えてホテルを出る。そして、ホテルの最寄り駅から電車に乗ってそれぞれの大学へ向かう。

 その最寄り駅で、俺と凛恋は希さんを正面に見ながら並んで立った。

 希さんの受ける旺峰は俺達の受ける塔成と成華女子とは別路線。だから、ここでお別れだ。


「希、終わったら連絡取り合って合流ね」

「うん」

「時間に余裕あったら色々見て回ろ!」

「うん」


 希さんと凛恋は手を握り合って話す。でも、お互いに手を離そうとしない。

 みんな気持ちは一緒、でも受験を受ける時は一人で戦うしかない。


「絶対、絶対に大丈夫だから。希なら絶対に大丈夫」

「うん、ありがとう凛恋」


 手を握り合っていた二人は、二人同時にギュッと抱き締め合って背中を擦り合う。そして、二人同時に体を離した。


「じゃあ、行ってきます」


 希さんが明るい笑顔で俺と凛恋を見て言う。


「希さん」

「凡人くん?」


 俺は希さんに声を掛けて自分の胸を拳で二回軽く叩いた。


「みんな付いてる。みんな付いてるから大丈夫。みんな一緒だから、絶対に大丈夫」

「……うん! ありがとう! 頑張ってくるっ!」


 希さんは、希さんらしい優しくて柔らかい笑みを浮かべてしっかり頷いてくれた。そして、手を振って希さんは自分が乗る電車が着くホームに駆けて行った。


「よし、俺達も行こうか」

「うん」


 二人で手を繋いで、俺達も自分達の乗る電車が着くホームに歩いて行く。


「みんな付いてるよね」

「ああ。場所が違ってもみんな一緒だ」


 ホームでしばらく待っていると電車が着いて、俺と凛恋は無言で乗り込む。

 大丈夫、みんなが付いている。そう励ましても、目の前に近付くに連れて心の奥から緊張がせり上がってくる。

 緊張で胸がいっぱいになって、頭は緊張のことしか考えられなくなる。その緊張を解こうと公式を頭の中で暗唱したり単語を心の声で繰り返したりしながら紛らわす。

 それでも、手を通じて感じる凛恋の温かさが俺の緊張を和らげてくれる。

 もし凛恋の温かさがなかったら、もっと俺は緊張で切羽詰まってパニックを起こしていたかも知れない。


 目的の駅に辿り着き、俺と凛恋は成華女子まで歩いて行く。駅から歩いて先に辿り着くのが成華女子、塔成はその先にある。

 成華女子の校門が見えると、『成華女子大学入学試験会場』という立て看板があった。

 俺はそこで、凛恋に体の正面を向けた。

 目の前に立つ凛恋は、俺に不安そうな視線を向ける。その凛恋の頭に手を置いて、明るく微笑んだ。


「凛恋、大丈夫。絶対に大丈夫だから」

「うん……」


 凛恋の声は震えている。不安で心細くて……そんな凛恋の心が手に取るように分かった。


「凛恋? 俺が好きな凛恋の顔、知ってる?」

「うん。自然に笑ってる顔」


 凛恋が頷いて俺に笑顔を向けてくれる。少し硬い笑顔、でも凛恋の笑顔が見られて俺はホッとした。


「凛恋の笑顔で勇気出た! これで俺も絶対勝てる」


 俺は明るい笑顔を凛恋に向ける、すると、凛恋が俺にキーホルダーのホイッスルを見せた。

 それは、一年の夏休みに一緒に行った宿泊研修前に買ったホイッスル。


「これがあれば絶対に凡人が駆け付けてくれる」

「当たり前だ」


 凛恋は更に、バッグから俺がロンドンで買ったペンダントとブレスレット、そしてペアリングを出して両手の上に載せる。


「これがあるから、凡人と一番近くで繋がってられる」

「ああ。俺も、凛恋と繋がってられる」


 俺もペアリングとブレスレットを出して両手に載せた。

 凛恋は両手に載せた全てを胸に抱き締めると、俺に笑いかけた。

 自然な、俺の大好きな凛恋の笑顔で。


「頑張ってくる! 凡人も頑張って!」

「もちろん。凛恋も頑張れ」


 互いに手に握ったものを仕舞い、互いの手を握ってそれから抱き締め合った。

 成華女子に入っていく受験生の女子に沢山見られたが、その視線も気にせず凛恋の背中を必死に擦った。


 体を離すと、凛恋は二歩後ろに下がってもう一度笑って校門を潜って行った。それを見送り、俺は成華女子の校門に背中を向けて歩き出す。

 成華女子から塔成までは、変な不安を抱く間もなく辿り着く。


「…………」


 塔成大学の校舎を見て、俺の横を通り過ぎて入っていく受験生達を視界に入れる。そして、俺はポケットに入れたペアリングに薬指の第一関節まで通す。

 そこから、凛恋を感じた。


『頑張ってくる! 凡人も頑張って!』


 その凛恋の声が聞こえ、俺はグッと体に力を込めて塔成の門を潜った。

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