【一三〇《みんなが付いているから大丈夫》】:一

【みんなが付いているから大丈夫】


 二月上旬。センター試験も終わり大学への出願も終わって、最初の山が近付いてくる。

 出願してからセンター試験を元に大学側が個別学力検査を受けさせるか判断する、第一段階選抜の結果発表。

 そこで不合格だったら、試験さえも受けられない。


 もう三年生全員が家庭学習期間に入っていて、学校には来ていない。しかし、第一段階選抜の合否通知が来る今日は時間をずらして登校している。


 もう既に、学校にはそれぞれの生徒が出願した大学から、第一段階選抜の結果が送られて来ている。でも、みんながそれを突破出来るわけじゃない。

 だから、みんなが顔を合わせないように学校側が配慮して時間をずらしているのだ。


「多野くん」

「はい」


 教室で一人ぽつんと座って待っていた俺は、露木先生に呼ばれて俺は立ち上がってついて行く。

 露木先生は音楽準備室まで歩いて行き、俺に椅子を手で勧めた。


「座って」

「失礼します」


 椅子に座ると、露木先生は俺の前に一通の圧着はがきを置く。第一段階選抜の結果通知書だ。

 もしこれで不合格だったら不合格の通知だけ、合格していれば、合格通知と第二段階選抜、個別学力検査の受験票が印刷されている。


 モザイクのような青い模様が印刷されている面の下部にある開け方に従って、左下から一気に捲る。すると『合格』という文字と、個別学力検査の受験票が印刷されていた。


「多野くんは全然心配してなかったよ」

「俺の方はちょっと心配してましたけど」

「センター試験八五〇点なのに心配か~。私が多野くんと同い年だったら、嫌味にしか聞こえないよ?」


 ジトーっとした目を向けられるが、露木先生はすぐに明るくクスッと笑う。


「とりあえず、一次突破おめでとう」

「ありがとうございます」

「帰ったらすぐに出願手続きを始めてね。ホッとしたからって忘れちゃ駄目だよ?」

「分かってます。…………露木先生、やっぱり駄目だった人も居たんですね」


 露木先生が無理に笑っているように見えた。だからきっと、駄目だった人も居たんだろう。


「うん……みんなが頑張ってたのを知ってるから……ちょっとね」


 露木先生が唇を震わせて両手で顔を覆った。


「もっと、しっかり志望校の変更を言うべきだった……私がもっとしっかり現実を考えさせてあげられたら……」


 センター試験の自己採点で点数が悪かったら、大抵の人が志望校変更をする。でも、どうしても行きたい大学が固まっている人は、頑なに志望校を変更しようとしない。

 それを突き通した結果、第一段階選抜で弾かれた。


 センター試験の"国公立前期試験用"の成績請求表はセンター試験の受験票一つにつき一つしかない。だから、この第一段階選抜で弾かれたら、前期日程での国公立大学の受験は出来ない。


 残っている選択肢は、後期日程のある国公立を目指すか、私立大学に行くか、それか浪人するか。


「…………でも、最後は自分で決めたことですから。それは自分の責任であって、露木先生の責任じゃありませんよ。それに、その人の親だってきっと話はしたでしょうから」


 第一段階選抜を抜けた俺が言うと、ただの嫌味にしかならないのかもしれない。でも、みんな露木先生に責任を押し付けるようなことはしない。

 露木先生や両親や、他の周囲の人がどれだけアドバイスしても、結局最後に受験先を決めるのは本人だ。

 周りが志望校変更を促したのに我を突き通したなら、その責任は我を突き通した本人にある。


「次の人が控えてるから」

「はい。露木先生、みんな露木先生に感謝してます。絶対に露木先生のせいだなんて思ってませんから」

「うん、ありがとう」


 俺は露木先生に声を掛けてから音楽準備室を出る。そして、小さく息を吐いて校舎の出口に向かって歩き出す。

 とりあえず、一つの山を越えた。でも、もう一つ山を越えられるまでは安心出来ない。

 学校の敷地を出てすぐに凛恋から電話があった。


「もしもし?」

『凡人、どうだった?』

「一次は通ってた」

『良かったぁ~』


 凛恋の安心した声が電話の向こうから聞こえる。

 第一段階選抜の結果発表は学校によって変わる。俺みたいに圧着はがきで通知が来るところもあれば普通に封筒のところもある。

 個別学力検査と同じように、合格者の受験番号を発表しているところもある。

 それで言うと、凛恋が出願した成華女子は大学キャンパスと大学の公式ホームページに合格者の受験番号が公開される。

 凛恋は既に、公式ホームページで第一段階選抜の合格を確認していた。


『みんなも一次は受かったって』

「良かった」

『ねぇ凡人……今から会えない?』

「良いぞ」

『場所はどっちにする?』

「凛恋の家に行く」

『分かった! 待ってるね!』


 凛恋と電話を終えて、俺はすぐに爺ちゃんへ電話を掛ける。すると、呼び出し音が一回鳴っただけで電話が繋がった。


『凡人! 受かったかッ!』


 爺ちゃんの大きな声で軽い耳鳴りがして顔をしかめる。


「通ってた」

『良くやった!』

「まだ一次だって。次が本番」

『婆さん! 栞さん! 凡人受かったぞ!』


 俺の話は聞いていないのか、爺ちゃんは電話の向こうで婆ちゃんと栞姉ちゃんに第一段階選抜合格を伝えている。しかし、爺ちゃんのテンションは大学に受かったみたいなテンションだ。


「爺ちゃん、帰り凛恋のところに寄るから遅くなる」

『婆さん! 寿司だ!』

「爺ちゃん?」

『凡人は肉も好きだったろう! 良い肉を買いに行くぞ!』

「…………」


 俺はとりあえず爺ちゃんとの電話を切って、栞姉ちゃんに電話する。そして、繋がった栞姉ちゃんの電話からは、未だテンションが高い爺ちゃんの声が聞こえた。


『もしもし?』


 栞姉ちゃんの笑い混じりの声が聞こえて、俺はため息を吐いて栞姉ちゃんに話す。


「帰りに凛恋のところに寄るからすぐ帰らないって伝えといて」

『分かった。カズくん、良かったね』

「ありがとう」

『カズくんなら二次試験も絶対に大丈夫』

「うん、頑張る」

『じゃあ、お爺さんとお婆さん買い物に行くみたいだから、一緒に行ってくるね』

『栞さん! 凡人となんて電話しとらんで行くよ』


 俺の一次突破祝いの肉を買いに行くと言っていたはずなのに、俺なんかとは酷い爺ちゃんだ。


「栞姉ちゃん、爺ちゃんと婆ちゃんのことよろしく」

『はーい。じゃあ、また後でね』


 栞姉ちゃんと電話を終えて、俺はため息を吐きながら笑う。

 まあ色々と言いたいことはあるが、喜んでくれているのは確かだから、あまり強く爺ちゃんのことを否定出来ない。


 学校から凛恋の家まで歩いていると、道の向かいから歩いて来る凛恋の姿が見えた。凛恋は俺と目が合うと、パッと明るい表情をして駆け寄って来た。


「凛恋!?」

「待ちきれないから迎えに来た!」


 凛恋が俺の首に手を回して飛び付く。そして、頬にキスをしてくれた。


「やったね凡人!」

「ああ。とりあえず、第一段階突破だ」


 俺と凛恋はしばらく抱き合った後、手を繋いで凛恋の家へ向かう。


「あとは二次試験だけだね」

「そうだな」


 二月下旬にある個別学力検査は基本的に、受ける大学まで行って受験する。

 一部の出願者が多い大学なんかは、大学から離れた地方でも受験出来るようになっているところもある。しかし、俺も凛恋も受験大学まで行く必要がある。


 国公立大学の試験日はほとんど同じ日になっている。

 もちろん、塔成も成華女子も同じ日だ。そして、塔成と成華女子は場所も近いから、一緒に試験にも行ける。


 凛恋と一緒に家に行くと、優愛ちゃんは当然学校だから居ないし、お父さんも仕事で居ない。それに、お母さんも出掛けているようで、家の中は静かだった。


「ん? なんか凄く良い匂いがする」

「もー、凡人気付くの早過ぎ」


 凛恋がクスクス笑いながらダイニングの方に俺を引っ張る。すると、テーブルの上に美味しそうなマドレーヌがあった。


「凡人のために焼いたの」

「凛恋……」

「少しは残しとかないと、優愛とパパが怒るけど。でも、二人はおまけだから」

「ありがとう! 凛恋のマドレーヌが食べられるなんて幸せだ」

「手を洗って来て。私、コーヒー淹れてるから」

「分かった! すぐに洗ってくる」


 凛恋の手作りお菓子が食べられるとは思っていなかったから、嬉しいサプライズだった。

 手を洗って再びダイニングに戻ると、凛恋がコーヒーカップをトレイの上に置くのが見えた。


「部屋で食べよ」

「ああ」


 凛恋はカップの載ったトレイを持ち、俺はマドレーヌの載った皿を持つ。バターの良い香りがしてめちゃくちゃ食欲をそそる。

 凛恋の部屋に入ってすぐにテーブルの前へ座り、俺は隣に座る凛恋の顔を見る。


「待て!」

「…………わ、わん?」


 多分犬にエサを待たせるという意味の『待て』だと判断して犬の鳴き真似を戸惑いながらしてみる。すると、凛恋がクスッと笑ってキスをした。

 唇を離した凛恋は、マドレーヌを一つ手に取って俺に差し出す。


「よし! はい、あーん」

「あーん」


 二人だけの空間なら、躊躇わずに凛恋といちゃいちゃ出来る。

 凛恋の持っているマドレーヌにかじり付くと、口いっぱいに濃厚なバターの甘さが広がる。


「んんっ~! 美味い!」

「良かった!」


 凛恋は俺の食べ掛けのマドレーヌを口に放り込んで微笑む。


「凛恋は料理も出来るしお菓子作りも出来るなんて凄いよな~」

「凡人のお嫁さんになるために修行してるからねー」

「俺も頑張って凛恋に釣り合う男にならないと」

「もうなってる」


 凛恋はそう言って微笑むと、俺の手の上に自分の手を重ねて俺に近付く。

 その凛恋の唇に俺は優しくキスをした。そのキスはすぐに熱く深いキスへ変わる。

 凛恋の背中を支え、キスをしながら凛恋を立ち上がらせて凛恋をベッドに連れて行く。


「凡人……まだマドレーヌ食べ足りないんじゃない?」

「マドレーヌも食べ足りないけど……随分お預け食らってたからな」


 凛恋のスカートを捲ると、淡いピンクのパンツが見えた。俺が凛恋と選んだ下着だ。


「私も、チョーお預けされてたからお腹ペコペコ」


 凛恋が下から俺の首に手を回して微笑む。

 体を起こした凛恋が両手を挙げてバンザイの体勢を取ると、俺は凛恋の着ていたシャツを脱がす。すると、凛恋もニッコリ笑いながら俺のシャツを脱がした。


「凡人、寒いから暖めて」

「分かった」


 凛恋の滑らかな肌をした肩をゆっくり押しながら、ベッドに再び凛恋の体を寝かせる。

 ただ、第一段階を抜けただけ。まだ安心出来る状況じゃない。

 でも……少しだけ癒やされたかった。ほんの少しだけ、凛恋のことだけを考えさせて、感じさせてほしかった。


 それは甘さじゃなくて、次の大きな山を越えるための力にするためだ。

 何としてでも山を越えるという強い意志を固めるために必要なものだ。

 そう自分に言い聞かせて、自分に都合良く解釈した。




 隣で横になる凛恋の腰に手を回すと、凛恋が俺の首に手を回して近付きながら微笑む。


「チョー幸せ」


 少し汗ばんだ凛恋の肌が俺の肌にピッタリ貼り付き、暖かさと心地よさに体全体が包まれる。


「はぁ~……凡人格好良い」


 うっとりとした表情で俺の頬に手を触れさせながら凛恋が言う。


「凛恋は女の子として魅力的過ぎる」

「ありがとー。凡人もチョー男として魅力的過ぎる。だから、我慢出来なくなっちゃった」


 クスクス笑う凛恋は俺の首筋に鼻を近付けてクンクンと臭いを嗅ぐ。


「凡人の汗の匂い久しぶり」

「凛恋、発言が結構変態だぞ」

「今更じゃん。私が凡人の匂いクンクンするの好きな変態だって知ってるでしょ?」

「まあ、それもそうだな~…………ひぃ!」


 凛恋に臭いを嗅がれながらボーッとしていると、凛恋に首筋をペロッと舐められた。


「凡人の悲鳴可愛い」

「くすぐったかったんだよ」

「ごめん。ちょっといたずらしたくなって」


 楽しそうにクスクス笑う凛恋に、俺は凛恋の脇を軽く突く。


「ひゃっ!」

「お返しだ」

「もー、やるなら同じ方法でしてよ」

「え?」


 戸惑う俺に構わず、凛恋が髪を後ろに流して俺に首筋を突き出す。


「はい。どう――ひゃっ!」


 凛恋が言い終える前に、凛恋に覆い被さって上から凛恋の首筋にキスをした。


「んんっ……ちょっ、かずとぉ……」


 凛恋が突き出した首筋に細かくキスをしながら凛恋の頭を撫で、口を凛恋の耳元に近付ける。


「凛恋、顔真っ赤だぞ」

「だ、だって……ペロってするだけだと思ってたから……凡人のエッチ」

「それこそ今更だな」


 俺が凛恋に言うと、凛恋は真っ赤な顔をしながら可笑しそうに笑う。


「ほら、凛恋も着替えろよ」

「はーい。凡人、ブラとって」

「はいはい」

「ありがとー」


 近くに落ちていた凛恋のブラを掴んで差し出すと、凛恋がニヤニヤ笑いながら受け取る。流石にその辺のからかいには慣れてきた。


「凡人~」

「次はなんだ? シャツか? スカートか? それともパンツか?」


 凛恋のシャツとスカート、そしてパンツを布団の中から引っ張り出しながら尋ねる。そして凛恋の方を視線を向けると、凛恋が小首を傾げて俺を見ていた。


「着替える前にもう一回さっきのキスして?」


 ブラを着けた凛恋は髪を掻き上げて、赤ら顔でそう俺にねだった。

 さっきのいたずら心からの行動ではなく、純粋にキスを求める凛恋。さっきは大胆に晒した首筋を、今は遠慮しがちに髪を掻き上げて晒す。

 さっきはいたずら心で笑みが見えていた口元も、今は薄く開くだけで色っぽく言葉を発した。


 俺はその女性の艶やかな魅力に溢れる凛恋に吸い寄せられるように近付く。

 凛恋の首筋に唇を優しく触れさせた俺は、耳元から凛恋の甘い吐息が聞こえ、耳をその吐息でくすぐられ、気が付けば凛恋の背中に手を回して着けたばっかりのブラのホックを外していた。


「凡人? 着替えるんじゃなかったの?」


 凛恋の声が聞こえる。今はもういたずら心が感じるからかいの声だ。でも、その凛恋の声も好きだ。


「ごめん。そうだった」


 俺が凛恋からそう言って離れると、正面から凛恋の声が聞こえた。


「えっ……」


 今度は残念そうで、寂しそうな凛恋の声。それも可愛くて、そして愛おしい。


「凛恋、お母さんが帰ってくるまでまだ時間ありそう?」

「うん……まだ当分帰ってこない」


 凛恋の頬に手を添えて親指で凛恋の唇をなぞりながら尋ねると、凛恋の唇が動いてはっきり言う。

 頬から手を離し、凛恋の手を握って俺はまた凛恋にキスをする。

 多分、二次試験が終わるまでこうやって凛恋とゆっくり出来る時間なんてない。今日が、二次試験が終わるまでの最後の休息の日。明日から、また二次試験に向けて頑張る。

 だから、もう少しだけ、あとほんの少しだけ、俺に頑張るための糧を。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る