【一二五《独り善がり達》】:一

【独り善がり達】


 萌夏さんの部屋の端で、俺は身を縮こませて息を潜める。

 部屋の中央では、ケーキと飲み物の載ったテーブルを囲む凛恋、希さん、萌夏さん、筑摩さん、溝辺さんの五人が居る。


 五人は部屋に来ても未だに話し出そうとしない。

 もう、かれこれ一〇分は飲み物を飲みながらケーキを食べている。その、無言で黙々とケーキを食べる五人の姿に、俺は恐怖を覚えて身を震わせた。


「それで、本蔵になんて言われたわけ?」


 やっと話を切り出したのは萌夏さんだった。しかし、低く抑えられた声で、不機嫌さと怒りが隠すことなく滲み出ている。


「凡人を遊びに誘ったら断られた。友達を交えてでもダメだって言われた。なんでダメなのかだってさ」


 萌夏さんに尋ねられた凛恋も、萌夏さんと同じように不機嫌さが滲み出ている。しかし、萌夏さんよりもその不機嫌さは濃く、抱いている怒りも俺からは強く見えた。


「は? あいつ、調子に乗り過ぎでしょ?」


 怒りを抑えた凛恋の声に、全く一ミリも怒りを抑えていない溝辺さんが反応する。たった『は』という一文字だけで、あれだけ怒りを表現出来るなんて知らなかった。


「だから言ったのに、本蔵さんは気を付けた方が良いよって。嫌な感じしたんだよね、雰囲気から」

「そんなこと言われても、外で連絡先を聞かれたらどうしようもないでしょ」

「確かにそうだよね。それに凡人くんに、八戸さんが凡人くんの電話に出ちゃったって言うあたりが、結構悪意あるかな」


 筑摩さんは一番言葉遣いも語調も柔らかかった。

 ただ、話の内容から本蔵さんのことは良くは思っていないらしいことは分かる。


「でも、凡人は全然気にしないって言ってくれたし」

「凛恋と凡人くんがどれだけ信頼関係あるか思い知ったんじゃない?」


 凛恋が俺の腕を抱いて引き寄せながら言った言葉に、萌夏さんは表情を柔らかくする。

 それで、今この異様な雰囲気に和やかさが出たかと思ったが、すぐに凛恋がキッと視線を鋭くして場の空気をまた張り詰めさせる。


「萌夏、本蔵はそれ知った上で私にケチ付けてきたのよ。交友関係を制限して凡人を洗脳するなって」

「洗脳?」


 やっと口を開いた希さんが一番怖かった。

 声を荒らげるわけでもないし、棘のある言い方や乱暴な言葉を使うわけでもない。

 ただ、人の考え方を強制的に変えさせるという意味の言葉を発しただけだ。それも、小さな声で。

 でも……その冷静かつ抑えられた声と、希さんの全く変わらない冷ややかな表情がめちゃくちゃ怖い。


「それで? どうしたの?」

「凡人は私の彼氏だから、これ以上手を出すなって言った。でもさ~……」


 凛恋が右手の拳を握り、ドスンッとテーブルの上に落とした。


「あいつ、一ミリも反省した顔しないで、そっちがそう来るなら考えがある、とか言い始めたのよ!? ほんっとあり得ないッ!」

「何それ。何様よ、あいつ」

「囲んで黙らせる?」

「乱暴なことはダメだからな!」


 溝辺さんの不穏な言葉に、俺は黙っていられず声をあげる。

 流石に溝辺さんも、手を上げることまではしないだろう。だが、囲んで黙らせるなんてことをみんなにさせるわけにはいかない。

 たとえそれが、凛恋や俺のためを思っていてのことだとしても、そこまでする必要のあることじゃない。


「大丈夫。囲んで、次にまた調子に乗ったら痛い目を見るって言うだけだから」

「いやいや、それでもダメだ。みんな受験生だろ、変なトラブルになったら受験に響く」

「まあ……本蔵のために受験に影響が出るのは絶対嫌だけどさ~」


 溝辺さんは口を尖らせるが、なんとか矛を収めてくれた様子で飲み物を飲む。

 ことの発端は、今日の放課後だった。

 授業終わりのうちのクラスに本蔵さんが来て、凛恋に話があると言って呼び出した。そして、話を終えて戻って来た凛恋の機嫌がすこぶる悪く、希さん達に声を掛けて、緊急の女子会が開かれることになった。


 その"女子会"になんで男の俺が居るかというと、凛恋いわく「凡人を一人にしておいたら、いつ本蔵が凡人にコンタクトを取りに来るか分からないから」らしい。

 ようは、この女子会は凛恋の愚痴を話す会だったわけで、みんなはその凛恋の愚痴に付き合ってくれているのだ。


 本質だけ切り取れば友達同士の集まり、だがしかし、話の内容は結構キツい……。

 みんな悪い人ではない。

 悪い人ではないが、みんなで寄るとかな――ちょっとばかり口が悪くなるだけだ。


 凛恋達の女子会に連れて来られることは何度かあるが、回を増すごとに俺の存在をみんな気にしなくなっていく。

 気心が知れて遠慮がなくなるということなんだろうが、今回のようにあまり聞きたくない会話も聞いてしまうから、よく会話する人ばかりでも、女子会では身の置き場に困る。


「本蔵のやつ、絶対にまだ凡人のこと諦めてない」

「凡人くんのスマホから本蔵の番号を着拒にした?」

「してない」

「なんでよ! また電話してくるかもしれないでしょ!?」

「そこまでしたら、自信ないみたいじゃん。着拒までしないと凡人を守れないって本蔵に言ってるみたいで嫌」


 ムスッとした凛恋の様子に、萌夏さんが困ったように眉をへの字に曲げる。しかし、そんな凛恋の背中に萌夏さんが手を置いて優しく背中を擦った。


「大丈夫よ。命を懸けるくらい凛恋のことを好きな凡人くんが他の人なんて好きになるわけないでしょ?」

「ありがとう、萌夏。絶対に本蔵に凡人は渡さない」


 萌夏さん達は、凛恋のために協力してくれている。

 その友情に水を差すから言わないが、そもそも俺は本蔵さんに渡る気なんてない。俺が好きなのは凛恋だけだ。


 ただ、本蔵さんの話は間違ってはいないと思う。

 他人から見れば、二人の世界に他の人を、絶対に入れない、二人以外は敵、みたいな行動は差別的だとか、排他的だとか言われて良くない行動に見えるのかもしれない。

 だから、それをおかしいと思う気持ちは完全な間違いとは言い切れない。でも、愛し合う二人の間にズカズカ入ってくるというのは野暮なことだ。

 それも、傍から見れば良くないことに見えるに決まっている。


 今回の件に関して言えば、俺は凛恋が好きで凛恋以外を好きにならないと答えを出している。だから、どんな出題のされ方をしても出す答えは変わらない。

 ふと俺は筑摩さんと目が合う。その筑摩さんは、声には出さずに俺に向かってゆっくり口を動かした。


『だから言ったのに』


 口の動きだけで言った筑摩さんのその言葉で、キャンプの時に筑摩さんが言っていた言葉の意味を今理解した。

 あの時の『恋は思案の外』という言葉は、本蔵さんのことを言っていたのだ。でも、凛恋達から既に本蔵さんの気持ちについて聞いてしまっているが、本蔵さんからしたら、今の時点で俺には何も言っていない。

 ただ、遊びに誘っているだけだ。その状況で出来るのは、凛恋を最優先にして凛恋のことを大切にしていると、暗に言うことだけだ。


 告白をされて本蔵さんの気持ちを明確に伝えられていないのだから、本蔵さんの気持ちを俺が明確な言葉で断るなんて出来ない。

 その状況が複雑でどう動けば良いのか分からず、俺はただただ困ることしか出来なかった。




 女子会を終えて、俺はいつも通り凛恋を家に送る。

 帰り道、手を繋ぐ凛恋は周りを頻りにキョロキョロと見渡して警戒している。

 ずっと居るわけが無い本蔵さんのことを常に警戒してる。このままだと、凛恋が気疲れしてしまう。


「凛恋?」

「どうしたの?」

「なんでそんなに本蔵さんを警戒するんだ?」

「凡人にちょっかい出してくるからよ」

「俺は本蔵さんに遊びに誘われてもちゃんと断った。凛恋を心配させたくないから、遊びには行かないって言った。それじゃダメなのか?」

「本蔵が諦めてないからダメなのよ」


 まだ視線を周りに向けている凛恋は怒っている。

 ……そう言えば、最近、凛恋の自然な笑顔を見ていない。

 俺は、警戒を続ける凛恋を見てそんなことを思った。


 具体的に言うと、キャンプの日以降からだ。

 凛恋が笑わなくなったわけじゃない。でも、キャンプの日の後から、凛恋の笑顔は綺麗に整えられた笑顔ばかりだ。

 凛恋の顔は元々可愛いし綺麗に整っている。でも、前はその顔が崩れるくらい楽しそうに自然に笑ってくれていた。でも、今の凛恋は、キャンプの日以降の凛恋はそんな笑いをしてくれない。

 まるで、俺に遠慮しているみたいな、顔を崩さない笑顔ばかりだ。

 それに、今日に限ってはずっと怒ってばかりで、綺麗に整った笑顔さえも見ていない……。


 怒っている理由は分かる。考えるまでもなく本蔵さんだ。

 俺が今まで凛恋のことを好きだと言うやつらが現れて抱いていた不安と、今の凛恋の不安は同じなんだと思う。

 相手を誰かに取られてしまうという不安がある。ただ、どっちの場合も相手の立場からしたら取られる気なんてさらさらないのに。


「凡人?」


 俺は握った凛恋の手を引いて、凛恋の家へ向かう道から逸れる。

 行き先は決めていない。でも、このまま帰ったら、今日も凛恋の自然な笑顔を見られないで終わってしまう。


 凛恋のことを好きなやつが現れて俺が不安になるのは、俺が自分に自信が無いからだ。でも、凛恋が不安になるのは凛恋のせいじゃない。

 俺が凛恋を安心させてやれないからだ。


 俺は高台にある公園に向かって足を進める。

 とりあえずは二人きりになれる場所に行きたい。何をするにしても、落ち着いてゆっくり出来る場所は必要だ。


 少しキツめの坂を上って高台の公園に入ると、景色を眺めながら休憩する四阿(あずまや)に向かう。


「凡人?」

「無理に連れて来てごめん。凛恋と二人きりになりたかったんだ」

「謝らないでよ! その……チョー嬉しいから」


 四阿の中にあるベンチに座る前に、俺は凛恋を抱きしめた。


「凛恋が好きだ」

「私も凡人が好き」


 凛恋は当然のように応えてくれる。でも、俺は凛恋の気持ちを確かめたかったわけじゃない。


「凛恋はめちゃくちゃ顔が整ってるよな。可愛いのに綺麗さもあって、女の子の魅力を兼ね備えてる顔をしてる」

「えっ!? ――んんっ!?」


 俺は堪らず凛恋にキスをした。


「キス顔もめちゃくちゃ魅力的で、赤くなった顔も何度だって見たくなるくらい可愛い。本当に凛恋の彼氏になれて良かった。絶対に、俺は世界で一番幸せな男だ」


 凛恋を抱きしめたまま、凛恋の腰を引き寄せて抱き寄せる。


「顔も完璧なのに、凛恋はスタイルまで良い。細身で、でも胸も女の子らしく膨らんでてお尻はキュッと締まってるけど触れたら凄く柔らかくて温かい。胸とかお尻だけじゃなくて、凛恋の肌全てがスベスベしてて気持ち良くて、いっつも堪らなくなる。それで……無責任なことだって分かっていながらエッチしちゃうんだ。凛恋のせいじゃない。俺の理性が足りないからだ、ごめん……」

「あ、謝らないでよ! 最初に……初めてを誘ったのは私じゃん。凡人は私が誘うまで初チューから我慢してくれてた。チョー理性あるし、チョー私のことを大切にしてくれてるじゃん」

「ありがとう、凛恋。俺はそんな優しい凛恋が好きだ。ちょっと口が悪くなるところも可愛いって思うし、よく感情的になるところも危なっかしくて心配になるけど、守ってやりたいって気持ちになる。俺さ……凛恋の好きなところはいくらでも思い付くんだけど、凛恋の嫌いなところなんて一個も思い付かないんだ」

「かず……と? どうして……泣いてるの?」


 凛恋が下から見上げながら戸惑って俺に聞き返す。


「だから……だからさ、俺は凛恋以外なんてあり得ないから、自然に笑ってほしい。キャンプに行った後から凛恋の自然な笑顔を見てなくて…………」


 安心させるはずだったのに、俺は寂しさに負けた。

 凛恋の笑顔が見られなくなった寂しさに、心が負けてしまった。

 それで、自分の中の寂しさが辛さと悲しさになって溢れる。


「なんか……凛恋の笑顔が愛想笑いに見えるんだ。遠慮して、顔を崩さないように笑ってるように見えて……寂しい……」

「凡人……凡人っ!」


 凛恋がギュッと抱きしめてくれて、背伸びをしてキスをする。


「ごめんね……私……本蔵のことばっかり気にしてた。本蔵に負けないように、可愛く振る舞わなきゃって……私……最低だ……」

「凛恋は何も悪くな――」

「悪い! 私……ずっと、本蔵の話を聞いてからずっと……凡人との時間に本蔵のことを考えてた……。凡人を本蔵に取られないようにってことばかり考えてた……」

「凛恋……俺は凛恋を泣かせるつもりなんて……」


 凛恋の目尻から流れた涙を、俺は慌てて親指の腹で拭う。でも拭ったそばから凛恋の目から涙が溢れる。

 凛恋を泣かせるつもりなんてなかった。俺は、凛恋の自然な笑顔が見たかっただけだ。


「時間……巻き戻したい……」


 凛恋が顔を歪めて言う。俺はその凛恋の頭を撫でて抱きしめる。


「俺だって巻き戻したい。凛恋を泣かせたくなかった……」

「私も……凡人を泣かせたくなかった……」


 今度は凛恋が、俺の涙を親指で拭ってくれる。

 その優しい凛恋の指の感触に、俺は凛恋を抱き締めた手に力を込めた。


「凡人のこと寂しくさせてさ……私……チョーバカじゃん。凡人のことが一番大切なのに、凡人のこと全然考えないで……なにしてんのよ、私……」

「凛恋……凛恋は何も悪くないんだって。俺はただ、凛恋に自然に笑ってほしかっただけなんだ。凛恋に自分を責めてほしかったわけじゃない」

「…………凡人、チョー優し過ぎ」


 しがみつく凛恋を支えながら、俺は四阿のベンチへ凛恋と一緒に座る。

 座っても凛恋は俺の体にしがみついていて、潤んだ瞳で口を歪ませる。


「凡人、私にペケ一万個くらい付けて良いから」

「ペケは付けない。凛恋は何も悪くないって言ってるだろ?」

「うん……でもさ……」

「俺は凛恋が自然にしてくれるだけで良いんだよ。無理とかしないでほしい」

「……ありがと。やっぱり凡人はチョー優し過ぎ」


 凛恋が俺の体にもたれ掛かり、ギュッと手を握る。


「凡人、もう少し一緒に居よう」

「俺も凛恋ともう少し一緒に居たい」


 凛恋と手を繋ぎながら、ただ時間が流れるのを座って待つ。


「私、凡人の彼女で良かった。凡人はいつだって私のこと大切にしてくれる」

「凛恋だって俺のこと大切にしてくれてるだろ?」

「もちろんよ! 凡人は世界で一番大切!」

「だから今回も凄く心配してくれた。それは分かってる。でも――」


 俺は凛恋に「心配し過ぎだ」と言おうと思った。でも、心配し過ぎだと言っても凛恋は心配をする。それで結局周りを気にしてしまう。


「凛恋がちゃんと構ってくれないと寂しくて泣く」

「…………凡人?」

「……やっぱり今のは無しだ」


 凛恋がキョトンとした顔で俺を見る。

 俺らしくないことを言ったから、凛恋が戸惑っている。

 俺も、俺らしくないことを言ったから恥ずかしい。


「凡人、顔真っ赤!」

「からかうな」

「えー、私が構ってあげないと凡人泣いちゃうんでしょー? 私、凡人が泣いちゃうの嫌だから構うー!」


 凛恋がニコニコ笑いながら俺の顔を横から覗き込む。そして、凛恋が俺の頬に軽くキスをして腕を抱く。


「明日から警戒じゃなくてラブラブ作戦に変えよー」

「ラブラブ作戦?」

「凡人とラブラブしまくって本蔵に見せ付けてやるのよ。本蔵は私達の仲の良さを見て凡人を諦めるし、凡人が寂しくて泣いちゃう心配がなくて一石二鳥でしょ?」


 クスッと笑った凛恋が、四阿の中から見える住宅街を見下ろす景色に目を向ける。その凛恋の横顔は、自然な可愛らしい笑顔を浮かべていた。

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