【一二四《蚊帳の外》】:二
『男三人で何の話してたのー?』
「彼女が心配だって話だ」
『えー? 栄次くんと小鳥くん、何か心配事があるの?』
「いや、心配事があるのは俺だ」
『もー、心配しなくても私は凡人だけが好きに決まってんじゃん!』
視線の先には、家の前でスマートフォンを耳に当てながら手を振っている凛恋の姿が見えた。
『心配事を考えないで良いくらい、今日もラブラブしよーね!』
「凛恋、俺に何を隠してる」
『えっ? 急にどうしたの?』
今まで俺は、凛恋に「何か隠し事をしてるのか?」そういう聞き方はしなかった。
何かを黙っているのは分かっていたが、そう聞くと凛恋のことを疑っているように思われてしまう。でも、今はその聞き方をしなければいけない。
栄次と小鳥と話して、二人が何か知っていて、希さん達も何か知っているのが分かった。それを、みんなが示し合わせて俺に隠している。
「キャンプの日からキスが変わったし、学校でも毎日するようになっただろ。それにエッチも凛恋が絶対に誘うようになったし」
『それは凡人のことが好きだからだし』
俺は凛恋の目の前に来て、電話を切ってスマートフォンを仕舞う。目の前で、凛恋も同じようにスマートフォンを仕舞った。
「小鳥は隠し事が上手くないみたいだぞ。すぐにボロが出た」
「とりあえず入って。話は部屋に入ってから」
流石にはぐらかすことが出来ないと思ったのか、凛恋はそう言って俺と手を繋ぐ。
「俺は凛恋に怒ってるわけじゃないんだ」
「分かってる。凡人は、私が変にガツガツしてるから、何があったのか気になってるだけ。全部、私のことを心配してくれてるから」
中に入って二階に上がりながら、凛恋はそう言って俺の手を握りしめる。
「だったらなんで最初から何があったか話してくれなかったんだ」
凛恋の部屋に入りながら尋ねると、凛恋はドアの内鍵を閉めて唇を尖らせる。
「…………凡人のことを好きな人の話を聞いて、その人に凡人を盗られたくないから、他の人のことを好きにならないで。……って言いたくなかったの」
「え?」
「そんなことで凡人を繋ぎ止めても、本当に凡人が私のことを好きで側に居てくれてるわけじゃないじゃん。凡人には、私のことを大好きだから側に居てほしいの。私に言われたから側に居るとかじゃなくて」
唇を尖らせる凛恋が、俺の手を引っ張ってベッドに座らせる。
「キャンプの日に、筑摩から凡人のことを好きだって言ってる子の話を聞いたの。話を聞いたら、結構本気みたいで……。ほんと良かった、凡人と同じクラスで。凡人にいつちょっかい出されるか分かんないし」
「ちょっかい出されても、俺は凛恋以外とは付き合う気ないぞ?」
「それでも、凡人に抱き付いたりおっぱいを押し付けてきたりするかもしれないじゃん!」
「そんなことするわけないだろ」
「分かんないし! 凡人は格好良いから、手段選ばないで誘惑してくるかもし――」
凛恋の体をベッドに押し倒して、俺は上から凛恋を見下ろし首を傾げる。
「凛恋は俺がちょっと誘惑されたら、尻尾振って誰にでもついて行くと思ったのか?」
「そんなこと思ってない」
「じゃあ、抱き付かれるとか胸を押し付けられるとか何で心配するんだ? 凛恋以外にそんなことされても俺は迷惑だ」
凛恋のシャツのボタンを外しながら言うと、凛恋は俺の頬に手を伸ばして撫でる。
「私にされたら?」
「凛恋にされたらめちゃくちゃ嬉しいに決まってるだろ?」
俺が凛恋のシャツのボタンを全て外すと、凛恋が俺の背中に手を回して抱き寄せる。
ブラに包まれた凛恋の胸が俺の胸で潰れた感触がした。
「凡人に抱き付いて胸を押し付けた」
「嬉しい」
凛恋を抱き返しながら頬にキスすると、凛恋が顔を動かして俺の唇と自分の唇を重ねる。
凛恋のキスを受けながら、俺は凛恋のシャツを脱がして凛恋の体を引き寄せる。
きっと、凛恋が俺に言わなかったのは女のプライドというやつだろう。いや、彼女のプライドなのかもしれない。
俺からしたら、凛恋に「他の子に好きって言われても、私のことを好きで居て」と言われた方が嬉しい。
秘密にされて心配する俺の身にもなってほしい。でも……本当に良かった。
何か凛恋に良くないことがあったんじゃなくて。
「凡人、怒ってない?」
「ペケ、一だな」
「えっ!?」
「彼氏が心配するまで隠し事してただろ?」
「なんでもするから許して!」
「なんでも?」
俺が首を傾げると、凛恋がコクコクと何度も頷く。
「じゃあ、今度クッキーを作ってくれ。暇な時で――」
「今から作――キャッ!」
俺が凛恋の手作りクッキーをねだると、凛恋がベッドから起き上がろうとする。俺はその凛恋の肩を押して、またベッドに押し倒した。
「こら、どこに行くんだよ」
「だってクッキー作って早く許してもらいたいから!」
凛恋が真剣な顔でそう言うのを見て、俺は堪らなく愛おしくなって凛恋に覆い被さる。
「その前に、ちゃんと俺は凛恋のだって証明させてくれ」
朧気な意識の中、手探りで凛恋の存在を探す。しかし、凛恋の存在が見付からない。
「り、こ?」
目を開きながら凛恋の名前を呼ぶと、隣で寝ているはずの凛恋が居なかった。
「もしかして……クッキー作りに行ったのか?」
体を起こして背伸びをし、ベッドの中でしわくちゃになった服を着てベッドから立ち上がる。
「どういうつもり?」
ドアの向こうから凛恋の声が聞こえた。でも、それは楽しそうな声ではなく、何か怒っているような声だ。
「私の彼氏にちょっかい出してどういうつもりって聞いてるの」
誰かと話している? でも相手の声は聞こえない。ということは電話だ。
盗み聞きは悪いことだとは思った。しかし、話に「私の彼氏にちょっかい出して」と言う言葉があった。
それで気になって聞く耳を立ててしまった。
「学校でも言ったでしょ。凡人は私の彼氏なの。だから、私達の邪魔はしないで」
凛恋がそう言ってドアノブを握る音が聞こえ、俺は慌ててベッドへ戻る。そして、着ていたシャツを一度脱いでから手に持った。
「凡人? 起きてたんだ」
「ああ、凛恋が居ないからちょっとビックリした」
「ごめんね、寂しかった?」
凛恋が俺の隣に座って頬にキスをして微笑む。
「凛恋は何してたんだ?」
「えっ? …………何でもない」
「そっか」
凛恋は俺に嘘を吐いた。でも、俺も凛恋に今起きた振りをした。だから、凛恋の嘘を責められない。
「凡人、凡人のためだけに作るクッキー選んで!」
凛恋がベッドから立ち上がり、本棚からクッキーのレシピが載った本を持って戻って来る。でも、俺は見逃さなかった。
凛恋がさり気なく、俺のスマートフォンをテーブルの上に置いたのを。
家に帰って飯も風呂も済ませて、俺はベッドの上に胡座をかいてスマートフォンを見つめる。
普通、勝手にスマートフォンを見られるのは嫌うものだ。
もちろん、俺も良い気分はしないが、だからと言って凛恋を責めようとは思えない。
そもそも、俺のスマートフォンには凛恋に見られて困るようなものはない。
随分前には見られては困る……と言うか、見られて恥ずかしいお気に入りがあったが今はない。
着信履歴を見ても、俺が最後に凛恋とした通話の履歴が最新になっている。
きっと、通話した相手が分からないように履歴を消したのだろう。そうなると、凛恋が俺のスマートフォンで通話をしていた人が誰か分からない。
俺のスマートフォンの連絡先の登録件数は、昔の片手で数えられる程度から遥かに増えてしまっている。だから、凛恋が誰と電話をしていたか特定するのは難しい。
「本蔵さん?」
ベッドに置いていたスマートフォンが震え、画面に『本蔵さん』の名前が表示される。
「もしもし?」
『良かった。今度は多野だった』
「えっ?」
『さっき電話したら八戸が出て怒られた』
「さっきの電話?」
俺は「さっきの電話は本蔵さんだったのか」と言いそうになって、上手く「さっきの電話」の語尾を上げて疑問系にする。
俺は凛恋と本蔵さんの電話を知らないことになっているからだ。
『多野に電話を掛けたら八戸が出て、多野にちょっかい出すなって怒られた』
「ご、ごめん」
『いくら彼女でも、彼氏のスマホを勝手に見るのはどうかと思うけど?』
「いや、俺は別に見られて困るものはないから」
『そうなの。ところで、今度二人で本を見に行かない?』
「本?」
『そう。探している本があるの。一緒に探してもらえないかと思って』
「ごめん。本蔵さんも知ってる通り、凛恋と付き合ってるから」
俺は当然のように言う。彼女の凛恋が居るのに、凛恋以外の女の子と出掛けるわけにはいかない。
それが希さんのように凛恋も気心が知れている相手ならまだしも、盗み聞きした通話から凛恋は本蔵さんに対して良い印象を持っていないようだった。だから、それは当然のことだ。
それに、本蔵さんの方もそれできっと引き下がると思った。でも、本蔵さんの反応は意外だった。
『何で、彼女が居たら他の人と出掛けたら駄目なの?』
「えっ? 凛恋に心配を掛けたくないし。それに、彼女の居る人と出掛けたら本蔵さんにも変な噂が立つかもしれないし」
考え方は人それぞれだ。だから、全く気にしない人も居るだろう。でも、凛恋は本蔵さんに電話で怒るくらいだし――…………あれ?
俺はそこでふと思い出す。凛恋は、俺に隠れて俺のスマートフォンでしていた本蔵さんとの会話で「学校でも言ったでしょ。凡人は私の彼氏なの。だから、私達の邪魔はしないで」と言っていた。ということは、本蔵さんと凛恋は学校で、俺のことについて話しているのだ。ということは、凛恋が言っていた、筑摩さんから聞いた俺のことを好きな人って……――ッ!?
『多野? 何で駄目なの?』
「いや、ダメだ」
俺はきっぱりと本蔵さんにそう断る。
ダメだダメだダメだ、ダメに決まっている。
女の子と出掛けるのもダメに決まっているのに、ましてや俺のことを好きな人となんて!
いや! そもそもの話、どうしてそうなった?
どうして本蔵さんが俺なんかを好きになった?
クラスでも挨拶程度だったのに、いったいどうして何がどうやってどうなったら好きが生まれるんだ!?
『分かった。じゃあ、喫茶店で話をするだけでいいから』
「それも無理だ」
『何で?』
「彼女が居るのに女子と二人ではダメだ」
『分かった。……じゃあ、友達同士で何処か遊びに行くのは?』
「友達同士で?」
その提案に、俺はとっさにダメだと言えなかった。
友達同士の場合だとどうなんだろう? いや……考えるまでもない。
「ごめん、それもダメだ」
本蔵さんが俺のことを好きだと知ったのは間接的な不可抗力で、本蔵さん本人は俺にまだ何も言っていない。
しかし、自分のことを好きだと分かっている女子の誘いに乗るのはきっと浮気になる。
俺は浮気なんてしたくない。
『…………八戸に何か言われた?』
「最近、凛恋が心配してるんだ。俺が他の子に取られるんじゃないかって、だから心配させたくないんだよ」
真面目な話をしてるのに、心配して必死になっていた凛恋の姿を思い出して顔が緩んでしまう。しかし、すぐに顔へ力を入れて緩んだ表情を引き締める。
『何で八戸以外の人を寄せ付けないようにするの?』
「えっ? それは俺は凛恋のことが好きで――」
『八戸以外の人を寄せ付けないって、まるで八戸以外の人が多野に害があるみたい』
「そ、そんなことは思ってないけど……」
『じゃあ、私と仲良くなってくれても良いはず』
本蔵さんの言ってることは正しいのかもしれない。でも、本蔵さんが俺のことを好きだと分かっている以上、俺は答えを変えるわけには――。
『分かった。また誘うから』
「も、本蔵さん?」
本蔵さんは明らかに不機嫌な声で電話を切った。
俺はその電話が切られたスマートフォンを、ただただあ然として見つめるしかなかった。
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