【一二四《蚊帳の外》】:一

【蚊帳の外】


 夏休みが終わると、秋の行事が来る。

 それで俺は、秋の行事で最初に来る体育祭の話をするクラスの中で、ボーッと視線を前へ向けていた。


「凡人?」

「んあ?」

「んあ? じゃなくて、凡人はどの競技に出るの?」


 凛恋が首を傾げて尋ねる。

 その凛恋の言葉に俺は黒板に書かれている競技を流し見てから答えを出した。


「どれも出なくて――」

「多野くん? 最低二つは出ようね?」


 目の前に露木先生の顔が出てきて、俺は思わず驚いて体を反らした。


「つ、露木先生……いつの間に?」

「多野くんが気の抜けた顔でボーッと黒板を眺めてるから気付かないんだよ。どうしたの? 夏休み明けから疲れてるみたいだけど? 勉強は大切だけど、体を壊したら元も子もないんだからほどほどにね」

「はい、気を付けます」


 露木先生に返事をして、俺は前の方に歩いていく露木先生の後ろ姿を見る。そして、隣に居る凛恋に視線を向けた。

 その凛恋は、手であくびを隠していた。


 受験生だから、勉強の量は当然増えた。しかし、なぜかそれと同時に増えたものがある。それは……凛恋とのスキンシップ量だ。

 正確には、凛恋のスキンシップ量が増えたのはキャンプに行った日の夜から。

 あの日から、凛恋から俺に対するスキンシップが増えたし、俺に求めるスキンシップの量も増えた。

 そういう原因があって、俺は体力を使う場面が夏休み以前より増えた。だから、若干の寝不足なのだ。


 センシビリタ高校の分校になったうちの高校は私服通学になり、みんな校則違反にならないように私服で登校をしている。

 凛恋は校則に則ってちゃんと私服を着ているが、制服以上に人の視線を集めている。

 やっぱり、私服というのは個性が出て、凛恋の可愛さが際立ってしまうのだ。


 分校になって、特別旺峰進学科の生徒は普通科のクラスに割り振られた。

 割り振られた結果、俺は運良く凛恋と同じクラスになれたが、希さんと筑摩さんとは別のクラスになってしまった。

 午前の授業終了を告げるチャイムが鳴ると、鞄を持った凛恋が俺の手を掴む。


「凡人、行こう」


 凛恋は俺の手を引っ張って教室を出ると、音楽準備室の方に歩いていく。

 夏休みが明けても、露木先生と希さんの四人で昼食を取る恒例行事は今も続いている。

 ただ、今は萌夏さん、筑摩さん、溝辺さん、そして小鳥が増えて騒がしいものになっているが。


「凛恋、またか?」

「嫌?」

「いや……嫌ってわけじゃないけど」

「じゃあ良いじゃん」


 音楽準備室の方向へ進んでいた凛恋の足が、音楽準備室の方向から逸れる。そして、物置に使われている空き教室の中に入って鍵を閉めた。


「凡人……」

「凛――」


 凛恋が俺の身を屈ませて唇を重ねる。

 凛恋は鞄を床に置いて俺の首に手を回し、いつも通りがっつくようにキスをする。

 キャンプの日からずっとだ。あの日からずっと、凛恋のキスはがっつくような激しくて熱くて深いキス。


「ハァハァ……んんっ!」


 息継ぎをした凛恋が再びがっつくキスをする。

 俺は何度も凛恋に尋ねた。

 なんでキスが変わったのかと。でも、凛恋は毎回同じことを言う。


 凡人のことが好きだから、と。


 好きな気持ちは当然嬉しいし、激しくて熱くて深いキスをしてくれるのも嬉しい。でも、そんなキスを毎回されたら俺の体が保たない。


「凛恋……」

「それは帰ってから」


 凛恋の腰に手を回して、凛恋のスカートを手繰り寄せるように持ち上げる。しかし、凛恋がニコッと笑いながら俺の唇に人さし指を触れさせる。

 でも、凛恋は俺の手を止めようとはしない。


「毎日帰るまで蛇の生殺しじゃないか……」


 流石の俺も場所は考える。だから、我慢は出来るが、我慢出来るからと言って辛くないわけではない。


「蛇の生殺しは私も同じよ。でも、それだと凡人は私のこと、頭から離れないでしょ?」


 凛恋が嬉しそうに笑う。


「凛恋のこと、頭から離れたことないんだけど?」

「もっともっと凡人に私だけのこと考えてほしいの」

「凛恋、何かあったのか? 前までそんなことしなかっただろ」


 俺は答えの分かり切った質問をする。それに対する凛恋の答えは――。


「凡人のことが世界で一番大好きだから」


 人に限らず、物事が変化する時には、必ず変化させる要因がある。

 スキンシップを増やし、学校でも毎日激しくキスを交わすようになったのは、凛恋をそうさせる何かがあったからだ。

 何かあったのは分かっている。でも、その何かが分からない。


 凛恋は教えてくれない。

 何度聞いても答えは同じだ。だから、凛恋以外の人に聞くしかない。でも、それも無駄だった。


 希さん、萌夏さん、溝辺さん、筑摩さん。

 よく一緒に居る四人に、俺は凛恋の様子が変わったことについてそれとなく聞いてみた。しかし、みんな平然とした顔で「知らない」と言う。でも、そんなはずはないのだ。


 凛恋は明らかに変わった。まるで、俺を必死に自分へ繋ぎ止めようとしているかのように。

 そうなった原因を誰にも相談していないわけがない。特に希さんは、凛恋の一番の親友だ。

 その希さんが何も知らないなんてあり得ない。だったら、答えは一つだ。


 みんな、俺に何か隠している。


 凛恋が俺とのスキンシップを増やそうとするようになった原因を知っていながら、俺に秘密にしているのだ。

 それが、凛恋がみんなに頼んで黙ってもらっているのか、それともみんなが自主的に黙っているのかは分からない。でも、凛恋の彼氏で、凛恋の力になりたいと思っている俺には何も知らせてくれない。


 原因が分かれば、ちゃんとその原因を解決して凛恋が必死になる必要がないと安心させられるはずだ。

 でも、何も原因が分からないから、そうすることが出来ない。


「凡人、一緒に放課後まで我慢しよ」

「ああ……」


 ニコニコ笑う凛恋にそう返事をする。

 そう返事をしながら、俺は凛恋を変えた原因について考え続けた。




 休日、凛恋に会う前に俺は栄次と小鳥をファミレスに呼び出した。

 二人に話を聞くためと、場合によっては協力を頼むためだ。


「凡人、話って?」

「キャンプに行った日から、凛恋がおかしいんだ。前よりも積極的になったっていうか……」

「わざわざ呼び出して惚気話か?」

「栄次、真剣な話なんだ。凛恋は、なんか俺を自分に繋ぎ止めようと必死になってるみたいなんだ。明らかにキャンプに行った日から変わってるんだ。何か知らないか?」


 栄次に尋ねると、栄次は首を傾げて考える素振りを見せる。でも、結局首を横に振った。


「分からないな。希には聞いてみたか?」

「ああ、でも知らないって言うんだ……」

「じゃあ、いよいよ無理だな。希が知らない凛恋さんのことを俺が分かるわけないだろ?」


 栄次の言葉はその通りだ。

 凛恋が希さんに言ってないことを栄次に言うとは思えない。だから、希さんが知らないのなら栄次が知っているはずがない。


「二人共、希さんと溝辺さんにそれとなく聞いてもらえないか? 凛恋に何か変わったことがなかったか」

「希にはカズが聞いたんだろ?」

「そうだけど……」

「僕が里奈に聞いても、きっと教えてもらえないと思うよ」

「えっ?」


 俺は小鳥の言葉を聞き返す。


「小鳥……教えてもらえないって、溝辺さんが何か知ってるのを知ってたのか?」

「えっ? な、何も聞いてないよ!」


 小鳥は焦った顔で首を横に振る。

 俺がすぐに栄次に視線を向けると、栄次は慌てて視線を逸した。そして、逸した直後に栄次がしまったと顔をしかめる。


「…………教えてくれ」


 二人共、知っている。

 凛恋が変わった理由を、凛恋が変わった原因になったことが何か知っている。


「凡人! ほ、本当に僕達は何も知らな――」

「小鳥くん。それ以上言っても無理だ」


 栄次が小鳥の言葉を止めさせて、俺を真っ直ぐ見る。


「カズ。凛恋さんを好きか?」

「好きに決まってるだろ」

「じゃあ、好きな人のことを信じろ」

「信じてる。でも、凛恋が急に変わったのが心配なんだよ! 栄次だって希さんが急に不安そうにしてたら心配になるだろ? どうにかしたいって思うだ――ッ!? …………もしかして、何も知らないのは俺だけだったのか」


 希さん、萌夏さん、溝辺さん、筑摩さんが知っていて黙っているのは分かっていた。でも、栄次と小鳥も知っていた。

 知らなかったのは……俺だけだ。


 凛恋に何かあったのに、彼氏の俺だけが知らなかった。

 彼氏の俺以外は知っていたのに……。


「カズ!」


 領収書を掴んで、俺は会計カウンターに歩いていく。

 その俺の手を栄次が掴もうとしたが、俺はその栄次の手を掴んで弾き返す。


「凛恋の……俺の彼女のことだぞ! 俺だけ除け者にしやがって。みんなの考えはよく分かった。聞いても無駄ならもう聞かない。自分で突き止める」


 三人分の会計を済ませて、俺はすぐに凛恋の家へ向かって歩き出す。

 方法は凛恋を問い詰めるしかない。凛恋を問い詰めて何を隠しているのか、何があったのかを話させる。


 俺だけ仲間外れにされた。

 何か理由があるのだろうが、何か理由があっても仲間外れにされたことは変わりない。


「多野?」

「…………ん? 本蔵さん?」

「久しぶり」


 腕を組んで凛恋の家まで向かっていると、横から声を掛けられる。

 その声を掛けてきた主は、本蔵さんだった。

 本蔵さんとは特別旺峰進学科で同じクラスだったが、夏休み明けから別のクラスだから顔を合わせる機会は全くなかった。


「確かに久しぶりだね。クラスが別になったし」

「多野とはもっと話してみたかったけど、前のクラスは話せなかったから」

「別に、話せないことはなかったと思うけど?」


 本蔵さんが俺と話してみたかったなんて知らなかった。

 俺の本蔵さんへの印象は、ずっと本を読んでいるくらいしかなかった。

 人ともあまり話さないし、俺なんか挨拶程度の関わりしかなかった。だから、俺というよりも本蔵さんの方が、俺に話し掛けようとしなかったと思う。


「いつも赤城と筑摩と話してたでしょ? 三人仲が良さそうだったから。話し辛くて」


 そう言ってはにかんだ本蔵さんの表情が意外だった。

 とんでもなく失礼な話だが、本蔵さんも笑うんだと思ってしまった。


「希さんとは前の高校からの付き合いだし、筑摩さんとは転学してからの付き合いだから。二人は話しやすいんだ」

「そうなの。どうりで仲が良いわけね。あっ、私もう行かないと」

「ごめん、俺もこれから用事なんだ」


 そうだ。俺は今から凛恋を問い詰めて、何を隠しているか聞き出さなければいけない。


「あの、連絡先交換してくれる? 学校ではあまり話せそうにないし」

「あ、ああ良いよ」

「ありがとう」


 スマートフォンを取り出して連絡先を交換し、俺はそのまま本蔵さんと別れる。そして、取り出したスマートフォンで凛恋に電話を掛けた。


『もしもし!』

「凛恋、今から行く。って言っても、もう近くまで来てるけど」

『外で待ってるね!』

「良いよ。暑いから中で待っててくれ」

『ううん! 待ってる! 電話も繋いでて』


 凛恋がドタドタと家の中を歩いて玄関のドアを開ける音が電話から聞こえる。


『栄次くんと小鳥くんとの用事は終わったの?』

「終わった」


 終わった結果、俺が仲間外れにされているのが分かった。

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