【一二三《恋は思案の外》】:三
プール遊びを終えると、女子陣が男子陣にどっか行っていろとバンガロー周辺から追い出した。どうやら、みんなで夕食を作ってくれるらしい。
それで、男三人で浜辺まで来てみたが、砂浜に立って水平線を眺めることしかやることはない。
俺は、波打ち際まで走って遊びに行っている小鳥の後ろ姿を眺める。
「カズ、どうしたんだ?」
「栄次、恋は思案の外って言葉、知ってるか?」
「恋は思案の外? 聞いたことないな」
「男女の愛情は常識じゃ説明出来ないってことだ」
「意味を知ってるなら、なんで聞いたんだよ」
栄次のごもっともな反論に俺は黙る。
俺が栄次に聞いたのは、確かめたかったからだ。恋は思案の外ということわざの意味が、俺の知っている意味で正しいのかを。
「筑摩さんに言われたんだよ。恋は思案の外って言うから気を付けてって」
「それって、カズが貰ったっていうラブレターのことじゃないか? 差出人の分からないラブレターって怪しいし、ストーカーになるかもしれないから気を付けろって」
「ストーカー? 俺にそんなの付くわけないだろ」
俺がラブレターを貰うだけで異常事態なのに、その上でストーカーが付くなんてあり得ない。そんな物好きが居たら会ってみたいものだ。
「カズは何人からも告白されてるし、今回ラブレターも貰った。ストーカーは恋愛感情が行き過ぎた人がなってしまうものだろ? だから、告白もされてラブレターも貰うカズがストーカーに遭わないって保証はない」
「そんなこと言ったら、俺の前に栄次にストーカーが付いてるだろ」
俺よりも遥かに栄次の方がモテる。告白もラブレターも、栄次の方が遥かに多い。
「カズが危ない目に遭ったら、凛恋さんが辛い思いをするだろ。特に、ストーカーなんて……」
そこで栄次の声がしぼむ。
「分かってる。絶対に凛恋が悲しむようなことにはしない。それに、初対面の人を疑って掛かることに俺の右に出るやつは居ない」
「まあ、カズはすぐに人には心を開かないから、そういう意味では安全かもしれないけど――……カズ、小鳥くんがナンパされてる」
話していた栄次が途中で言葉を止めてそう言う。その言葉に浜辺の方に視線を向けると、浜辺で遊んでいた小鳥に三人組の若い男性が話し掛けている。
若いと言っても、二〇代中盤くらいに見える。
「ったく……小鳥は見た目女子に見えるからな~」
「助けてあげないと、困ってるぞ」
栄次と一緒に立ち上がり、小鳥に近付いていく。
「あ、あの……僕は男で……」
「もー、そんなウソ通じないって~。そんなに俺達と遊ぶの嫌?」
男をナンパする男というおかしな状況に陥っている小鳥と男性三人組に近付くと、三人組の一人に視線を向けられた。
「男居るの? どっち? まあどっちにしてもまだガキだから、大人の俺達について来た方が――」
「あの、そいつ男ですけど」
俺達を……主に俺を見て笑う男性に言うと……もっと笑われた。
「二人して、いくらなんでも――」
「い、いきなり何するの凡人っ!」
俺は小鳥の来ていたシャツを引っ張り上げて、小鳥を上半身裸にする。その小鳥を見た男性達は目を見開いた後に黙って背中を向けて歩き出した。
「女性の裸を見たことがある人なら、小鳥の上半身を見たら女だと思わないだろ?」
いくら小鳥が細身で華奢だと言っても、やはり女性の細身で華奢な体付きとは違う。
だから、それなりに遊んでそうな男性達なら、小鳥の上半身を見れば、小鳥が男だと納得するはずだと思った。
「だったら先に言ってよ!」
「助けてやったのに酷いな」
「それはありがたいけど、助け方をもうちょっと考えてよ!」
せっかく助けてやったのに、小鳥はプンプン怒る。これじゃあ、俺は男達から笑われ損だ。
「小鳥くんは、恋は思案の外って知ってる?」
「こいはしあんのそと?」
栄次の唐突な質問に小鳥が首を傾げる。
「カズが筑摩さんに言われたらしいんだ。恋は思案の外って言うから気を付けろって。恋は思案の外は、男女の愛情は常識じゃ説明出来ないってことらしい」
栄次が俺が栄次にした話を小鳥にする。すると、小鳥は首を傾げて困った表情をする。
「筑摩さんが凡人のことを諦められてないってことかな?」
「それは直接筑摩さんに言われた。でも、何だか、恋は思案の外ってのが心に残るんだよ。引っ掛かるって言うほどではないんだけど」
「俺は、カズがストーカーに遭わないように気を付けろってことかと思ったんだけど」
「うーん……凡人は差出人の分からないラブレターも貰ったし、喜川くんの言う通り、気を付けた方が良いのは確かだと思う」
「ほら」
栄次が「言った通りだろ?」という顔で言う。
「確かに……筑摩さんは自分のことって感じより、他の人のことを言ってる感じだったけど……」
「あっ、居た居た! 三人とも! ご飯出来たよ~」
腕を組んで話していると、萌夏さんが駆け寄って来る。
呼びに来てくれた萌夏さんと一緒にバンガローに戻ると、可愛く頬を膨らませた凛恋と目があった。
「凡人遅い!」
「ごめんごめん」
凛恋に手を引かれてバンガローの中に入ると、一階に置かれたテーブルの上にカレーライスの盛られた皿が並んでいた。
「露木先生も飲みますか?」
「じゃ、じゃあ一缶だけ……」
萌夏さんのお父さんに缶ビールを勧められた露木先生が、遠慮しながらも缶ビールを受け取る姿が見える。
俺が座ると隣に凛恋が座って俺を見る。
「三人で何してたの?」
「海の近くでボケっとしてた」
凛恋に尋ねられ小鳥が三人組の男性達にナンパされていた話をしようかとも思ったが、流石に溝辺さんの前でしてやるのは酷過ぎる。
みんなでカレーライスを食べ始め、溝辺さんと萌夏さんを中心に食事中の会話は盛り上がっていた。
「たーのくんっ!」
「はい?」
俺の隣にストンと腰を下ろした露木先生は、缶チューハイを持ってクイッと傾けて中身を飲む。
どうやら、萌夏さんのお父さんは、ビール以外の酒も用意していたらしい。
「多野くんは本当にすごいねぇー」
「あ、ありがとうございます」
「あの学校改善マネージャーを追い出しちゃうんだもん! 本当にすごいよぉー」
言葉が若干の舌足らずになっている。その呂律が回っていない様子を見れば、露木先生が完全に酔っているのが分かる。
「何か、酔ってる露木先生、チョー可愛い」
「八戸さんの方が可愛いよぉー」
「ヒャッ!」
反対側でクスクス笑っていた凛恋に、俺の後ろから近付いた露木先生が抱きつく。
「八戸さんだけじゃなくて、みーんな可愛い。みんな可愛くて凄く大切」
露木先生の言葉を聞いてみんな微笑む。しかし、露木先生が唇を尖らせて俺を指さす。
「でも、多野くんは可愛くない」
「な、なんでですか……」
「自分の胸に手を当てて、考えてみなさいっ!」
俺は露木先生に言われた通り、自分の胸に手を当てて考える。
「何回危ない目に遭った? 何回みんなに心配掛けた?」
露木先生の言葉で、ズキズキと胸が痛む。それを持ち出されたら、俺は反論出来ない。
「すみま――……露木先生?」
「本当に……心配なんだ……からぁ……――クゥ~」
凛恋に抱き付いたまま、露木先生が目を閉じて凛恋に寄りかかり寝息を立て始める。
「…………露木先生、寝ちゃったね」
「まあ、昼間疲れただろうしな……」
露木先生にもたれ掛かられながら、凛恋がクスッと笑って俺を見る。
「露木先生を上に運んでくる」
「ありがと、凡人」
凛恋に辛うじて引っ掛かっている露木先生を背負う。小柄だから、やっぱり体重は軽い。
露木先生を背負いながら階段を上がると、薄暗い部屋には既に布団が敷かれていた。何処が誰の布団かは分からないが、とりあえず一番奥の方にある布団へ歩いていく。
「う~……んっ?」
「露木先生、布団に連れて来ましたから、ここで寝てください」
布団の上に下ろすと、布団の上でアヒル座りをする露木先生が、手で目を軽く擦る。そして、小さく欠伸をした。
「可愛くない多野くんだぁー」
露木先生に指をさされてそう言われる。すると、露木先生がクスクス笑って、四つん這いで少し移動し俺に近付く。
「多野くんがすねてる!」
「すねてませんよ。ほら、ちゃんと布団被って寝てくださ――」
俺は立ち上がって下に戻ろうとした。しかし、露木先生が俺の手を掴んで引き止める。
「すねてる多野くん、凄く可愛いねー?」
フラフラと揺れながらケタケタ笑う露木先生は、フラッと体を後ろに傾ける。
「危ないですよ」
露木先生が倒れる前に体を支えると、露木先生がニヘラと笑う。
「可愛くないなんて嘘。多野くんが一番可愛い」
「ありがとうございます」
露木先生は布団に手をついてフラフラと体を揺らしながら、俺の顔を見てクスッと笑う。
「凡人くん」
「はえっ!?」
突然、露木先生にそう呼ばれて、俺は体を跳ね上げて声を裏返らせる。すると、酔ってほんのり赤くなった露木先生の顔がクスクス笑う。
「切山さん達に、名前で呼んでって言われてやってみたんだけど、結局名字に戻ったの。でも、凡人くんって呼ぶのは違和感ないなぁー。ねー、凡人くんっ!」
「俺の方は違和感ありますよ」
「そうかー。じゃあ、今まで通り多野くんにしよー」
「ほら、寝ないと。酔ってて眠かったんじゃないですか?」
「わぷっ! 多野くんひどーい」
露木先生の頭に毛布を被せると、露木先生が毛布を取りながらケタケタ笑う。
「運んでくれてありがとう」
「はい。ゆっくり休んでくださいね」
手を振る露木先生に手を振り返して、俺はゆっくりと後ろ手でドアを閉めた。
「凡人」
「ん? 凛恋?」
「ちょっと、いい?」
「どうした? り、凛恋!?」
部屋の外に凛恋が居て、凛恋に返事をすると問答無用で手を握られる。
一階を抜けてバンガローを出た凛恋は、迷うことなく男子陣の使うバンガローに入る。
みんな女子陣のバンガローに集まっているから、男子陣のバンガローには誰も居ない。
バンガローの中を明かりもつけず歩く凛恋は、一目散に二階に上がる。そして、俺を振り返って抱きしめた。
「凛恋? どうし――」
「私は凡人のことが大好き。世界で……私の人生で一番好き。生まれ変わっても絶対に凡人が好き!」
「り、凛恋? いったい何があっ――どわっ!」
布団の敷かれていない硬いカーペットの上に押し倒されて、俺は危うく後頭部を床に打ち付けそうになる。
「絶対に……絶対に誰にも渡さないんだからっ!」
「ちょっ! 凛――ッ!?」
床に両手を押さえ付けられ、凛恋が強く激しくキスをする。そして、すぐにそのキスは熱く深いものになる。
「ハァハァ……絶対に渡さない……」
「凛恋……何が――」
シャツを脱ぎ捨てた凛恋は俺のシャツに手を掛ける。
「絶対に……誰にも触らせない……」
そう言った凛恋は、押し付けるように俺へ凛恋の愛情をぶつける。
いきなりぶつけられて戸惑う俺は、戸惑っていても本能的に、凛恋の愛情を漏らさないように必死に受け止め続けた。
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