【一二三《恋は思案の外》】:二

 露木先生は年不相応の若さと可愛らしさを持っている。

 だから、普通にどの男から見ても魅力的な女性だ。

 だから、魅力的な女性に視線を向けてしまうのは男として仕方がない。

 ただ、魅力的な女性であるのは凛恋もだ。

 汗を掻いて頬に貼り付いた髪をすいた凛恋は、シャツの胸元を掴んでシャツの中に風を送る。


「凛恋、あんまりそれやるな」


 凛恋の胸が他のやつの目に触れそうで、俺は凛恋の胸元をタオルで隠す。すると、凛恋が顔を近付けてきた。


「凡人のこと誘惑してるの」


 耳元でそう囁いた凛恋がフッと微笑む。


「私のは見飽きちゃった?」


 俺が必死に首を横に振ると、凛恋がにんまりと満足そうに笑った。


「いやー疲れた疲れた~」


 疲れたと言う割りに疲れが全く感じられない萌夏さんが近付いてくる。そして、凛恋の隣に座ると、自分の分のスポーツドリンクを飲む。


「萌夏さんのお父さんとお母さんに荷物の番までさせて良かったのかな」


 俺は萌夏さんの横顔を見ながらそう言う。

 キャンプ場に着いて、俺達はバンガローに荷物を置いてすぐにテニスを始めた。

 そのバンガローに置いてある荷物は、萌夏さんのお父さんとお母さんが見ていてくれている。


「お互いに一人でのんびりやってるからいいのいいの。いつも仕事に追われてて、昼間からゆっくりすることなんてあまりないし」

「でも、俺達だけ遊んでるのもな……」

「ダメダメ。凡人くんがそんなこと言ったら、露木先生が思いっ切り遊べないでしょ?」


 萌夏さんにピシャリと言われ、確かにその通りだと思って露木先生に視線を向ける。しかし、露木先生はニコニコ笑っていた。


「私はちゃんと楽しんでるよ。体力は続かないけどね」

「大丈夫ですよ。休憩を始めたの、凡人くんより後でしたし」

「そうだよね! 少なくとも多野くんには体力的に勝ってる!」


 萌夏さんと露木先生が結託して俺をからかう。それが分かるし、それにムキになっても体力を消耗するだけだから、うな垂れながら凛恋にすがり付く。


「凛恋~、萌夏さんと露木先生がいじめる……」

「こらー、私の彼氏をいじめないでー」


 凛恋も笑いながら形だけ俺を庇ってくれる。でも、さり気なく凛恋に甘えられたから体力が回復してきた。


「一旦戻って、今度は河川プールに行きません?」

「いいね!」


 萌夏さんの提案に、露木先生は両手を合わせて賛成する。

 このキャンプ場、テニスコート以外にキャンプ場のほぼ中央を流れる川を整備して河川プールなるものを作っている。

 川の水だから、こんな暑い日に入ればかなり涼めるだろう。


「じゃあ、みんなにも言ってきますね!」


 元気良く立ち上がった萌夏さんは、テニスをやっているみんなの方に走っていく。

 どう考えても、テニスをやった上であの元気はおかしい。


「多野くんは大丈夫?」

「大丈夫です。プールは足だけ浸かって涼んでます」


 正直、今の状態からプールで遊ぶ気力はない。しかし、俺だけバンガローで寝てるなんてもったいないことはしない。

 遊ぶ元気はなくても、せっかくみんなと遊びに来ているのだ。そう考えて、思わず自分で自分がおかしくなる。やっぱり俺は変わった、と。




 みんなでテニスコートから一旦バンガローに戻って、水着に着替えてからバンガローの外で女子陣が来るのを待つ。

 栄次は爽やかにハーフパンツタイプの水着一つでみんなを待ち、俺と小鳥は栄次と同じくハーフパンツタイプの水着だが、上にTシャツを着ている。

 小鳥は日焼け防止か恥ずかしいからだろう。俺の方は、足だけ浸かるつもりだからだ。


「お待たせ!」

「希、凄く可愛い」

「栄次、ありがとう」


 最初に出て来た希さんに栄次が駆け寄ると、小鳥も後から出て来た溝辺さんに近寄る。


「りりり、里奈。す、凄く可愛い!」

「瀬名、ありがとー!」


 たどたどしくもしっかりと溝辺さんの水着姿を褒める小鳥。

 何だか、その後ろ姿が微笑ましく見える。


「凡人、お待たせ」

「凛恋! やっぱり凛恋は可愛いな~!」


 下は白と青のボーダー柄で上は白いTシャツを着ている。

 おそらくTシャツの中に着ている水着は、ピンク色で大きなリボンとボリュームのあるフリルが印象的な水着のはず。

 去年も同じ水着だったからだ。それにしても、凛恋の水着姿は相変わらず破壊力が凄い。


「可愛いの前にやっぱりが付くあたり、凡人くんらしいね」


 萌夏さんがクスクスと笑って凛恋の後ろから顔を出す。すると、その萌夏さんの後ろから、明るい笑顔を浮かべて出てくる筑摩さんが見えた。

 筑摩さんは白いビキニ姿で、他の女子とは違いTシャツを着ていない。


「筑摩、かなり視線を集めてるわよ?」

「大丈夫。私はそういうの気にしないから」


 ニコニコと笑う筑摩さんは、両手を後ろに組んで萌夏さんにそう言った。

 このキャンプ場には当然俺達以外の宿泊客が居る。

 そして、その他の男性宿泊客達の目が、この辺りに集中して向けられているのだ。しかし、それも当然としか言いようがない。


 凛恋はもちろん、希さん、萌夏さん、溝辺さん、筑摩さんはみんな可愛い。そして、全員が水着姿なのだ、男の視線を集めても仕方ない。

 その中で、上をTシャツで隠していない筑摩さんはより視線を集めるだろう。


「あれ? 露木先生は?」


 みんな揃ったかと思いきや、露木先生がまだ来ていない。


「もうすぐ来るんじゃない? あ、来た来た。露木先生~遅いですよ~」

「ご、ごめんねー」


 バンガローから慌てて出て来た露木先生を見て、俺と栄次と小鳥、それから俺達の方を見ていた男達全ての時が止まった。

 露木先生が着ているのはシンプルな水着で、上は筑摩さん以外の女子と同じようにTシャツで隠している。しかし、大人の色気はどうやらTシャツでは隠せないらしい。


「凡人?」「栄次?」「瀬名?」

「な、何だ?」「の、希?」「りりり、里奈?」


 彼女の低い声に、彼氏の俺達は顔を引きつらせて返事をする。


「さー、プール行こー」


 萌夏さんが空気を読んでくれ、そう言ってプールへ歩き出してくれる。

 そのお陰で、一瞬露木先生に見惚れたことは有耶無耶(うやむや)になっ――。


「ペケ、一」

「凛恋ぉ~」


 希さんと溝辺さんは栄次と小鳥にペナルティを与えていないのに、俺は凛恋からペナルティを与えられる。

 どうやら、凛恋相手には有耶無耶にならないらしい。


「さっきから露木先生に見惚れ過ぎだし」

「俺は凛恋が――」

「テニスコートでは露木先生のおっぱい見てたし、さっきは露木先生の水着姿を脳に焼き付けるみたいに見てた」

「そんなつもりはないって~」


 フンっと鼻を鳴らして凛恋が萌夏さんの隣に並んでしまう。

 完全にご機嫌斜めモードになってしまった。

 河川プールに着くと、みんなが一斉に河川プールの中に駆け込んでいく。


 河川プールはプールと言ってもそんなに深いものではない。軽く水遊びが出来る程度の一メートル未満の水深のプールだ。

 凛恋にそっぽを向かれてしまった俺は、河川プールの岸際に座ってプールに足だけ浸ける。


 テニスコートと違い、河川プールは流れる風も心なしか涼しく感じる。それに、流れる水の音は落ち着く音だった。


「露木先生、凄く色っぽいよね」

「筑摩さん。みんなと遊ばなくて良いのか?」


 隣に座った筑摩さんに尋ねると、筑摩さんはプールに入れた足をパタパタ動かしながらはにかむ。


「テニスでちょっと疲れたから休憩」

「だよなぁ~、あれだけ動いて休憩要らない人達の方が凄い」


 楽しそうに水を掛け合うみんなを見ていると、筑摩さんが露木先生の方を見て口を開いた。


「露木先生ってなんで彼氏が居ないんだろう」

「えっ? ああ、確かに」


 確かに、筑摩さんの疑問に俺も疑問に思った。

 露木先生くらい可愛くて色っぽくて、しかも性格も凄く優しくて一生懸命な人に彼氏が居ないのは、明らかにおかしい。

 そもそも、露木先生ぐらい魅力的な人が独身というのも違和感があるのだ。


「前原先生と一時期付き合ってるって噂が立って、遂に露木先生も結婚かなーって思ってたけど、結局夏休みの貴重な休日に生徒とキャンプでしょう? だから、別れちゃったのかな?」

「いや、前原先生とは付き合ってなかったみたいだぞ」


 俺は実際に露木先生が前原先生を振る現場を見た……いや、聞いた。

 それに、露木先生が前原先生のことをよく思っていないのも聞いた。だから、二人が付き合っていたということはないだろう。


「そっか。だったら、露木先生ってどんな人が好みなんだろう」

「そりゃ、露木先生に直接聞かないと分からないだろうな~」

「そうだよね。確かめる必要があるかも」

「そんなに露木先生のタイプが気になるのか?」


 筑摩さんがそこまで他人の好みのタイプに興味があるとは思わなかった。

 まあ凛恋も、誰と誰が付き合ったとか、誰の好きな人は誰らしいみたいな話は好きだ。だから、恋バナとして興味があるのだろう。


「露木先生も忘れられない恋があるのかな」

「忘れられない、恋?」


 そう聞き返したものの、俺は筑摩さんに直接視線は向けられず水面に視線を落とした。

 俺は筑摩さんに告白されて断っている。

 そして、筑摩さんは「露木先生”も”忘れられない恋があるのかな」と言った。ということは、筑摩さんにも忘れられない恋があるということだ。

 その恋が誰に対してのものかは分からない。でも、それが俺に向けられたものなのではないかと傲慢にも思ってしまった。


「私はもちろん凡人くん。それに、切山さんだって同じだと思うよ」

「…………ごめん」

「謝らないで。八戸さんのことを好きな凡人くんが、他の誰かと付き合うわけないって分かってるから。でも、私が凡人くんのことを忘れられないのも仕方ないことなの。ごめんね」


 お互いにどうしようもない問題で、綺麗さっぱり解消することは出来ない。だから互いに、謝り合うしかない。


「時間が解決してくれるって言うのは、正しくないね。確かに、そこそこ好きだった恋は他に良い人が現れたらその人を好きになって忘れられる。でも、本気で好きになった恋って一生忘れられないと思う。初恋を覚えているみたいに、大切な恋って絶対に記憶から消し去ることなんて出来ない」


 筑摩さんはパタパタ動かしていた足の動きを止める。


「時間が解決してくれるって言うのは、時間が経てば割り切れるようになって、新しい恋を始められるってこと。でも、本当に人生で二度とないような本気の恋をしたら、ただ時間を積み重ねるだけじゃ解決なんてしない。いくら時間を重ねても、大切な恋の思い出には埃が被らないように、定期的に思い出して綺麗に磨いちゃうから。私もそう、大切な恋が誰かに汚されないように綺麗にしまっておいて、寂しい時に出して自分を慰めるの。空想でも、大切な恋が上手く行った時のことを考えて」


 俺は何も言えず、ずっと足元の流れる水を見続ける。

 その水に映る俺の顔は、複雑そうで、酷く情けない顔だった。


「分かってるよ。そんなことしても、何も始まらないし前に進めないってことは。でもね、前に進まなくて良いかなって思うの。この大切な恋の思い出に何かが積み重なって汚れてヒビが入って、もう二度と思い出せなくなるくらいなら、新しい恋なんて要らないって。これは多分、そういう忘れられない大切な恋をした人にしか分からないと思う。そういう恋を、露木先生もしたことがあるんじゃないかなって」


「忘れられない大切な恋……」


 俺も、凛恋と別れた時に、凛恋の思い出を必死に守ろうとした。

 あの時の思い出にすがり付くような気持ちを、露木先生も持っているのかもしれない。だから、彼氏を作ろうとしない。

 そういう筑摩さんの仮定の話は、仮定でも現実的に聞こえた。


「ところで凡人くんは、私の水着姿どう?」

「えっ? に、似合ってると思うよ?」

「思う?」

「い、いや、凄く似合ってるよ」


 聞き返された言葉に焦って答えると、筑摩さんがクスッと笑って俺に頭を下げた。


「ありがとう。凡人くんに褒めてほしかったから嬉しい」

「筑摩さ――」

「ごめんね。私が勝手にしてるだけだから、凡人くんのことを忘れないのは」


 筑摩さんが立ち上がって両手を後ろに組みながら歩き出す。そして振り返って俺に言った。


「でも気を付けてね。恋は思案の外って言うから」


 筑摩さんがクスッと笑ってプールで遊ぶみんなに近付いていく。俺はそれを聞いて、筑摩さんの晴れやかな笑顔から、川の水が流れる先にある海に視線を向けた。

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