【一二三《恋は思案の外》】:一
【恋は思案の外】
凛恋に手を引かれながら、俺は空を見上げて照り付ける太陽の光に目を細める。
今日は、待ちに待ったキャンプの日。
みんな受験生だから、一泊二日と最低限の日数しか組まれていない。それでも、みんなとキャンプに行けるのは嬉しい。
「この時期のバンガローって予約を取るの大変だったろうな」
「萌夏のお父さんお母さんに感謝しないとね」
「そうだな。準備のほとんどをやってもらったし」
夏休みはどこに行っても混雑している。更に、観光地の宿泊施設はどこも満員御礼なものだ。
バンガローは元々、調理設備もシャワーもトイレも全棟共有のものを使わなければいけない、ただ寝泊まり出来るだけの木造の建物だ。
だが、今はプライバシー保護に配慮して、調理設備もシャワーも、そしてトイレもあるコテージのような物になっている。
テントよりも快適なバンガローは人気がある。だから、夏休みのようなどこに行っても混雑する時期に、二棟もバンガローを押さえられたのは凄いとしか言いようがない。
キャンプと言えば、二年前の夏に行ったテントを張って寝泊まりするキャンプがイメージしやすい。でも、凛恋という可愛い彼女を持つ俺としては、造りがしっかりしていて施錠も出来るバンガローの方が安心して寝泊まり出来る。
手を繋いで隣を歩いている凛恋は、歩き方も軽快で表情も明るい。
夏休みに入ってから、俺も凛恋も連日の夏期講習でまともに遊ぶことはなかった。だから、久しぶりに伸び伸び楽しめる今日のキャンプが凛恋も楽しみなのだ。
「露木先生!」
凛恋が俺の手を引いたまま、駅前で待っていた露木先生に近付く。
淡いピンクのゆったりとしたトップスに、トップスと同じようにゆとりのあるココア色のショートパンツという夏らしいカジュアルファッションの露木先生は、俺と凛恋を見てニッコリ笑って手を振る。
「八戸さん、多野くん、おはよう」
「露木先生、可愛い~!」
「ありがとう」
露木先生の服装を見て、凛恋がニコニコ笑って露木先生の全身を見る。
学校では落ち着いたオフィスカジュアルな服を着ていることが多いから、露木先生のラフなカジュアルファッションは新鮮だ。
「今日は、誘ってくれてありがとう。先生の私が付いてきて良いのかなって思ったんだけど、来ちゃった」
「みんなで話した時、露木先生にも来てほしいって話してたんです! 私達こそ、無理させちゃって」
「ううん。誘ってくれて凄く嬉しかった」
凛恋と露木先生が話しているのを微笑ましく見ていると、俺は後ろから肩に手を置かれる。
「おはよう、カズ」
「よう、栄次」
相変わらず爽やかなイケメンらしさを滲ませる栄次を振り返ると、その隣では希さんがニコニコ笑って手を振っていた。
しばらく待っていると、小鳥と溝辺さんが一緒に来て、それから筑摩さん、最後に萌夏さんが来た。
「萌夏さん、お父さんとお母さんは?」
萌夏さんが一人で来て、お父さんとお母さんが居ないことに気付く。
「先に行って掃除とか色々と準備してるって」
「そんな! 掃除くらいは私がやろうと思ってたのに!」
萌夏さんの話を聞いた露木先生は、真っ青な顔をして声を上げる。しかし、萌夏さんはニコニコ笑って両手を露木先生に向かって振る。
「お父さんとお母さん、先に行きたかったみたいで。勝手に行っちゃっただけなんで気にしないでください」
「ありがとう。ごめんね、ご両親にご迷惑をお掛けしてしまって。着いたらお礼を言わないと」
萌夏さんが露木先生に気にしないように言う。しかし、子供の俺でも萌夏さんのお父さんとお母さんに申し訳ないと思うのだから、大人の露木先生がすんなり厚意に甘えられるとは思えない。
「露木先生は私達の友達みたいな存在なんで、全然気にしなくていいですよ!」
「ありがとう、切山さん」
露木先生はニッコリ笑って萌夏さんにお礼を言う。
一〇歳くらい違う年下の女の子から友達だと思われることは、露木先生にとってはどうなんだろう?
俺はそれだけ年上の人を友達扱いすることは失礼だと思う。でも、露木先生なら素直に喜んでくれるのかもしれない。
みんなで目的地のキャンプ場に向かうために電車に乗る。すると、電車に乗るなり露木先生を中心に、女子陣は楽しそうに会話を始めていた。
「凡人、どうかしたの?」
「え?」
「えっじゃないよ……ボーッとしてたよ?」
隣に座る小鳥に声を掛けられて、俺は小鳥に視線を返す。
小鳥は俺に呆れた顔を向けていた。
「カズは朝に弱いからな」
「喜川くん、でももう九時前だよ?」
馬鹿にしたようにクスクス笑う栄次と小鳥に睨みを返すが、俺の精一杯の不機嫌さを滲ませた顔を見ても二人は動じない。
俺も本気で怒っているわけではないし、それを二人も分かっているからだろう。
「みんなでキャンプなんて楽しみだな~」
「お互い受験生で大変だよね」
「僕は凡人や喜川くんとは比べものにならないくらい楽だよ」
栄次と小鳥が世間話をするのをBGMにして俺は視線を窓の外に向ける。だが、まだ街中で窓の外に見えるのはコンクリート製の建物ばかりだった。
栄次は当然夏期講習に通っている。小鳥も夏期講習に通ってはいたが、俺達のように夏休みのほとんどを潰されるような夏期講習ではない。
小鳥は飛び抜けて成績が良いわけでも悪いわけでもない。
志望校へも、よっぽど試験でミスをしない限り合格出来る学力を持っている。それでも、今年受験生ということは変わらない。
受験生というだけで、周囲の人のプレッシャーは凄い。
うちも、爺ちゃん婆ちゃん栞姉ちゃんは言葉にしなくても、俺を受験生として扱う雰囲気は感じられる。
それが分かって、去年栞姉ちゃんが言っていた俺が栞姉ちゃんに掛けていたというプレッシャーの正体が分かった。
そういうプレッシャーを、小鳥も栄次も、もちろん他のみんなも受けている。
プレッシャーに晒され続けると精神的に辛くしんどくなる。だから、今回のキャンプのように羽を伸ばすことは必要だと思う。
もちろん、羽を伸ばし過ぎてはダメだが。
座りながら見える、凛恋の楽しそうな顔を見て思わず微笑む。
やっぱり、凛恋の笑顔は見ていて落ち着く。
「凡人、キャンプ場に着いたらテニスやろう!」
「テニス?」
小鳥の突然の提案に首を傾げる。すると、小鳥は俺に俺達が泊まるキャンプ場のパンフレットを見せる。
「キャンプ場にテニスコートがあるんだって! 海が近くて今日は良い天気だし、こんなところでテニスをしたら気持ち良いよ!」
「こんな炎天下でテニスなんてしたら干(ひ)からびるに決まってるだろ……」
「ちゃんと水分補給すれば干からびないよ! やろうよ~」
小鳥に両肩を掴まれて前後に揺すられる。
電車内は冷房が効いていて涼しいが、小鳥の絡みは暑苦しい。
「俺は小鳥くんに賛成だな。爽やかな気持ち良い汗が掻けそうだし」
「栄次は日光の下で立ってるだけで爽やかな汗を掻けるだろ」
生まれながらの爽やかさを持っているのだから、栄次ならどんな局面でも爽やかな汗が掻けるに決まっている。
それに対して俺は、生まれながらにして爽やかさとは無縁なのだから、どんなに頑張っても爽やかに汗なんて掻けるわけがない。
いや、そもそも汗なんて掻きたくないし……。
「まあ、どうせ凡人の意思に関係なくやることになるんだから諦めろよ」
「基本的人権の尊重をしてほしいな」
「凛恋さんにやろうって言われたら、カズはやるだろ?」
ニヤッと笑う栄次に言われて、俺は唇を尖らせて再び窓の外に視線を移す。
そりゃあ、凛恋に一緒にやろうって言われたら断るわけがない。
「そういえば、小鳥くんは溝辺さんと最近どうなの?」
「え?」
栄次が爽やかな笑顔で小鳥に尋ねる。しかし、尋ねられた小鳥は真っ赤な顔をした。
いったい、今の質問でどんな恥ずかしいことを考えたのやら。
「うん、上手く行ってると思う。里奈って呼ぶのも慣れてきたし、二人で居ても緊張しなくなったから」
小鳥と溝辺さんが付き合い始めたのは去年の冬。
期間で言えば、もう一〇ヶ月くらいは経っている。恋人同士の進展は人それぞれだが、小鳥と溝辺さんのペースはだいぶゆっくりに思える。
「小鳥くんはまだ溝辺さんとしてないの?」
「栄次?」
栄次が興味津々な顔で小鳥に尋ねるのを聞いて、俺は栄次に視線を向けて釘をさす。しかし、栄次は俺に手の平を向けて落ち着くようにジェスチャーをした。
「まあまあ、男同士の会話だったらこれくらい普通だろ? それで小鳥くん、どうなの?」
「う、うん……」
「良かったね!」
「で、でも、いつも里奈にリードしてもらってるから、僕も里奈をリードしたいって思う」
旅の恥はかき捨て、とは言うが、俺も栄次も小鳥の知り合いだからかき捨てにはならない。しかしまあ、俺も栄次も当然他の誰にも口外しないが。
「女の子って、なんであんなに柔らかいんだろう」
小鳥が嬉しそうにはにかんで言う。その表情を見れば小鳥の幸せさは伝わってきた。
街中を走っていた電車はいつの間にか海辺に出て、窓の外から太陽の光を受けてギラギラ光る海面が見える。
「久しぶりにのんびりしたいな~」
海を見ながら声を漏らし、また凛恋に視線を向ける。そして、俺と目が合った凛恋が、俺に笑顔で手を振った。
カンカン照りの日の下で、右手にラケットを持ってボーッと正面を眺める。
暑い。暑い暑い……。暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い…………暑い。
上から日光で熱を伝えられ、下からは照り返しの上に日光で暖められた地熱を伝えられる。
どう足掻いても暑い……いや、熱い、
蒸されるとか煮られるとか焼かれるとかそんなレベルの話じゃない。
このままだと俺は燃やされる。いいや、蒸発される。
「凡人、大丈夫?」
「凛恋……蒸発しそう……」
「水分取って」
凛恋が飲み掛けのスポーツドリンクを飲ませてくれるが、既に温くなったスポーツドリンクでは体は冷えない。
「みんな元気過ぎるよね……」
俺の隣では、俺と同じくらい疲れている露木先生が座っていた。
キャンプ場に着いてから、小鳥の発案でテニスを始めたのだが、俺と露木先生は早々にテニスコートのベンチに座って休んだ。
しかし、他のみんなは入れ替わりながらテニスを楽しんでいる。
「露木先生も大丈夫ですか?」
「ありがとう八戸さん。でも、やっぱり若いみんなには敵わないな~」
露木先生もスポーツドリンクを飲んでため息を吐き、テニスを楽しむみんなを見て笑顔を浮かべる。
俺は凛恋と最初にやってからずっと見ている。しかし、ただ座って見ているだけで汗を掻くし体力を消耗する。
露木先生の言葉通り、テニスをやっているみんなには到底敵わない。
一ミリも馬鹿にするような気持ちはないが、いったいどういう思考結果に行き着いたら、こんな灼熱地獄で運動をして楽しいと思えるのだろうか。素直に不思議だ。
「でも、多野くんは若いんだからもうちょっと頑張って良いんじゃないかな?」
「体力に年齢は関係ないで――アチチッ!」
露木先生にニコニコ笑われて言われ、俺はベンチの背もたれに背中を付ける。しかし、日光で熱せられたベンチは熱くなっていて、俺は慌てて背中を離す。
凛恋と露木先生が熱さに慌てた俺を見てクスクス笑う。
彼女の凛恋と、女性の露木先生から笑われるというのは流石に恥ずかしいものがある。
「疲れるけど楽しいねー」
「ですよね! 露木先生が来てくれて本当に良かったです!」
「私も呼んでもらって良かった! こんなに騒いだの久しぶり! 凄くスカッとしたー!」
両手を上に伸ばしてグッと背伸びをする露木先生は晴れやかな顔で白い雲が浮かぶ夏空を見上げる。
そして、背伸びをした露木先生のむ――。
「イデッ! ――!?」
突然、頬を摘まれて凛恋に顔を向かせられる。
凛恋は両頬を膨らませて俺の目を真っ直ぐ睨み付ける。
凛恋が口パクで『露木先生のおっぱい見てた!』と怒る。しかし、凛恋に俺は首を振って否定する。いや、確かに視線を向けてしまったが、ここで認めたら凛恋から絶対に痛いお仕置きを受ける決まってる。もう既に俺の頬は痛いが……。
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