【一二一《起伏》】:二

「凡人、あーん」

「あーん」


 凛恋のフォークからケーキを食べると、凛恋がニコッと笑って首を傾げる。


「美味しい?」

「美味しい」

「凡人のもちょーだい?」


 凛恋が口をツンと出してケーキをねだる。そのケーキをねだる凛恋に、俺もケーキをフォークで切って凛恋の口に運ぶ。

 凛恋が艶やかで柔らかい唇を開いてケーキを食べる。

 唇に付いたクリームを凛恋の舌が舐め取る動きにドキリとし、その心の動揺を隠すように俺は笑った。


「どうだ?」

「凡人にあーんしてもらったから、チョー美味しい!」


 店内は沢山の客が居るせいか、中途半端に人が居るよりも俺達の存在感は薄い。

 そのお陰で、大胆な行動をする時の羞恥心がだいぶ薄くなる。


「受験生だけど、今年の夏もどこか行きたいな~」

「せっかくの夏休みだしな」

「凡人と泊まりで旅行とか行きたいけど、流石に無理だし」


 まだ高校生の俺達が泊まり掛けの旅行に行くのは無理だ。

 お互いの家に泊まれるだけでも、凛恋のお父さんお母さん、俺の爺ちゃん婆ちゃんに無理を言っているんだ。

 その上で泊まり掛けの旅行に行きたいとわがままを言えるわけがない。


「みんなも今年は受験生だから、あまり遊びに行くのも難しいし」


 凛恋がケーキを一口食べて、小さく息を漏らす。

 受験生にとって夏休みは勝負の時期と言ってもいい。この夏休みにしっかり勉強しているかいないかで、他の受験生と差が付く。

 それは受験生の保護者も分かっているから、もし我が子が遊び呆けていたら、小言の一つや二つでは済まないだろう。だから、息抜き程度は許されても羽を伸ばし過ぎるのは良くない。


「でも、私達にとっては高校最後の夏休みだから、やっぱり思い出を作りたいし」

「高校最後、か」


 凛恋の言う通り、今年で高校生は最後。

 早く大人になって凛恋と一緒に居たいと思っていたが、いざ高校生で居られる時間が残り少なくなってきたことを考えると、一気に寂しさが湧いてくる。


 高校を卒業すればみんなそれぞれの進路へ向かう。

 大学はバラバラだし、そもそも大学ではなく専門学校へ進む人も居る。

 それに、進学する学校がある場所も離れてしまう人だって居る。だから卒業してしまえば、毎日学校で会っていた人達と気軽に会えなくなるのだ。


 高校に入学する時は、自分が友達との別れを惜しむことになるとは思ってもいなかった。

 友達が出来たのも友達との別れを惜しむくらい思い出が出来たのも、隣に居る凛恋のお陰だ。


「みんなで連絡取り合って、何かやれないか話してみないか? やっぱり最後の夏休みだからな。楽しい思い出がほしい」

「うん! そうと決まれば腹ごしらえしないと! 凡人! 次のケーキ取りに行くよ!」

「ちょ、凛恋!? あんまり食べ過ぎると夕飯食べられなくてお母さんに怒られるぞ」


 残ったケーキをペロリと平らげた凛恋が立ち上がるのを見て驚きながら、俺は自分のケーキを少しだけ焦りながら口へ運んだ。




 ケーキバイキングを終えて、俺と凛恋は手を繋いで凛恋の家まで歩いて帰る。

 凛恋はすっかりラブレターの不安を忘れてくれたようで、自然な笑顔を浮かべていた。


「希に、凡人がラブレター貰ったこと相談したら、凡人の彼女は私なんだから気にせずラブラブしなよって言われちゃった」


 小さくはにかんだ凛恋は、その顔をクシャッと破顔させて俺の腕に頬を付ける。


「希の言う通り。凡人の彼女は私だもん。ラブレター一通で落ち込んじゃってバカみたい。不安にならないのは無理だけど、その不安を打ち消すくらい凡人とイチャイチャすればいいのにね」

「俺は凛恋だけが好きだ」

「ありがとう。もちろん私も凡人だけが大好き。だから、凡人とイチャイチャする~」


 凛恋は夏ということでかなりの薄着だ。

 薄着ということで、いつも以上に凛恋の体温が強い。もちろん、俺も半袖という理由もある。

 流石、夏。もう夕方だというのに、まだまだ日は高い。


 額に汗が滲むし、繋いで直接凛恋の体温を感じている手は少しだけ汗ばんでいる。でも、俺も気にしないし、凛恋も汗ばんだ自分の手を気にしない。


「栞姉ちゃんから電話だ」


 スマートフォンが震えて画面を見ると、栞姉ちゃんから電話が掛かってきていた。

 視線を凛恋に向けると、凛恋は笑顔で頷いて電話に出ても良いと合図してくれる。俺は凛恋にスマートフォンを持っていた手で拝むように謝り、栞姉ちゃんの電話に出る。


「もしもし栞姉ちゃん?」

『カズくん? 今、八戸さんの家?』

「いや、今は外に居るけど?」

『そっか。八戸さんの家に行く前に家に寄って行けない?』

「何かあったの?」

『カズくんに小包が届いてるの』

「俺に小包?」


 栞姉ちゃんの言葉に首を傾げる。俺に小包が届くなんて思いもしなかった。

 家には、爺ちゃんや婆ちゃん宛ての郵便物は届く。しかし、俺宛ての郵便物なんて滅多に届かない。

 露木先生から年始に年賀状が届いたくらいだ。


「栞姉ちゃん、差出人は誰になってる?」

『差出人は多野南(たのみなみ)って書いてあるけど』

「多野南さん?」

『知り合い?』

「いや、全然知らない人だよ」


 多野南という名前を聞いても、名字が俺と同じということしか分からない。


『そうなんだ』

「うん、とにかく帰りに寄るようにするから」


 電話を終えて凛恋の方を見ると、首を傾げて

俺を見ていた。


「多野南さんって誰?」

「全然知らない人だ」

「間違い?」

「いや、郵便番号と住所が合ってたなら、間違いはないと思うけど」


 差出人の名字と俺の名字が同じだから、多野南さんが親類に送るはずだった荷物が、同姓同名の俺に届けられた、と考えることも出来る。でも、ただ名前が同じというだけでは、誤配送が起こるとは思えない。


「多分開封前だから、宅配業者に連絡して差出人に送り返してもらわないと」

「じゃあ、さっさと行ってさっさと送り返そう。早く帰って凡人とラブラブしたいし~」

「そうだな~、俺も凛恋とラブラブしたいし、さっさと済ませるか」


 腕に掴まる凛恋を連れて歩き出すと、また電話が掛かってきた。


「今度は露木先生だ」


 スマートフォンの画面を見てから、俺は露木先生の電話に出る。


「もしもし?」

『もしもし、多野くん? ちょっと今時間大丈夫?』

「大丈夫ですけど、どうかしましたか?」

『今日学校にね、うちの男子生徒が女子生徒の家に寝泊まりしてるって電話があって。…………もっと言うと、多野くんと八戸さんの名前が出てたの』


 露木先生の話を聞いて顔をしかめる。

 俺と凛恋が互いの家に泊まり合う行為は、両方の保護者、凛恋のお父さんお母さん、俺の爺ちゃん婆ちゃんは許可している。しかし、校則では、外泊は全面的に禁止されている。


『外泊はしてないと思うけど、誤解されるようなことはしないように気を付けてね』

「は、はい……分かりました」

『八戸さんにも替わってもらえる?』

「はい。凛恋、露木先生がちょっと話したいことがあるって」


 俺は隣に居る凛恋に自分のスマートフォンを差し出す。すると、凛恋はスマートフォンを受け取って話し始めた。

 露木先生は全く悪くない。

 悪い人間は、校則違反だと分かっていながら外泊を続けていた俺達だ。

 露木先生は教師として適切な対応を取っただけだ。


 隣で電話をしていた凛恋の声がどんどん弱々しくなっていくのが聞こえる。

 仕方がないことだし、悪いことをしていたのは俺達なんだから悲しむなんてお門違いだ。お門違いだけど……。


「はい……分かりました……。凡人……」

「ありがとう、凛恋」


 俺は凛恋からスマートフォンを受け取って電話を替わる。


『ごめんね。問題になった以上、注意するしかなくて……』

「いや、俺達が悪いんですから、露木先生は謝らないでください」


 露木先生が申し訳なさそうな声で言う。それを聞いて、露木先生に謝らせてしまったことが申し訳なくなった。


『話はそれだけだから。気を付けて夏休みを過ごしてね』

「はい。ご迷惑をお掛けしてすみませんでした」


 電話を切ると、凛恋が俺の腕を放さないように強く抱きしめる。


「凛恋、今日から家に帰る」

「黙ってれば良いじゃん」

「もし黙ってて問題になったら、露木先生の指導が不十分だって責められるかもしれないだろ。そうなったら露木先生に迷惑も掛かるし、何より校則違反をしてたら何かしら処分が出る。今の時期に、学校から処分なんて受けたら受験先の大学に対する心証が悪くなる」

「…………うん」


 声に元気はない。でも、凛恋は納得してくれた。

 俺も凛恋も、露木先生には本当にお世話になっている。

 その露木先生に俺達のせいで迷惑が掛かるのは、俺も凛恋も避けたい。だから、ちゃんと露木先生の指導には従う。

 それに、俺達の将来のことを考えれば、少し我慢をして将来を守る方が良いと判断した。


「学校に言ったやつ……誰よ……」

「凛恋、俺達が悪いことをしてたんだ」

「そうだけどさ……誰かが告げ口しないと分からないじゃん……」


 凛恋の言う通り、俺が凛恋の家に泊まっていたなんて、誰かが言わなければ分かることじゃない。学校の教師が、沢山居る生徒全員の行動を監視することなんて無理だからだ。

 希さん達が告げ口するなんて絶対にあり得ない。俺達がやっていたことは良いことではないが、希さん達は庇ってくれる側の人達だ。


「最悪……チョー楽しみにしてたのにッ!」


 凛恋が大きな声を出して叫ぶ。そして、顔を俯かせて目を潤ませる。


「凛恋、空いてる時間は会おう。泊まってなくても会える時間はある。毎日会う時間を作るから」


 凛恋の両肩を掴んで正面を向かせ、凛恋に言い聞かせる。

 凛恋は寂しがっている。でも、俺はそれ以上に寂しい。だから、毎日凛恋に会っていないと寂しさで死んでしまう。


「…………うん。私も絶対に凡人と会う時間作る」


 お互いに受験生で夏期講習もある。同じ塾なら時間も合わせやすいが、俺と凛恋は別の塾。

 だけど、絶対に一分でも時間を作って凛恋に会う。

 俺は凛恋の腕を引っ張って引き寄せて、凛恋の体を隠すように包み込みながらキスをした。

 可愛い凛恋のキス顔は、夏の空にさえも見せたくはなかったから。

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