【一二一《起伏》】:一

【起伏】


 塾の自習室で、目の前に座る希さんが俺を見てクスクス笑う。そして、隣に座っている筑摩さんもニコニコ笑っている声が聞こえる。


 何で二人が笑っているのか、それには昨日の夜まで話を遡る必要がある。

 昨日の夜、勉強を終えた俺と凛恋がじゃれ合っている時、凛恋が俺の鞄の口から顔を出したハート柄をしたピンク色の洋形封筒を見付けた。

 しかし、その封筒が見付かった鞄の持ち主である俺は、その可愛らしい封筒に全く身に覚えがなかった。


 封筒の表には『多野凡人様へ』という宛名は書いてあったが、差出人の名前は書いていなかった。

 差出人不明だが、宛名は俺の名前になっていた。だから、俺に向けられた物であるのは確かだった。


「凡人くんがラブレターを貰ったって凄く凛恋が心配してたよ?」


 希さんがニコニコ笑って俺に言う。

 俺が貰った可愛らしい封筒の中には、封筒と同じハート柄をしたピンク色の便せんが入っていて、それには丁寧で綺麗な字で書かれた手紙が入っていた。

 その手紙の内容は、まあ……希さんが言っている通りラブレターそのものだった


 ラブレターを貰ったのは初めてだから、どう反応していいのか分からない。いや、正直に言うと困ったとしか言いようがない。

 ラブレターを貰っても差出人が分からなければ断りようもない。


 俺はラブレターを貰っても困っているし、返事が出来るなら当然断るつもりで居る。しかし、俺がそう思っていても、凛恋はショックを受けてしまった。

 まあ、ショックと言うのは少し大袈裟過ぎるかもしれないが。


「ラブレターは八戸さんにとっては予想外だったのかもね」

「俺も予想外だった。まさか鞄の中に入ってるなんて」


 ラブレターと言えば、靴箱に入っている物という知識しかない。だから、鞄の中に入っているというのは俺も予想外だった。


「机の中に入ってたのを気付かずに教科書と一緒に入れちゃったんじゃない?」

「その可能性もあるな~」


 普通なら、警備員が立っていて特別旺峰進学科の教室に出入り出来る人は限られている。しかし、昨日は午前の授業が終わった瞬間に、警備員が廊下から居なくなっていた。

 本来なら、あのまま午後授業があるのは特別旺峰進学科だけだった。だから、他の科の生徒が入る心配がなかったから警備員を引き上げさせたのだろう。


 もし、警備員が居ない上に、俺達が長久保のところに行っている間にラブレターを入れたのなら、もう誰が入れたのかは判断しようがない。しかし、差出人を見付ける必要があるのは、ラブレターに書かれていた告白を断るならだ。

 差出人が自ら名前を書いていないのなら、返事は求めていないのかもしれない。


「まあ、差出人も分からないんだしそのままにしとくよ。凛恋のことはそのままには出来ないけど」

「でも、大丈夫だと思うよ」

「希さんがフォローしてくれたのか。ありがとう」

「親友だからね」


 希さんが凛恋を励ましてくれたのなら、だいぶ凛恋の気持ちも良くはなっているだろう。だからと言って、俺が何もしないわけではないが。


「ん?」


 ふと視線を上げて周囲を見渡すと、俺達が座っている席の周囲が妙に混雑しているように見える。でも、俺達のすぐ隣が混雑しているわけではなく、少し離れた席が混雑している。

 微妙な距離を取って座っている人達の顔を見ると、俺と目が合った瞬間に視線を逸らす。その人達に視線を向けて首を傾げていると、隣に座る筑摩さんがニコッと笑って希さんに話し掛ける。


「赤城さん、この夏は喜川くんとどこかデートに行くの?」

「え? う~ん、お互いに受験生だけど、一回はどこかに行きたいって話してるよ?」


 突然振られた話に、希さんは首を傾げて戸惑いながらも答える。すると、一定の距離を空けて座っていた数人が立ち上がって離れていく。


「そうなんだ。私もそろそろ失恋を忘れて新しい恋を探そうかな~」


 テーブルの上に肘を突いた筑摩さんが、ニヤッと笑って俺の方を見る。

 それを見て俺が首を傾げると、筑摩さんの向こう側に居る男と目が合う。すると、一気に周囲に座っていた人達が席を立っていく。

 席を立っていく人達を目で追っていると、全員が男子だということに気付く。


「なるほど、二人狙いの男達だったってわけか」


 一定の距離を空けて座っていたのは、希さんと筑摩さんに声を掛けるタイミングでも謀っていたのだろう。しかし、筑摩さんが会話で希さんに彼氏が居ることを匂わせた。だから、希さんに声を掛けようとした人達が離れていったのだ。

 しかし、そう考えると不思議なことがある。それは、筑摩さんに声を掛けようと思っていたであろう男達も離れていったことだ。


 筑摩さんは「新しい恋を探す」と言っていたのだから、今筑摩さんに声を掛ければ、その新しい恋の相手になれるチャンスはあるはずだ。

 俺はそうやってポジティブに考えて声を掛けに行けるタイプの人間ではないが、周囲で機会を窺うやつらの中に一人くらいはそんなポジティブシンキングなやつが居て当然ではないだろうか?

 でも、誰も筑摩さんに声を掛けることなく離れて行った。


「凡人くんは鈍感だからね」

「唐突に酷いな」


 正面に座る希さんがクスクスと笑いながら言うのを聞いて顔をしかめる。

 俺が鈍感だというのは、凛恋からも言われるし俺も多少は鈍感の気があるとは思っている。しかし、聞いて飛び上がって喜ぶような話じゃない。

 まあ、希さんは軽くからかっているだけだが。


「隣に居る男の子を見ながら新しい恋を探そうなんて言ったら、誰だって見てる男の子のことを好きだって思うんじゃないかな? 私が凡人くんに振られたことを知らない人が聞いたら」

「……凛恋が誤解するようなことは言わないでくれよ」


 クスッと笑いながら言う筑摩さんに俺は抗議する。

 筑摩さんに説明されれば、筑摩さんが言った通りに思う人が居てもおかしくないとは思う。でも、それよりも変な噂が立って凛恋を心配させたくない。


「ごめんごめん。でも、八戸さんと凡人くんの仲を引き裂くなんてなかなか出来ることじゃないし。ほら」


 視線を窓の外に向けた筑摩さんの視線を辿って俺も窓の外に視線を向ける。すると、塾とは反対側の歩道で信号待ちをしながらスマートフォンで時間を確認している凛恋の姿が見えた。


「凡人くんをからかったお詫びにこれ」


 凛恋を見ていた俺の前に、筑摩さんが小さなチラシを置く。

 そのチラシはケーキバイキングのチラシで、夏のキャンペーンが今開催されているという内容だった。


「丁度おやつの時間だし、八戸さんとデートしてきたら?」

「ありがとう、筑摩さん。これなら凛恋も喜ぶ」

「それと、間違っても私に勧められたなんて言っちゃダメだからね?」

「分かった」


 俺は急いで勉強道具を鞄に詰め込んで立ち上がる。凛恋が来た今は、俺が伝えていた帰る時間ピッタリだ。

 塾の建物を出ると、横断歩道を渡った凛恋が俺を見て手を振る。


「凡人、お疲れ」

「凛恋もお疲れ。凛――」

「凡人! 今から少しだけデートしない?」


 俺が凛恋をケーキバイキングに誘うより前に、凛恋にデートへ誘われてしまった。でも、凛恋を楽しませられればどこに行っても俺の目的は達成出来る。


「凛恋と一緒ならどこでも行くぞ」

「ありがと! 凡人とケーキバイキングに行きたいな~」


 腕を俺の腕に絡める凛恋の言葉に驚く。俺が誘おうと思っていたデートと同じ内容だった。


「勉強して疲れてたし、丁度糖分が欲しいと思ってたんだ」

「良かった! じゃあ早速行こ!」


 凛恋が腕を引いて歩き出す。

 まだ日の高い空から俺は横の凛恋に視線を向ける。すると、子犬のように潤んだ瞳で俺を見上げる凛恋と目が合った。

 目が合った凛恋はニコッと微笑む。しかし、その凛恋の笑顔が少しだけ固く見える。


 もし凛恋が誰かからラブレターを貰ったら、俺はもの凄く心配になる。

 凛恋は俺を世界一好きだと言ってくれるが、俺は俺を世界一の男なんて思えない。

 確実に、下から数えた方が早い男だと思っている。だから、凛恋の気持ちを疑うわけではないが、自分よりも……それこそ世界一の魅力を持った男が、凛恋にアピールして来たらと思うと不安なのだ。


 凛恋の不安もそれと同じものなのだろうか?

 だとしたら、俺が凛恋に何をされたら不安が消えるだろうか?

 そう考えて、俺は、俺の腕に押し付けられている凛恋の胸を見る。そして、ミニスカートの裾から伸びる綺麗な足を太腿から足先まで視線で辿り、ミニスカートの後ろを綺麗に膨らませている凛恋のお尻に視線を戻す。


 どうしよう……俺は可愛い凛恋にベッタリくっつかれただけで、不安が消えてなくなってしまう。

 結局、男というのは分かりやすいのに弱い生き物なのだ。しかし、俺は単純で分かりやすいとしても、凛恋は複雑で繊細な存在だ。

 ガラス細工を扱うように気を使う必要がある。俺と同じに考えるのが間違いだ。


「着いた!」


 凛恋の声で思考から意識を戻される。

 良かった。危うく凛恋とのデートを上の空のまま過ごしてしまうところだった。


「おお、夏休みだから人が多いな」


 ケーキバイキングのお店には沢山の客が居て、俺達と同い年くらいの人達も多い。

 それと当然か、男性客よりも女性客の方が圧倒的に多かった。

 ケーキバイキングの支払いを終えると、道中よりも自然な笑顔を浮かべた凛恋が俺の手を引いて、ケーキが並んでいるテーブルに歩いて行く。


「美味しそうだし可愛い!」

「流石バイキングだな。種類がいっぱいある」


 フルーツ系だけでも相当だが、チョコレート系のケーキも種類が豊富。更にはクリーム系やチーズ系のケーキもあり、これはかなり迷ってしまう。


「とりあえずこれとこれと~……うーん」

「それとそれは俺が持って行くから、凛恋も味見してみれば良いだろ?」


 沢山のケーキに迷っている凛恋へ俺が横から声を掛けると、凛恋がニコニコと嬉しそうに笑って顔を近付ける。

 大体、こういう時に凛恋は、気にする必要がないほど痩せているのに体重を気にして沢山のケーキを食べたくても食べようとしない。

 そういう時は、毎回俺とシェアして少しずつ食べるということをする。


「うん! 凡人、ありがとっ!」


 パッと咲いた向日葵のような明るく晴れやかな笑顔。

 その無邪気な凛恋の笑顔が凄く可愛くて愛おしい。

 凛恋って本当に可愛い。

 そんなありきたりの感想しか浮かばないくらい、凛恋に感嘆してしまう。

 こんなに可愛い彼女が居たら、他の女の子なんて目に入るはずがない。

 空いてる席に座ると、隣に座る凛恋が自分の椅子を俺のすぐ隣にわざわざ移動させる。その行動もまた、可愛い。


「いただきまーす」

「いただきます」


 凛恋と並んでケーキを食べ始めると、フォークでケーキを一口サイズに切った凛恋が、俺にケーキを刺したフォークを差し出す。

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