【一二二《変換》】:一
【変換】
『カズ、俺……希と別れようと思ってる』
その電話を栄次からもらった俺は、クソ忙しい最中に時間を作ってやった。
栄次じゃなかったら、無視して勉強をしているところだ。
俺の部屋で正座して座る栄次は、いつもの爽やかさを完全に失っている。
毎年毎年、夏になると何かしらのトラブルを持ち込んでくるが、別れるというのはトラブルとしてはかなり重い。
まだ事情は分からないが、俺に解決出来る問題であってほしい。
「希さんと喧嘩したのか?」
「……喧嘩なんてしてない」
「また勘違いでもしてるんじゃないか」
「……希は何もしてない。俺だけの問題だ」
「じゃあ、その栄次だけの問題を話してみろ」
”栄次だけの問題。”それを解決すれば良いのだろうが、俺で何か解決出来る話だろうか?
「カズはもし、六年間も八戸さんと離れ離れでやっていけると思うか?」
「なるほど……そういうことか」
栄次の『六年間』というキーワードを聞いて、すぐにピンと来た。
栄次は西都(せいと)大学の医学部を目指している。西都大学は希さんの目指す旺峰大学と大学のある場所が離れている。
それは、徒歩や自動車で行き来出来る距離ではなく、交通手段は新幹線か飛行機を使わなければいけない。
つまり、もし二人共志望通りの大学に合格すれば、高校卒業後、二人は遠距離恋愛になる。
希さんの目指す旺峰大学法学部は四年。
希さんが大学院に進めば更に延びる可能性はあるが、法学部で大学院まで行って法律研究をするというのはあまり聞かない。
だからきっと、卒業する頃には、希さんは何かしらの仕事に就くだろう。
それが、弁護士なのか検事なのか、はたまた別の仕事なのかは希さん次第だが。
それでも、希さんの就職先が栄次の目指す西都大学に近い場所になるとは限らない。
就職先が近い場所になるとは限らないのは栄次も同じだ。
六年間の医学部課程を修了して、就職する病院が希さんの就職先と近いとは限らない。
だから、下手をすれば、栄次の医学部修了六年間以上に遠距離恋愛が続くかもしれない。
「遠距離になったら会える時間が少なくなる。それに、お互いに医学部と法学部だから勉強も大変になるし……」
俺はそこまで聞いて、スマートフォンを手に取り希さんに電話を掛ける。
『凡人くん? どうしたの?』
「希さん、栄次が希さんと別れるつもりらしい」
『えっ……なん、で……』
「手遅れになる前に俺の家に来てくれ」
『今すぐ行く!』
希さんが電話を切ったのを確認すると、栄次に視線を向ける。
栄次は、真っ青な顔をして俺を見ていた。そして、その真っ青な顔は、一気に怒りで真っ赤に染まる。
「カズ! なんで希に言ったんだ! 俺はカズに相談しに来たのに!」
「じゃあ別れろ」
「なっ!」
栄次は目を見開いて俺を睨み付ける。しかし、俺は栄次の目を真っ直ぐ見返した。
「相談してくれたのは嬉しい。でも、それは俺じゃなくて希さんと相談すべきだ」
俺と栄次は親友だ。だから、そういう大事な話を俺に相談してくれるのは嬉しい。でも、真っ先に相談しなければいけない人を通り過ぎている。
「付き合うのも別れるのも希さんだろ。答えは、ちゃんと希さんと話し合って出すべきだ」
俺がそう言うと、栄次は押し黙ってテーブルの上に視線を落とす。
「ちなみに、俺と凛恋が六年間離れ離れになるとしたら、遠距離恋愛でも付き合い続ける」
「……不安じゃないのか?」
俺の答えに、栄次がゆっくり顔を持ち上げて聞き返す。
「不安に決まってるだろ。あんだけ可愛い凛恋だぞ? 大学なんて行ったら、色んな男に声を掛けられるに決まってる。俺よりも格好良くて性格が良いやつらが現れるに決まってる。凛恋が俺以外の男を選ぶなんて思ってはいない。でも、男に言い寄られるのは確実だから不安だ」
「じゃあ、なんで六年間も遠距離恋愛を続けるなんて」
「絶対に俺は凛恋を失いたくないからだ。俺は絶対に、凛恋を手放したくない。凛恋以外の人はあり得ない。だから、凛恋と別れるなんて最悪の結果を選ぶくらいなら、遠距離でもなんでもしがみついて凛恋と付き合い続ける」
凛恋は俺の人生で掛け替えのない大切な人だ。
凛恋の代わりなんて絶対に存在しない。それに、凛恋の代わりなんて誰にも務まらない。
「栄次は希さんのことが嫌いなのか?」
「好きだよ……でも、六年間も離れ離れにしたら……希に辛い思いをさせる」
「結局、希さんのことが大好きだからか」
六年間も遠距離恋愛させたら希さんに辛い思いをさせるから、希さんに辛い思いをさせたくなくて別れる。栄次はそう思っているのだろう。
確かに、好きな人に辛い思いをさせたくない、悲しい思いをさせたくないという気持ちは分かる。
俺だって凛恋に辛い顔や悲しい顔なんてさせたくない。
「栄次は、一生希さんと会えなくな――……泣くなよ……」
たとえばの話を切り出したのに、栄次は目を潤ませてTシャツの肩口で目を拭う。
拭ったTシャツには、涙で湿った跡があった。
「希と一生会えなくなるなんて嫌だっ!」
「別れるってそういうことだろ? 別れるってことはお互いの関わりを無くすってことだ。そしたら、よっぽどの奇跡が起きない限り、また再会するなんてあり得ない。だったら、六年間くらいどうってことないだろ。一生会えなくなるくらいなら、毎日会えなくても、年に数回しか会えなくても、遠距離を続けた方が良いだろ」
実際、遠距離恋愛は俺が言葉にするような簡単な話ではないと思う。
俺は遠距離恋愛なんてしたことがないし、俺と凛恋の進路が志望通りに行けば遠距離恋愛になんてまずならない。
だから、俺の言葉は説得力が全くない。でも、説得力なんて今は必要ない。
俺は、栄次と希さんには上手く行ってほしいと思う。
二人がどこまで本気か分からないが、結婚まで行ってくれればめちゃくちゃ嬉しい。
二人が居なかったら、俺は凛恋と付き合えていなかった。
俺のことをよく分かってくれている栄次の助言がなければ、凛恋は早々に俺のことを諦めてしまっていたかもしれない。
それに、希さんが居なければ、一年の夏にすれ違いをしてしまった時に、俺達は別れていたかもしれない。
そして二年の春、二人が居なければ俺達はずっと別れたままだったかもしれない。
だから、俺は自分勝手に動く。自分勝手に二人の仲が続くように動く。
たとえ他の誰かが、二人は別れた方が良いと思っていても知らない。
俺は二人がずっと仲良く上手く行ってくれれば良いのだ。
「希さんが来た。部屋に来たらちゃんと話せよ。栄次がどうしたいのか」
インターホンが鳴るのを聞いて、俺は立ち上がりながら栄次に言う。すると、栄次は声は出さなかったものの、しっかりと頷いた。
部屋を出て玄関に行くと、希さんと……凛恋が立っていた。希さんは真っ青な顔をしているが、凛恋は落ち着いた様子で、希さんの背中を優しく擦っていた。
「上がって。栄次は部屋に居るから」
「ありがとうっ」
希さんは急いだ様子で廊下に上がり、俺の部屋へ飛び込んで行った。
「凡人、栄次くんはなんで希と別れるなんて言い出したの?」
「大学に行ったら遠距離になって、希さんに辛い思いをさせるからだってさ。でも、一生希さんと会えないのとどっちが良いかって聞いたら、一生会えなくなるなんて嫌だって言ってたから、俺に相談しに来た時よりも考えは変わってると思う。後は、希さんと話し合――」
凛恋に状況を伝えていると、凛恋が俺に抱き付き、背伸びをして俺の唇を塞ぐ。
俺は凛恋の腰を支えながら前屈みになり、凛恋に踵を廊下の上に付けさせた。そして、凛恋の腰を引き寄せてキスをする。
凛恋の背中を壁に付けて、俺は凛恋のお尻や太腿に手を触れながら凛恋とキスを続ける。栄次がたとえばの話でも、俺に凛恋と六年間も離れ離れになることなんて考えさせるのが悪い。
凛恋は俺の凛恋だ。他の男にちょっかいを出されるなんて耐えられない。
凛恋を他の男から守れない状況なんて考えたくもない。
他人から傲慢だとか、独占欲が強いなんて思われたって良い。俺は自分勝手に動く。自分勝手に、凛恋を絶対に失わないように動く。
「ちょっ! バ、バカ!」
「イテテッ!」
「廊下でスカートの中に手を突っ込む凡人が悪い」
凛恋に摘まれた頬を擦りながら、俺は小さくため息を吐いた。
「流れに乗っていけると思ったのに……」
「流石に私もそこまで痴女じゃないわよ!」
小声で怒る凛恋は、左右を確認した後、背伸びをして俺の耳元で囁く。
「続きは二人が帰った後ね」
クスッと笑う凛恋の言葉を聞いて、俺は凛恋の隣に背中を付けて立つ。その俺の手を、凛恋が指を組んで繋いだ。
「最初、栄次くんが別れるって言ってるって希から電話があった時に焦ったけど、よくよく話を聞いたら凡人から電話が掛かってきたって聞いて。凡人が付いてるなら大丈夫だと思ったけど、私も凡人に会いたくなったから会いに来ちゃった」
凛恋はニッコリ笑って壁から俺の前に立って背中を俺に預ける。俺は、背中を預ける凛恋を後ろから抱きしめた。
「遠距離は辛いとか難しいって聞くけど、二人にはそれでも続けてほしい」
「俺も同じだ。二人がお互いを好きなら諦めないでほしいと思う」
「だよね。私もそう思う」
俺の部屋のドアが開くと、凛恋が俺から背中を離してドアの方を見る。すると、部屋の中から手を繋いで、同じ泣き終わりの顔をした栄次と希さんが出てきた。
「さて、親友の俺達に、親友二人はどうするか決めたか教えてもらおうか」
俺がそう問い掛けると、栄次が希さんと手を繋いでいる栄次が俺に真っ直ぐ言う。
「遠距離恋愛になっても付き合う」
「そうか。じゃあ解決だな」
「凡人くん、栄次のこと説得してくれてありがとう。栄次……凡人くんに言われて、私と一生会えなくなるなんて嫌だと思ったから、遠距離恋愛でも付き合ってほしいって言ってくれた」
「そうか。希さんも大変だろうけど――」
「私は栄次と付き合えるなら何だって耐えられるから」
俺は、その希さんの芯の通ったしっかりとした言葉を聞いて栄次に視線を向ける。すると、栄次は照れ臭そうに俺から視線を逸らした。
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