【一一八《オートクラシーの正論》】:一

【オートクラシーの正論】


 新学期が始まって、学校改善マネージャー長久保の影響で学校内の雰囲気は激変した。激変したと言っても、俺は俺の周囲のことしか分からない。

 登校した瞬間、特別旺峰進学科の生徒は一般の生徒が使わない管理棟の方に案内された。そして、新しく作られた特別旺峰進学科の教室まで続く廊下の途中には、二人の警備員まで立っていた。

 完全に他の学科の生徒達と隔離されている。


「凛恋、萌夏ちゃんと里奈ちゃんと一緒に露木先生のクラスになったって」

「その三人が揃ってたら安心だな」


 隣に座る希さんが、スマートフォンを見て俺に言う。

 凛恋とメールをして状況を聞いたらしい。凛恋の新しいクラスが心配だったが、凛恋の友人である萌夏さん達が居れば安心出来る。


 特別旺峰進学科は五人の生徒は集まっているものの、まだ担当教師は来ていない。

 クラスメイトになった希さんと筑摩さん以外に、男子一人女子一人の生徒が席に座っているが、その二人は全く話そうとしない。


 男子の方は黙々と参考書を広げて勉強に励んでいるし、女子の方は黙々と本を読んでいる。

 どっちも体から湧き出る話し掛けるなオーラが凄い。


 そもそも俺は、気軽に人へ話し掛けられるような人間ではないから、そんな雰囲気をされたら話し掛けられるわけがない。

 まあ、このクラスで希さんと筑摩さん以外と話そうとは思ってもいないが。


「筑摩さん」

「どうしたの?」

「あの二人は?」


 特別旺峰進学科の説明会の時にも他の二人は居たが、俺は二人の名前を全く覚えていない。

 これから一緒のクラスになるんだし名前くらいは聞いておいた方が良いのだが、本人達に話し掛けるのは躊躇われる。


「男子の方は、貸谷真二郎(かしたにしんじろう)くん。女子の方は、本蔵佳純(もとくらかすみ)さん。貸谷くんは何度か話したことあるけど、本蔵さんは私も話したことない」

「そうか。貸谷ってどんなやつだ?」

「うーん……真面目、かな?」


 貸谷と本蔵さんの方を視線で窺いながら、俺と筑摩さんは声を抑えて話す。すると、教室のドアが開いて長久保が入ってきた。


「おはようございます。早速ですが、これが基本的な時間割です。学校教育法施行規則に則って最低限必要とされる単位を取得してもらいます。そして、その他の時間は、特別講師による旺峰大学入試対策授業を受けてもらいます」


 時間割を見ると、一日七時間授業かつ、一時間目の前に朝課外があり、七時間目の後には夕課外がある。

 そして……夕課外の後は下校時間ギリギリまで夜課外の時間がある。


「あの、お昼休みの時間は他のクラスの友達とは――」

「学校に居る間、皆さんには旺峰大学入試対策に集中してもらうため、他の生徒との無駄な接触は制限してあります。休み時間の行動は制限出来ませんが、出来るだけ無駄な接触は避けるようにお願いします」

「無駄な接触……」


 長久保に尋ねた希さんがそう呟きながら視線を落とす。

 友達と会うことを無駄な接触と言う権利は長久保にはない。でも、長久保にそれを言っても仕方がない。

 長久保は、旺峰大学合格に直結しないことはどんなことでも無駄だと断じるだろう。


「では、私は失礼します」


 長久保が教室から出て行くと、俺は希さんの肩に手を置く。


「別に強制して会うななんて言われてないんだから、堂々と会えば良い。それに、こんな時間割でずっと隔離されてるなんて息が詰まる」

「うん、凛恋達と会うのも禁止されなくて良かった」

「そんな甘いことを言ってたら、旺峰なんて受からない」


 参考書を広げていた貸谷が、視線を参考書に向けたままそう低い声で言う。

 俺はその貸谷を睨み付けた。もちろん、その視線に友好的な感情はない。


「別に貸谷には関係ないだろう」

「こっちは本気で旺峰を目指してるんだ。周りで騒がれると迷惑だ」


 言葉といい言い方といい、一々かんに障る。

 希さんは別に貸谷の邪魔をしているわけではない。

 それどころか、全く無関心だし無干渉だ。それなのに、まるで突っ掛かるように絡んでくる。


「今の貸谷くん、頑張るのは良いけど関係ない赤城さんに当たるのは男らしくないよ?」


 筑摩さんが怒りも呆れも見せずに、貸谷に向かって真顔で言う。

 その筑摩さんの言葉でやっと参考書から視線を外した貸谷は、なぜか筑摩さんではなく俺の方を見て言った。


「すけこましが」


 すけこまし、というと、女性を騙して口説くような男を指す言葉だ。

 男が同性に対する嫌味で使う言葉でもある。それを俺が貸谷から言われたということは、俺は貸谷に嫌味を言われたらしい。

 まあ、俺が棘のある言い方をしたし、貸谷にムッとされて嫌味を言われても仕方がない。


「貸谷くん、今からそんなに神経質になってたら保たないんじゃないかな?」

「売女(ばいた)のくせに」

「おい、貸谷。言って良いことと悪いことも分からないのか」


 貸谷の言った言葉に、俺は流石に聞き流すことが出来ず食って掛かる。女の子に対して、売女なんて言葉を向けるのは最低なことだ。


「チッ……なんでこんなやつらと同じ空間に居なきゃいけないんだ」


 俺の言葉を無視して、舌打ちをしながら貸谷は苦々しく吐き捨てるように言う。


「筑摩さん気にするなよ。こいつ、何か知らないが八つ当たりしてるだけだ」


 さっきからイライラした様子の貸谷に、俺は筑摩さんを庇いながら貸谷を睨み付ける。何にイライラしてるかは知らないが、筑摩さんに貸谷から八つ当たりされるいわれはない。


「学年順位。一位、赤城希。二位、多野凡人。三位、筑摩理緒。四位、本蔵佳純。五位、貸谷真二郎。つまり、この中で一番旺峰大学合格に遠いのは、貸谷」


 俺が筑摩さんに声を掛けていると、淡々とした女性の声が聞こえる。その声の主は、貸谷の後ろで黙々と本を読んでいた本蔵さんだった。


「この根暗が!」

「その根暗に負けているバカに言われたくはない」


 ページを捲りながら、淡々と辛辣なことを貸谷に言う本蔵さんは、本の間に栞を挟んで視線を正面の貸谷に向ける。その視線を受け、貸谷はまた舌打ちをして本蔵さんに背中を向ける。しかし、今度の舌打ちは俺達に聞こえるか聞こえないかくらいの大きさだった。




 昼休み。案の定、特別旺峰進学科に続く廊下に立っていた警備員は、授業中以外は通行を妨害しなかった。

 だから、俺と希さんは、いつも通り音楽準備室に行くことが出来た。そして、音楽準備室に着いた途端、先に居た凛恋に希さんは抱き付かれた。


「希~」

「凛恋~」


 希さんも凛恋をギュッと抱き返す。その二人を見ていると、椅子から立ち上がった露木先生と目が合う。


「多野くん」

「露木先生こんにちは」

「ごめんね……私の力が足りないせいで……」

「露木先生が気に病むことは何もありませんよ」


 俺はいつも通りの席に座りながら、笑顔で答える。

 学校の先生と言っても何でも出来るわけがない。

 長久保は学校改善マネージャーだから、学校運営に関してかなり発言力があるだろう。その長久保の方針に、一教師の露木先生は意見出来ないだろうし、そもそも意見出来たとしても、あの長久保が従うとは思えない。


「昼飯にしましょう」


 午前中は貸谷のイライラのせいで、クラスの雰囲気が悪かった。

 希さんは言葉にはしないが、貸谷の態度に不満があるのは明らかだし、筑摩さんは明確な中傷を受けた。

 筑摩さんは気にした様子は見せていなかったが、中傷されたのだから貸谷に対する印象は当然悪くなっている。


 ただ、本蔵さんに関しては全く分からない。

 俺に突っ掛かって筑摩さんにも噛み付いた貸谷へ、辛辣な言葉を発した。

 それだけ見れば助けてくれた、味方してくれたと考えられるが、その後は平常通り無関心を貫いて空き時間は終始本を読んでいた。


 貸谷は、どうやら自分より成績の良い人間が好きじゃないらしい。

 何かしら、勉強に関してプライドがあるのだろうが、それを、他人を中傷して保とうとしているのが気に入らない。

 心の中で考えることは相手に伝わらないから自由にすればいい。しかし、言葉にした瞬間に他人を傷付ける。

 女子の筑摩さんに売女なんてことを思う時点で許せはしないが、それを言葉にしたのはもっと悪い。


「はぁ……多野くんと赤城さんの担任、私がやりたかったな~」

「うちのクラスは、担任教師は居なくて学校改善マネージャーが担当するらしいですね」


 弁当の蓋を開いた露木先生が、視線を落としてぼそりと呟く。俺はそれに悲しさを滲ませないように世間話を繋げたが、凛恋と希さんは視線をテーブルの上に落とす。


 俺だって、露木先生が担任になってほしかった。


 去年は何だかんだあっても、俺が一番楽しかった学校生活だった。

 その学校が楽しいと思えた要員に、露木先生が担任だったというのはかなり重要な要素だった。

 きっと、希さんも露木先生が担任の方が良かったのだ。でも、生徒と教師には所属クラスや担当教師は決められない。


「こっちも大変なんだ……。授業計画を長久保さんに提出したんだけど、演奏とか合唱とか実技系は無駄だから出来る限り減らして下さいって言われて……」

「他の学科の授業内容にも手を加えてるんですか」

「うん……他の学科の先生も色々と削除されたり追加されたり大変みたい」


 げんなりとした様子の露木先生は、机に肘を突いて手の平に頬を載せる。


「凡人と希と同じクラスが良かった……」

「私も凛恋と同じクラスが良かった……」


 凛恋が悲しそうな声を出し、希さんも悲しそうな声を出す。

 俺と希さんが特別旺峰進学科でなくても、俺達が絶対一緒のクラスになれるというわけではない。でも、可能性があるのとないのでは気持ちとしては全然違う。

 それにやっぱり、可能性があってもなくても、俺もみんなと同じクラスが良かった。


「凡人は?」

「もちろん、凛恋と一緒のクラスが良かった。それに新しいクラスにちょっと面倒なやつが居るんだよな……」


 俺は凛恋にそう言いながら、貸谷の顔を思い出しため息を吐く。


「面倒なや――」


 俺に聞き返そうとした凛恋が、希さんの顔を見て固まる。希さんは無表情だが、その無表情が冷たく恐ろしい。


「新しく同じクラスになった貸谷くんがピリピリしてて、私や凡人くん、筑摩さんに突っ掛かってきたの。それで、凡人くんにすけこましって言ったの」


 無表情だった希さんの目がキッと鋭く変わる。その目には明らかに貸谷に対する怒りが見える。


「すけこまし?」


 凛恋が『すけこまし』の意味が分からず首を傾げる。凛恋はその不思議そうな顔を露木先生に向けるが、露木先生は当然言葉の意味を知っているのか困った表情をしていた。


「凡人くんは、色んな女の子を騙して口説いてる女たらしだって言われたの」


 俺も露木先生もいわなかったすけこましの意味を、希さんは唇を尖らせながら凛恋に言った。


「はあ?」


 凛恋はすけこましよりも分かりやすい『女たらし』という言葉を聞いて、隠すことない怒りを露わにする。


「貸谷ってあいつでしょ? 女子に興味ないみたいな態度取ってるくせに、女子の太腿めっちゃ見てるムッツリガリ勉でしょ?」


 凛恋がプンプン怒りながら両頬を膨らませる。貸谷が女子を見ているなんて全く知らなかった。

 男が女子を目で追ってしまうのは、本能だから仕方がない。仕方がないが、貸谷に対して悪い印象しかない俺には、凛恋が貸谷に向けた言葉は心がスッキリする言葉だった。

 ただ、凛恋がそう言うということは、凛恋も貸谷に太腿を見られた女子ということになる。それは、物凄く気分が悪かった。


「私は真面目な良い生徒だと思うよ? 授業態度も真面目で落ち着いているし」

「それ、露木先生が可愛いからですよ。だから、露木先生の前では良い態度取ってるんです。私の凡人に女たらしなんて言うやつが良いやつなわけない!」


 凛恋が俺の腕をひったくるように引っ張ってムッとした表情をする。

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