【一一七《残虐的利益至上主義者》】:一

【残虐的利益至上主義者】


「勝手なことを言われても困ります」


 言い放った学校改善マネージャーの長久保さんに、俺は視線を向けて言う。

 いきなり現れて「お前達は新設学科で旺峰大学を目指せ」と言われても、素直に従えるわけがない。


 元々、旺峰大学志望の希さんは別だろうが、少なくとも俺と筑摩さんは旺峰大学とは別の大学を志望している。

 それを、いきなり現れた学校改善マネージャーという意味の分からない役職の大人に強制されたのだ。納得出来るわけがない。


「皆さんの成績を拝見して、ここにいらっしゃる五名の生徒さんは十分に旺峰大学へ合格出来る能力があります」

「能力の問題ではなくて、俺の志望校は――」

「多野凡人さんの志望校は塔成大学文学部。ですが、旺峰大学の文学部の方がレベルが高い。旺峰大学へ進学出来る能力があるのに、あえてレベルの低い大学へ進学する理由はありません」

「人の価値観は人それぞれです。俺は塔成以外受ける気はありません」


 長久保さんは俺の言葉を聞いても表情を変えない。

 それは動揺しないというよりも、俺の意見なんて最初から聞く気なんてなかったような雰囲気だ。


「来年度からはこの五名のみのクラスを設置します。学校を上げて皆さんの旺峰大学合格を援助します」

「本当に私は、旺峰大学へ合格出来ますか?」


 男子生徒が俺を無視した長久保さんにそう尋ねる。

 旺峰大学への進学を志望しているのは、俺が知る限り希さんしか居ない。しかし、自分の志望している大学よりもレベルの高い大学に合格出来ると言われれば、挑戦したいと考える人も居るだろう。だが、男子生徒は長久保さんを訝しげに見ている。

 挑戦したいと考える反面、本当に合格出来るのかという疑いもあるに決まっている。


「新設学科の名称は特別旺峰進学科で、皆さん五名のみ在籍の学科になります。これから刻雨高校を全国にアピールする進学学科にするため、皆さんには頑張っていただきます。皆さんの現在の成績を考えれば、十分に旺峰大学合格を狙えます。多野凡人さんに関しては、この後二人で面談をしましょう。他に、旺峰大学への進学に異論のある方はいらっしゃいますか?」

「あの――」

「よろしくお願いします」


 筑摩さんが発言をしようとした。しかし、筑摩さんの隣に座っている、恐らく筑摩さんの母親に発言を遮られた。

 筑摩さんの志望しているノーブリリー女学院大学は名門の女子大学だが、歴史ではなく学力という点で見れば明らかに旺峰大学の方が上だ。

 更に、知名度という点でもノーブリリー女学院大学よりも旺峰大学の方が高い。


 筑摩さんの母親がどう考えているか分からないが、少しでも良い大学に行ってほしいと思っていたら、旺峰大学へ進学させようとするのではないだろうか?


「私は、旺峰大学ではなくノーブリリー女学院大学へ進学したいと思っています」

「理緒っ!」


 筑摩さんが長久保さんに自分の意思を伝えると、筑摩さんの母親が筑摩さんを手で制そうとする。しかし、筑摩さんはそれを手で制し返した。


「分かりました。では、この後、筑摩理緒さんも面談を行いましょう。時間もありませんし、多野さんと一緒にということで。他の方はもうお帰りいただいて結構です。多野さんと筑摩さんの保護者の方々は外でお待ち下さい」

「凡人くん……」

「大丈夫。話をするだけだから」


 席から立ち上がった希さんが心配そうに声を掛けてくる。

 それに笑顔で答えて、希さん達が空き教室を出て行くのを見送ると、正面に立っている長久保さんに視線を向ける。


「さて、まずは筑摩理緒さんですが、貴女は過去に複数の男子生徒と不純異性交遊を行っていたようですね。更に、当校以外の高校や大学の学生とも」

「おい」

「凡人くん、大丈夫だから。……事実だし」


 長久保さんの言葉は、いくら事実だとしても女子高生に大人の男性が向ける言葉じゃない。

 それに、明らかに長久保さんはそれをネタに筑摩さんに意思を強制しようとしている。


「そういう生徒をこのまま通学させておくことは、刻雨高校のイメージダウンに繋がります。しかし、筑摩さんは幸いにも成績が優秀です。筑摩さんが志望されているノーブリリー女学院大学も由緒ある女子校ですが、旺峰大学の方が対外的なアピールになります。それに協力していただければ、不純異性交遊に関しては黙認しましょう」

「大人が子供を脅すのか」

「違いますよ。これは交渉です」

「明らかに弱みを握って筑摩さんを脅しているだろ」

「様々な材料を用意して相手より優位な立場に立つのは、交渉の基本です。どうされますか? お母様はとても教育熱心な方のようです。退学、ということになればさぞかし悲しまれるでしょう」

「あんた、最て――」

「多野さんは、八戸凛恋さんと親しくされているようですね」


 長久保さんを非難する言葉を発する前に、俺はその言葉を長久保さんの言葉に止められた。

 そして、俺はパイプ椅子から勢い良く立ち上がる。


「凛恋に何かしたら許さない」

「いえ、私は何も出来ませんよ。私は昔文科省に勤めていた時期がありまして、文科省の友人からお聞きしたんです。査察の報告書作成のために八戸さんへ聞き取り調査を行おうとしたら、多野さんに止められたと。事情を聞いたところ、あまりにも年頃の八戸さんには酷な話でした。ですので、未成年の少女を傷付けるようなことは避けるように助言をしました。八戸さんが精神的に辛い状態だと、多野さんも旺峰大学進学に集中出来ませんし」


 そして、長久保さんは冷たい視線を真っ直ぐ俺に向ける。


「ですが、多野さんが旺峰大学進学を拒否されるなら、多野さんを保護する必要もないので、学校改善マネージャーとして学校をより良くするための文科省の活動には協力しようかと思っています」


 その長久保さんの言葉は、凛恋を人質にして俺を脅すものだ。

 最低だ。今まで会った人間の中で、一、二を争うくらい最低な男だと思った。


「長久保ッ!」

「良いんですか? 文科省の聞き取り対象は八戸凛恋さんだけではなく、切山萌夏さんと露木真弥先生も対象になっているようです。切山さんも多野さんのご友人だそうですし、露木先生とも親しいようですね」

「三人は関係ないだろッ!」

「そうです」

「だったら――」

「ですが、利益を出すためには利用出来るものは何でも利用する必要があります。今の刻雨高校は、かなりイメージが悪い。部活動をアピールするにしても、アピール出来る結果が出せるまでには時間が掛かり過ぎる。部活動強化に関しては長期的な計画として並行して進めます。しかし、その前に何かしらの成果を出さなければ刻雨高校は経営が厳しくなります。ですので、旺峰大学合格者を五名出すことで進学面での成果を出します。旺峰大学合格者が五名も出れば十分対外的なアピールになります」

「そんな利益のために――」

「もし入学者がこのまま減少し続けて、刻雨高校が閉校すれば学校に勤める職員は路頭に迷うことになります。多野さんはその責任を取れますか?」


 長久保の言っていることは、正論ではあるが暴論でもある。

 俺には学校が閉校して職を失う人が出ても、どうやっても責任を取ることは出来ない。でも、俺はただの生徒で学校の経営者ではない。

 だから、そもそも俺に職員の生活を背負う責任はない。しかし、人の人生を左右するということを盾にされれば反論もし辛くなる。

 そして、凛恋、萌夏さん、露木先生をも盾にされた。


 俺が拒否すれば、三人は文科省の聞き取り調査を受けるだろう。

 長久保にどれだけの権限があるか分からない。だが、もし言葉通り文科省にコネがあって、学校改善マネージャーとしてある程度の自由が利くなら、三人が文科省の聞き取り調査を受ける可能性がある。

 今度は、俺が止められるとも限らない。


 聞き取り調査が学校の完全協力の下に行われたら、三人は辛い事件のことをまた思い出さなければいけない。

 しかも、文科省の職員は全員男だった。男に乱暴されそうになった話を男に話さなければいけなくなる。

 女性ではない俺でも、その辛さや怖さがあることを想像くらいは出来る。そして、それでまた三人が傷付くことになるのも。


「話は以上です。ですが、志望校の選択を学校側が強制したとなれば色々問題があるので、私から強制はしません。ご自身の意思で決定して下さい」


 選択肢が一つしか無い状況に追い込んでから、選択の自由があると言う。本当に最低で卑怯な男だ。

 学校の経営がどれだけ大変かは分からない。今の刻雨高校の状況だって分からない。でも、俺達未成年を脅して、選択が出来ない状況に追い込む必要があるとは思わない。


 長久保は頭が良い。

 筑摩さんに対しては、筑摩さん自身の過去にあったことを掘り返して脅した。しかし、俺には俺に対する脅しは何も無かった。

 長久保は調べて知っているのだ。俺が、俺自身に対することで脅されても効かないと。そして、俺が凛恋や自分の味方になってくれた人に対することには弱いと。

 だから、俺自身ではなく、凛恋達三人に危害が及ぶと俺に言った。でも、それは単純に頭が良いと褒められることではない。ずる賢い上に非人道的な思考だ。


「もう帰っていただいて結構です」


 その長久保の言葉に、俺は拳を握って立ち上がる。今は、従うしかない。

 凛恋達を盾にされて、俺は長久保を抑えられる手立てがない。

 その状況で下手に喚けば、長久保は平気で三人を傷付けるだろう。

 長久保の脅しが問題になって、結果的に長久保が辞めさせられたとしても、それまでの間に凛恋達三人が傷付く可能性がかなり高い。

 だから今は、三人が傷付かないように立ち回るのが最優先だ。


 三人が傷付かないことは最優先。でも……それでも、俺は旺峰大学ではなく塔成大学に進学したい。

 最初から決めていた志望校ということもある。だけど、塔成は凛恋の進学する成華女子に近い。

 凛恋と一緒の大学には行けなくても、出来るだけ凛恋の側に居たい。


 筑摩さんが俺の後に立ち上がる。筑摩さんの表情は暗かった。でも、すぐに表情をいつも通りの明るいものに変える。

 それは、空き教室の外に筑摩さんの母親が居るからだろう。

 一七歳の女の子が、親に心配を掛けないように強がらなくてはいけない。それをさせているのが、学校をより良くするために居るはずの学校改善マネージャー。


 長久保は恐らく、物事を見る目線が教育者じゃない、経営者なのだ。

 全ての計画や行動が、教育現場として良くするということではなく、より利益が出るようにということに偏っている。いや、利益のことしか考えていない。


 随分前に、倒産し掛けた日本の大企業を再生した外国人経営者の話が話題になった。

 その経営者が真っ先にやったのは従業員のリストラで、それは人件費の大幅なカットを意味することだ。

 他にも、下請け企業との取り引きを全面的に見直す等をした。


 従業員のリストラでは、職を失って路頭に迷う人が出た。

 更に、取り引きを止められた下請け企業の中には倒産した中小企業もあった。でも、その犠牲を払って倒産し掛けた大企業を再生したのだ。


 俺は、その大企業再生の立て役者である外国人経営者と長久保の行動が重なった。


 利益至上主義。

 ただ長久保のは、もっと酷い。

 残虐的な利益至上主義だ。


 コスト削減のためのリストラや取り引きの見直しとは違う。

 人を脅して強制して、自分の思い通りに動かす。しかも大人が子供に対してそれをやっている。

 まるで、俺達を学校の生徒ではなく、自分の意思で自由に動かせる駒のように扱っているのだ。


「凡人くん」


 空き教室を出ると、待っていた希さんが近寄ってくる。その表情は心配してくれている顔だった。


「まあ、とりあえず新しい学科には行くことにした。でも、俺の希望は塔成だから、そこは変える気はない」

「良かった」


 希さんがホッと息を吐いて微笑む。

 まだ、どう長久保の思惑を回避するかは決めていない。でも、俺の目標は変わらない。


「凡人くんはこの後どうするの?」

「凛恋に会って、さっきのことを話してくる」

「そっか。凛恋、悲しむかも……」


 希さんが唇をキュッと結んで言う。

 来年度、俺と希さんが特別旺峰進学科に在籍することになれば、凛恋と同じクラスになることはない。


「でも、凛恋のことは凡人くんに任せてれば安心だから」

「まあ、新学科の在籍になるって言っても、学校は同じで離れ離れになるわけじゃないからな」

「うん。じゃあ、私は栄次と会うから帰るね」

「ああ」


 希さん達が帰って行くのを見送ると、ポケットに入れたスマートフォンが震える。


「もしもし?」

『凛恋さんのところに行くんだろ。先に帰ってる』

「分かった」


 爺ちゃんと短い電話を終えて、俺は視線を筑摩さんに向ける。すると筑摩さんが近寄って来て、困った笑顔を浮かべた。


「大丈夫?」

「ありがとう。お母さんは旺峰に行ってほしいみたい」

「でも、ノーブリリー女学院に行きたいんじゃ――」

「うん。でも、ノーブリリーじゃなくても私は大丈夫だから」

「筑摩さん……」

「理緒、帰るわよ」


 廊下の奥から筑摩さんの母親が、筑摩さんを呼ぶ声が聞こえる。

 一度後ろを振り返った筑摩さんは、俺に顔を向けて明るい笑顔で軽くウインクをする。


「来年度もよろしくね。じゃあまた」

「ああ、また」


 筑摩さんを見送って、俺は手に握ったスマートフォンに視線を落とす。

 今は、一秒でも早く、凛恋に会って凛恋を抱きしめたかった。

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