【一一六《新生の芽》】:一

【新生の芽】


 窓の外に視線を向けると、白い雲が流れる空が見える。そして、流れる雲を見ながらため息を吐いた。

 もう三月になり新しい年度が着々と近付いているが、まだ冬の寒さは残っていて冬服でもまだ寒い。でも、その寒さを感じる以前に、俺は落ち着かない心を必死に落ち着けようと努める。


 今日は栞姉ちゃんが受けた、刻代(ときしろ)大学の二次試験合格発表日。


 栞姉ちゃんはずっと頑張ってきた。賃貸マンションの時からずっと毎日勉強漬けだった。一生懸命頑張ってる姿を見てきた。

 受験を受ける人達がみんな頑張ってるに決まっている。でも、栞姉ちゃんは人一倍頑張っていた。だから、栞姉ちゃんには絶対に合格してほしい。


 栞姉ちゃんはめちゃくちゃ頑張った。だから、絶対に合格する。絶対に合格すると信じてはいるが、実際に合格と聞くまでは不安になってしまう。

 インターネットで合否は分かる。でも、栞姉ちゃんは大学に貼り出される合格発表を見に行くらしい。


「凡人」

「んー?」

「大丈夫。絶対に合格してるから」


 凛恋が、授業をしている先生に聞こえないような声で話しながら、俺の手をひっそり握ってくれる。


「かっ、凡人?」


 先生に気付かれないように、俺は机の陰で凛恋の指と組んで手を握る。

 その凛恋は驚いたものの、優しく握り返してくれた。凛恋の手を握っていると凛恋の温かさを感じて心が落ち着いた。


 四時間目の授業終了のチャイムが鳴ると、俺はスマートフォンを取り出して画面を見る。まだ、栞姉ちゃんからの連絡はなかった。


「凡人、露木先生のところに行こ」

「そうだな」


 凛恋に手を引かれ、希さんと一緒に音楽準備室に向かって歩いて行く。

 昼休みになった校舎の中は、いつも通り賑やかな生徒の声が聞こえる。こっちは賑やかに話す気分にはなれないって言うのに。


「凡人くん、大丈夫?」

「俺が心配してもどうにもならないんだけどな」

「でも心配になるよね」

「そうなんだよ。ちゃんと結果聞くまで安心出来ないって言うか……」


 希さんと話しながら歩いていると、隣に居る凛恋が握った手を両手で包み込む。

 三人で音楽準備室に行くと、丁度、露木先生が準備室のドアノブに手を掛けていた。


「多野くん、田丸さんから連絡はあった?」

「いえ、まだ連絡はありません」

「そっか。じゃあ、いつも通りお昼食べながら待ってようか」


 ニッコリ笑った露木先生に続いて中に入り、いつも通りの椅子に座って息を吐く。

 合格発表は一二時、もうその発表の時間は過ぎている。

 もしかしたら、ダメだったのかもしれない。


 大学入試は受かる人も居れば受からない人も居る。俺の高校受験の時もそうだった。

 受験に落ちたら、大体の人が「受験に失敗した」と言う。でも、一度受験に不合格だったからと言って、その人の全てが決まるわけじゃない。

 栞姉ちゃんなら、どの大学に行っても一生懸命勉強するし失敗なんてことにはならない。

 でも、それでも……栞姉ちゃんには、栞姉ちゃんが本当に行きたい大学に行ってほしい。


「電話だ!」


 ポケットに入れたスマートフォンが震えて、俺は思わず立ち上がって慌てて電話に出る。


「もしもし?」

『カズくん』

「栞姉ちゃん」

『あったよ』

「おめでとう! 栞姉ちゃんが一生懸命頑張ったからだ!」


 栞姉ちゃんに話しながら、凛恋達に手でオッケーサインを出すと、凛恋と希さんが手を取り合って喜び、露木先生は笑顔で俺に一度深く頷いてくれた。


「凛恋達も喜んでくれてる。爺ちゃん達には?」

『これから電話する。……カズくんに一番に知らせたくて』

「ありがとう」

『カズくん、入試前からずっと心配してくれてたから。ありがとう、合格出来たのはカズくんのお陰だよ』

「受かったのは栞姉ちゃんが頑張ったからだ」


 立ち上がっていた俺は椅子にゆっくり腰を下ろす。

 体がふわふわして、油断したら今にも椅子から転げ落ちそうな感覚に襲われる。

 その感覚に負けないように、床に置いた足に意識を集中させて体のバランスを保った。


『じゃあ、今からお爺さんに電話するから』

「分かった。とにかくおめでとう。今日は栞姉ちゃんの合格祝いをしよう」

『ありがとう。カズくんは勉強頑張ってね』


 栞姉ちゃんと電話を終えると、凛恋が俺の近くに椅子を寄せる。


「凡人、良かったね!」

「ああ、ホッとした~」


 机の上に体を寝そべらせて息を吐くと、凛恋が隣から背中を撫でてくれる。


「多野くん良かったね」

「ありがとうございます。これで安心して昼ご飯が食べられますよ」


 ホッと安心していると凛恋が横から弁当を出してくれる。


「ありがとう、凛恋」

「ううん! 田丸さんも無事合格したし、これで一安心だね」


 栞姉ちゃんの大学入試が、俺だけではなく多野家全体の心配事だった。

 もちろん、爺ちゃんも婆ちゃんも栞姉ちゃんが受かるとは信じていた。だが、やっぱり結果を聞くまでは安心出来ない。


 今日は栞姉ちゃんの合格祝いで夕飯も豪華になりそうだし、爺ちゃんも羽目を外して飲んでしまいそうだ。酔った爺ちゃんはいつも以上に説教臭くなるが、まあ今日くらいは爺ちゃんの説教に付き合ってやっても良い。気分が良い俺は、そんなことを思った。


「いただきます!」


 凛恋の作ってくれた弁当を開けて、早速凛恋の手作り唐揚げを頬張る。

 冷めてもサクサクしていて脂がしつこくない。それに、気持ちがすっきりしているせいか、ただでも美味しい凛恋の弁当がいつも以上に美味しく感じる。


「うちでも進路指導部の先生達がそわそわしてたよ」

「先生達にとっては、大学の合格率は気になりますよね」

「うん、特にうちは私立高校だし、合格率が低いと進学校だってアピールし辛くなっちゃうからね」


 露木先生と希さんが笑顔を浮かべながら真面目な話をする。それを、聞いていた凛恋が俺の方を見て首を傾げた。


「凡人」

「ん?」

「やっぱり合格率って重要なの?」

「合格率が低いと、来年になってうちの高校を受験する中三が減るからな。公立高校も影響がないわけじゃないけど、入学金とか月の学費で学校を運営してる刻雨みたいな私立高校は死活問題だ。うちは特に部活に力を入れてるわけじゃないから、合格率が落ちると受験生にアピールすることがなくなる」


 凛恋と話していると、正面に見える露木先生が少し困った顔をしていて、準備室には俺達四人しか居ないのに声のトーンを落とした。


「あまり口外しないでほしいんだけど、来年度の入学希望者がかなり減っちゃったみたいなの。だから、特に今年の大学合格率にはかなり気にしちゃうみたいで」


 入学者希望者が減った。それを聞いて、俺は仕方ないと思った。


 今年度の刻雨高校は色んな意味で、いや……世間的に悪い意味で目立ってしまった。

 元生徒である内笠の事件はもちろん、俺の退学要求問題。他にも、女子更衣室に侵入して停学になった一年も居た。


 内笠の事件と女子更衣室に侵入した事件は刑事事件になって、司法的な処罰をそれぞれ受けている。

 そして俺の問題は、片方の立場からは詐欺師の息子が通っている学校と捉えられるし、もう片方の立場からは罪の無い生徒を学校の利益のために退学させようとしたと捉えられる問題だった。

 どっちにしても、イメージの良くなる問題じゃない。


 悪い意味で名前が売れてしまった刻雨高校は、受験先を考える受験生としても、受験生を持つ保護者としても避けようとする人達が多かったはずだ。

 だから、そもそもの入試受験者が減ってしまった。


 内笠と女子更衣室侵入をした一年の件は、正直学校側に運がなかったと俺は思う。

 内笠は元生徒だったが、実際に現役教師の露木先生と在校生の萌夏さんを標的にされた。刻雨高校という名前の出方も、決して刻雨高校を批判するためではない。でも、悪質な事件と一緒に聞けば学校のイメージは悪くなる。


 女子更衣室への侵入事件も、一五~一六歳で未成年と言っても、高一にもなれば善悪の判断は出来る年齢だ。

 たとえ、それが社会的に悪であるとしても、本人が許容出来ることだと、やっても良いことだと判断してしまったらやってしまう。

 それは、学校側の監督責任と言うよりも、そう判断した生徒本人の責任だし、そう判断させるように育てた保護者の責任でもある。

 だから、それも事件が起きたのが学校内で、生徒だったからイメージが悪くなった。


 ただ、俺の問題は学校側、特に理事長側に問題があったとしか言いようがない。


 きっと俺の意見を聞けば、自分が被害を受けた問題だから非難するのだと言われるのかも知れない。でも、そうだとしても、理事長の責任は重いと思う。

 俺の母親は確かに詐欺師だ。警察に捕まったし、刑も確定して服役中だ。それは紛れもない事実だし、その件を「お前の母親は犯罪者だ」と言われても、俺は否定出来ない。

 でも、それで俺を学校から辞めさせようとしたのは不当だった。

 いくら、保護者の九割が俺の退学に賛成していたとしてもだ。


 結果的に、露木先生を始めとして、俺のことを助けようとしてくれた人達のお陰で俺の退学要求はなくなった。

 でも、それで全国的に広く、刻雨高校が利益のために生徒を切り捨てるような学校だと知れ渡ってしまった。だが、それで損なわれた刻雨高校のイメージは、理事長の自業自得だとしか思えない。

 寄付金という目先の利益に目が眩んだ結果、後々の入学者減少という不利益を予測出来なかったのだ。


「でも、今年じゃなくて来年が進路指導の先生達としては勝負みたい。なんて言ったって、赤城さんと多野くん、筑摩さんが居るからね」

「希と凡人と筑摩は頭良いですからね」

「うん。特に赤城さんは旺峰大学志望だからね。それに、赤城さんの成績なら問題ないし」

「でも、凡人くんの塔成大学は名前を知らない人は居ない名門大学ですし、筑摩さんのノーブリリー女学院大学も歴史ある名門女子校ですよ」

「うちの高校からその三校に同学年から合格者が出たことがないみたいなの。去年、旺峰には受かった子が居たけど、それでも同学年から名門校に合格したのはその一人だけだったから、やっぱり多野くん達の代は期待大みたいだよ。今でも時々、多野くんに塔成大学じゃなくて旺峰に志望を変えるように説得してって言われるし」


 そう言った露木先生は、渋い顔をしながら箸で卵焼きを摘まむ。


「より良い大学の合格者を増やしたいって気持ちは分かるけど、やっぱり生徒の志望を無理矢理変えさせるのはどうかと思うの。だから、いつも断ってるんだけど……」

「志望校は変えるつもりはありませんからね」

「そうだよね~、旺峰だと成華女子から離れちゃうからね~」


 露木先生がニヤァーっと、からかうように俺を見ながら言う。それを見て、凛恋が真っ赤な顔で俯く。


「凛恋が志望してる成華女子と俺の志望してる塔成が近いのはたまたまですよ」


 俺が露木先生にそう切り返すと、希さんがクスッと笑った。


「そういえば、赤城さんの彼氏さん……喜川くん、だっけ? 彼はどこを志望してるの?」

「栄次は西都(せいと)大学です」

「そっか。じゃあ、卒業後は遠距離になっちゃうね」


 希さんが志望している旺峰と栄次の志望している西都は、学校がある場所がかなり離れている。

 旺峰は塔成、成華女子とも近いから、必然的に栄次は俺と凛恋とも離れてしまうことになる。


「栄次は外科医になるのがずっと夢で、自分の実力で行ける出来るだけレベルの高い医学部を考えたら西都大学になりました」

「赤城さんは全然遠距離は気にしてなさそうだね」

「はい。私は、栄次と遠距離でもやっていく自信がありますから」


 ニコッと笑う希さんに、露木先生は優しく温かく微笑む。そして、視線を少し上に向けて小さなため息と共に声を漏らした。


「そうなんだよね~。もうみんなともあと一年しか一緒に居られないのか~」

「卒業しても休みの時には会いに来ます! それに、連絡だって取れますし!」

「そうですよ! 失礼かもしれませんけど、露木先生は凄く仲の良い友達みたいで卒業したらそれっきりにしたくないです!」

「八戸さん……赤城さん……。うん! ありがとう!」


 少し目を潤ませた露木先生が明るい声でそう言い、気持ち自分の椅子を凛恋と希さんに近付けた。

 弁当を食べ終えた俺は、楽しくおしゃべりをしている三人を見ながら、ふと立ち上がって準備室の窓に近付いた。


 窓から差し込む日光に目を細めながら外の景色を見ていると、窓の視界からギリギリ見える校門から、黒塗りのセダンが三台入ってくるのが見えた。

 綺麗に磨き上げられたボディーから高級車だというのが分かる。

 それに、三台のセダンが全て同じ車種であることから、そのセダンに乗っている人達が同じ集団の人達が乗っているのだというののも分かる。

 ただ、その集団の正体は分からない。


「ん?」


 セダン車が続けて三台入ってくるということでも珍しいのに、その後からは二台のワンボックスカーが入って来た。

 それは珍しいを通り越して異常だ。


「凡人どうしたの?」

「変な車が何台も入ってくる」

「「「変な車?」」」


 凛恋、希さん、露木先生が同時に立ち上がり窓際に近付いてくる。

 俺は三人に窓際を譲り、後ろから三人の様子を見た。


「スーツを着た男の人達が出てきた」

「雰囲気は役所の人みたい」


 凛恋と希さんが窓の外を見ながらそう話す。俺からは見えないが、スーツ姿の男性が数人出てきているらしい。

 セダン車とワンボックスカーという組み合わせだと、テレビドラマである警察検察の家宅捜索を連想させる。


「みんなごめんね。ちょっと様子を見て来ても良い?」

「分かりました。ちょっと異様な雰囲気ですしね」


 椅子から立ち上がって俺達は準備室を出る。そして、準備室の施錠をした露木先生は足早に職員室の方に歩いて行った。

 それを見送った俺は、腕を組んでさっき見たセダン車とワンボックスカーを改めて頭に浮かべる。しかし、その車が来た理由を考える前に、隣に立つ凛恋が俺の腕を抱いて体を小刻みに震わせている。


「凛恋?」

「さっき来た男の人達が少し雰囲気が怖かったから」


 無言で俺の腕を抱いている凛恋に視線を向けると、反対側から凛恋の背中を擦る希さんが俺に言う。

 車から降りてきた男性は台数から考えるに結構な数になるだろうし、凛恋にはかなり恐怖を感じる光景だったに決まっている。


「凛恋、教室に戻ろう」

「うん……」


 腕を抱いている凛恋の頭を撫でながら、希さんと視線を合わせて両側から凛恋を支えて教室に戻った。

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