【一一四《ほろ苦さに甘みを》】:二
「愛情たっぷり超本気本命チョコ……」
「凛恋?」
「パティシエ目指してる萌夏が、何時間も掛けて何一〇回も試作して失敗して作った、愛情たっぷり超本気本命チョコ……」
「りこぉ~」
怒っているわけではないが若干の嫉妬心を表情と声に滲ませた凛恋を、俺は隣から覗き込む。
ちょっと嫉妬して拗ねている顔も可愛い。しかし、萌夏さんのチョコで俺に付いたペケは一つではなく三つだった。これで合計七つペケが付いていることになる。
「しかもこの後はステラだし……」
「ステラには凛恋も連れてきてくれって言われたんだぞ?」
「バレンタインにわざわざ呼び出して何もないわけないでしょ? ステラのことだから、私がバレンタインのプレゼント。じっくり味わって……とか言い出しそう」
「いや、ステラは結構ストレートにものを言うから、そんな遠回しな表現は使わないんじゃないか?」
「じゃあ、何? ステラが、私とエッ――ンンッ!」
「凛恋! 街中でなんてことを言おうとしてるんだ!」
凛恋の口を押さえて、凛恋の言葉を遮る。
凛恋の言おうとした言葉が悪いわけじゃない。そういう言葉を発している凛恋の声を周りに聞かれたくなかった。
絶対に、一人や二人は必ず凛恋で良からぬ想像をするやつが居る。日本で思想の自由が保障されていると言っても、そういう想像を凛恋でされたくはない。
「はぁ~……ホントもう……なんで凡人はモテるのよぉ~」
「俺はモテな――」
「往生際が悪い! これでモテてないって、どれだけ女の子から好かれればモテるって言えるの?」
「それは~えっと~栄次くらい?」
「さっき希からメールが来たけど、栄次くんが今年貰ったチョコの数は三つ。凡人よりも二つも少ないじゃない」
プクゥっと頬を膨らませる凛恋に返す言葉が無く、俺は困りながらも凛恋と繋いだ手に力を入れて凛恋の体を引き寄せる。
くそっ、小学生の頃はアホみたいにチョコレートを貰ってたくせに、今年に限って少ないなんて何考えてんだ栄次は。
萌夏さんの家を後にした俺と凛恋は、電話でステラに呼び出されていつもの公園に向かっている。
凛恋はステラに対して、かなり警戒心を持っているようだ。別にステラのことを嫌っているわけではないが、強くライバル視しているらしい。
まあ、今は仲良くしていると言っても、凛恋とステラの出会いは決して良いというものでもなかった。
その影響で、ステラが悪い子ではないと理解している凛恋でも、警戒心を抜くことは出来ないようだった。
「俺は凛恋が大好きだ」
「凡人……うん! 私も凡人が大好きっ!」
ギュッと腕を抱く凛恋と一緒に、ステラが待つ公園に入る。すると、いつも通りのベンチの上にちょこんと腰掛けたセーラー服姿のステラが目に入った。
「凛恋、ハッピーバレンタイン」
「ありがとう、ステラ」
ステラが手渡してくれたバレンタインフェアで市販されているラッピングされたチョコレートを凛恋が受け取り、その後にステラが凛恋のよりも大きくてラッピングが豪華なチョコレートを受け取る。
「凡人、愛してる」
「ステラ、ありがとう。でも、俺は凛恋が好きだから」
もう何一〇回繰り返したか分からないやり取りをする。もう、ステラ流の挨拶なのではないかと思えてきたくらいだ。
「本当は手作りにしようとした。それを智恵に話したら、絶対に止めなさいって怒られた」
「そ、そうか」
まあ、ステラがお菓子作りが出来るようには見えない。それに、考え方が独創的だから、お菓子を作ろうとしたらお菓子ではない全く新しい何かが出来そうだ。
食べられる物になるのか食べられない物になるのかは、出来るまで分からないが。
「だから、私はヴァイオリンを弾く」
ステラがベンチから立ち上がり、ヴァイオリンケースからヴァイオリンと弓を取り出す。
「二人とも座って」
ステラに促されて俺と凛恋はベンチに並んで座り、正面に居るステラに視線を向ける。
ヴァイオリンを構えたステラは、優しく弓をヴァイオリンの弦に乗せて手を動かす。
ゆったりとした動きで長く音を伸ばすように奏でる。
相変わらず全く音が濁らないステラの演奏は聞いていて気持ちが良い。
周囲は薄暗くなった夜の公園。でも、俺と凛恋、そしてステラが今居る空間は、穏やかで、頭の中に浮かぶ景色は日の光が降り注ぐ昼下がりの公園だった。
ポカポカと暖かい公園を、中型犬を連れて散歩をする男性、ベビーカーを押して赤ちゃんと一緒に散歩を楽しんでいる女性。
隣で相変わらずの無表情のままスタスタ歩くステラ。
それから、笑いながら走り出して俺達を振り返って手を振る凛恋。そんな、安らかな日常が頭の中に浮かぶ。
「やっぱり、ステラのヴァイオリン、綺麗……」
演奏が終わると、凛恋がそう小さな声で呟く。そして、演奏を終えたステラは俺を見て無表情で口を開いた。
「ヨハネス・ブラームス作曲。ワルツ集、作品番号三九、第一五番」
「今回は覚えやすそうな名前で良かった」
弾いてくれた曲名を教えてくれたステラに言うと、ステラは構えたヴァイオリンを下ろし、変わらぬ無表情で言う。
「愛のワルツ」
「え?」
「ワルツ集、作品番号三九、第一五番は愛のワルツとも呼ばれてる。だから、凡人に聴いてほしかった」
そう言ったステラの言葉の後、隣に居る凛恋がぼそりと「ペケ、一〇」と言うのが聞こえた。
見慣れた下町風景の中に、まだ見慣れない真新しい二階建ての一軒家。落ち着いた色合いで和の雰囲気があるが古臭くはない。
最近流行っているという、和風モダン建築のその一軒家は、俺の新しい家だ。
その新しい家の玄関に近付いてドアを開けると、奥に見える居間と廊下を隔てるドアを開けて栞姉ちゃんが出て来た。
「おかえりカズくん。八戸さんはいらっしゃい」
「ただいま栞姉ちゃん」
「お邪魔します」
凛恋が廊下に上がるのを見ると、俺は栞姉ちゃんに尋ねる。
「栞姉ちゃん晩ご飯は?」
「先に食べたよ。これからまた勉強しないと」
「あまり頑張り過ぎないようにして」
「ありがとう」
栞姉ちゃんが階段を上って二階に行く。それを見送ると凛恋が俺を見て手を引く。
「さっ、冷蔵庫の中身確認して晩ご飯にするわよ」
「凛恋、爺ちゃんから出前――」
「何言ってるのよ。大好きな彼氏に手料理作れる機会を無駄に出来るわけないじゃん!」
手を引いて凛恋が俺を引っ張っていく。
この家に引っ越してくる日、凛恋は引っ越しの手伝いに来てくれた。
その時に、婆ちゃんから台所周りを手伝わされた凛恋は、前の家と同じように俺より俺の家の台所に詳しい。
「凡人は何か食べたい物ある?」
「凛恋のオムライスが食べたいな」
「オムライスかー。材料は揃ってるけどなー」
凛恋が冷蔵庫を見ながら首を傾げる。しかし、チラッと俺を見てニヤリと笑う。どうやら、俺をからかう気らしい。
「材料は揃ってるけど作れないのか?」
「凡人が抱きしめてチューしてくれたら作れるかも」
いたずらっぽく笑う凛恋の腰を抱き寄せると、凛恋が不思議そうな顔を作って首を傾げる。
「凡人? どーしたの?」
凛恋の頬を撫でながら凛恋の綺麗な髪を後ろに流す。そして、ゆっくりと凛恋の口を上から塞ぐ。
唇が重なると、凛恋は一切受け身になろうとはせずに下からすくい上げるようにキスをする。
凛恋のキスはくせになる。一度凛恋のキスを知ってしまったら、誘われなくたってキスしたくなる。
凛恋のキスは優しくて甘くて、そして心地良い。
「ありがとう凡人。じゃあオムライス作るね」
「まだダメだ」
「えっ――ンンッ!?」
一度キスを離したら凛恋はキスを終わる気だったが、俺はただの息継ぎだとしか思っていなかった。
再び唇を重ね、腰に回していた手を凛恋の太腿に触れさせる。
「んんっ……んっ……」
キスをしながら目を瞑っている凛恋が、くすぐったそうに声を漏らす。
今週末は凛恋が俺の家に泊まる。それは朝から分かっていた。だから、朝からずっと凛恋とこうやって抱き合いキスしたかった。
「イタっ!」
太腿に触れていた手の甲を凛恋に摘ままれる。
「こら、スカートの中に手を入れない」
唇を離した凛恋が唇を尖らせて言う。
「とりあえずご飯が先よ。それからお風呂にも入らないといけないんだから」
凛恋が背中を向けてエプロンをつけて料理の準備を始める。その凛恋の隣に並び、赤くなった凛恋の横顔をずっと眺めていた。
風呂から上がり凛恋と並んで廊下を歩いていると、凛恋が俺のシャツの襟を掴んで鼻と口を覆う。そして大きく息を吸った後に、シャツから鼻と口を出して息を吐いた。
「あー、最高! 凡人の匂いに包まれてる~」
俺の部屋は一階にあり、本来なら凛恋は二階の部屋に泊まる想定にこの家は作られている。しかし、爺ちゃんが居ない今は、凛恋と別々の部屋なんてあり得ない。
凛恋が俺の部屋のドアを開けて中に入る。その後に付いて中に入ると、凛恋がドアをゆっくり閉じて内鍵を掛ける。
「凛――」
凛恋に声を掛けようとしたら、俺はいきなりベッドへ突き飛ばされた。
「いてて……凛恋いきなりどう――」
ベッドの上に起き上がって凛恋に視線を向けると、エアコンのリモコンを操作してテーブルの上に置いた凛恋が、おもむろに着ていたシャツの裾を掴んで脱ぎ始める。
下に穿いていたズボンも脱いだ凛恋は、淡い水色の下着姿のまま俺に近付いてくる。
「色んな女の子にチョコ貰ってた」
「友チョ――」
「萌夏のは愛情たっぷり超本気本命チョコだった。それにステラは気持ちの籠もった演奏のプレゼントだった」
ベッドに載ってきた凛恋は口をキュッと結んで、うるうると瞳を潤ませる。
「凛恋、妬いてくれてる?」
「チョー妬いてる……」
「可愛いし嬉しい」
俺が凛恋の頭を撫でて言うと、凛恋が俺の体にもたれ掛かるように覆い被さる。
「でも、凡人は私のだから、私が独り占めするから」
ゆっくり凛恋の唇が上から重なる。俺はそのキスを受け止めて、ゆっくりと凛恋の背中に手を伸ばした。
「凡人っ……凡人っ……」
凛恋を布団の中に引き込み、上から覆い被さって頬にキスをする。右手で凛恋の左手を握り、左手は凛恋の胸に重ねた。
「可愛いよ、凛恋。凄く可愛い」
「一番?」
「世界で一番可愛い」
「嬉しい……」
凛恋が目から雫を溢す。その涙を頬で拭いながら、しっかりと凛恋の体を抱きしめる。涙の理由は今は聞かない。今はただ、言葉と行動で凛恋に自分の気持ちを伝える。
どれだけ凛恋が好きか、どれだけ凛恋が可愛いか、どれだけ凛恋を独り占めしたいか。
「好きだ。凛恋のことが大好きだ。可愛い。凄く魅力的で綺麗だ。凛恋は俺だけの凛恋だ。俺が凛恋を独り占めする」
「かずとっ……私も……私もっ……」
凛恋にピッタリ体を重ねると、凛恋が俺の背中に爪を立てながら必死にしがみつく。
爪を立てられることは痛みを伴った。でも、凛恋に引き寄せられることには幸せを感じた。
傷付けられることも、凛恋に傷付けられるなら心地良く思えた。
凛恋を独り占めしたい、凛恋を俺だけのものにしたい。そういう独占欲が湧く。
だけどそれと同時に、凛恋に独り占めされたい凛恋だけのものになりたいという、被独占欲が湧く。
ずっと凛恋の一番で居たい。凛恋が真っ先にすがる相手でありたい。凛恋が自然に求める唯一の男でありたい。
ずっとずっと、凛恋の一番で居たい。
服を着た凛恋がベッドから出て、鞄から箱を二つ取り出す。そしてベッドに戻って来て、左手に持った箱を俺に差し出した。
「凡人、バレンタインのチョコレート」
「ありがとう凛恋。これって手作り?」
「もちろん手作り」
「凄く嬉しい」
凛恋から貰ったチョコレートの箱を眺めて顔が緩む。やっぱり、彼女から貰うチョコレートは特別嬉しい。
「凡人、これも」
「えっ? これは?」
凛恋が右手に持っていた箱を両手で差し出す。その箱は、さっきもらった箱よりも大きい。
「…………チョコレート」
「凛恋?」
俺にチョコレートを差し出している凛恋の両手は震えていた。さっきの涙と関係しているのは何となく分かった。
「去年、渡してないから……」
「凛恋……」
去年の今頃、俺と凛恋は別れていた。理由は、俺が凛恋のことを信じ切れなかったから。ただその一つだけ。凛恋は何も悪くない。
「凡人と付き合って初めてのバレンタインだったのに……」
「今年、去年の分も貰った。それで良いだろ?」
凛恋の頭を右手で撫でながら、凛恋の体を左手で引き寄せる。
「泣いてたのは、それが理由か?」
「うん……」
「俺がそういうこと気にするわけないだろ?」
「…………別れてた過去を消したいの」
凛恋がポロポロと涙を流しながら、俺の服の胸元を掴んですがり付く。
「勝手なこと言ってるのは分かってるの! 私がそんなこと言っちゃいけないのも分かってる……でも、凡人と少しでも別れてたなんて……辛くて……考えたくなくて……忘れたくて……。ごめんね……勝手なこと言って……」
別れていた過去を消したい。その凛恋の望みを叶えることは出来ない。
それと同時に、悔しくて堪らなかった。そして、俺に過去を変える力があればなんて、あり得ない願望を抱く。
過去を消すなんて出来ない。でも、それが出来ないことで、俺は凛恋を悲しませ続けている。
「凛恋は俺と別れる時、俺のことを好きで居てくれたんだろ?」
「好きだった! 一日だって凡人のことを考えなかったことなんてない!」
「じゃあ、心はずっと一緒だった。俺だって、凛恋のことを好きだった。その気持ちからは目を背けてしまったけど……凛恋のことをずっと好きだった。だから、お互いに好きだったんだ。別れてるって言葉で言っても、気持ちは別れてなかったんだ」
ただの言い訳で、ただ過去を誤魔化すだけの屁理屈だって分かってる。でも、そんな頼りないことしか俺には出来ない。
出来ないけど……頼りなくても惨めでも、凛恋の悲しみだけは消したかった。
「凡人……ありがとう……。うん、気持ちはずっと一緒だったよね」
「凛恋、布団の中に入って」
「うん」
凛恋と一緒に布団の中に潜り込み、凛恋の体を必死に抱き寄せる。
布団の中で凛恋が小さく息を吐きながら俺の頬にキスをする。そして、寄り添うように俺の体に手を回して体を落ち着かせる。
「凡人に相談すると何でも解決してくれる」
「俺は何でも解決なんて出来ない」
「出来るの。凡人は私の王子様でナイト様で、私のヒーローで、私の最高の彼氏なんだから」
「褒められて嬉しいけど、照れるな」
「照れてる凡人も可愛い」
凛恋が俺の頭を撫でて、俺の頬に手を添える。
「そうだ! 凡人、こっちの箱開けて!」
「ああ」
凛恋が勧めた方の箱の包装を解き箱を開けると、小粒に作られた角切りのチョコレートが沢山並んでいた。
「一つは生チョコを作ったの」
「美味しそうだな」
生チョコの粒を見下ろしていると、起き上がった凛恋が一粒手に取って自分の唇に挟む。そして、そのまま口を俺の方に突き出す。
俺を見つめる凛恋の瞳に魅入られて、俺はゆっくり凛恋の唇に自分の唇を重ねる。
抱き合い、一粒の生チョコをじっくりと時間を掛けて二人で分け合う。そして、唇を離すと、上気した凛恋の顔が見える。
「スキー場で遭難した夜に飴とチョコを二人で食べたじゃん? ……あれ、チョー気持ち良くて……もう一回したかったの」
「もう一回だけで良いのか?」
凛恋のシャツを捲り上げながら尋ねると、凛恋は俺の服に手を伸ばし上目遣いで口にする。
「もう二回……ううん、あと三回…………やっぱりダメ。いっぱいしよ?」
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