【一一四《ほろ苦さに甘みを》】:一
【ほろ苦さに甘みを】
学校全体がザワザワしている。ただ、主にザワザワしているのは男子だ。
靴箱を開けた男子が念入りに中をチェックする様子が見え、その男子が落胆したようにため息を吐くのも見えた。
人の流れに乗って教室まで行くと、今度はいつもは時間ギリギリに登校する男子達が珍しくもう登校していて、自分の机の中を確認し靴箱で見た男子と同じため息をそれぞれ漏らす。
今日は曜日で言えば金曜日。
しかし、日付で言えば二月一四日。二月一四日と言えばバレンタインデーだ。
凛恋のことだから、朝一で渡してくるわけはない。
放課後、凛恋の家に行った時にくれるだろう。
凛恋の手作りチョコレート。期待するなという方が無理な話だ。
「おはよう、凡人くん」
「おはよう筑摩さん」
席に座っていると、筑摩さんが右手を振って歩いてくる。そして、背中に回していた左手を前に出した。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
ニコッと笑う筑摩さんから両手で差し出された、綺麗にラッピングされた箱を受け取る。
「ペケ、一」
隣から凛恋のその声が聞こえて、俺は凛恋に苦笑いを浮かべる。
「八戸さん、友チョコだから許してね」
「良いわよ、友チョコくらい」
筑摩さんに凛恋が答えるが、チョコレートくらいと言う割には棘がある。
「八戸さんがそんなに怖い顔してると、凡人くんが貰えるチョコレートの数が減っちゃいそうだね」
「凡人にはそんなにチョコレート必要ないし」
「男の子はチョコレートの数で競うんじゃないの?」
筑摩さんが首を傾げるが、俺は真っ直ぐ視線を返す。
「競う相手が居ないからな」
「小学校の頃は喜川くんが大人気だったからね」
「栄次……今年も貰うのかな……」
筑摩さんの言葉に、希さんが元気のない声を出す。
栄次はモテるから、彼女が居るとしてもチョコレートの一つや二つは貰うだろう。
「まあ、一〇〇個貰おうが二〇〇個貰おうが同じだろ。栄次には希さんが居るんだし」
何個貰おうが栄次は希さんが好きだ。それは変わらない。
「そうだね。ありがとう凡人くん」
希さんがニコニコっと笑って、鞄から小さな箱を三つ取り出す。
「はい、三人にチョコレート」
「ありがとう、赤城さん」
「希ありがと!」
「ありがとう、希さん」
俺達三人は希さんからチョコレートを貰う。
俺が筑摩さんと希さんから貰った箱を机の上に置くと、それを見た凛恋がジーッと二つの箱を見た後に俺に視線を向ける。
「ペケ、二」
「筑摩さんも希さんも友チョコだろ……」
「ダメ。ペケ、二」
二人にチョコレートを貰ったのは有り難い。それにペケを付けられても、ペケの消費方法は酷いものではないから良い。
むしろ、俺にとってご褒美であることの方が多い。
世の中には、男子が女子に何かをプレゼントする行事なんて聞いたことはない。でも、もしそんな行事があったら、凛恋は沢山の男からプレゼントを貰うだろう。
更に、プレゼントを口実にして告白してくる輩が居ないとも限らない。いや、確実に居るに決まっている。
そう考えると、男の俺は心配する行事がなくて安心出来る。もちろん、告白の口実になるイベントがないから、完全に安心出来るわけでもない。凛恋には、いつだって告白されるだけの魅力がある。
「みんなおはよ~」
露木先生が教室に入ってきて、教卓の前に立つ。そして、出席を取るために出席簿を取り出すと、クラスのお調子者の男子が手を挙げて立ち上がった。
「露木先生! チョコレートを貰う準備は出来てます!」
「ごめんね。職員はチョコレートは義理チョコでも配ってはいけないってことになってるの」
「「「な、なんだってぇっ!?」」」
クラスの男子複数が同時に驚愕の声を上げる。露木先生からチョコレートが貰えると期待していたようだ。しかし、俺は露木先生はチョコレートを配らなくて正解だったと思う。
先生のように多数の人を相手にする仕事の人は、たとえ義理チョコだとしても配る相手が多い。
そうなると、安い店売りのチョコレートでもかなり高くなる。
それに、誰かにチョコレートを渡して、誰かには渡していないなんて話になれば、差別だと陰で罵られる。
更に言うと、もし露木先生がチョコレートを配っていて、森滝先生が配っていなかったら、「露木先生はくれたのに森滝先生はくれなかった」なんて話になる。
そうなると、「抜け駆け」だとか「点数稼ぎだ」なんてことを言われて、結局嫌な思いをするのは露木先生だ。
だったら、最初から全員で配らないという姿勢に統一していた方がトラブルにならない。
「今年も俺はチョコレート無しか……」
心底凹んだ様子で、お調子者の男子がべったりと机に体をもたれ掛からせる。まあ、落ち込んだ振りをして寝る体勢に入るだけだろうが。
昼休み、昼飯を食べながら露木先生がモグモグと弁当を食べながら俺に視線を向ける。
「多野くんはいくつチョコレートを貰ったの?」
「筑摩さんと希さん、それから溝辺さんから友チョコを」
「良かったね」
「まあ、友チョコは友達内でみんなが配っているチョコレートですし」
筑摩さん、希さん、溝辺さんは友チョコをいつもよく話す仲間内で配り合っていた。
もちろん、凛恋もみんなに友チョコを配った。だから、別に俺だけチョコレートを貰ったわけではない。
「そっか~。じゃあ、四つ目にどうぞ。もちろん、八戸さんと赤城さんにも」
「えっ? 露木先生は配らないんじゃ?」
「毎日お昼を食べてるお昼友達の三人には用意してたの。秘密だよ?」
人さし指を立てて口に当て、露木先生はクスッと笑う。それを見て、凛恋と希さんも小さな箱を露木先生に差し出した。
「私も先生に用意してたんです。いつもありがとうございます」
「いつもありがとうございます」
「八戸さん、赤城さん、ありがとう!」
チョコレートを渡し合う三人を見ていて、俺は露木先生に貰ったチョコレートの箱を見詰めて罪悪感に襲われる。
しかし、男の俺は一ヶ月後のホワイトデーにお返しを渡すという行事もある。その時に渡せば、今タダで貰っても問題ないだろう。
「女の人は大変ですね。一年に一度って言っても」
「私は、職場で渡すっていうのが無いから楽かな。友達の職場だと、女性社員はみんな何かしら用意するところもあるみたいだし」
やっぱり、本当の意味で義理として渡さなければいけない人も居るようだ。それを差別とまでは思わないが、大変だとは思う。
普通の神経をしていれば、バレンタインデーに義理チョコを貰ったら、何かしらお返しはするものだ。
まあ、中には本命以外にはお返しをしない、なんて考え方の人も居るかもしれない。
それでも、大抵の人が貰ったらお返しをする習慣があるだろうから、差別だとか完全に不公平だとは言えない。
だがしかし、クラスの男子のように『先生はチョコレートをくれる』なんて勝手に決め付けられると、先生側としては精神的に辛い。貰えると思っていて貰えなかったらガッカリするものだ。
それを表情に出さない人ばかりなら良いが、そうじゃない人も当然居る。
そうなると、女性は義理チョコはくれて当然だと思われていると女性側が感じてしまう。
「わー! 八戸さんも赤城さんも手作りだ! いただきまーす!」
露木先生が早速凛恋と希さんから貰ったチョコレートを食べる。
「じゃあ俺もいただきます」
「どうぞ食べて食べて」
露木先生から貰ったチョコレートの箱を開けると、中にはコロコロとした小さなトリュフチョコレートが入っていた。
「露木先生、これって手作りですか?」
「そうだよ。手作りチョコでバレンタインなんてやったことなかったし、この機会にやってみようと思って」
「可愛い! いただきます! んっー! 美味しい!」
凛恋が露木先生の手作りチョコを食べて美味しそうに顔を綻ばせる。俺も口に一つトリュフチョコレートを放り込む。
最初にほろ苦い味がした後、中から柔らかくしっとりした甘いチョコレートが顔を出す。
「美味しいです」
「良かった」
嬉しそうに笑う露木先生は、自分が貰ったチョコレートを頬張り表情を綻ばせた。
放課後、俺と凛恋は萌夏さんの実家、純喫茶キリヤマに向かう。
俺と萌夏さんは、萌夏さんの部屋に凛恋を残して店舗の方に歩いて行く。そして、純喫茶キリヤマの厨房スペースに入った。
厨房には滅多に入ることはない。みだりに立ち入って良い場所でない以前に、厨房に来る用事がないからだ。
でも今日は厨房に来てほしいと萌夏さんに言われて付いて来た。
「ごめんね。やっぱり、凛恋の前では渡し辛くて」
「萌夏さん」
厨房に入ると、萌夏さんは業務用の冷蔵庫から綺麗にラッピングされた箱を両手に持って戻って来て、その箱を俺に差し出した。
「でも、ちゃんと凛恋には言ったから。凡人くんにチョコレートを渡させてって。これ、義理じゃないから」
「……ありがとう。萌夏さんの気持ちには応えられないけど、貰っても良いか?」
「貰って貰って。結構作るの頑張ったんだから」
差し出された箱を受け取ると、萌夏さんはニコッと笑って両手を伸ばす。
「チョコレート作ってる時、これを渡したらすっぱり諦められるかなって思ったんだ。もちろん、気持ちを叶えようとも思ってなかった。実際、私は振られてるからさ。でもね~、こんなに人を好きになったの初めてなの。元彼の前に好きになった人も付き合った人も居た。でも、その誰よりも凡人くんが好き。無理矢理切り捨てられるような軽々しい気持ちじゃなかった」
萌夏さんは爽やかに笑いながら、体の前で両手を組む。
「凡人くん、大変みたいだね。凛恋にバツ付けられてるんだって?」
「凛恋の言葉で言えばペケだな。今のところ、四つペケが付いてる」
「ってことは、四人からチョコ貰ったんだ。凡人くん、ちょっとモテ過ぎじゃない?」
「モテるって、みんな友チョコとか義理チョコだ」
「じゃあ、正確なペケは一つになりそうだね。私のは超本気本命チョコだし」
クスクス笑う萌夏さんは、冷蔵庫からトレイを出す。そのトレイの上には、綺麗なデコレーションがされたチョコレートが沢山載っていた。
「バレンタインの特別メニュー?」
「違う違う。全部私が作った失敗作」
「失敗作?」
トレイの上にあるのは、お洒落な洋菓子店のショーケースに陳列されているようなチョコレート達だ。失敗作には全く見えない。
「ちょっと形が崩れちゃったり、デコレーションにミスがあったりしたやつ。食べるのは問題ないから、凛恋と食べようと思って」
「俺も食べて良いのか?」
「それはダメ」
「えっ……」
予想外の答えに困惑していると、目の前の萌夏さんが頬を赤くして視線を逸らす。
「だって、失敗作を食べさせたら、何度も作り直した意味ないじゃん」
「分かった。じゃあ、俺は帰ってからの楽しみにする」
手に持った箱に視線を向け、萌夏さんの持ったトレイに載ったチョコレート達に向ける。トレイの上には沢山チョコレートが載っている。でも、その数だけ失敗があったということだ。
そして、その沢山の失敗を乗り越えて出来上がった完成品が俺の手の中にある。
萌夏さんは沢山時間を掛けてチョコレート作りをしてくれた。だから、その気持ちもちゃんと受け取って大切に味わうべきだ。
気持ちには応えられなくても、気持ちを感じることは出来る。
「さ、戻ろ。早く戻らないと凛恋のペケが増えちゃいそうだし」
「萌夏さん、それとなく凛恋に――」
「ちゃんと、凛恋には愛情たっぷり超本気本命チョコを渡したって言っておくから」
トレイを持って歩き出す萌夏さんが楽しそうに笑いながら言う。
俺はその後ろを、苦笑いと楽しい笑いが混ざった複雑な笑いを浮かべて付いていった。
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