【一一三《歩き疲れても》】:二

 二日目が始まって最初かつ最大の難関、山越えを始めてしばらく山道を登った時、露木先生が足を止める。


「みんな、先に行ってて」

「じゃあ、休憩しよっか」

「そうね。私も足休めたいし!」


 凛恋が休憩を提案し萌夏さんが同意して、みんなが休憩しようとする。しかし、露木先生は首を振ってみんなを見る。


「私のことは――」

「置いていきませんよ。時間に余裕はありますし、急ぐ必要なんてありませんからね」


 露木先生の目を見て俺が言うと、露木先生は視線を逸らす。どうやら、露木先生は心が折れてしまったらしい。

 今日も昨日に引き続いて空は快晴。山道には木の陰があると言っても、空から降り注ぐ日光のせいで気温も高い。

 この状態では、誰だって体力の消耗が激しいに決まっている。

 その限界が来たのが、たまたま露木先生が俺達より先だっただけのことだ。でもそれは、露木先生にとっては不甲斐なさを感じてしまうことらしい。


「露木先生、はい」

「えっ?」

「余ってたクッキーです。甘い物を食べたら元気が出ますから」

「八戸さん……ありがとう」


 凛恋が作ったクッキーは昨日、昼休憩中に食べた。その余りがあったらしい。


「露木先生、お茶はありますか?」

「ありがとう、赤城さん。まだ残ってるから大丈夫」


 希さんが露木先生の隣に座って覗き込む。そして、希さんらしい優しい笑顔を露木先生に向けた。


「露木先生、凡人くんは絶対にみんなで一緒にゴールさせますよ。去年は私を背負ってまでゴールしてくれたんですから。それに、ここまでみんなで一緒に来たんです。私達も露木先生と一緒にゴールしたいです」

「希の言う通りですよ。それに、丁度私も休憩したかったんです。今年は太陽出てて暑いですし」


 萌夏さんが手で自分を扇ぎながら、木の隙間から見える空を見上げる。


「みんな……ごめんね。先生なのに頼りなくて……」

「先生は頼りなくないですよ。先生はいつだって私達生徒を守ってくれます」


 凛恋がニコッと笑って露木先生を励ます。

 凛恋がストーカー被害で傷付いている時も、希さんの上履きが壊された時も、萌夏さんが内笠に脅されていた時も、そして俺が学校を辞めさせられるかもしれなかった時も、露木先生は守ってくれた。

 生徒である俺達の一番近くに寄り添ってくれていた。


「ここに居るみんな、露木先生のことが大好きですよ。それにみんな、露木先生と一緒に居たいんです」

「筑摩さん……」

「それに、ここまで露木先生の荷物を持ってくれた凡人くんのためにも、最後まで頑張りましょう?」

「俺は頑張ってなんていないんだけど」

「ごめんね、多野くんも辛いのに」

「大丈夫ですよ。いつもだらけてる分、体力余ってるんで」

「凡人。それ自慢にならないわよ?」


 凛恋に笑顔で突っ込まれて顔をしかめると、露木先生がプッと吹き出した。


「私も年かな~」

「露木先生、まだ若いじゃないですか」

「二七だよ? もうすぐ三〇になっちゃう」

「まだ三年もあるじゃないですか」


 萌夏さんが明るく話し掛け、露木先生も明るい表情で会話をする。

 それを見ていると、目の前にバタークッキーがチラつく。

 そのバタークッキーは、凛恋が摘んで顔の前でチラつかせていたものだった。


「はい、あーん」


 口を開けて凛恋の手からクッキーを食べると、露木先生が立ち上がって腕を上に伸ばした。


「八戸さんと多野くんにラブラブ具合を見せ付けてもらったら、なんか元気が出てきた!」


 どういう元気のもらい方なのか分からないが、露木先生はニコッと笑って右手を突き上げる。


「残りも頑張ろー!」

「「「おー!」」」


 元気を取り戻した露木先生の掛け声に、相変わらず元気な女子陣が応えて再び歩き出す。

 内心では「まだまだ先は長いんだけどなー」とは思うものの、そんな野暮なことは言わず、俺は山道を登るみんなの後ろをノロノロと付いて歩き出す。


 残りはまだまだある。でも、今年も何とかゴール出来そうな気がする。やっぱり、みんなと一緒に歩いているからだろう。

 来年もまたみんなで歩きたい。俺は、まだ今年の歩こう会も終わっていないのに、そんなことを考えていた。




 歩こう会の翌日。全身筋肉痛の体に鞭を打って、今年も八戸家にやってきた。しかし、今年は去年とは違う。


「凡人! いらっしゃい!」

「…………なんで凛恋は元気なんだよ」


 去年は俺と同じように疲労が溜まっていた凛恋だが、今年は俺を出迎える元気がある。


「今年は帰ってから、念入りにストレッチしたから!」

「俺はストレッチなんてする気も起きなかったぞ……」


 昨日は帰ってから風呂に入って着替えたところまでの記憶しかない。気が付いたら朝で、全身筋肉痛になっていたのだ。


「入って!」

「お邪魔します」


 八戸家に入ると、家の中は静かだった。どうやらお母さんは出掛けているらしい。


「そう言えば、優愛ちゃんはどうだったって?」

「優愛? 一応歩き切ったらしいけど、完全に疲れて今も寝てる」

「そっか。じゃあ、起こさないように気を付けないとな」

「凡人、今日のお昼は私が作るからね」

「凛恋も疲れてるのにありがとう」

「ううん、凡人のためなら全然疲れないから大丈夫!」


 凛恋が腕を組んで、隣から俺の顔を見上げる。


「凡人、昨日の露木先生、凄く嬉しそうだったね」

「ああ、校門潜った瞬間に泣いてみんなと抱き合ってたからな。みんなも泣いてたし」


 昨日は、みんなで揃ってゴール出来て、感動した露木先生が泣き出して大変だった。そして、凛恋を含めた俺以外の全員が貰い泣きしていた。


「凡人も背中向けて、袖で目を擦ってたくせに~」

「…………見てたのか」


 凛恋がニヤーっと俺にからかうような笑みを向ける。


「チョー感動した。やっぱり、みんなで一緒にっていうのが良いわよね。去年も感動したけど、去年の感動とは違う。去年はもう、凡人格好良い! しか頭になかったけど、今年はみんなで歩き切った、やったーっていうのが一番大きかった。もちろん、今年も凡人はチョー格好良かったけど」


 べったりとくっ付く凛恋の体を抱き寄せると、凛恋が嬉しそうにクシャッと笑う。

 凛恋の部屋に入ると、俺は凛恋のベッドの上に倒れ込む。


「あぁ~……」

「ちょっと、寝ないでよ?」

「休むだけだ……」


 ほのかに凛恋の体温が残っていて暖かい布団の中に潜り込むと、凛恋も隣に潜り込んでくる。


「かーずと!」


 ムギュっと抱きしめてくれる凛恋を抱き返すと、凛恋が軽く頬にキスしてくれる。


「凡人、もうすぐ新しいお家建つんでしょ?」

「ああ。今月の末には間に合うって言ってた」

「引っ越し手伝いに行くね」

「ありがとう」


 新しく建て直していた家が、遂に今月完成する。だから、来月にはもう月決め賃貸マンションでの生活とはおさらばだ。

 凛恋は引っ越しを手伝ってくれると言ってくれたが、引っ越しと言っても運ぶ物はほとんど無い。でも、どんな理由でも凛恋と一緒に居られるならそれで良い。


「凡人」

「ん?」

「凡人と一緒に横になってると落ち着く」

「俺も凛恋と一緒に寝てると凄く落ち着く」


 互いに抱きしめ合うと、互いに顔を近付けて唇を重ねる。


「ちょっ……凡人……筋肉痛なんでしょ?」


 布団の中で凛恋の体に触れると、目の前に居る凛恋が顔を赤くして俺を見る。


「目の前にこんなに可愛い彼女が居たら仕方ないだろ?」

「可愛いって言ってくれるのは嬉しいけど、無理してほしくない」

「えぇっ……せっかく痛い体に鞭打って来たのに……」


 凛恋から手を離そうとすると、凛恋がその手を掴んで、俺の体を強く抱き寄せる。


「じゃあ、今日はいっぱい私が頑張る!」


 凛恋の柔らかさに包まれて、俺は優しく唇を重ねる凛恋に全てを委ねた。




 鼻をくすぐる良い香りがして、俺は目を開く。すると、目の前に凛恋の寝顔があった。

 体には適度な疲労感がある。しかし、全身の筋肉痛は和らいでいた。

 凛恋の頭を撫でながら、小さく寝息を立てる凛恋の顔を眺める。

 本当に息をするのを忘れてしまうくらい目を奪われてしまう。


 どうやったら、こんなに可愛くて魅力に溢れた女の子が存在出来るのだろうと不思議に思う。

 まさに絵に描いたような美少女。

 凛恋の綺麗な髪を何度かすいてから、きめ細やかな凛恋の頬に触れる。


「本当に可愛いなぁ~……」


 思わず、そう声を漏らしてしまう。


「う……ん……」


 凛恋がくにゃっと顔をしかめた瞬間、慌てて目を閉じて寝たふりをする。


「ふぁ~……寝ちゃった……」


 凛恋がモゾモゾと動いて体の動きを止める。すると、俺の頬を指先でツンツンと突く。


「もー、こんな可愛い寝顔、私にしか見せちゃダメよ~」


 凛恋が俺の頭を撫でてくれて、凛恋の親指が俺の唇をなぞる。


「ほんと、チョー無防備。油断してる凡人にお仕置き!」


 チュッと唇に凛恋の唇が触れる。


「もー、チョー格好良いしチョー可愛いし、凡人ってズルい」


 そっと凛恋が俺を抱きしめて耳元で呟く。


「あーダメ。一回じゃ満足出来ない……。とりあえずお昼まで寝かせて、ご飯食べて休憩したら、またおねだりしよ。…………凡人、起きてるわね?」

「う、うーん……おはよう凛――イデデッ!」

「白々しい演技しないの。いつから起きてたのよ」

「凛恋? どうしたんだ?」

「とぼけても無駄よ。……その……私の太腿に当たってる」

「なっ!? あちゃー」


 布団を捲って、下の方を見て頭を抱える。そしてチラッと凛恋を見ると、凛恋がクスクス笑うのが見えた。


「もー、しょうがないんだから凡人はー」


 ベッドの上に起き上がった凛恋が、俺にパチッとウインクをして言う。


「早めにお昼にしよ。お昼は愛情たっぷりの特製チャーハンで良い?」

「凛恋の特製チャーハンが食べられるなんて幸せだな」


 俺も起き上がった手を伸ばすと、凛恋が頬に軽くキスをして俺の手を握る。


「チャーハンを食べた後には、私をいっぱい幸せにしてね?」

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