【一一三《歩き疲れても》】:一

【歩き疲れても】


 年が明け、新学期が始まり、いつも通りの学校生活が始まったと思ったら、酷いイベントがやってきた。

 地獄の強歩大会、歩こう会だ。


 八〇キロメートルを約三〇時間掛けて歩くという行事。去年の歩こう会はなんとか歩き抜いたが、次の日は全身筋肉痛という悲劇を経験した。

 その歩こう会が今年もやってきて、俺は去年と同じ臨海公園に居るのだが、空を見上げて思う。

 なんでこんな時に快晴なんだろう、と……。


 空には雲一つ無く、綺麗な青空が広がっている。そして、その青空には当然のように眩しい光を地に照り付ける太陽がある。


「凡人、空を見ても曇らないわよ?」

「……曇れ~曇れ~」

「凡人くん、唱えてもダメだよ」


 希さんの呆れた声が聞こえると、強制的に顔を正面に向けられ、視界に凛恋の顔が見える。


「ほら、」


 凛恋に腕を引っ張られ、萌夏さん達と決めた待ち合わせ場所に行く。そこには、一緒に歩こうと話していた人達が集まっていた。


「三人ともやっほー!」

「やっほー!」

「萌夏ちゃん、やっほー」

「おはよう萌夏さん」


 待ち合わせ場所に待っていた萌夏さんが挨拶して、凛恋と希さんは萌夏さんに近付いて行く。


「おはよう、瀬名」

「おはよう、里奈」


 小鳥と溝辺さんが挨拶を交わしている姿を見ていると、その向こうに男子に話し掛けられている筑摩さんが見える。

 筑摩さんは男子に向かって横に首を振っていて、それを見た男子は大きく肩を落として歩き去っていった。


「相変わらず、筑摩はモテるわね」

「この前誘われた時に断ったんだけどね」


 歩いて来た筑摩さんに、溝辺さんが目を細めて言う。それに、筑摩さんは困った表情で乾いた笑みを浮かべた。


「はっきり断るのも優しさよ」

「友達と歩くからごめんねとは言ったんだけど」

「しつこいなら、キモいから話し掛けないで、くらいは言ってもいいんじゃない?」


 溝辺さんと筑摩さんの会話に、萌夏さんが加わる。

 すると、 遠くから露木先生が駆けてくるのが見えた。これで、今回の歩こう会を一緒に歩くメンバーは揃った。


「みんな揃ってるね」

「露木先生、一緒に頑張りましょう!」


 近寄ってきた露木先生と萌夏さんが挨拶すると、一気に露木先生は女子陣に囲まれる。それを遠巻きに見ていた小鳥が、周囲を見渡して俺の腕を突く。


「凡人……周りから見られてる」

「小鳥、視線は無視しろ。このメンツならどうしても視線を集めるに決まってるだろ」


 周りの男子から視線を集めていることに居心地が悪そうな小鳥にそう言いながら、俺は俺達――ではなく、俺達と一緒に歩く女子陣に視線を向けている男子を牽制するように視線を流した。


 凛恋、希さん、萌夏さん、溝辺さん、筑摩さん、そして露木先生。

 元々、凛恋の友達は可愛い人ばかりで男子にモテる人達ばかりだ。だから、周りから視線を集めるのは仕方ない。


「里奈もやっぱり見られてるのかな……」

「そりゃあ、溝辺さんもモテる人だからな」


 不安そうに言った小鳥に答えると、小鳥は視線を下に落として凹んでいる。

 まあ、自分の彼女が他の男に好かれるというのは、慣れるまでは不安に思ってしまうものだ。小鳥もまだ彼女がモテることに慣れていないのかもしれない。


 ただ男子の視線は、凛恋達を見ている視線だけではないのは確かだ。


 モテる女子達の中に居る男二人。俺と小鳥は凛恋と溝辺さんの彼氏という立場がある。だから、この中に居ることは当然なんだが、凛恋と溝辺さんに加えて三人もモテる女子が居て、更に人気者の露木先生も居る。

 周りの男子から羨ましがられるだろうし、そういう立場に居る俺と小鳥は良くは思われないだろう。しかし、それは別に俺や小鳥が悪いわけではない。


 一年の頃はどうだったか分からないが、今は筑摩さんもみんなと仲が良い。

 それに、一時期距離置いていた溝辺さんと凛恋達も今では前以上に仲が良い。そして、露木先生は俺達と昼飯を食べるようになったことをきっかけに、みんなと仲良くなった。


 みんなが一緒に居るのは、みんながみんなと仲が良いからだ。ここに俺と小鳥が居なくたって、みんな一緒に居るに決まっている。


「さあ、みんなで頑張ってゴールしよう!」

「「「おー!」」」


 露木先生が元気いっぱいにニコニコ笑って右手を突き上げる。

 それに女子陣が合わせて、右手を突き上げながら掛け声を発する。そんな露木先生を含めた女子陣を見て、どんな時でも女子という生き物は元気だなと思った。




 スタートしてから数時間、一日目の最終目的地である山のふもとの総合運動公園まであと少しというところまで来た。

 ここまで歩いて来たのだから当然、みんな一日目の疲労が溜まっている。その中でも特に疲労が溜まっているように見えるのは、露木先生だった。

 歩き始めの元気は見る影もなく、完全に下を向いてトボトボと重い歩調で歩いている。


「多野くん……ごめんね……」

「謝る必要なんてありませんよ。あと一息ですから頑張りましょう」

「うん……」


 露木先生の荷物を代わりに持っている俺は、心底落ち込んでいる露木先生を見て、何だか可愛い人だなと思った。

 露木先生は最初から本当に楽しそうで、女子陣と和気あいあい話していた。

 それこそ、もう一度高校時代を楽しもうとしているように。それで張り切りすぎて、後半の方に元気切れを起こしてしまったのだ。


 やっと見えてきた総合運動公園に入り、女子陣を休憩させて小鳥と一緒に夕食を取りに行く。


「露木先生落ち込んでたね」

「露木先生は責任感が強いからな。教師の自分が生徒より疲れて荷物持たせてることが情けないとか思ってるんだろうな。別に情けなくはないんだけどな。疲れるのは生徒だろうが教師だろうが関係ないし」

「大人のプライドがあるんだよ」


 小鳥と一緒に全員分の夕食を数回に分けて取ってきて、俺は自分の分のカレーを持って地面にあぐらを掻く。

 流石に疲れがあるせいで、カレーを食べている間は会話もない。

 俺の隣に座る凛恋は、ピッタリ俺の側に寄り添いながらカレーをモグモグと食べている。疲れが表情に出ている凛恋は、アンニュイな雰囲気で色気を感じる。


「かずとぉ~……疲れたぁ~」

「今夜ゆっくり休んで、明日の山越えに備えないとな」


 凛恋はペットボトルからお茶を飲んで小さくあくびをする。それを横から見て微笑むと、凛恋の隣に居る萌夏さんと目が合った。その瞬間、萌夏さんがニタァーと笑う。


「片付けは私達がやるから、凡人くんと小鳥くんは休んでて」

「そうね、カレー食べて体力回復したし」


 萌夏さんがそう言って、女子陣が片付けに行ってくれる。残された俺は息を吐いて、ペットボトルを握っている小鳥に視線を向ける。


「小鳥は案外元気そうだな」

「疲れてるよ。でも……」

「溝辺さんに情けないところを見せられないってことか?」

「うん……男らしいところを見せたくて」


 小鳥がグッと気合いを入れる姿を見ると、小鳥には申し訳ないが、男らしいというより微笑ましく見える。でも、彼女に男らしいところを見せたい気持ちは分かる。


「付き合う前、里奈に言ったんだ。鷹島さんに振られたばかりだって。そしたら、良いよ。その子より私のこと好きになってもらうからって言われた」

「男らしいな」


 女子に男らしいと言うのは失礼なのかもしれないが、溝辺さんは「鷹島さんよりも自分に惚れさせる」と言ったのだからかなり男らしい。


「だから、僕も男らしくなりたいなって」

「そうか。でも、焦らずやればいいと思うぞ」


 溝辺さんは多分、小鳥に男らしさは求めていない。でも、自分のために男らしくなろうとしてくれる姿は嬉しいはずだ。


「うん。ありがとう、凡人」


 小鳥はニコッと笑って背伸びをする。


「凡人、ただいまー」

「おかえり凛恋。みんなありがとう」


 片付けをしてくれたみんなにお礼を言うと、みんなは円を作るように座る。


「明日は山越えでしょ? 去年もやったけど、またあの辛い山越えだと思うと……」

「里奈には元気の源が隣に居るでしょ?」

「そうよー。良いでしょー?」


 萌夏さんの煽りに乗って、溝辺さんが小鳥に抱きつく。


「切山」

「はい?」

「少し良いか?」


 その声が聞こえて視線を向けると、三年の男子が萌夏さんを呼び出す。その男子の雰囲気で呼び出しの目的は分かった。


「はい」


 萌夏さんも分かっているのか、素直に立ち上がって三年男子の後について行く。


「あの三年、最後の思い出作りに萌夏へ告白かー」

「でも、切山さんは断るよね」

「絶対に断るわねー。あの三年と萌夏、そんなに仲良くないし」


 萌夏さんが歩いて行った方に視線を向けながら、溝辺さんと筑摩さんが疲れの色が見える声で話す。

 歩こう会は、全校で行う宿泊学習か修学旅行のようなものだ。


 その日の夜には、男子同士、女子同士で会話が盛り上がって好きな人の話にでもなるのだろう。

 そして、そういう話をしたやつは周りから煽られて告白するように仕向けられることも多いらしい。

 それに、単に歩こう会という特別な行事を切っ掛けに勇気を出そうと予め決意している人も居るという。だから、歩こう会の夜に告白をする人は多い。


 今夜、幾つの恋が実り、幾つの恋が散るのだろう。少なくとも、溝辺さん達の見立てでは、萌夏さんを呼び出した男子の恋は散ってしまうようだ。


「あっ……露木先生寝てる」


 希さんが視線を向けてそう言った後、クスッと笑う。

 その希さんの声の後、みんなも小さく微笑んだ。視線の先では、スヤスヤと気持ちよさそうに眠っている露木先生が居た。


「露木先生、はしゃいでたよね」

「でも嬉しくない? あれだけはっちゃけてくれるの私達と居る時ぐらいじゃん?」

「色々と心労があるだろうから、俺達と居る時くらい気楽に接してくれるのは良いことだ」


 俺がそう言うと、筑摩さんが俺に視線を向けてニコッと笑う。


「露木先生、凡人くんのことを凄く褒めてたよ。八戸さんに」


 筑摩さんの言葉を聞いて凛恋に視線を向けると、凛恋が俺の腕をギュッと抱きしめる。


「凡人のこと手放しちゃダメよって言われた。凡人がフリーだと、すぐに他の女の子に取られちゃうからって」

「それは凛恋の方だろ」

「私は凡人以外は絶対にあり得ないから」


 さり気なく俺の腕に凛恋の胸が押し付けられ、俺はさり気なく腕を凛恋の体の方に押し付ける。

 すると、凛恋に軽く脇腹を小突かれた。


「ただいまー」

「おかえり」

「露木先生と小鳥くん寝ちゃったんだ」


 戻って来た萌夏さんがニコッと笑って、溝辺さんの隣に居る小鳥を見る。気が付けば、いつの間にか小鳥も眠っていた。


「私達も寝る?」

「明日も疲れるしねー。体力回復してないとしんどい」

「じゃあ、今日はもう寝ようか」


 希さんがそう言うと、みんなが寝るために移動し始める。


「凡人、おやすみ」

「おやすみ、凛恋」


 体を寝かせると、隣に横になっている凛恋が体を寄り添わせて囁く。俺は凛恋の頭を撫でながら目を閉じた。

 目を閉じるとすぐ近くで凛恋の息遣いが聞こえてきて、すぐに体が安心感に包まれた。そして意識が遠退く直前、唇にふわりと温かく柔らかい感触があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る