【一一二《夢》】:二

 福袋を買い終え、俺は露木先生と緒方さんに連れられて、昼食をご馳走になった。

 露木先生は申し訳なさそうに「お礼」と言ったのに対して、緒方さんは「口止め料」と二カッと笑って言ったのが、二人の性格を表しているようで少し面白かった。


「最近の高校生って身長高いわね~。それに、生徒くんは雰囲気も大人っぽいし、高校生には見えないわ~」

「ありがとうございます」


 大きなハンバーグを切り分けて口に運ぶ緒方さんにお礼を言うと、マカロニチーズグラタンを食べる露木先生が小さくため息を吐いた。


「そういえばさ。真弥は学校でどんな感じ?」


 その質問を緒方さんが俺にした時、露木先生がピクッと体を動かすのが見えた。


「露木先生は良い先生ですよ。生徒の立場に立っていつも物事を考えてくれますし、親身に相談に乗ってくれますし」

「へぇ~、生徒にべた褒めされてるじゃん。良かったね~真弥」

「恥ずかしいから変なこと聞かないでよ。多野くんも咲の話は無視して良いからね」

「それ酷くない?」


 露木先生と緒方さんのやり取りを見ていると、何だか萌夏さんにからかわれる凛恋の姿と重なった。

 凛恋達も、大人になってもこうやってからかいからかわれる関係が続くのだろう。そう思うと、心が温かくなった。


「露木先生と緒方さんは高校の同級生なんですよね? 露木先生ってやっぱり高校でもモテたんですか?」

「た、多野くん!?」

「真弥は凄かったわよ~。めちゃくちゃモテモテだったんだから。通ってた高校だけじゃなくて、他校の男子も真弥のこと見に来てたし」

「咲! 余計なこと言わない!」


 真っ赤な顔で緒方さんの話を止めた露木先生は、フォークでマカロニを刺してジトッとした目を緒方さんに向ける。


「え~、別に悪い話じゃないでしょ?」

「昔の話は恥ずかしいから話さないで」

「はいはい。ところで、生徒くんは彼女居るの?」

「居ますよ」

「へぇ~、どんな子どんな子?」


 緒方さんが身を乗り出して興味津々と言った表情で尋ねる。俺は、その緒方さんに素直に一言答える。


「世界で一番可愛くて優しい、最高の彼女です」

「ほぇ~言うね~。独り身二人の前で惚気ちゃって~」

「多野くんの彼女さんはとても良い子よ。見た目も可愛いし性格も素晴らしい。それに、下手な主婦よりも料理が上手いの」

「真弥がそこまで褒めるなんてねー。生徒くん、その子のこと絶対に逃がしちゃダメよ」

「もちろんそのつもりです」


 パチッとウインクをした緒方さんに言うと、緒方さんは目を一瞬見開いて驚いた後、ニカニカ笑って食事を再開した。


「そうだ。彼女が居るなら、気を付けてねー。真弥は高校時代、友達の間ではカップルクラッシャーって言われてたから」

「咲?」


 カップルクラッシャー。緒方さんが露木先生をそう表現した後、露木先生がキッと緒方さんを睨み付ける。


「カップルクラッシャーってなんですか?」

「真弥はねー。今まで沢山のカップル達を別れさせて来たのよ~」

「私はそんな――」

「何かの間違いでしょう?」


 緒方さんにそう言うと、緒方さんはニコーッと笑って露木先生に視線を向ける。


「真弥、良い先生やってるのね。めちゃくちゃ信頼厚いじゃん」


 そう言った緒方さんは、俺にニコッと笑って話を続けた。


「真弥って可愛いから、彼女居る男が彼女と別れて真弥に告白したり、告白したことが彼女にバレて別れたりしたの。全く真弥には悪気がなかったんだけど、友達の間ではからかう意味でカップルクラッシャーって呼ぶようになったのよ。実際、真弥が影響で別れたカップルは多かったしね~」

「私は普通に話してただけなんだけど……」

「可愛い女子に笑顔で話されたら、男は惚れちゃうものよ。それに、高校の頃の真弥って誰にでも距離感が近かったし、そりゃあ勘違いもするわ」


 露木先生は椅子の上で縮こまる。多分、自分にも非があると思った点があったのだろう。

 露木先生は生徒と近い立場で話してくれる。それは、昔から露木先生が人と近い立場で話していた流れだったのだ。


「だから、生徒くんも真弥がおっぱい押し付けてきても勘違――」

「そんなことしないからっ!」


 頬を膨らませてムッとした表情で怒り、ガツガツとグラタンを食べる。その露木先生を見る緒方さんは、微笑ましそうに笑っていた。




「じゃあ、生徒くん。真弥のことよろしくね!」

「はい」

「真弥は生徒くんにあんまり迷惑掛けちゃダメよー」

「分かってるよ。咲こそ、気を付けて帰ってね」

「はいはい。じゃあねー」


 緒方さんはタクシーに乗り込み、手を振って走り去っていく。

 緒方さんの乗ったタクシーを見送った露木先生は、俺の方に視線を向けて視線を落とす。


「多野くん、やっぱり私の物だから私が……」

「大丈夫ですって」


 また謝る露木先生は、困り顔を俺に向ける。

 俺は片手に三袋ずつ福袋を持っている。

 それを、露木先生は申し訳なく思っているらしい。でも、女の人に荷物を持たせている方が俺は落ち着かない。


「女性に荷物を持たせるのは気になるんです」

「じゃあ、一つくらいは……」

「三つずつ持っている方がバランスが良いんですよ。荷物のことは気にしなくていいので行きましょう」


 俺はそう言って、露木先生の家の方向に歩き始める。

 その俺の隣を、露木先生は慌てて付いて来た。


「咲は地元を離れて就職してるから、年末年始くらいしか会えなくて。それで、ついつい二人で買い物に出ちゃって……」

「でも、結果的に俺はお昼もおごってもらいましたし、暇潰しにもなったんで。それに、露木先生がカップルクラッシャーだって話も聞けましたし」

「もー……それ気に入らないでよぉ~……」


 露木先生が唇を尖らせて不満げに言う。

 高校時代の話は少ししか話さなかったが、もう少し緒方さんに他の話を聞いておけば良かったと思う。


「咲は誇張して言ってるだけで、実際はそんなこと一回しかなかったんだよ?」

「でも、あったんですよね?」

「うーん……クラスのよく話す男子に、いきなり付き合ってくださいって言われたことがあったの。でも、その男子に彼女が居たのは知ってたから、彼女が居たよねって聞いたら、私に告白するために別れたってことが一回だけ……」


 露木先生はそう言いながら、苦い顔をする。あまり良い思い出とは言えないようだ。


「その――」

「そういえば、冬休み明けにはまたあのただ歩く行事があるんですよね~。正直、中止にならないかなって思ってます」


 自分で振った話題だったが、すぐに話題を切り替える。

 露木先生はニッコリ笑った後に、その笑顔をニヤッとしたものに変える。


「先生としては、学校行事に積極的になってほしいかな。それに、私は学生の頃に歩こう会があったら、楽しかったと思うな~。友達と夜通し一緒なんてワクワクすると思う」

「多分、凛恋達は何だかんだ言っても楽しむと思います。みんな、イベント好きですからね」

「多野くんは?」

「はい?」

「多野くんは楽しめない?」

「いいえ。凛恋が居たら何だって楽しめます」

「多野くんと八戸さんは本当に仲が良いよね」

「ありがとうございます」


 凛恋との仲を褒められると素直に嬉しい。今頃凛恋は何をしているんだろう。

 また、親戚の人達と話してからかわれているかもしれない。


「多野くんとも、あと一年と少しなのか~」

「まだあと一年ありますけどね」


 呟いた露木先生に俺は笑いながら答える。でも、露木先生は真剣な表情をして横に首を振る。


「一年なんてあっという間だよ? 気が付いたらすぐに受験が来て、そしたらすぐに卒業になっちゃう」

「来年受験っていうのは自覚してます」


 現役で合格して、絶対に凛恋と一緒に大学生になる。そして、将来就職して凛恋と結婚する。


「みんなを見てると、高校生に戻りたいなって思うんだ」


 後ろに手を組んだ露木先生がニコッと笑って声を弾ませる。


「勉強に運動に恋愛に、みんな色んなことに活き活きしてて、目がキラキラ輝いてる。それを見てるとね、もっと私も高校時代にキラキラしてれば良かったって思う」


 露木先生がクスッと笑って俺を見て、右手の人さし指を立て、唇に当てた。


「みんなには内緒にしててね?」

「はい?」

「私、高校の頃、彼氏居なかったの」

「……え?」


 露木先生の言葉に戸惑う。

 前に、高校時代の露木先生の写真を見た時、露木先生は高校時代に彼氏が居たような話をしていた。

 今の露木先生の告白を聞く限り、あの時の話は嘘だったということらしい。

 その俺を見た露木先生が渋い顔をして笑った。


「音大で挫折するまで、私は本気でプロのピアニストになるつもりだった。それが夢だったし、絶対にプロのピアニストに自分はなるんだって信じてた。その夢を両親は応援してくれて、その両親の期待もあったのもあるけど、高校時代は毎日ピアノの練習に明け暮れてた。でも彼氏が居なかったのは、ピアノの練習でそういう暇がなかったってわけじゃないの。あの時の私は、彼氏を作ることで夢を軽視するような気がしてたの。だから、好きな人は居たけど絶対に告白はしなかったし、好きな人に告白してもらったこともあったけど断った。……だけど、その日の夜は後悔で布団の中で泣いたけど。でも、夢のためだって思ってピアノを弾き続けた」


 俺は夢を追ったことがない。だから、夢を追うことの辛さは分からない。

 それこそ、何かを犠牲にしなければ叶えることが出来ないのかも知れない。でも……露木先生の話を聞いて、悲しくなった。


「それで、音大に進学出来てから自分の実力を思い知って、それでプロのピアニストになるのを諦めてから初めて彼氏が出来たの。まあ、その彼氏とはすぐに別れちゃったんだけどね」


 ペロッと舌を出した露木先生は笑う。でも、その笑顔は心の底から溢れた笑顔ではない。


「だから、高校時代にもっとキラキラするようなことをやっていれば良かったって思うの。今となってはってことなんだけど、みんなの姿を見てたら特にね」

「露木先生」

「何?」

「俺が今から言うことは、夢なんて一度も追ったことがないやつの言葉で、一生懸命夢を追った露木先生は怒りを覚えるかも知れません」


 俺はその前置きをして、露木先生の言葉を待つ。すると、露木先生は真っ直ぐ俺を見て真剣な表情で言う。


「聞かせて」


 露木先生の許可を得て、俺は露木先生から視線を外し歩きながら話す。


「プロのピアニストが、広いコンサートホールで演奏してギャラをもらう人っていう意味なら、露木先生はプロのピアニストではないと思います。でも、ピアノを演奏することで収入を得ているという意味では、立派なプロのピアニストです」


 音楽教師もピアノを演奏することで収入を得ている。もちろん、ピアノを演奏することが主ではない。

 ピアノ以外の、それこそ音楽に関わらない仕事もある。もしかすると、音楽に関わらない仕事の方が多いのかも知れない。でも、ピアノを演奏することで収入を得ている。

 授業や様々な学校行事で露木先生のピアノ演奏は大活躍している。だから、露木先生はプロのピアニストだと言える。


「それは屁理屈で、本気でプロのピアニスト、コンサートホールで演奏してギャラをもらう人を目指していた露木先生にとっては、侮辱に――」

「ううん。侮辱だなんて思わない。ありがとう。……そうだよね、音楽教師もプロのピアニストだよね」


 露木先生に視線を向けると、露木先生は心の底からの笑顔を浮かべていた。それを見て、良かったと思った。

 露木先生の家の前に着くと、玄関のドアを開けた露木先生が振り返って俺に頭を下げた。


「ご迷惑をお掛けしました」

「いえ、迷惑でもなんでもないです」


 玄関から入って廊下に福袋六つをドサッと置くと、自重でドアがガチャリと閉まる音が聞こえた。


「今度は持てる量を考えて買い物してくださいね」

「はい。気を付けます」


 頬を赤くして露木先生がクスッと笑う。


「じゃあ、俺はこの辺で失礼しますね」

「うん」


 露木先生に頭を下げて挨拶をして、俺は振り返って玄関のドアに近付く。すると、俺の手を後ろから掴まれる。


「……えっ?」


 再び振り返って掴まれて手を見る。俺の手は露木先生の手に掴まれ、俺は露木先生に引き留められていた。


「露木先生?」


 視線を手から露木先生の顔に上げて首を傾げて訪ねる。露木先生は唇をキュッと結んで視線を下に落としている。

 しばらく続く長い沈黙。露木先生が何故俺の手を掴んで引き留めているのかが分からず、俺は露木先生の言葉を待つ。しかし、露木先生はなかなか言葉を発そうとしない。


「多野くん……」

「はい?」

「…………気を付けて帰ってね! それから、新学期もよろしくね」

「はい。また学校で」


 露木先生は俺の手から手を離し、胸の横で小さく手を振って微笑む。

 俺はその露木先生に頭を下げて、玄関のドアを開けて露木先生の家を後にした。

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