【一一二《夢》】:一

【夢】


『凡人さん、こんにちは』


 元旦の昼間、優愛ちゃんから電話があった。ただ、着信は凛恋のスマートフォンからだった。

 今、八戸家はお父さんの方の親戚と年始の挨拶をするために、お父さんの実家に帰っている。

 凛恋には付いて来てほしいと言われたが、八戸家の親戚の集まりなんて、そんなズカズカと踏み込める領域ではない。

 そこは流石に、お父さんもお母さんも気を遣ってくれて、凛恋をたしなめてくれた。


「こんにちは優愛ちゃん。って言っても、今朝一緒に初詣行ったばかりだけどね」


 居間で、正月番組を垂れ流しにしているテレビに視線を向けながら言うと、クスクスと笑う優愛ちゃんの声が聞こえる。


『そうですね。でも、お姉ちゃんはお祖父ちゃん家に来るまで、ずっと凡人~凡人~って嘆いてましたよ』

「今、凛恋は?」

『指輪とペンダントとブレスレットのフル装備だから、みんなに質問攻めされてます』

「そっか」


 笑う優愛ちゃんの声に釣られて俺も笑うと、スマートフォンの向こう側から優愛ちゃんが凛恋を呼ぶ声が聞こえる。


『お姉ちゃん、凡人さんから電話~』

『えっ!? 凡人から?』


 電話を掛けてきたのは優愛ちゃんだが、凛恋の声が聞こえて俺はソファーの上に座り直す。


『もしもし凡人?』

「もしもし凛恋。無事に着いたみたいだな」

『うん、凡人が居ないけど』


 その不服そうな声を聞いて、凛恋の口を尖らせた顔が想像出来る。


「仕方ないだろ? 流石に正月の親戚同士の集まりに他人の俺が行けるわけないんだから」

『私は、凡人と三日も会えないんだよ?』

「今朝会ったから、二日だろ?」

『でも、二日も会えないなんて寂しくて死んじゃう……』


 凛恋は寂しそうな声を出して言葉を途切れさせる。


「凛恋、俺があげたブレスレットを付けてくれてる?」


 優愛ちゃんから、凛恋がブレスレットだけではなく、指輪もペンダントも付けてくれていることは聞いていた。でも、あえて凛恋に尋ねた。


『付けてる! ブレスレットも指輪もペンダントも!』

「俺も指輪もブレスレットも付けてる。凛恋が側に居てくれてるみたいで安心する」

『私も、凡人が側に居てくれてるみたいに感じる。けど、やっぱり本物の凡人がいいな……』


 お互いにプレゼントした物を身に着けていたら安心だ。

 そう言いたかったが、凛恋は少し納得はしてくれたものの、完全に納得し切れていないようすだ。でも、俺に側に居てほしい、俺の側に居たいと言ってくれることが嬉しかったし、そんな寂しそうな凛恋に愛おしさを感じる。


『あっ……呼ばれた……』


 凛恋が心底悲しく寂しそうな声を出して、悪いとは思ったものの、電話越しににやけてしまった。


「あんまり長電話してるのも良くないしな」

『また夜に電話するね』

「ああ、凛恋の都合の良い時間で良いから」

『うん、またね』

「またな」


 電話を切ってスマートフォンをポケットに仕舞うと、俺は視線をテレビの近くにあった時計に向ける。時間はまだ一〇時を回ったところだった。


 栞姉ちゃんは今、大学入試センター試験前の追い込みに入っている。だから、出来るだけ家の中は騒がしくない方が良い。


「俺、ちょっと出掛けてくる」

「気を付けて行ってきなさい」

「遅くなるんじゃないぞ」


 俺はソファーから立ち上がり、婆ちゃんと爺ちゃんに出掛けることを告げて部屋を出る。

 外は頬がピリピリと痛むような寒風が吹いていて、俺は上着のポケットに手を突っ込んで体を縮ませる。


「さて、どこに行こうかな」


 出て来たは良いが、特に行く当てなんてない。

 凛恋が居れば、すぐにどこに行くか決めて手を引っ張ってくれるが、今日は一人だ。とりあえず、街の中心地に向かって歩き出しながら、人混みの間を縫っていく。


 新年早々、沢山の人がせかせかと動き回っている。

 人がせかせかと動き回るのはいつだって変わらない。一年中、誰かしらが何かしらでせかせかと動き回っている。だから、街を歩く人の雰囲気は一年中あまり変わらない。


 いつも凛恋と繋いでいる手はポケットの中、それを意識した途端に、外の寒さが強くなった気がする。

 街の中心部まで来ると、初商いのセールを打ち出している店が沢山あり、年始から街も騒がしかった。


「福袋か」


 どの店でも、幟(のぼり)やポスター等で福袋の宣伝をしている。

 俺は生まれてこの方、福袋という物を買ったことがない。

 テレビでは、洋服店の福袋を買うために、若い女性が父親を駆り出してまで福袋の購入に奔走する特集を見たことがある。しかし、俺はそもそもファッションなんてよく分からない人間だし、服の福袋に興味はない。


 福袋は何も洋服店だけのものではない。スーパーに行けば、お菓子を詰め合わせて福袋と称して売っている物もある。

 それに、古本や中古ゲームショップに行けば、福袋という名の在庫処分が行われているのも見る。


「真弥~、次行くよ~」

「咲(さき)……まだ行くの?」

「当たり前じゃない。一年に一度のイベントなんだし」

「でも、もう持てないって……」

「コインロッカー探――アタッ!」

「グハァッ!」


 街にあるファッション関連の店が集まった通りに差し掛かると、両手にいっぱい持った女性が俺の目の前に飛び出して来た。

 そして、俺の顎に思いっ切り女性の持ち上げた拳が入る。


 女性の方は、殴るつもりはなかっただろう拳が俺に当たって声を上げる。しかし、間違いなく拳を頬に打ち込まれた俺の方が痛いに決まっている。


「ちょっとあんた! ボケッとしてないでちゃんと前向いて歩きな――」

「前を見てなかったのは咲の方でしょ! すみません! 大丈夫ですか?」


 頬に拳を受けた俺が地面に倒れながら頬を擦って顔を上げると、目の前に女性の顔があった。

 その女性は心配と申し訳なさを浮かべた顔を、一気に驚きの顔に変えた。


「多野くん!?」




「本当にごめんなさい……本当にごめんなさい……本当にごめんなさい……」


 俯きながら何度も何度も謝り続ける露木先生の隣で、俺は両手にいっぱい福袋を握らされて立っている。

 街で友達と買い物中の露木先生と出会した俺は、何故か今、露木先生の友達の買い物に付き合わされている。もちろん、荷物持ちとして。


「露木先生、別に暇だったから良いですよ」

「でも、生徒に荷物持ちをさせるなんて……」


 確かに、学校の教師が個人の買い物の荷物を生徒に持たせていたなんて知れれば問題になるかもしれない。

 だが、俺はそんなことを言うつもりはないし、もし誰かが見ても俺が承認して荷物持ちをしたのだから、露木先生は悪くないと証言する。ただ、実際は俺が「荷物持ちをやります」と言って荷物持ちをしているわけでない。俺は荷物持ちをしろと言われたのだ。露木先生の友達に。


「咲は悪い子じゃないの。悪い子じゃないんだけど……」


 ただでも小柄な露木先生が、更に小さくなって声を落としていく。

 俺はその露木先生から視線を外し、正面の洋服店で繰り広げられてる福袋争奪戦の人集りに視線を向けた。


「真弥~、ゲットしたわよ~。ほれ生徒くん、これ持って」


 露木先生の友達、緒方咲(おがたさき)さんに買ったばかりの福袋二つを託される。


「咲! 多野くんは私の教え子なの! 多野くんに荷物を持たせるのは――」

「でも、コインロッカーはどこもいっぱいで、この荷物を二人で持つのはもう無理よ?」

「それは咲が買い過ぎるから――」

「でも、半分は真弥の欲しいって言ってたショップの福袋でしょ?」

「それは……」


 露木先生はどんどん声のトーンを落としていき、仕舞いには俺にうるうるとした目を向けてきた。しかし、そんな目を向けられても俺にはどうすることも出来ない。


「俺は暇なんで気にしないで下さい」

「ほらほら、生徒くんもこう言っているし、それに次で最後じゃない」


 ニカニカと楽しそうに笑う緒方さんの言葉を聞いて、内心「まだあるのかよ」という言葉が出てきた。

 だが、緒方さんは俺よりも年上だし、それに露木先生の友達だ。失礼な態度を取るわけにはいかない。


「さっ! 最後の店に行くわよ~」


 福袋争奪戦を終えた直後にも関わらず、緒方さんは右手の拳を突き上げ気合いを入れながら歩き始める。

 その後ろを露木先生と一緒に歩き出すと、露木先生がもう何一〇回目かの謝罪の言葉を口にする。


「本当にごめんね……」

「露木先生、もう謝らないで下さい。本当に暇だったんで」

「いくら暇でも生徒に荷物を持たせるなんて言語道断だよ……」


 露木先生は、まるで両肩に重しを載せられたように肩を落として大きく息を吐く。

 俺は片手に三袋ずつ、合計六つの福袋を持っている。

 露木先生は片手に二袋ずつの合計四袋。緒方さんは買う係だから両手は空いているが、今合計で一〇袋の福袋があることになる。

 これから最後に行くところでもおそらく緒方さんと露木先生の一袋ずつ福袋を購入し、合計一二袋になるだろう。

 もし俺が居なかったら二人で六袋持たなければいけなくなる。


 片手に三袋は男の俺でもかなり辛いものがある。それを小柄な露木先生はもちろん、露木先生よりも身長は高いと言っても華奢な緒方さんでも片手に三つ持てるわけがない。

 そう考えると、露木先生と緒方さんは、どうやって購入予定の福袋一二袋を持って帰るつもりだったのだろうと疑問が浮かんだ。しかし、それを聞いても何の意味も無い。


「露木先生も福袋とか買うんですね」

「ま、まあ……普通に買うことを考えれば、その……安いし?」


 歯切れの悪い言葉の露木先生は、恥ずかしさで少し頬を赤くしている。

 生徒の俺に荷物を持たせている罪悪感はあるものの、福袋は欲しいという物欲の板挟みで複雑な気分なのだろう。


「よし、最後の一勝負に行ってくるかッ!」


 目的の店に着いた緒方さんは、既に店の前に出来上がっていた人集りに躊躇無く飛び込んでいく。俺はそれを素直に凄いと思った。

 俺は、凛恋のためなら並ぶことも人混みの中に突っ込むのもいとわない。しかし、自分のためとなると並ぶのも人混みの中に突っ込むのも避ける。

 それを、緒方さんは純粋な物欲で突っ込んで行く。全く迷いのない真っ直ぐな動きで。


 俺の短い人生の経験上で、他人のために頑張ることが出来るのは実証済みだ。でも、自分のために頑張るというのはかなり辛いものだ


 誰かのために頑張ることには、誰かの喜ぶ顔を見るためという場合もあるが、自分が頑張らなければ誰かが傷付くというような責任がある場合もある。

 だから、自分ではない誰かの人生を左右するかもしれない責任感から、誰かのためには頑張ることが出来る。でも、自分のためだと、頑張らなければ損をするのは自分だけだし、頑張らなかったことによる負う責任も自分だけのものでしかない。

 だから、『べつに誰にも迷惑掛けないし』と、自分のために頑張ることには甘さが出てしまう。


 やっぱり、好きだからなのだろう。

 好きだから、人集りに突っ込むことだって躊躇わないし、心底疲れることさえ我慢出来る。


 俺には、自分のために頑張ることが出来る何かがあるだろうか?

  趣味でも夢でも何でも。俺は自分にそう問い掛けてみて、全く答えが思い浮かばなかった。

 凛恋のためだとか、友達のためだとか、家族のためだとかは出てくる。でも、俺にはない。自分のために頑張れる何かが。

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