【一〇七《遺るもの》】:二
準備室のドアの向こう側から、弾けるような甲高い殴打音が聞こえる。多分、露木先生が前原先生を平手打ちした音だ。
「出ていって下さい」
「露木先生、俺は、俺は露木先生のことが心配なんです!」
「迷惑です」
「…………俺は露木先生のことが好きで! 露木先生が辛い立場に立つのが――」
「最低……気持ち悪い」
「露木先生……」
「生徒をだしにして女性に近付こうなんて最低っ! もう二度と話し掛けないで下さいっ!」
俺はその響いた露木先生の泣き声を聞いて、準備室に背を向けた。
「凡人くん……?」
「ごめん……今日は一人で食べさせてくれ」
「かずと……」
振り返らずに、俺は歩き出す。
お礼を言った方が良いのは分かっている。俺のことを庇ってくれて、守ってくれて、認めてくれてありがとうございます。
そう、露木先生にお礼を言うべきだ。でも、捻くれた俺の心には『俺の味方をしてくれた露木先生の立場を悪くした』それしか残らなかった。
結局、俺は何が出来た? 俺の味方をしてくれた人達に、味方をしてくれた露木先生に何が出来た?
結局……俺は助けてもらっただけで、俺は俺を助けてくれた人達に何も出来ていない。ただ、文化祭で歌って自己満足に浸ってただけだ。
俺が脳天気に笑っている間、味方をしてくれた露木先生は、学校内での立場を悪くした。
結局、俺は――。
「行っちゃダメ」
「凛恋……」
「絶対にダメだから。そんな顔した凡人、絶対に一人に出来ない」
凛恋が俺の手を掴んで引っ張りそう言ったと同時に、音楽準備室のドアが開いた。
中から出てきた前原先生と一瞬目が合った。しかし、前原先生は露骨に俺から目を逸らして足早に去っていく。そして、希さんが音楽準備室の中に入っていく。
「凡人、露木先生にお礼を言わなきゃ。凡人のこと、守ってくれたんだよ?」
「……ああ」
捻くれた俺の心が、凛恋の言葉で解かれていく。
凛恋に引っ張られて準備室に入ると、露木先生がムッとした表情で俺達三人分の椅子を用意していた。
「ほらほら、三人とも座って」
「露木先生……あの……」
「ごめんね多野くん。嫌な話を聞かせちゃって」
「いえ……俺の方こそ、俺のせいで露木先生の立場が悪くなってしまって……」
俺がそう言葉を詰まらせながら言うと、露木先生はクシャッと笑って、俺に近付いて頭を撫でる。
「私にはみんなが居るから大丈夫。私の味方は生徒のみんなだから。ほらほら座って、この時間が私にとって一日の中で一番リラックス出来る時間なんだから。悲しいこと考えて時間を無駄に使いたくないし」
露木先生が笑顔でいつも通りの席に座り、弁当箱を出してテーブルの上に置く。俺達もいつも通りの椅子に座って、昼食の弁当を出す。すると、露木先生がニコッと笑う。
「修学旅行楽しみだね~」
教師らしからぬ言葉に、俺達三人は小さく笑う。でも、露木先生のその言葉のお陰で、さっきまであった暗い雰囲気は一気に消えてなくなった。
「あっ、多野くん。今、子供っぽいとか思った?」
「思ってませんよ。でも、学校の先生らしくないとは思いますけど」
「修学旅行って聞くと、学生の頃を思い出しちゃうんだ」
「露木先生は高校の時、修学旅行どこに行ったんですか?」
凛恋がニコッと笑って身を乗り出す。凛恋の言葉に、露木先生は視線を斜め上に向けて、思い出を思い起こすように話し始めた。
「高校の修学旅行は京都、大阪、奈良を二泊三日で行ったんだけど、刻雨と同じで冬だったんだ」
「冬の京都って幻想的でしょうね」
俺がそう言うと、露木先生はニコッと笑って頷く。
「うん。大雪ではなかったんだけどちょっと雪が降ってて、雪越しに見る金閣寺は凄く綺麗だったよ。屋根に真っ白な雪が積もってて、金色の金閣寺と凄く合ってた」
「雪の金閣寺ですか。修学旅行で行って見られたのは運が良かったですね」
「あっ!」
パッと明るい表情をした露木先生がスマートフォンを出して画面を見せた。
画面には、露木先生が言っていた、雪越しの金閣寺の画像が表示されていた。おそらく、それは露木先生が修学旅行の時に撮った写真なんだろう。
「家の片付けをしてる時に昔使ってた携帯を見付けて、その中にメモリーカードが残っててね。そのメモリーカードに高校時代に携帯で撮った写真が保存されてたんだ。これがさっき言ってた、雪が積もった金閣寺」
「高校時代に撮ってた写真ってことは、高校生の頃の露木先生の写真もありますか?」
露木先生の話を聞いて、凛恋が食い付いた様子で身を乗り出す。
「えっ? あ、あるけど……」
凛恋の言葉に、露木先生がギョッとした表情をする。
「見たいです!」
露木先生の反応は、かなり躊躇いがちだ。しかし、凛恋は遠慮することなく露木先生にそう言う。
露木先生は困った表情をするものの、スマートフォンを操作して再び俺達に画面を向けた。
スマートフォンには、セーラー服を着た女子高生数人が映っている。
その中で、端の方に映っている一際可愛い女子高生が居た。
その女子高生が、高校時代の露木先生であるというのはすぐに分かった。
化粧はしていなくて派手さはないし、高校時代ということで今よりも顔立ちに幼さがある。
しかし、誰がどう見ても美少女と表現されるであろう可愛さだった。
今でも刻雨高校で人気だが、生徒として露木先生が居たら今よりも遥かに人気が出ていただろう。
「「「か、可愛い……」」」
画面を見た俺達三人が同時に言う。そして、凛恋がすぐに俺をキッと睨んだ。
「凡人?」
「た、ただの感想だって」
頬を膨らませる凛恋を宥めていると、露木先生がさっとスマートフォンを仕舞う。
その露木先生の顔は真っ赤に染まっていた。昔の写真を見せたことがよっぽど恥ずかしかったのだろう。
「露木先生は、やっぱり昔から可愛かったんですね」
「そんなことないよ」
「凄くモテたんじゃないですか?」
「えっ?」
「彼氏とか居たんですよね?」
凛恋と同じように、希さんも容赦なく露木先生に質問を浴びせる。
なんだか、教師と生徒の会話というより、仲の良い友達同士でからかい合っている会話のように見える。まあ、その距離の近さが、露木先生の良いところだ。
露木先生は真っ赤な顔を少し俯かせて、消え入るような声で希さんの質問に答えた。
「居た、けど……」
「「画像ありますよね?」」
露木先生の言葉に、話に食い付いてのめり込んだ凛恋と希さんが追及の手を緩めない。
「じゃあ、凛恋と希さんも、俺と栄次と撮った画像を露木先生に見せないといけないな」
「「えっ!?」」
露木先生は追及されている側で、追及している側の凛恋と希さんはテンションが上がって歯止めが利かなくなっている。
残された俺が二人にブレーキを掛けてやるしかない。
「えって、露木先生の画像だけ見て、自分のは見せない気なのか? 凛恋の彼氏としては、他人に見せてほしくない画像もあるんだけどな」
凛恋に視線を向けると、カッと真っ赤に顔を赤くした凛恋がさっと視線を逸らす。
凛恋と俺が他人に見せられない画像ばかり撮っているわけではないが、出来れば他人に恋人と仲睦まじくしている画像は見られたくない。
恋人同士で楽しむなら別だが、他人に見られるのは恥ずかしいものだ。きっと露木先生も恥ずかしいに決まっている。たとえそれが、過去の恋人のものだとしても。
「残念だけど、高校時代の彼氏の画像はスマートフォンには移してないよ。メモリーカードには残ってたけど」
「先生、ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ううん。私も、興味が出るのは分かるから。学生時代は、友達に彼氏の画像を見せてーって冗談とかで言ってたし」
謝る凛恋と希さんに笑顔を向けた後、俺に視線を向けてクスって笑う。
「八戸さんの彼氏さんは、しっかりしてるし優しいね」
「あ、ありがとうございます」
凛恋が照れ笑いを浮かべてお礼を言って、俺に視線を向けてはにかむ。
八戸さんの彼氏さん、と俺を称した露木先生が俺を見てクスクス笑う。そして、俺に聞こえるように凛恋に言った。
「八戸さんも大変だね」
そう言った露木先生に、凛恋はフッと小さく笑って頷く。
「はい」
俺はその二人のやり取りの意味が分からず首を傾げるが、話題について行けていない俺を置いてけぼりにして、話題はすぐに修学旅行の話題に移っていた。
放課後、純喫茶キリヤマにいつものメンバーで集まり、女子陣が楽しそうな会話をしている中、俺は隣に座る栄次に真剣な視線を向けられる。
「カズ、修学旅行中は希のことを頼んだぞ」
「分かってる。でも、俺より頼りになる人達が居るから大丈夫だろ」
俺がそう言って溝辺さん、萌夏さんに視線を向けると二人とも栄次にニヤッと笑みを浮かべる。
「喜川くん、希のことは任せておいて。絶対に男は近付けさせないから」
「そうそう。喜川くんの大切な彼女は私達が責任持って守るから」
「溝辺さん、切山さん、希のことを頼んだよ。その手のことは、カズは苦手だから」
「そう思ってるなら、最初から俺に頼むなよ」
爽やかな笑顔で酷く失礼なことを言う栄次に苦言を返すと、栄次を除いたみんながクスクスと笑う。
修学旅行の班も凛恋達が事前に示し合わせた通りに行き、話し合いも問題なく終わった。
露木先生が班に入ることに関しては、他の生徒達から若干の不満が出た。しかし、それも一部の男子からのみで、大きな問題にはならなかった。
露木先生は昼休みもそうだったが、話し合いの時もニコニコと楽しそうに話していて、本当に同級生みたいな感じで気軽に話していた。
もし班に入ってきたのが他の先生なら、楽しい雰囲気に水を差されていた。実際、森滝先生が混ざった班は静かそのものだった。それを見た露木先生が眉をひそめて「可哀想……」と呟いたのは印象的だった。
「とにかく、あとは修学旅行を楽しむだけね」
凛恋が明るくそう言うと、みんなは明るくニコニコ笑ってまた修学旅行について話を再開させる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます