【一〇七《遺るもの》】:一
【遺るもの】
凛恋達の女子会があるということで、俺は一人で帰っている。
一人で帰っていることに寂しさを感じるが、きっとみんなで楽しい話をしているであろう凛恋の笑顔を思い浮かべて寂しさを消し飛ばす。
凛恋達が居ないと、寄り道をする用事もない。寄り道をしたって、凛恋達が居なければ楽しくない。
「ただいま」
家に帰ると、シャワーの音が聞こえた。爺ちゃんと婆ちゃんはシャワーは使わない。だから、栞姉ちゃんだ。
姉弟という前提を作って一緒に生活をする。
そう言い聞かせて来たものの、そんな意識が一朝一夕で身に付くわけはない。
どうしても、家族以外の、一人の女性として見てしまう。だから、シャワーのお湯が床を打つ音は、ただの生活音ではなく、気になる雑音だった。
「あっ、カズくんおかえり」
「ただいま、栞姉ちゃん」
「今日は早いね」
「凛恋達は女子会があるらしくてさ。一人でブラブラしてても楽しくないから、俺は学校からまっすぐ帰って来た」
「そっか。お茶飲む?」
「ありがとう」
自然に見えるちょっとぎこちない会話。でもぎこちないのは俺だけで、栞姉ちゃんは自然と会話している。
「カズくんも着替えたら?」
「いつも風呂に入るまで制服のままだし大丈夫」
ソファーに座って、見る気もないテレビの電源を入れて気を紛らわす。
その俺の隣に栞姉ちゃんが座って、コップを差し出す。
「はい」
「ありがとう」
コップを受け取って一口飲むと、栞姉ちゃんがボソッと話し始めた。
「まだ全然慣れないな、姉弟って関係」
「…………栞姉ちゃんは――」
「可愛い弟のカズくんを見てるとね、頭の中にどうしてもチラつくの。格好良い後輩の凡人くんが」
栞姉ちゃんは大きくため息を吐いて、アハハと笑う。
「そんなに簡単にはいかないって分かってたんだ。卑怯な手を使ってでも手に入れようとした好きな人だから。今でも時々ね、卑怯な自分が出てきちゃう」
そう言った栞姉ちゃんは、俺から少し離れた位置に座り直した。
「夜にトイレ行く時に居間を絶対通るでしょ? そしたら絶対に見えちゃうの。無防備に可愛い顔で寝てる凡人くんが。ドキドキしっぱなしで、キスするくらいバレないかなって思っちゃって。でも、凡人くんとカズくん、両方の優しさを裏切ることになるから、すぐに罪悪感で心が真っ黒になる。……元々、真っ黒だけどね」
「栞姉ちゃんは真っ黒じゃない。真っ黒だったら、黙ってるはずだろ?」
「ありがとう、カズくん、凡人くん」
栞姉ちゃんは一度離れた座り位置を、さっきよりも俺に近い位置に座り直す。
「私、志望校を家から通える大学に変えようと思ってる。少し、レベルは上がっちゃうけど。家族と一緒に居られる時間がほしいから」
「栞姉ちゃん……」
「私、凡人くんに出会えて本当に良かった。今までで一番、真っ黒だけどまっすぐひた向きに人を好きになれた。途中、代わりの人でいいやって投げやりになって失敗したけど、それでもやっぱり凡人くんが好き。それに、凡人くんに出会えたから、掛け替えのない家族に、カズくんにも出会えたから」
栞姉ちゃんはそっと俺の手を握って微笑む。
「手を握るくらいはセーフ、だよね?」
ニコッと笑う栞姉ちゃんの温かい手を、俺は振り払おうとは思わなかった。
次の日、学校に行くと、目をうるうると潤ませた小鳥が俺をジーッと見ていた。
その視線を感じながら自分の席に座るが、小鳥は何も言わずに俺の方を見続けている。
「小鳥?」
「凡人」
「何だ?」
「一緒に組もうね」
「は?」
小鳥の言葉に何を言っているのか分からず首を傾げる。すると、凛恋が俺の肩をチョンチョンと叩いて顔を向かせる。
「修学旅行の班決めのことじゃない?」
「班って、修学旅行はスキー合宿で班なんて必要ないだろ?」
俺の言葉に凛恋が目を細めて呆れた声を出す。
「班毎にインストラクターの先生が付いてくれるって言ってたでしょ」
「ああ、そう言えばそうだった」
刻雨高校の修学旅行は、私立だからか複数コースある。
俺達が行くスキー合宿コースか、京都観光コースか、あとは海外オーストラリアコース。その三コースから自分の行きたいコースを選ぶ。
そんなコース選択で、俺はまず、海外オーストラリアコースは真っ先に除外した。旅費が高いからだ。
そして、次に俺が除外したのはスキー合宿コース。スポーツのスキーという言葉と、いかにも体育会系なキーワードである合宿という言葉の組み合わせは、どう見たってしんどそうにしか思えない。そんなコースには行きたくなかった。
それで、俺は行くなら京都観光だと思ったのだが…………。
「凡人、彼女と別のコースに行こうとしてたこと、まだ忘れてないからね」
「いや、てっきり凛恋も京都観光かと思ってたから……」
凛恋が頬を膨らませて不満げに言う。
俺は自分で言った通り、運動が苦手な凛恋も京都観光だと思っていた。しかし、凛恋はスキー合宿コースを選んでいたのだ。
どのコースに行くつもりか話した時に、俺が京都観光と言ったら、非難囂々でペケを一兆も付けられた。まあ、その一兆はその日のうちに精算は出来たが。
どうやら女子会を開いた時に、凛恋の仲の良いグループのみんながスキー合宿に行こうと示し合わせていたらしい。そして、めでたく俺はスキー合宿コースになった。
凛恋が居ないんじゃ、楽な京都観光に行っても意味がない。
同じ学校に通っているのに、修学旅行が別々なんてあり得ない話だ。
「それで、小鳥はスキー合宿の一緒の班になりたいと」
「うん!」
「まあ、コース別で分かれた時の話し合いになるけど良いんじゃないか?」
俺がそう言うと、凛恋がスマートフォンでメールを送る。
「里奈に小鳥くんも入るってメールしといた」
「人数は大丈夫なのか?」
「佳奈子は入江くんの方の班に入るって言ってたから、私、凡人、希、小鳥くん、萌夏、里奈の六人ね」
「男女のバランスが悪いな」
「別に男女の割合なんて決まってないし良いじゃん」
「みんな、おはよう」
凛恋と話していると、教室に入ってきた露木先生がニコニコ笑顔を出して挨拶をする。
「おはようございます」
「男女の比率が偏ってるところに悪いんだけど、私も八戸さんの班に入れてくれない?」
「先生も入って良いんですか?」
希さんが首を傾げて尋ねる。
普通は、引率の教師は特定の班に所属せずに生徒全体を見回るという仕事があるはずだ。だから、希さんが言うように特定の班に所属して良いわけがない。
「私も打ち合わせまでは、生徒達の見周りだと思ってたんだけど、スキー合宿はホテルからスキー場の往復だけだし、スキーの講習中はインストラクターさんが付いてくれるから、実質、ほとんど教師の仕事は無いんだって」
それを聞いて、確かに教師が生徒の管理をするのはホテルの中と移動時くらいしか思い付かない。
「それに、いくら大人って言っても、スキー場でうろちょろするのも危ないから、だったら生徒と一緒にスキーを楽しんだ方が良いって決まったみたいなの」
まあ確かに、いくら教師が大人と言っても、スキー場は雪で足場も悪く、場合によっては吹雪いて視界が悪くなるかもしれない。
そんなスキー場で動き回るより、スキー場のことを知り尽くしているインストラクターの目の届く範囲に居た方が安全だ。
「でも、露木先生は人気だから取り合いになっちゃうかもしれないですね」
「担任をしてる八戸さん達の班なら自然に入れるでしょ? それに、みんなが居た方が気楽だし」
クスッと笑った露木先生は、視線をチラッと俺に向けた後、すぐに凛恋に両手を合わせて拝む。
「八戸さん、お友達にも頼んでおいてもらえないかな?」
「露木先生なら大歓迎です! 友達に言っておきますね」
「ありがとう」
凛恋にお礼を言った露木先生は、手を振って教卓前まで歩いていく。
それを見送った凛恋は、俺の方にニコニコとした笑顔を向ける。
「楽しみだね。修学旅行」
「ああ、楽しみだな。凛恋と一緒に修学旅行は」
凛恋にそう答えて、俺は朝礼を始める露木先生の方に視線を向けた。
昼休み、いつも通り音楽準備室に向かうと、準備室の中から話し声が聞こえた。
「露木先生、誤解です!」
必死そうな男性のその声が聞こえると、それに対する冷ややかな露木先生の声が聞こえた。
「じゃあ、何故、多野くんのことで私を食事になんて誘ったんですか? 多野くんのことと私達が食事に行くことは全く関係ない話でしょう」
「それは、多野のために頑張った露木先生を労おうと――」
「多野くんにとってはまだ終わっていないんです」
露木先生の言葉が耳と心に響いた。
「確かに多野くんは謹慎処分も解かれましたし、自主退学を迫られることもなくなりました。でも、多野くんを否定していた人達の意識は変わってません。前原先生も知っているでしょう。同級生の石川くんは、まだ多野くんを酷く否定し続けてる」
「でも、多野は気にしてないじゃないですか」
「気にしてないんじゃないです。気にしないようにしてるんです。気にしない風に……装うのが上手いだけなんです。多野くんは……」
隣に立つ凛恋が俺の手を握ってくれて「私が付いてる」と囁いてくれた。
「目に見えた問題しか見てないと、また多野くんは傷付くんです! 今まで前原先生みたいな表面だけしか見て来なかった大人のせいで、多野くんは沢山傷付いて来たんです!」
「露木先生、前々から思っていましたが、露木先生は多野に肩入れし過ぎです。今回だってもしかしたら露木先生は教師の職を追われていたかもしれない。多野に肩入れするのは露木先生の立場が悪くなります。知ってるでしょう、今は教職員のほとんどが多野の通学に反対だと。うちの高校は悪目立ちしました。来年の新入生の数だって確実に減ります。結果的には、教頭の判断は間違ってなかっ――」
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