【一〇四《笑顔のために》】:一
【笑顔のために】
俺は正面を見て小さくため息を吐く。
休日の今日、俺は凛恋と一緒に萌夏さんの家にお邪魔している。そこで、凛恋が萌夏さんに自分のスマートフォンを得意げに見せていた。
「どーよ萌夏」
「いいな~」
「文化祭の当日、萌夏には特別に凡人と写真を撮らせてあげる」
「ホント!?」
「萌夏は特別よ?」
仲が良いのは結構なことだが、俺はアイドルでも何でもないのだから、写真を一緒に撮っても一銭の価値もない。
しかしまあ、黙って写真を撮られるだけで良いのなら、俺は黙っていることにする。
文化祭で執事喫茶なるものをやることになり、知らないうちに執事喫茶で執事をやるはめになった俺は、ある問題に直面していた。
それは、俺が壊滅的に接客に向いていないという問題だ。
俺は空気は読める。しかし、空気を読んで陰に隠れることは出来ても、当たり障りのない会話で凌ぐなんてことはしてこなかった。だから、対人スキルが全く無いのだ。
今まで生きてきて、対人スキルの無さで特に困ったことはなかった。だが、接客をする以上、人に話し掛けなければならないし、客を捌くということが出来なくてはいけない。
そこで、俺に付け焼き刃であってもマシな接客を学ばせるために凛恋が連れてきたのが、萌夏さんのところなのだ。
しかし、さっきから凛恋と萌夏さんは楽しそうに話しているばかりで、一向に接客に関しての話は出てこない。
俺としては、普通に休日を友達とダラダラ過ごせる方が良い。だから、このまま黙っていて時が過ぎるのを待っても良い。
でも、俺がマシに接客出来るようにならなければ、クラスのみんなに迷惑を掛けることになる。
クラスのみんなには、俺が謹慎処分を受けて自主退学を迫られた時に、本当にお世話になった。だから、俺に否定的な人達に迷惑を掛けることには何とも思わないが、俺のことを助けてくれたみんなの迷惑にはなりたくない。
「凡人くんは自然に笑えるようになれば、特に問題ないと思うけどな~。礼儀正しいし気が利くし」
凛恋のスマートフォンを眺めながら、萌夏さんがボソッとそう口にする。多分、執事服姿の俺が無愛想な顔して凛恋と写っている写真でも見ているのだろう。
「そうなのよ。でも、凡人ってそういう性格じゃないし」
凛恋が腕を組んで俺を見る。そして、首を傾げて言う。
「笑えって言われて笑える人間が居るわけないだろ。少なくとも、俺には無理だ」
「萌夏、やってみて?」
凛恋がそう言うと、萌夏さんが姿勢を正して俺にニコッと微笑んだ。
「いらっしゃいませ」
流石、実家が喫茶店をやっているだけはある。とても自然な笑顔だ。
「もう、萌夏さんに替わってもらった方が良いんじゃないか?」
「萌夏は違うクラスでしょ」
俺が萌夏さんが出してくれたコーヒーを飲みながら言うと、凛恋が眉をひそめて言う。それを聞いていた萌夏さんは、ニコッと笑って凛恋の脇腹を肘で突く。
「どうせコスプレをさせるなら、仮面を被せてみたら?」
「仮面?」
「そうそう。漫画とかであるじゃん。舞踏会とかに被るようなやつ」
「なんか、それだと怪しい人っぽくならない?」
凛恋が腕を組んで、今度はさっきとは逆に首を傾げる。その怪訝そうな表情を見ながら、俺はカップに入ったコーヒーを飲み干す。
「凡人くん、おかわり持ってくるね」
「あっ……」
萌夏さんがサッと立ち上がり、俺のカップを持って部屋を出て行ってしまう。萌夏さんは来る度にコーヒーのおかわりを気にしてくれるが、毎回なんだか悪い気がする。
「結局、俺は仮面を被れば良いのか?」
「凡人の性格上、愛想良く笑うなんて無理だしね~」
「まあ、そんな生活を送ってきてないからな。そもそも、自然に愛想笑いを出来る人の方が凄いんだ」
「人と関わると愛想笑いって必要だからね。最近は、私も愛想笑いすること減ったけど」
凛恋が苦々しい顔をしてそう口にする。
人と関わると愛想笑いは必要。その凛恋の言葉は当然だと思う。
人と接するのに、俺みたいに無愛想にしていたら雰囲気を悪くする。
俺と接する人達の多くは、俺がそう言う性格だと知っているから気分や雰囲気を悪くすることはない。でも、執事喫茶をやれば、客は俺のことを知らない人ばかりになる。
そうなると、愛想笑いが出来た方が相手の気分を害さないだろうし、トラブルを起こさないだろう。まあ、人の笑顔を見るとむかつく、なんて人が来なければの話だが。
「でも、萌夏の言う通り、凡人は自然に笑えるようになったらとんでもなく人気者になっちゃいそうね」
「ならないって」
「なるなる! こんなに格好良い人に笑顔で話し掛けられたら、一〇〇パー凡人のこと好きになるって!」
「こらー、私が居なくなったからってイチャイチャしないの。私の部屋で変なことしないでよ~」
「変なことなんてしないし!」
戻って来た萌夏さんが、凛恋をからかいながら俺の前にコーヒーの入ったカップを置いてくれる。
「ありがとう萌夏さん」
「どういたしまして」
「そういえば、萌夏のところは何するんだっけ?」
「うち? うちは本格コーヒーが味わえる純喫茶」
ニッと笑った萌夏さんを見て、凛恋が体重を後ろに傾けて声を上げる。
「うわー、うちのクラスと被ってるし……」
「そっちは執事喫茶でしょ? こっちは普通にコーヒーを出すだけよ?」
文化祭の出し物としては、執事喫茶とかメイド喫茶は定番ではある。しかし、喫茶店という括りから考えると色物だ。
それに対して、萌夏さん達のクラスがやる本格コーヒーが味わえる純喫茶は王道も王道だ。
「うちのクラスは演劇を狙ってたんだけど、抽選で漏れちゃって。それで、どうするって話になったら、うちが喫茶店をしてるって話になって」
「まあ、実家が本物をやってるとやりやすいよな」
「うちは、宣伝にもなるから良いんだけどね。一応、純喫茶キリヤマ刻雨支店って名前にするらしい」
「でも、そうなると完全に味では勝てないわよね~」
「私、コーヒーを入れるのは専門じゃないんだけど。まあ、知らないわけじゃないから、出来るのは出来るけどさ~。そう言えば、みんな盛り上がっちゃって、サイフォンを使おうとか言い始めて……」
萌夏さんが困った様にそう言う。俺は、サイフォンを使うと聞いて驚いた。
「サイフォンを使うのか?」
「今は、私がペーパードリップが良いってだだこねてるところ」
クスッと笑った萌夏さんが、自分の分のコーヒーを飲む。
純喫茶キリヤマ刻雨支店ということは、コーヒー豆やコーヒーを入れるために必要な道具は純喫茶キリヤマから借りることになるだろう。ということは、準備のほとんどを萌夏さんに頼っていることになる。そして、それに加えてサイフォンで抽出しろというのは、かなりクラス側がわがままだ。
どうせ、萌夏さん以外の人じゃサイフォンなんてまともに扱えるわけがない。それで、コーヒーを入れるためには萌夏さんが全て行わなければならないことを考えると、やり方にこだわらなければ誰でも出来るペーパードリップの方が良いに決まっている。
その方が、圧倒的に萌夏さんに掛かる負担が減る。
「サイフォンにしたら萌夏さんが大変になるだけだ。徹底抗議をしてペーパードリップにした方が良い」
「ありがとう凡人くん。私もめんどくさいの嫌だから、ペーパードリップにしてもらうように頑張る」
「でも、萌夏のコーヒーが出たら人気が出るわねー」
「私はケーキが専門なんだけどねー。凛恋達は凛恋の料理があるじゃん」
「今年は調理室の抽選外れて使えないから、クッキーみたいな焼き菓子を作って持ち寄る感じになるのよ。だから当日、私が学校でやることってほとんどないわね」
萌夏さんが絡むなら、おそらく萌夏さんが作ったケーキもいくつかは出すだろう。
うちのクラスでは凛恋を中心に、女子がクッキーを作って持ち寄って出すことになっている。
去年は調理室を確保することが出来たが、今年は確保することが出来なかったから、作り置き出来るクッキーが良いのではないかとなった。
みんなで持ち寄るクッキーなら、凛恋の手作りお菓子が知らん男に振る舞われる確率も減るし、誰がどれを作ったなんて分からなくなるから、俺の精神的には良いことだ。
「そかそか。でも、凡人くんはそれが良かったんじゃない?」
「当たり前だ。凛恋の手料理を他の男に食べさせたくないな。たとえ、どんなに札束を積んできても追い返してやる」
「凡人くん、お客さんを追い返しちゃダメだって」
「凡人以外に、本気料理は作る気ないって。あっ、ちょっとお手洗いに行ってくるね」
ケラケラ笑う萌夏さんと一緒に笑っていた凛恋が、立ち上がって部屋を出て行く。
すると、萌夏さんが凛恋が出て行った出入り口のドアを見つめた後、視線をコーヒーカップの中に落とす。
「凡人くん、凛恋が戻って来たら二人で話をさせてもらって良い?」
「分かった」
萌夏さんがそう言うと、凛恋が部屋に戻って来て萌夏さんを見た後に俺を見て首を傾げる。凛恋は萌夏さんの様子がおかしいのを見て不思議に思ったのだろう。
俺は立ち上がって凛恋の肩に手を置く。
「萌夏さんが二人で話をしたいって。俺は外に出てるから」
凛恋の肩から手を離して、萌夏さんの部屋の外へ出る。そして、ドアの脇に背中を付けて廊下に視線を落とすと、ドアの隙間から萌夏さんのすすり泣く声が聞こえた。
背中をドアとは反対側の壁に付けて、萌夏さんの泣く声から意識を逸らす。
「凛恋……」
「萌夏……大丈夫だから……大丈夫」
俺はその萌夏さんと凛恋の声を聞いて、拳を握りしめながら、更に萌夏さんの部屋から遠ざかるために階段を下りた。
凛恋が、俺の手を握って俺の肩に頭を預ける。
八戸家に寄って凛恋を送り届けて帰ろうとした。でも、凛恋がもう少し一緒に居たいと言ってくれた。だから、俺と凛恋は手を繋いで寄り添っている。
「萌夏はね、凡人に頼りそうだったんだって」
「俺に?」
「うん。……私が辛いこととか悲しいことがあった時に、凡人に甘えたくなる。それを萌夏もしたくなったって……それで、私にごめんって謝ってた」
「頼るくらい……気にしなくて良いのに……」
「萌夏は凡人に友達として力になってほしかったわけじゃないの。……萌夏は、凡人に男の人として力になってほしかったの」
凛恋が握った手を少し震えさせながら言葉を続けた。
「脅された時のことを、時々夢に見るんだって。体を触られた感触を思い出して、男の気持ち悪い笑顔と声が頭から離れなくなるんだって……そう言うの……私は分かるから」
凛恋が、内笠の事件のことを言っているのは分かる。そして分かるというのは、凛恋も同じように辛い思いをした経験があるからだ。
「私は本当に運が良くて幸せ者なの。私には凡人が居てくれるから、萌夏みたいに辛いことを思い出したら、凡人に頼れるの。側に居て、ギュってして、チューしてとも言える。それにもちろん、エッチしようって言える。だけど、萌夏にはそうやって頼れる人が居ない」
凛恋は手の甲で自分の目を拭いながら声を震わせる。
「萌夏は我慢するの。明るく振る舞って、周りに心配を掛けないようにする。元彼には頼れてたのかもしれない。でも、萌夏には、今、そういう人が居ないから……」
凛恋が唇を噛んで、何度も何度も目を拭う。
「萌夏の心を軽くするには、凡人に頼るのが一番。でも……私は凡人に男の人として萌夏の力にはなってほしくない。でも……萌夏のことが心配で……」
「俺は萌夏さんに、萌夏さんの友達として力になる」
俺が男として力になれるのは凛恋だけだ。でも、だからと言って、萌夏さんの力になることを諦めるわけにはいかない。
「私には何も出来ないけど、萌夏のこと、力いっぱい抱きしめて来た。大丈夫って声を掛けてきた」
俺は凛恋の頭に手を置いて、優しく凛恋の頭を撫でた。
凛恋は俺の胸に顔を埋めて声を押し殺して泣く。その凛恋の頭を、何度も何度も俺は撫で続けた。
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