【一〇三《フォルテッシモタイフーン》】:一
【フォルテッシモタイフーン】
病み上がりの俺は、退院早々、床に正座をさせられていた。
病み上がりなのだから、正座をさせられるのはどうなんだろう? とは思う。でもチラッと視線を上に上げると、俺を見下ろしている人”達”の鋭い視線が見える。
その人達の顔を見ると、俺はそんな自分勝手な文句は言えなかった。
凛恋、栞姉ちゃん、希さん、萌夏さん、露木先生、筑摩さん。その六人が、俺の正面に並んで立っている。
「凡人、何か言うことは?」
「ごめんなさい」
凛恋の怖い言葉に謝罪を返すと、今度は栞姉ちゃんの怖い言葉が聞こえる。
「カズくん、それは何についてのごめんなさい?」
「危ないことをしたことに対する、ごめんな――」
「凡人くん、危ないじゃなくて、実際に凡人くんは刺されたの」
「はい……」
俺の言葉を遮った希さんの冷ややかな言葉に、俺は体を縮込ませてそう言うしかない。やっぱり、日頃怒らない分、希さんが怒ると物凄く怖くて背筋が凍る思いがする。
「凡人くんが刺されたって聞いて、本当に心配した」
「前から無茶苦茶な人だと思ってたけど、今回は流石に私も庇えない。一歩間違えば取り返しの付かないことになってたんだよ?」
「…………心配掛けてごめんなさい」
萌夏さんと筑摩さんは、凛恋と栞姉ちゃん、希さんよりは言葉が優しい。でも、心配を掛けてしまったのは変わらない。
そして…………。
「多野くん」
「はい」
「危ないことしないでって言ったよね? 私」
「はい」
俺は一度、池水の時に露木先生に危ないことをするなと泣きながら言われた。そんなことが会ったのに、俺は同じことをやったのだ。だから、怒られても仕方がない。しかし……今日の露木先生は一段と怖い。
「筑摩さんが言ったように、一歩間違えば取り返しの付かないことになってたの。多野くんに何かあったら、多野くんのお爺さんやお婆さん、それから多野くんのことを気に掛けてる私達全員が悲しむの。多野くんの命は多野くんだけのものじゃないの……だからっ……だからッ!」
露木先生は手の甲で目元を拭った後、ペタンと座り込んで両手で顔を覆った。
「露木先生!」
露木先生の両脇に筑摩さんと萌夏さんか座り込み、露木先生の背中を擦っている。しかし二人の視線は、冷たく俺に向けられている。
悪いことをしてしまった。それは重々承知しているし反省もしている。でも……。
「その辺にしてあげたらどうだ? カズも反省してるし」
「栄次……」
親友の栄次が、酷く責められている俺を庇ってくれる。流石俺の親ゆ――。
「栄次?」
「…………カズが悪い、な」
希さんに睨まれ名前を呼ばれて一〇秒もしないうちに、栄次は味方をしてくれなくなった。俺が全面的に悪いし、希さんに睨まれたら怖いのは分かる。でも、もうちょっとだけ頑張ってほしかった。
「でも……凡人が無事で良かった」
「そうだね。私もカズくんに助けてもらった立場だし……」
「凛恋の言う通り、無事だったのは本当に安心した」
「まあ私も、田丸さんを守ったって聞いて、凡人くんらしいなって思っちゃったし」
「凡人くんの良いところの一部ではあるからね」
凛恋、栞姉ちゃん、希さん、萌夏さん、筑摩さんに呆れた顔を向けられて言われ、俺は心の中で「きっと許してくれたんだ」と思った。
「でも、露木先生は許さないかもねー。本当に凡人くんのことを心配してたし」
「凡人くんが入院した次の日、露木先生、寝込んで学校を休んだんだよ?」
萌夏さんと筑摩さんに傷口をえぐられるような言葉を掛けられ、塞がった心の傷口が痛んだ。
「さて、凡人くんを懲らしめる目的は達成したし、私は帰るね」
「私も、あまり大人数で居続けたら迷惑だろうし。露木先生、立てますか?」
「うん……」
萌夏さんと筑摩さんに慰められていた露木先生は、真っ赤にした目を俺に向け、唇を尖らせて言う。
「無事で良かった」
「本当に心配掛けてすみませんでした」
帰っていく萌夏さん達三人を見送ると、両腕を組んでいた希さんが大きく深いため息を吐く。
「はぁ~…………。栄次、帰ろ」
「あ、ああ」
栄次は慌てて立ち上がり、希さんの隣に並ぶ。すると、希さんが俺の目の前にしゃがみ込んで、両手で俺の頬を引っ張った。そして、すぐに離すと、そっと俺のことを抱きしめた。
「「希!?」」「あらら」
凛恋と栄次が叫び、栞姉ちゃんが困った声を漏らす。
「生きてて良かった」
優しい声でそう言ってくれた希さんが体を離すと、俺を睨み付けている栄次の手を握って振り返る。
「じゃあ、またね」
「ありがとう希さん」
「ほら栄次、行くよ」
栄次を連れて希さんが出て行った後、凛恋がギロっと俺を睨んで俺の目の前に立つ。
「凡人」
凛恋はズンと前に踏み出し、俺を上から見下ろしたまま冷たく言った。
「ペケ、一〇〇万ッ!」
久しぶりに学校に来て、午後の授業が始まった途端、何故か俺は紙袋を手渡され着替えるように言われる。そして、着替えを済ませた俺は、クラス全体のさらし者にされていた。
「随分無愛想な執事だね」
目の前で腕を組んでいる露木先生がニコニコしながら言う。いや、大分ケタケタというバカにした笑いに近いニコニコだった。
「でも、凡人くんは身長が高いから様になりますね」
露木先生の感想に付け加えるように筑摩さんが言って、俺にニコッと笑う。
「あの……これ、どういう状況でしょうか?」
俺が着替えろと言われて着替えさせられた服は、執事のコスプレ衣装。俺は理由は分からないが、何故かクラスメイトの目の前で執事のコスプレをさせられている。
「今年の文化祭の出し物が、執事喫茶になったの」
「…………それで、何で俺が執事を?」
「凡人くんは執事喫茶で執事の役割だからかな?」
「…………それって拒否出来ますか?」
「八戸さんに聞いてみて」
クスッと笑った筑摩さんが道を空けると、視線の先には、胸の前でスマートフォンを握りしめた凛恋の姿が見えた。
「凛恋、執事を拒否しても良いか?」
凛恋の側まで歩いて尋ねると、凛恋はキラキラとした目を俺に向けて言った。
「凡人! 写真撮って良いっ!?」
「…………」
俺が後ろを振り返って筑摩さんを見ると、筑摩さんが肩をすくめた。
「執事喫茶なら、多野くんが執事にピッタリだって八戸さんが推薦したから、多野くんの役割は一番に決まったんだよ」
視界の端に居た露木先生が、純粋なニッコリ笑顔で俺を見て言う。
「露木先生、そこは本人の承諾を得てから――」
「多野くんは面倒くさがりだから、無難なところしかやりたがらないでしょ? だから、たまにはこういう表に立つ経験も必要だと思うの」
露木先生はそう微笑んで言う。しかし、俺は昔っから、色んな人の悪意の矢面(やおもて)に立たされているのだから、ある意味、オモテに立つ経験は豊富だ。
「希! ちゃんと撮ってね」
「はーい」
希さんにスマートフォンを託した凛恋が、俺の腕をギュッと抱きしめて希さんの構えるスマートフォンに笑顔を向ける。
「はい、チーズ」
明るい笑顔の希さんがそう言うと、凛恋のスマートフォンからシャッター音が鳴り響いた。
今日の午後の授業は、文化祭の準備の時間に充てられている。だから、文化祭の準備をするのは間違ってはいない。しかし、俺が執事のコスプレをさせられているのは間違ってる。俺が執事の服を着て需要があるわけがない。
「これ、家宝にする!」
「俺には黒歴史だぞ……」
凛恋が喜んでいるのは嬉しいが、俺にとっては嬉しいことではない。
「でも、サイズが合って良かった。あとは多野くん本人の問題だね。多野くんは、接客は苦手そうだし」
「露木先生、それが分かってるならなんで俺が執事なんですか……」
「分かってるからだよ。苦手なことにもチャレンジしないと!」
「凡人! 大丈夫! 似合ってるから!」
凛恋が励ましてくれるが、自分の姿を見ても違和感しかない。
執事のコスプレなら、栄次にやらせた方がよっぽど良いに決まっている。まあ、栄次は刻季の生徒だから出来ないが。
「凡人、僕も執事をやるから一緒に頑張ろう!」
小鳥が嬉しそうにそう言う。それを聞いて「小鳥は執事というか、子羊だな」とは思ったが、口には出さなかった。
「タノモー!」
「ん?」
その声が聞こえて視線を向けると、カジュアルな服装の黒人青年が立っていた。そして、俺の方を向いて指をさす。
「ジャパニーズ、タノカズト!」
「…………」
俺を指さしてそう言った黒人青年は、俺に近づいてくると、ニッと笑う。
「イチフジ! ニタカ! サンタノカズト!」
「…………三は茄子(なすび)だぞ。ちなみに四は扇で五は煙草、それで六は座頭(ざとう)だ」
俺がそう答えると、黒人青年は腕を組んで困った表情をした後、パッと表情を明るくして人さし指を立てる。
「フジヤマ! テンプラ! タノカズト!」
「…………」
俺が困って反応を返せずに居ると、隣で聞いていた露木先生が首を傾げる。
「(あなたはもしかして、ピアニストのジュード・ウェイド・ヒギンズ?)」
「ピアニスト?」
露木先生が英語を喋ったことにも驚いたが『ピアニスト』という単語に疑問が浮かぶ。
「(良かった! 英語が話せる人が居て! そう! 僕はジュード・ウェイド・ヒギンズだよ!)」
なんか、英語が話せる人を見付けて喜んでいる様子の黒人青年だが、言葉も断片的にしか分からないし、状況が把握出来ない。
「(私はこの学校で教師をしています。露木真弥と言います。お会い出来て嬉しいのですが、少し場所を移してお話を伺えますか?)」
「(先生、ごめん! 僕はとても急いでるんだ。だから、多野凡人を少し借りていくよ。ほら、多野凡人、僕に付いてきて!)」
「うわっ!? な、何だ!?」
露木先生と黒人青年の話を聞いていたら、いきなり腕を掴まれて引っ張られる。
「凡人!」「多野くん!」
後ろから凛恋と露木先生の声が聞こえる。しかし、その凛恋と露木先生に、俺の腕を引っ張る黒人青年は笑顔で手を振った。
「(ごめんね! どうしてもステラとの交渉に必要なんだ!)」
「ステラ?」
俺は黒人青年の発した言葉の中に、聞き慣れた名前を聞いて首を傾げた。
「(ジュード。今すぐ凡人を解放して)」
「(それは出来ないよステラ。多野凡人は君と交渉するために連れてきたんだから)」
「(凡人を人質に取るなんて卑怯)」
「(多野凡人を連れてきたら、僕と一緒に演奏してくれる約束だろう?)」
「(私は凡人のためにしか弾かないと言っただけ)」
黒人青年にワゴン車の後部座席に押し込まれたと思ったら、俺はステラの通う桜咲女子に連れて来られていた。そして、執事服のまま桜咲女子の校舎の中に引っ張り込まれて、授業中だったステラの目の前に突き出されている。
その俺は……何故か両手を頭の後ろに組まされている。
「ダメだ……何を言ってるかさっぱり分からない」
二人とも流暢な英語で会話をしていて、耳が会話のスピードについて行けずに内容が聞き取れない。こんなことなら、英会話を習っておくんだった。
「(凡人は暴漢に襲われて刺されているの。その傷口が開いたら、貴方はどう責任を取るつもり?)」
「(何だって!?)」
黒人青年が俺を見て驚いている。が、やっぱり何を言ってるか分からない。
「ステラ、これはいったいどういうことなんだ?」
「(ジュード、少し待ってて)」
ステラが黒人青年に言うと、ステラが俺の方を向いてジーッと視線を向け続ける。そして、おもむろにスマートフォンを出すと、俺に向けてパシャリと写真を撮った。
「凡人、とても似合ってる」
「ステラ……状況を説明してくれ」
「(ジュード。凡人と腕を組むから撮って)」
「(もちろん!)」
黒人青年にスマートフォンを渡したステラが、俺の腕を抱いてスマートフォンを見る。何だか、マスコットキャラクターの着ぐるみを着た人の気分だ。
「(ジュード。もう帰っていい)」
「(酷いよステラ! 多野凡人と写真を撮ったら僕とコンサートに出てくれる約束だろう!?)」
「(そんな約束をした覚えはない)」
「(そんな~っ!)」
また英語で話し始める二人を眺めていると、スーツを着た頭の良さそうな日本人女性が横を通り過ぎる。
「(ジュードさん、探しましたよ)」
「(ステラに直接交渉に来たんだ。でも、ステラがなかなか首を縦に振ってくれなくてね。多野凡人が居ないと演奏しないって言うから、来てもらったんだ)」
黒人青年と少し会話をした日本人女性は、小さくため息を吐いて俺の方を見た。
「私はジュードさんの日本での活動をマネジメントしている者です。この度は、ジュードさんがご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
「は、はあ。あの……事情を説明してもらえませんか? 状況が全く分からないまま連れてこられたんで……」
やっとちゃんと話が出来そうな人が現れてくれた。ただ、俺は腕を解いて良いか分からず、頭の後ろで組んだままだ。
「ジュードさんは、アメリカで人気のある天才ピアニストです。今回は、クリスマスコンサートの準備のために来日しました」
「天才ピアニスト……」
俺は視線をジュードと呼ばれた青年に向ける。ジュードは、明るい……いや、眩しい笑顔を俺に向けて手を振る。
「それで、ジュードさんはあちらの神之木ステラさんのヴァイオリン演奏を見て気に入ったそうで、是非自分のクリスマスコンサートにゲスト出演してほしいと依頼したのですが、断られまして」
「それで、何でステラのコンサート出演に俺が巻き込まれたんですか?」
「神之木さんが、多野凡人さん以外のためにはヴァイオリンを弾かないとおっしゃいまして」
「それで、俺を連れてきたと……」
いつの間にか、桜咲女子の教師達が集まり、ステラやジュードに話し掛けて事態の把握に努めていた。
「凡人、とても素敵」
「ステラ、ありがとう。でも、もう帰って良いか? 俺も授業中だったんだよ」
「ジュードが迷惑を掛けてごめんなさい」
「まあ、ステラが悪いわけじゃないしな」
ステラがやりたくないということをやらせる権限は俺にはない。クリスマスコンサートに出るか出ないかは、ステラが自分で決めるべきだ。
俺はポケットからスマートフォンを取り出して、露木先生に電話を掛ける。すると、すぐに露木先生と繋がった。
『多野くん!? 今どこに居るの!?』
「今は、桜咲女子に居ます。ジュードっていうピアニストがステラをコンサートに誘ったら、俺の名前を出したらしくて」
『…………それで、神之木さんにコンサートへ出てもらうために多野くんを連れて行ったってことね…………はぁ~』
露木先生の大きなため息が聞こえる。
『戻って来られそう?』
「今から帰ります」
『八戸さん、多野くんだよ』
『凡人ッ!? 凡人無事なの!?』
露木先生が凛恋と代わった途端、耳にキンキン響く凛恋の声が聞こえる。いきなり連れ去られたのだから誰だって心配するに決まってる。
「大丈夫。俺を引っ張って行ったのはピアニストで、ステラに自分のコンサートに出てほしくて、それで俺が頼んだら出てくれると思ったらしい」
『…………何よそれぇ~。めちゃくちゃ心配したんだから……』
「ごめん、すぐに学校に帰るから」
『ペケ、一億』
「…………かしこまりました。凛恋お嬢様」
俺は自分が執事の格好をしていることを思い出し、電話越しにそう冗談でそう言ってみる。すると、電話の向こうから凛恋の少し明るい声が聞こえた。
『それ、帰って来て直接言ってくれたら、ペケ、一に変更』
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