【一〇二《最期の希望》】:一

【最期の希望】


「頼む! 俺を助けてほしい!」


 刻雨高校が放課後の時間、俺は純喫茶キリヤマにみんなに集まってもらって、みんなの前で頭を下げた。


「俺はみんなと一緒に居たい。でも、俺一人じゃ何も出来ないんだ。だから……みんなに助けてほしい」

「カズ……」


 頭を下げていた俺に、栄次が無理矢理頭を上げさせて、力強く両肩を掴んだ。


「当たり前だろ! 親友なんだから、何だって協力するに決まってるだろ!」

「そうだよ、凡人くん! 栄次の言う通り、親友の凡人くんのためなら何でも協力する! それに、私は何度も凡人くんに助けてもらってるんだから!」

「私も、凡人くんに何度も助けてもらってる。絶対に、凡人くんを悪者扱いしたやつらの好き勝手にはさせない!」


 希さんと萌夏さんも俺にそう言ってくれて、俺は「ありがとう」と言葉を返したかったが、唇が震えて頷くことしか出来なかった。

 気持ちで唇の震えを押さえ込んで、俺は凛恋の前に立つ。


「凛恋……一緒に居たい」


 凛恋には、その単純な、純粋な気持ちしかなかった。

 ただ凛恋と一緒に居たい。凛恋と離れ離れになりたくない。そう思うことしか伝えられなかった。


「どこにも行かせない」


 優しく抱きしめてくれた凛恋が、はっきりとした声で言ってくれた、俺は凛恋の背中に手を回して凛恋の体を抱き寄せた後、ゆっくりと体を離した。


「さて、多野くんと凛恋がディープキス始める前に行こう。駅前で露木先生が待ってる」

「そうね。みんなで凡人くんを守ろう!」


 溝辺さんのからかうような明るい声に、萌夏さんがニッコリ笑って応える。

 その二人の明るさに、純喫茶キリヤマに来てくれたみんなの表情が明るくなった。




 俺が刻雨に残るために、露木先生達が考えてくれたのは、署名だ。ただ、槌屋先輩の母親が集めた、刻雨生の保護者の署名じゃない。この街に住んでいる人達の署名だ。


 もう既に、刻雨高校の保護者の過半数を取るのは無理だ。だから、露木先生は”この街の人口の過半数”を取る気なのだ。


「この街の過半数って何人?」

「六〇万人だから、三〇万人以上だよ」

「そっか。目標は三〇万人ね」


 萌夏さんと希さんが話すのを聞きながら、俺は少しだけ不安になった。

 見ず知らずの人が、俺のために三〇万人も協力してくれるだろうか?


「凡人くん、これ見て」


 近くに筑摩さんが来て、俺にスマートフォンの画面を向ける。そこには『不当な自主退学要求撤回のための署名へのお願い』と書かれたウェブページがあった。


「みんなでSNSを通じて、このページを拡散してもらっているの。この街の人達だけじゃなくて、全国の人に協力してもらおうと思ってる」

「ありがとう筑摩さん」

「凡人くんは私の大切な友達だから。それに、私の大切な初恋の人でもあるし」


 パチッとウインクした筑摩さんは、その後にすぐまっすぐ視線を俺に向けて、手に持っていたスマートフォンを握りしめた。


「頑張ろう」

「ああ、よろしく頼む」

「うん」


 筑摩さんはそう言うと、バインダーを持って署名の声掛けを再開した。


「不当な自主退学要求撤回のために、署名をよろしくお願いします!」

「私達の大切な友達の将来を助けてください!」


 みんなが署名の呼び掛けをしてくれているのを聞いて、俺も声を出して署名を呼び掛ける。


「友達と一緒に居させてください! 署名へのご協力お願いします!」

「僕の友達を助けてください! よろしくお願いします!」


 少し離れたところに立っている小鳥が、大きな声を出して呼び掛けてくれる。

 小鳥は大きな声を上げるような性格じゃない。大人しい性格で、そういうことを苦手にしているタイプだ。でも、そんな苦手なことも小鳥は俺のためにやってくれている。


 みんなが頑張ってくれている。でも、立ち止まってくれる人は少ない。やはり、見ず知らずの人間のために、わざわざ立ち止まって名前と住所という個人情報を記入するのはハードルが高い。


 マスコミでは、俺のことは表立って悪者とは言われていない。

 ただ、母親が犯罪者でいくつかの刑事事件に関わっていると言われている。そんな報道のされ方をすれば、俺のために個人情報を使おうなんて考える人が居なくても仕方ない。


「凡人を助けてくださいっ! 凡人は私を助けてくれたんです! 凡人は! 凡人は何も悪くないんですっ!」


 隣に立つ凛恋が、必死に通り過ぎる人の波に声を掛ける。怖いはずの男性も居るのに、必死に、俺のために声を上げてくれている。


「凛恋」

「絶対に凡人をどこにも行かせない。ずっと一緒に居るんだからっ」


 キュッと唇を噛んで凛恋が制服の袖で目を拭う。俺は頑張ってくれている凛恋の背中を撫でた。




 署名活動は二〇時になるまで続いた。本当はみんな、二二時までやってくれると言っていた。でも、いくら保護者が居ると言っても、それは遅過ぎる。

 凛恋の友達や、筑摩さんの友達関連の人が手伝ってくれているため、署名活動に参加している刻雨生は女子が多い。女子をそんな遅くまで外に出歩かせるわけにはいかなかった。


「多野くん、明日も頑張ろう」

「露木先生、今日はありがとうございました」

「ううん! うちのお母さんにも協力してもらって、近所の人に話して署名を集めてもらってる。他にも、保護者の方々が色んな伝手を使って、署名活動をしてくれてる。だから、みんなの力を借りて、絶対に復学を勝ち取ろう」

「はい。よろしくお願いします」


 露木先生に挨拶をして振り返ると、俺の手を凛恋が握る。そして、凛恋のお母さんがニッコリ笑った。


「さあ、帰りましょう」

「うん。凡人、行こう」

「ああ」


 俺は凛恋に手を引かれながら歩いて、お母さんの後ろを付いて行きながら、視線を歩道のタイルの上に落として唇を噛んだ。

 ほとんどの人が、立ち止まってさえもくれなかった。話さえも聞いてくれなかった。

 素通りされて、声がかれるまで声を張り上げても、まるで居ない人間のように扱われる。


 俺は陰口を叩かれる経験は多いが、無視される経験は少ない。それは、他人に対して諦めるのが早く、他人に話し掛けることをしなかったからだ。だから、話し掛けて無視されるという経験がほとんどない。

 そのせいで、少なからずダメージを受けていた。


 仕方がないのだ。街を歩いている人に、俺達の話を聞く義務はない。だから、無視されても、居ないものと扱われても、何の文句も言えない。

 でも、無視され続けるのは辛かった。


 署名活動が終わり、みんなは互いに励まし合った。

 大丈夫だと、頑張ればみんな分かってくれると……でも、それは励まし合わなければならないほど、状況は芳しくないということでもあった。


 誰が悪いわけでもない。誰か悪い人が居るとしたら、見ず知らずの他人を動かせる力の無い俺が悪い。


 タイムリミットは一ヶ月以内。

 それまでに、目標の三〇万人以上の署名が必要だ。だけど、不安がある。


 たとえ、三〇万人の署名を集めたからと言って、学校側が、あの刻雨の理事長が謹慎の解除と自主退学勧告の撤回をするだろうか。

 槌屋先輩の母親が集めた署名と、俺達が集めている署名との決定的な違いは、学校側に直接影響があるかないかだ。


 槌屋先輩の母親が集めた署名は、刻雨生の保護者の署名。保護者達が俺の退学処分と引き換えに、自分達の子供の転学を突き付けている以上、学校側は、生徒数減少による収入の減少という実害がある。

 それに対して、俺達が集めている署名は、刻雨高校とは全く関係のない人達の署名だ。


 たとえばこれが公立高校相手だったら、公立高校の管轄は地方公共団体だから、市民の意見には耳を傾けるかもしれない。だが、営利を目的とした私立高校の刻雨高校は、下手をすれば見もせずに捨てるかもしれない。

 寄付金に影響されて、俺に自主退学をさせようとする理事長だ。

 利益を最優先にするに決まっている。


 そう思うが、そう思っても他に方法が思い付かない。

 それには、三〇万人以上の署名を集めた上で、あの理事長に人としての良心があることを願う外はない。


 俺が考え事をしている間に、月決め賃貸マンションの前に着く。すると、凛恋が俺の前に立ってゆっくりと唇を重ねた。

 凛恋のお母さんは少し離れた場所に立って、スマートフォンでどこかに電話している。きっと、俺達に気を遣ってくれたんだろう。


 俺はお母さんの姿を確認した後、凛恋の腰に手を伸ばして抱き寄せ、壁の陰に引き込んで凛恋と深く長いキスをする。

 やっと唇を離した俺と凛恋は、すぐに互いに抱きしめ合う。


「凛恋、好きだ」

「凡人、大好き。絶対に、凡人のこと守るからね」

「ありがとう。凛恋がそう言ってくれたら、俺も頑張れる」

「凡人は頑張らなくていい。いつも凡人は頑張ってるんだから、今回は私が頑張る番」


 凛恋は俺から離れた後、首に掛けたペンダントのロケットを握りしめる。


「私も、この気持ち、ちゃんと凡人に見せるから。行動で、結果で、凡人にいっぱいありがとうを見せるから!」


「凛恋……ありがとう、凛恋っ!」


 嬉しくて心強くて温かくて……そんな凛恋が居れば、俺は何でも出来る気がした。




 俺の目の前で、露木先生が誇らしげに積み上がった紙の束に手を置いた。


「一〇〇万人だよ。多野くんには一〇〇万人の味方が居る」


 露木先生は誇らしげに俺に言って、クシャッと笑った。


「ありがとうございます。露木先生、それにみんな」


 刻雨高校の教室で、俺はみんなに深々と頭を下げた。

 街頭とインターネットでの署名活動以外に、色んな人が色んな伝手を使って署名を集めてくれた。それで集まった署名は一〇〇万人分。目標だった三〇万人の三倍以上だった。正直、こんなに集まるなんて思ってなかった。


「じゃあ、多野くん行こうか」

「はい」


 俺への自主退学要求に反対してくれた先生達が、一〇〇万人分の署名を持って歩いて行く。その先生達の後に付いて行こうとすると。後ろから凛恋が俺の手を掴む。


「凡人……」

「心配しなくても大丈夫だ」


 振り返って凛恋に微笑み掛けると、凛恋がニコッと笑ってしっかりと頷いた。


「うん! 凡人は何も悪いことしてない。だから、絶対大丈夫!」


 凛恋とみんなに見送られて教室を出ると、ニコニコ笑う露木先生が居た。


「さっ、行こう! ササッと謹慎と退学要求を撤回してもらって、すぐにみんなで文化祭の準備を始めないと!」

「露木先生」

「どうしたの?」

「もしダメでも、今日までのことは忘れません」

「多野くん」


 俺の言葉に、露木先生が俺の両肩を掴んで首を横に振る。


「駄目なんてことはないから。こんなに沢山の人が賛同してるんだよ? 無視出来るはずがない」

「そうですよね。すみません」

「ほら、行こう」


 そうですねと同意した。すみませんと謝った。だけど、本心では拭い去れない懸念が残っている。

 俺は懸念を残したまま校長室に歩いて行き、ノックをする露木先生の後に続いて中へ入った。


「失礼します」


 校長室に入ると、視界に入ったのは、理事長と理事長のお母さんのお婆さん。それから、久しぶりに見た校長と教頭。そして、石川と槌屋先輩の母親だった。


「露木先生、話というのは何でしょう?」

「多野凡人くんの謹慎処分と自主退学要求の撤回をしてもらいに来ました」


 露木先生の声の後、先生達が集めた署名をテーブルの上に置く。しかし、テーブルの上には、既に別の署名が置いてある。槌屋先生の母親達が集めた署名だ。

 量を比べれば……いや、比べるまでもなく圧倒的にこっちの方が多い。でも、理事長は右手で少ない方の署名を手に取った。


「残念ですが、いくら署名を集めても判断は覆りません」


 その理事長の一言に校長室は静まり返った。

 長い長い沈黙。それを破ったのは、露木先生の声だった。


「どうしてですかッ! 一〇〇万人も多野くんに対する学校の判断は間違っていると言っているんですよ! なのに何でその声を否て――」

「保護者の九割が俺の通学に反対していて、俺を通学させるなら転学させると言っているから」

「多野凡人さんの言う通りです。私達の学校運営は保護者の方々の入学金、学費、それから寄付金で賄われています。ですから、学校運営に影響の無い人達が一〇〇万人集まっても。保護者の方々数一〇〇人の声の方が影響があるんです」


 実際、こうなることを想像していた。だから、全く想像してなかった時よりもショックは小さいはずだった。

 でも……現実に突き付けられると、胸が詰まって苦しくて、心を無残に引き裂かれたような痛みが走った。


 理不尽に勝てないこともある。

 その理不尽が凄い力を持っていて、無実さえ覆い隠して押し流してしまうくらい強かったら、どんな無実や正義も弱かったら勝てない。

 どんなに正論を説いても、強い暴論に掻き消されてしまう。


「これで話は終わりですか?」

「多野くんを守ろうとした生徒達の気持ちはどうなるんですか!」

「露木先生! 理事長の判断は出ました。これ以上はみっともないですよ」


 教頭が正面から露木先生にそう言う。しかし、露木先生は首を振って叫んだ。


「みっともなくて良いです! 世間体を気にして無実の生徒が退学させられるくらいならっ! 私はみっともない教師で構いませんッ! 理事長ッ! 多野凡人くんの退学要求と謹慎を撤回してください!」

「残念ですが答えは変わりません。話は以上です」

「露木先生ッ!」


 露木先生はその場に崩れ落ちてしまい、俺はとっさに露木先生の肩を支える。

 他の先生が露木先生の近くにしゃがみ込み、露木先生を立たせようとする。しかし、露木先生は両手で顔を覆って泣き続けていた。


 露木先生は俺よりも年上の大人だ。でも、露木先生は俺よりも純粋な人なのだ。

 一〇〇万人の署名を集めて、沢山の人が俺に協力してくれた。それなら、絶対に覆ると露木先生は信じていた。でも、現実はそうはならなかった。

 だから、内心でダメな場合を想定していた俺よりも、俺のためにショックを受けてくれた。


 俺は今日まで、俺のために頑張ってくれる沢山の人が居た。

 クラスの友達とその両親、露木先生と他にも沢山の先生、爺ちゃん婆ちゃんに栞姉ちゃん、溝辺さん達も居たし、鷹島さん、筑摩さん、小鳥、栄次、希さん、萌夏さんも居た。

 そして、凛恋のお父さんお母さん、優愛ちゃん、何より……凛恋が居てくれた。


 一〇〇万人の署名も嬉しかった。でも、その何一〇〇万倍以上、俺の側にこんなにも俺のために頑張ってくれる人が居ることを知れて嬉しかった。

 絶対に、俺は今日までの日を忘れない。


「教頭、テレビ局の取材が来ています」

「いえ、私が対応しましょう。校長室に通してください。そういうことですので。出て行ってください」

「ほら! 出て行きなさい!」


 俺達は、校長と教頭に校長室から押し出されるように外へ出た。

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