【七六《良い関係》】:二
電車に揺られ、それからバスに揺られ、更にダラダラゾロゾロと歩いた末に辿り着いた場所は、拓けた川辺だった。
地面は土で、川の近くには大小様々な石ころが転がっている。そして、肝心要の川は水が透き通った綺麗な川だった。それに、人が居ない。
「こんな良い場所なのに人が居ないなんて」
「里奈のお父さんが穴場だって教えてくれたんだって」
隣で手を繋ぐ凛恋が川を眺めてクスッと笑う。
「さてと、凛恋は少しみんなと話しててくれ」
「え? 凡人は?」
「俺はやることがある」
凛恋から離れて、うーんと背伸びをして持ってきた荷物から一際大きな荷物を手に取る。これは、溝辺さんのお父さんから託されたテントだ。
男の俺と栄次は、人目につかないように着替えれば良いが、女性陣はそういうわけにはいかない。だから、溝辺さんに頼んで大きめのテントを用意してもらった。
「ホント、多野くんってそういうところマメだよね」
「彼女を外で着替えさせるわけにいかないんで」
萌夏さんと会話しながらテントの組み立てをしていると、栄次が一緒に組み立てを手伝ってくれる。
「それを言われると、俺が気が利かない男みたいだな」
「栄次は場を盛り上げろ。俺にはそれが出来ないからな。そっちは栄次の役割だ」
手早くテントを組み立て、早々に女性陣へテントを譲る。そして、俺と栄次は、少し離れた場所で座り込んだ。
「カズ、希の水着姿、あまり見るなよ」
「栄次は凛恋の水着姿を絶対に視界に入れるな」
互いに自分の彼女の水着姿を守り合っていると、後ろからトントンと背中を叩かれる。
後ろを振り返ると、Tシャツ姿の萌夏さんが立っていた。どうやら、水着の上にTシャツを着ているらしい。
「多野くん、今凛恋が着替えてるから覗きに行けば? 希も一緒だけど」
「カズ、分かってるよな?」
からかうように笑う萌夏さんと、ギッと睨み付けてくる栄次。
「一体二人は俺を何だと思ってるんだ。そんなことしたら凛恋に幻滅されるに決まってるだろ」
「いや、凛恋は喜ぶんじゃない?」
クスッと笑った萌夏さんが俺の隣に座る。
栄次は希さんがテントから出て着たのを見て、男一人を残して希さんに駆け寄って行った。
チラッとテントの方に視線を向けた後、俺に視線を戻した。戻って来た萌夏さんの顔は、相変わらずからかうように笑っていた。
「凛恋が言ってたよ。凡人くんとイギリス行くの楽しみだって」
「そうか」
「良いなー。私も凡人くんみたいな彼氏欲しいかも」
「俺みたいな面倒くさい人間は俺だけで十分だ」
「凡人くんは面倒くさくないよ。彼女のことを本当に大切にしてくれる彼氏って早々居ないし。てか、凡人くんのせいで、私と里奈の彼氏候補の条件が厳しくなってるのよ」
「彼氏候補の条件?」
「そーよ。凛恋にも言ったんだから。凛恋が凡人くん見付けたせいで、周りの男が全員頼りなく見えるって」
「俺は頼りない部類の人間だろ」
「何言ってるの。彼女を命懸けで守れる彼氏が頼りないわけないじゃん」
萌夏さんは俺の肩をバシッと叩いて笑う。
「凡人くん」
「ん?」
ラッシュガードを着た希さんが近付いて来て、俺に耳打ちをする。
「凛恋が来てって言ってたよ」
「凛恋が? 分かった」
俺は希さんに言われた通りテントまで歩いて行き、テントの入り口前で声を掛ける。
「凛恋、どうかしたか?」
「うん。入って」
入ってと言われて一瞬躊躇うが、凛恋が入れと言うのだから大丈夫なのだろう。
入り口のファスナーを開けて中へ体を入れて顔を上げると、俺は固まった。
「凛恋……水着が……」
「どう?」
下は白と青のボーダー柄で上はピンク色で大きなリボンとボリュームのあるフリルが印象的な水着。
去年、凛恋が着ていた水着とは全く違う。
「凄く似合ってる……けど、去年の水着は?」
「えっと……凡人が夏期講習をしてる時に試しに去年の着てみたんだけど……上が小さくなってて」
凛恋が恥ずかしそうにはにかんで答える。しかし、一瞬その恥ずかしがる理由が分からなかった、だが、俺は頭の中で一つの答えに至る。
水着に限らず服を買い換える時は、破れたり汚れたりして使えなくなったか、サイズが小さくなって着られなくなったかだ。
今回の凛恋の場合は、どうやら後者らしい。そして、凛恋の場合は上が小さくなったらしい。
小さくなった、と言っても。毛糸のセーターでもない限り、衣服が着られなくなるくらい縮むわけがない。ということは、凛恋の体が成長したことによって、水着が小さくなったのだ。
「…………」
「凡人のエッチ」
「だ、だって、小さくなったって言うことは大きくなったっていうことだろ!」
ドキドキしてしどろもどろになりながらも、俺は凛恋の胸を見つめる。一年間で一体どれだけ成長したのだろう。
「だからね、新しい水着にしたから……凡人に最初に見てほしくて」
「ありがとう凛恋……凄く嬉しいし凄くドキド――イタッ!」
「もー、胸を見ながら喋らないの!」
「ご、ごめんなさい。でもつい……」
「でも嬉しい。凡人がドキドキしてくれて」
「するだろ。胸が大きくなったなんて言われたら」
「でも、ブラも買い替えてるし、水着のサイズが合わなくなるのも当然なのよね」
自分で自分の胸に手を被せてサイズを確かめる凛恋。その光景は、思いの外……いや、かなりエロい。
「さて、テントを空けないといけないし出るわよ」
「お、おう」
「こら! いつまでも胸を見ない」
「はい」
手を引かれて外に出ると、入れ違いで溝辺さんが入って行き、凛恋はバッグを手に持ってテントから離れていく。
みんなから少し離れた場所で凛恋がバッグから俺の水着とバスタオルを取り出して差し出す。
「ほら、凡人も着替えて」
「分かった」
Tシャツを脱ぎ、腰にバスタオルを巻いてズボンに手を掛けようとして止まる。凛恋がジッと見ているのだ。
俺と目が合った凛恋は「どうしたの?」という表情で首を傾げている。
「凛恋、向こうを向いててくれるか?」
「今更、別に良いじゃん」
「良くないだろ」
「あっ!」
「ん?」
何か思い付いたような顔をした凛恋はニコッと微笑んで小首を傾げる。
「着替え、手伝ってあげようか?」
「お断りします」
「ちょっ! なんでよー」
「なんででもだ」
唇を尖らせてすねた声を出す凛恋に見えないよう着替えを済ませると、凛恋が真正面から抱き付く。
「り、凛恋?」
「凡人の裸、他の子に見せたくない……」
「り、凛恋……ヤバイって……」
水着姿で抱き付かれ、俺の胸に凛恋の胸がムギュムギュと押し付けられる。
「こらー、そこのカップルー! いちゃいちゃしてないで遊ぶよー!」
萌夏さんのその声が聞こえて、俺と凛恋は二人してビクッと体を跳ね上げる。そして、凛恋が手を握ってみんなのところに引っ張って行く。
川では女性陣が黄色い声を上げながら水遊びをしている。
俺は足だけを水に浸けて、ボーッと流れる水を見つめる。何だか、流れる水を見ていると心が穏やかになる。
「凡人くん」
「希さんは遊ばなくていいのか?」
「うん、休憩」
希さんは俺の隣に座り、俺と同じように川の水に足を浸ける。水色で花柄のタンキニを着た希さんは、足をパチャパチャと動かしながら話し始める。
「川だと人が少ないから良いね」
「静かだし、まったり出来て良いな」
二人でボケっと座っていると、俺の方を見た凛恋が駆け寄ってくる。
「凡人と希は休憩中?」
「うん」「そうだ」
「じゃあ、私も休憩!」
休憩が必要なさそうな凛恋は、俺の隣に並んで希さんと同じように、足をパチャパチャと動かして遊ぶ。
「凡人、内緒にしててごめんね」
「謝らなくて良いって。でも、凛恋が行こうって言ってくれたら俺は断らなかったぞ?」
「分かってる。……でも、水着のこと驚かせたくて」
それは新しい水着にしたことなのか、それとも胸のサイズが大きくなったことなのかは分からないが、隣に希さんが居る状況で聞けるわけがない。
「希は栄次くんと一緒に居なくていいの?」
「うん……」
希さんは少し俯いた後、視線を栄次に向けた。
「栄次、私以外に好きな人が出来たかも……」
「「…………えっ!?」」
俺と凛恋は同時にそう聞き返した。でも、希さんの表情は深刻そうだ。
「どうして栄次くんが希以外に好きな人が出来たって思うの?」
凛恋が心配そうに希さんの顔を覗き込んで尋ねる。すると、希さんはさっきよりも細く弱い声で呟く。
「一週間毎日会ってるのに、栄次……キスしてくれなくなったの。もちろん、その先も……」
俺は右手で額を押さえて天を仰ぐ。何だか、デジャヴを感じる状況だ。
去年の夏も同じようなことがあったような気がする。ちょっと状況は違うが。
「それは、ちょっと寂しいって思うけど、だからって希以外の人を好きになったって考えるのは早いわよ」
「希さん、ちょっと待っててくれ。凛恋は希さんを頼む」
「凡人、栄次くんに聞いてくれるの?」
「まあ、こういうのは男の方から動くものだからな」
そう言って、俺は水遊びをする栄次に近付いて行く。栄次は男一人なのに上手く溶け込んで楽しそうに遊んでいたが、俺の姿を見るとすぐに駆け寄ってきた。
「カズも遊ぶか?」
「いやいい。それよりも、栄次は遊んでる場合じゃないぞ」
「え?」
「お前が希さんに手を出さないせいで、お前が希さん以外の誰かを好きになったかもしれないって思い込んで、希さんが落ち込んでる」
「希が!?」
「去年も同じ時期に勘違いしてギクシャクしてたな。二人はよっぽど仲が良いんだな」
「俺、希と話してくる!」
「早く誤解を解いてこい。もうすぐ昼飯なんだからな」
栄次の背中を押して送り出すと、入れ替わりに凛恋が俺の方に駆け寄ってくる。
「栄次くんは何て?」
「栄次は初めてエッチした時のことがトラウマになって、誘うのが怖くなってるらしい。それで、雰囲気で行ける時以外の誘い方が分からんって言ってた」
「あー、希もチューしよーとかエッチしよーとか言えないタイプだしね」
希さんは凛恋と違って恥ずかしがり屋だから、当然言えるわけがない。
「あっ! 今、私と違って希は恥ずかしがりだから言えるわけないって思ったでしょ」
「何で分かったんだ?」
「凡人のことはなんでもお見通しよ! ……ねぇ、ちょっと二人で抜けない?」
「凛恋?」
凛恋に手を引かれ、みんなが遊んでいる場所から少し離れた場所にある木陰に入った。
夏の日差しが当たらない木陰には、涼しい風が流れていた。
「凡人、チューしたい」
ニコッと笑う凛恋がギュッと俺を抱きしめて顔を上げ、そっと目を閉じる。俺は、その凛恋の唇にゆっくり唇を重ねた。
「私達は希達みたいな心配はしなくて良さそうね」
「俺と凛恋は誘い合うからな」
「昨日は凡人が誘ってくれたよねー」
ニカーッと笑う凛恋を抱きしめて、俺は優しく頭を撫でた。
「断っても良かったんだぞ。今日、早起きしたんだし」
凛恋は今朝、俺よりも早起きしてみんなの分の弁当を用意した。たった一人でだ。
かなりの労力と時間が掛かったに違いない。もし知っていたら、俺だって誘わなかった。
「だって、凡人にエッチしよって言われるのチョー嬉しいし、それに断ったら勿体ないじゃん。凡人は私が誘ったら断る?」
「凛恋が無理してない限り断らないな」
「やっぱ凡人はチョー優しい」
柔らかく微笑んだ凛恋が体をピッタリ付けながら、両手で俺の手をそれぞれ掴む。
「私ね……出来るだけ、凡人のことを感じてたいの。出来るだけ凡人の近くに居て、出来るだけ凡人の存在を確かめてたい。そうしてたら、凄く安心出来て幸せで」
「俺も出来るだけ凛恋を感じてたい。でもそれで凛恋が傷付いてしまうかもしれないなら、俺はそういう思いも抑えなきゃいけないこともあると思ってる」
「ありがとう。でも、私は絶対に凡人に無理してないから」
「なら良かった」
凛恋が体を離して、少し背伸びをして頬にキスをしてくれる。そして、俺に背を向けた凛恋はニコッと笑った。
「今日の夜は、私から誘うね」
そう言った凛恋は駆け出してみんなの所に戻ってしまう。
その背中を見て、俺は激しく鼓動する胸を鎮めながら、走り出した凛恋の背中を追い掛けた。
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