【七二《趣味嗜好》】:三

 夜の公園で、ステラの演奏を聴き終えた俺達は、ステラを座らせて俺が立ち、本題について話していた。


「それで? 俺達を呼び出したのは何の話なんだ」

「三人にガラコンサートに来てほしい。凡人は必ず来て」

「ガラコンサートって、あのインターナショナルミュージックコンクールのガラコンサートか?」

「そう」

「でも、出演は辞退したって言ってなかったか?」

「辞退出来なかった」


 少しシュンとした表情をしたステラは、いつもより元気のない声で言う。


「出たくないなら出なくていいんじゃないか?」

「そういうわけにはいかなくなった。……先生に怒られた」


 ステラが少し体を震わせる。どうやらヴァイオリンの先生に出ろと怒られたらしい。

 まあ、教え子の晴れの舞台を見たいというのと、プロも落ちるコンクールで高一が金賞を取ったのだ。

 先生としての評判も考えると、ガラコンサートに出て目立ってほしいのかもしれない。


「コンクールの運営者からもしつこく頼まれてめんどくさかった。だから、一番良い席を三つ用意してと交換条件を出した」


 そう言ったステラは、俺、凛恋、優愛ちゃんにチケットを差し出す。それを受け取った俺達は揃ってステラに視線を向けた。


「くれるのか?」

「そう。三人に見に来てほしい」


 代表して俺が尋ねると、ステラは俺の目を見て頷いた。


「凛恋と優愛ちゃんは都合合うか? 一応日曜みたいだが」


 俺は明日から五日間、短期集中の夏期講習に通う。本当は夏休み丸々使うべきなんだろうが、そっちの方は当然受講料が高い。そ

 れに、凛恋と一緒に住んでいるのに夏休みを丸々潰すのは勿体無かった。ガラコンサートは丁度その夏期講習が終わった後だった。


「私は大丈夫」

「私も! ステラの演奏聴きたい!」


 優愛ちゃんがニコニコと笑ってステラに引っ付く。


「優愛、暑い」


 夜と言っても夏だ。そりゃあ、人がくっ付き合えば暑いに決まっている。

 優愛ちゃんとステラは仲良くなった。同い年ということもあるが、何となく互いの波長が合ったようだ。


 端から見ればステラは迷惑しているように見えるが、優愛ちゃんに抱き付かれても押し退けることはない。

 それに暑いとは言っているが、拒絶もしていない。だからきっと、ステラも優愛ちゃんと気が合うのだろう。


「でも、ステラって見た感じボーッとしてるのに、ヴァイオリンを弾くと凄く変わるよね!」

「今日はいつにも増して凛恋が凡人とくっ付いているから、とても演奏が荒くなってしまった」


 ムッとした表情で凛恋を見たステラに、凛恋は勝ち誇った顔で立ち上がり俺の腕を抱く。


「ふふーん、悔しかったら取ってみなさい」

「分かった」

「こらこら! 何、凡人の腕を抱こうとしてるのよ!」

「凛恋がやっていいって言った」

「言ってないわよ! 悔しかったら取ってみなさいって言っただけよ。凡人に触って良いなんて言ってない!」

「凛恋のケチ」

「ケチじゃないでしょうが! 彼女として当然の権利よ!」


 凛恋とステラも基本仲が良いのだが、俺の話題になると敵視をむき出しにする。

 俺はステラの告白を断っているし、ステラも納得しているが、それでも俺を好きで居てくれる。

 嬉しいと思う反面、申し訳ないとも思う。


 ステラは多少……いや大分常識外れな読めない行動を取ることと、天才的なヴァイオリンの演奏を除けば、可愛い年相応の女の子だ。だから、俺じゃなくてもステラに合う男は沢山居る。でも……それは言えない。


 もし俺が誰かから「お前に合う女の子は凛恋以外に沢山居る」なんて言われたら腹が立つからだ。だから、そういう好きな気持ちを否定するようなことは言えない。

 特に、それを俺がステラに言ってはダメだ。それはステラをただ傷付けるだけでしかない。


「三人と約束した。絶対に来て」

「ああ」「もちろん!」「絶対に行くわよ」


 三人でステラにそう答えて、もう夜も遅いということでステラを見送って、俺達も八戸家へ向かって歩き出す。その途中、向かい側から歩いて来た男子に声を掛けられた。

 俺でも凛恋でもなく、優愛ちゃんが。


「あ、優愛じゃん!」

「あっ、相森(あいもり)くん……」


 どうやら優愛ちゃんの友達らしく、優愛ちゃんは視線を俺と凛恋に向けて困った顔をする。

 俺がその優愛ちゃんに首を傾げた瞬間、凛恋が優愛ちゃんの腕を引っ張って自分の後ろに優愛ちゃんを隠した。優愛ちゃんの前に立つ凛恋の体は小さく震えている。


「あなたが相森賢人(あいもりけんと)ね。私の妹に何の用?」

「あっ、噂の八戸先輩っすね」

「おい、何だよ噂のって」


 凛恋の行動の意味が分からす静観していたが、俺は相森の言葉に一瞬にして頭を沸騰させた。


「いや、だって学校中の噂っすよ。池水にレ――」


 甲高い殴打音が響いた。優愛ちゃんが相森の頬を思いっ切りビンタしたのだ。


「私のお姉ちゃんを傷付けるなんて絶対に許さないッ! 最低っ! 死ねッ!」

「んだ――ッ!?」


 俺は二発目を繰り出した優愛ちゃんの手首を掴んで止め、俺は片手で相森の胸ぐらを掴み上げた。


「おいっ! てめえ暴力は犯罪だぞッ! やっぱり犯罪者の息子はッ――」

「凛恋も優愛ちゃんも動くなッ! 黙って見てろッ」


 後ろから凛恋の動く気配を感じ、俺はそう怒鳴って優愛ちゃんの手首から手を離した。


「お前、優愛ちゃんに何の用だ」

「んなのお前にカンケーねーだろうが」


 生意気な口は叩くが、上から俺に見下されている相森は視線を逸らす。その相森の胸ぐらを振って顔を向かせて睨み付けた。


「お前、二度と凛恋と優愛ちゃんに近付くな」

「はぁっ? 何でテメーの許可な――」

「俺の大切な彼女と俺の大切な彼女の妹を泣かせるような奴は絶対に許さない。知ってんだろ? 俺が学校で暴れた話」


 胸ぐらを掴んでいない左手を持ち上げて、俺はピースサインを作る。そして、相森の近くでピースサインを開いたり閉じたりする。

 まるで、ハサミの刃を開いたり閉じたりするように。


「犯罪者の息子だからなー、キレたら何しちゃうか分かんないかもなー」


 俺はそう言いながらショルダーバッグの中に左手を突っ込んだ。すると、相森はガタガタと体を震わせ始めた。


「わ、悪かったって! も、もう二度と関わらないって!」

「悪かった? 俺はお前の友達じゃねーぞ?」


 左手をバッグから抜こうとすると、相森はヒイッと情けない悲鳴を上げる。


「ごめんなさい! 許してください! もう二度と関わりません!」


 それを聞いて俺は突き出すように相森の胸ぐらを離す。俺から開放された相森は大慌てで走り出し、すぐに道の奥に消えて行った。

 俺は後ろで突っ立っている凛恋と優愛ちゃんを振り返り、バッグから何も持っていない左手を抜いてパッと開き、二人に笑顔を向けた。


「俺って結構演技派?」


 おどけて言うと、凛恋がクスッと笑い優愛ちゃんも一緒にクスッと笑った。


「こんな優しい凡人がハサミなんて持ち歩いてるわけないのに、あいつバカみたい」

「ほんとほんと、あの泣きそうな顔で謝ってる姿を撮っとけば良かった」


 クスクス笑い合う二人は俺を挟んで並び、凛恋が俺の右腕を抱く。


「お姉ちゃん! 私もお兄ちゃんの腕、抱いて良い?」

「仕方ないわねー、今日だけ特別よ」

「やった!」


 今度は左腕を優愛ちゃんがぎこちなく抱く。

 状況的には両手に花だが、どうしてこうなっているのかよく分からない。


「お兄ちゃん、格好良かったよ!」

「あ、ありがとう」

「当たり前でしょ! 私の凡人なんだから!」


 歩き出す二人に引っ張られながら俺も歩き出すが、やっぱり状況が上手く読めない。


「あの相森って一年、二年にまで噂が届くのよ」

「噂?」


 凛恋が不機嫌そうな声で放った言葉に聞き返すと、反対側に居る優愛ちゃんも凛恋と同じ不機嫌そうな声を発する。


「あいつ女ったらしなの。それも凄く評判の悪い」


 評判の悪い女ったらし。だから、凛恋は男に対する恐怖心に対抗しながら、優愛ちゃんを守ろうとしたのだ。


「凡人と付き合う前に私が無理矢理誘われたボウリングがあったでしょ? その時に凡人に対して好き放題言ってた男子のこと覚えてる?」

「…………うーん、そのことは覚えてるけど顔は全く覚えてない」


 俺がそう答えると、凛恋は嬉しそうに笑ってプッと吹き出す。


「凡人らしいわね。さっきの一年、その男子の弟なのよ。兄も兄なら弟も弟ってことね。で、二年でもあの兄弟は要注意だって話になってんの。今は噂が広まってない他校の子に手を出してるって聞いてたけど、優愛に手を出そうとするなんて最悪」


 ムッとした表情の凛恋だったが、すぐにニッコリ笑う。


「優愛、凡人格好良いでしょー」

「うん!」

「いや……格好良いことは何もしてないぞ……」


 俺がやったのはハッタリをかまして脅しただけだ。特に格好良いことでもない。むしろ一般的に言えば脅迫だ。まあ、俺自身は悪いことをしたとは思っていないが。


「でも凡人のこと好きになっても無駄だからねー。凡人はもう私のなんだから」

「分かってるって! それに凡人さんはお兄ちゃんだから!」


 ギュッと俺の腕にしがみつく優愛ちゃんはクシャッと笑う。


「お兄ちゃんみたいな彼氏なら、私ほしいかも!」

「だーかーらー、凡人は私のだって」

「分かってるよ。お兄ちゃんじゃなくて、お兄ちゃんみたいな彼氏!」

「それってほとんど凡人ってことじゃない。言っとくけど、凡人みたいな良い男は他に居ないわよ。残念だったわね」

「だよねー、こんな格好良い男の人、確かにお兄ちゃん以外に居ないかも」


 右と左からむず痒くなるような褒め言葉の応酬を受ける。しかし、俺の両腕はガッチリと抱かれて抜け出すことは出来なかった。

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