【七一《誓い》】:一
【誓い】
「君が、殺してやるって叫んでたって言う高校生?」
「……そうです」
俺は取調室の中にある椅子に座らされ、正面には若い警察官が居る。
制服をきっちり着ていて、爽やかに笑う感じが栄次に少し似ていた。
「あの……」
「まず気になってるだろうけど、池水渡(いけみずわたる)は強姦”未遂”の容疑で取り調べ中」
「未遂……」
「そう、君が飛び込んで阻止したおかげで、被害者の女の子は軽い打撲で済んだ」
それを聞いて、一気に体から力が抜け落ち、俺はパイプ椅子に全体重を預ける。
「ちなみに君は、ハサミを持って暴れまわり、現場へ駆け付けて落ち着くように言った警察官全員に、池水を絶対に許さない殺してやると怒鳴り散らした。まあ……捜査の邪魔をしたから公務執行妨害、あとは殺すって殺人予告だし、脅迫罪とか殺人予備罪に――」
俺は視線を落とす。
「――なるわけ無いから安心して」
ニコッと笑った警察官は、手の持っていたファイルを机の上に置いて背伸びをした。
「俺がここに居るのは、君を保護するため。まあもっとストレートに言えば、暴れないようにする見張りね」
大分落ち着いた今では、自分のしていたことは本当に子供だったと思う。
「俺もね、君と同い年くらいの時に同じようなことがあったんだ」
「えっ?」
警察官の言葉に戸惑う。目の前に居る警察官は、過去を思い返すように話を始めた。
「友達がストーカーに遭ってね。それで証拠があったからちゃんと捕まったんだけど、俺は凄く頭にきて、どうしてもそのストーカーに重い罪を背負わせたいって思ってた。でも、その時、付き合ってた彼女のお父さんに言われたんだ。友達を思うなら、その思いを優しさや気遣いとして向けてくれって」
「友達というのは、その彼女さんですか?」
「いや、友達と彼女は別だよ。でも、二人共、俺にとって大切でかけがえの無い存在だ。今でもね。君は被害者の女の子とお付き合いしてるんだろう」
「はい」
「それなら、加害者に罪を償わせたいとは思うよな。……でも、それは俺達警察で出来ることだ。でも、彼女を支えることは俺達警察じゃ出来ない。だから、俺達が出来ないことを君にやってほしいんだ」
「はい」
俺は警察官の諭すような言葉に、ただ返事をすることしか出来なかった。
「俺が話せるのはここまでなんだ。守秘義務っていうのがあるからね」
「はい……」
「さて、少年課の人が彼女さんが居る病院まで送ってくれるから」
「ご迷惑をお掛けしました」
俺がそう頭を下げると、目の前に居る警察官は俺の頭に優しく手を置いてポンポンと撫でた。
「俺は個人的には君の味方だ。彼女を守った君の行動は素晴らしい」
警察官は立ち上がり姿勢を正して、ビシッと俺に挙手の敬礼をした。
「犯人逮捕へのご協力、ありがとうございました」
パトカーの後ろに乗せられて病院へ着いた俺は、送ってくれた女性警察官にお礼を言って病院の中に入る。
もう日が落ちているせいか、病院は薄暗く救急科の方にしか明かりは付いていなかった。
「凛恋……」
「凡人……凡人っ!」
ロビーに入った直後、凛恋のお母さんと一緒に診察室から出てきた凛恋と目が合った。
その瞬間、俺は病院ということも忘れて駆け寄り、凛恋の体を抱き締めた。
凛恋の体を抱き締めながら、凛恋の体を見て怪我を確かめる。右腕に包帯を巻いているが、他には怪我は見当たらなかった。
「凛恋、怪我は!?」
「腕を打って少し痛いだけ」
「本当に……良かった……」
凛恋の無事を確認して、一気に足から力が抜け落ちる。でも、俺は凛恋にしがみつくように、凛恋の体からは手を離さなかった。
俺と一緒に病院の床に座り込んだ凛恋の体を引き寄せて、俺は震える手で必死に抱き締める。
「良かった……凛恋が無事で……本当に、良かった」
目が熱くなり、溢れるように涙が流れる。凛恋の温かさを感じて、ちゃんと凛恋が目の前に居ることが幸せだった。
「凡人さん……」
お父さんとベンチに座っていた優愛ちゃんが駆け寄って来て、俺と凛恋の横に膝を突いた。
「凡人さん……ありがとう。お姉ちゃん守ってくれて……ありがとう」
優愛ちゃんは俺にそう言って、凛恋にしがみつく。
「お姉ちゃん、お姉ちゃんっ! 良かったっ……本当に良かった……」
「優愛……ごめん、ね。心配掛けてごめんね、優愛」
凛恋は俺と優愛ちゃんの二人を抱き締めながら、そう優愛ちゃんに何度も謝る。
「ほら三人共、もう家に帰ろう」
俺達の肩を叩いて凛恋のお父さんが声を掛ける。その凛恋のお父さんの目にも涙が滲んでいた。
八戸家に戻り、凛恋と優愛ちゃんがお風呂に入っている間、俺はダイニングで凛恋のお父さんお母さんを正面にソファーの上に座っていた。
凛恋のお父さんは、俺の目を見た後、ゆっくりと頭を下げた。
「凡人くん、本当にありがとう」
「凡人くん、ありがとう」
「頭を上げてください!」
凛恋のお母さんも俺に頭を下げる。俺は二人の行動に焦って立ち上がり、頭を上げてもらうようにお願いした。
頭を上げた凛恋のお父さんは、目を拭う。
「また、凡人くんに凛恋を助けてもらった。本当に何とお礼を言っていいか分からない」
凛恋のお父さんは自分の前に置いたコップから冷茶をゴクリと飲んだ。
「さっき学校から電話があった。あの教師は懲戒免職になったそうだ。それで、明日は保護者説明会が開かれて臨時休校になるそうだ」
「そうですか……」
その話を聞いてホッとした。それなら何の気兼ねもなく凛恋の側に居られる。
「それで……ストーカーも捕まったそうだ」
「本当ですか?」
俺に見えている凛恋のお父さんの表情は、全く晴れやかではなかった。
「ストーカーは……凛恋を襲った教師だったそうだ」
凛恋のお父さんの言葉を聞いて、俺は視線を落とした。
警察署で会った警察官の言っていた守秘義務。
それは、凛恋の実の父親である凛恋のお父さんにも適応されるのだ。
凛恋のお父さんは、娘である凛恋がどうしてこんな辛い事件に巻き込まれないといけなかったのかを知ることが出来ない。
俺は凛恋の彼氏だが、世間から見れば凛恋の他人だ。だから、何も話されないということは仕方がない。
でも、凛恋のお父さんは何も知ることが出来ない悔しさを感じているに決まっている。
俺だって……悔しかった。
「凛恋が家内に少しだけ話をしたそうだ。学校から、あの教師から電話があって呼び出されたと」
「でも、凛恋が一人で外に出歩くはずは――」
「一人で来ないと凡人くんを退学にすると言われたそうだ」
「クソ野郎がッ……」
池水は卑劣なやり方で凛恋を脅して呼び出した。
だから……凛恋は俺に黙って学校へ行った。俺を守るために……。
「そこからは……話せなかったそうだ」
話せるわけがない。思い出したくもないに決まっている。
たとえ未遂だとしても、凛恋は池水に犯されそうになったのだ。そんなこと……思い出させたくない。
「俺は凛恋が好きです」
俺はこんな時に何を言っているんだろう。そう思った。
それに何が言いたいのか自分でも分からなかった。
「凛恋は優しくて明るくて、見た目も凄く可愛いし家事も出来て、本当に男女限らず人から好かれる子です」
「ありがとう。凛恋の父親として嬉しいよ」
「だから、今でも不思議なんですよ。凛恋が俺のことを好きになってくれたことが。俺は昔から両親が居ないことをネタにいじめられてきました。だから、周りの人間のことは信用していませんでした。当然、人に好かれるなんて思っても居ませんでした。ただ、祖父と祖母、それから親友の栄次のことは信頼していました。でも、そんな俺を凛恋が好きになってくれました」
「凡人くんはとても礼儀正しくて優しくて、良い子よ」
凛恋のお母さんが穏やかな声で俺にそう言ってくれる。俺は凛恋のお母さんに笑顔を向けた。
「その俺を見付けてくれたのが凛恋なんです。自分も知らなかった自分の良いところを、凛恋が見付けてくれたんです。それで……それを凛恋が見付けてくれたから、俺の世界は変わりました。友達も増えて、前より人を信じられるようになりました」
俺はそして躊躇いなく口にした。
「俺に、凛恋さんの幸せを任せてください」
頭を下げたまま、俺は両手の拳を握って必死に訴えた。
「まだ俺は高校二年生です。だから、俺が大学を卒業して就職したら、凛恋さんと結婚させて下さい!」
バカ野郎としか言いようがない。何が結婚させて下さいだ。
大学卒業までまだ五年以上もある。そもそも大学に受かるかも分からない。その後、ちゃんと就職出来るかも分からない。
何も分からなくて、何も約束出来ないのに、俺はそう頭を下げていた。
「凡人くん……」
「バカな話だと言うのは分かっています。結婚がどういうことかも分からないと鼻で笑われるかもしれません。でも、俺以外の誰にも凛恋の幸せを任せたくないんです!」
「…………凛恋は、どうなんだ?」
そう問われて、俺は頭が真っ白になる。
そうだ、俺は何も凛恋に話していない。高校二年の子供がアホみたいなことを言っている上に、凛恋から承諾を得られてもいない。
そんなバカな話があるわけない。
「私も凡人と結婚したい」
「へっ?」
俺はその声を聞いて後ろを振り向くと、風呂上がりの凛恋が真っ赤な顔をして立っていた。
凛恋のお父さんが尋ねたのは俺ではなく凛恋だったのだ。
「私もちゃんと大学に行ってちゃんと卒業する!」
俺の隣に座った凛恋が身を乗り出して、凛恋のお父さんとお母さんに言う。
「私、絶対に凡人と結婚する! 反対されても大学卒業したら絶対にするから!」
「分かった」
「えっ?」「やったっ!」
戸惑う俺と喜ぶ凛恋。俺達二人を見た凛恋のお母さんが、凛恋のお父さんを見てクスクス笑う。
「あなた良いの?」
「凡人くん以上の男は居ないだろう。それに、大学を卒業して就職も決まってからという辺りが、真面目な凡人くんらしい」
クスクスと笑う凛恋のお父さんの言葉に、俺は顔から火が出るかと思うくらい熱くなって俯いた。
これはどうなんだ? 認めて、もらったのか?
「ただし、これは予約だ。その時が来たらまたちゃんと言いに来なさい。さて、私は先に風呂に入らせてもらおうかな。ああ、それから凡人くん」
「は、はい!」
「予約と言っても認めたんだ。これからは凛恋のお父さんというのは止めて、お父さんと呼んでほしい」
「は、はい……よろしくお願いします。お父、さん」
凛恋のお父さんは明るく笑った後、ダイニングを出て行き、ドアが閉まった後に優愛ちゃんがスタスタと歩いて冷凍庫を漁る。
そこからアイスを三本取り出した優愛ちゃんは、アイスを俺と凛恋に振って口を開いた。
「お姉ちゃんとお兄ちゃんもアイス食べる?」
「こ、こら優愛! 何がお兄ちゃんよ!」
「えーだってお姉ちゃんと結婚したら凡人さんはお兄ちゃんでしょ? 今から慣れとかないと」
「その割には自然に言えてたわね!」
凛恋がスタスタと歩いて優愛ちゃんからアイスを二本引ったくり、俺の方に一本差し出した。
「はい、凡人」
「ありがとう」
凛恋がニッコリ笑って差し出すと、凛恋のお母さんの優しい声が聞こえた。
「凛恋、結婚するんだからあなたって呼ぶようにしたら?」
その凛恋のお母さんの言葉を聞いた直後、凛恋の顔がボッと真っ赤になり恥ずかしそうに俯いた。それを見ている俺の顔もきっと、凛恋と同じくらい真っ赤だったに違いない。
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