【七〇《殺意》】:一

【殺意】


 二階の客間で、俺は八戸家の郵便受けに入れられていた『八戸凛恋様』と宛名が書かれた小包封筒を開けた。

 中には大量のコンドームが入っていて、俺はそれに嫌悪しながらも封筒を逆さまにして床に出した。


 コンドームは袋に入ったままになっているが、全てのコンドームの中央に千枚通しか何かで開けた穴がある。

 それを見て、今すぐそれを処分したい衝動に駆られて、俺はゆっくり息を吸ってその衝動を収めた。


 封筒から出てきたのはコンドームだけではなく、別の封筒も出てきた。

 その封筒は茶封筒のようなものではなく、もっとオシャレで手紙を入れるような封筒だった。表には『八戸凛恋様』と宛名が書かれている。

 小包封筒も中の封筒も宛名は凛恋だ。でも、凛恋に見せたくない。


 今、凛恋は風呂に入っている。俺が風呂に入って落ち着くように言ったからだ。


 凛恋はかなり怯えていた。

 実際に男が、石川が家の前に立っているのを目撃し、しかも凛恋は石川に家の場所を教えていなかった。

 それが更に凛恋を怖がらせた。


 凛恋だけではなく俺も石川が家の前に居るのを見ている。だから、凛恋のお父さんに話をして警察で対応してもらうしかない。

 流石の石川も、警察から注意を受ければ凛恋に付きまとおうとは考えないはずだ。もし、石川がただ凛恋に片思いをしているだけなら……。


 凛恋が教えていない凛恋の自宅の前に居て、しかも俺達を見て逃げ出した。その後に、郵便受けに小包封筒が入っていた。だから、この小包封筒と石川をどうしても無関係だと考えられなかった。


 俺は封筒の裏側を見て封筒を開けようとする。しかし、封筒の裏は封蝋で封をされていた。

 封蝋にはハートをモチーフにした刻印が押されていて、俺は躊躇わずに砕いて開こうとした。


「凡人」

「凛恋、部屋で待ってろ」

「ダメ、今朝も言ったでしょ。凡人だけに抱え込ませない」


 凛恋が俺の隣に座り、震える手で床の上に散らばったコンドームを一つ手に取る。そして、すぐに床の上に放り投げて俺に身を寄せる。


「それは?」

「小包封筒に入ってた。宛名には凛恋の名前が書かれてる」

「開けて」


 凛恋に促され、俺は床に広げたティッシュペーパーの上で封蝋を砕く。

 封筒の口を開くと、トランプのカードと便せんが入っていた。

 トランプのカードはハートのエースで、絵柄の方に凛恋の名前が書かれていた。そして、質の良い便せんを開くと、中央にパソコンで印刷された文字で『イシュタル、我に愛を』と書かれていた。

 意味は分からないが、何か儀式的なものだというのは分かる。

 それが、酷く気味が悪かった。


「凡人……これ知ってる」

「え?」

「これ……恋のおまじない」

「恋のおまじない?」


 凛恋が床に置いたトランプと便せんを見て言う。


「トランプのハートのエースに……好きな人の名前を書いて持ち歩くと……恋が、叶うっておまじないがあるの」


 体も声も震えさせながら凛恋が答える。

 その凛恋の体を抱き寄せて擦りながら、俺はトランプを睨み付けた。


 凛恋の言うとおりだと、このトランプは持ち歩かなければ意味がない。でも、これを送り付けてきた奴の目的は、本来の恋のおまじないの通りじゃない。

 相手は凛恋に自分が凛恋のことを好きだと伝えてきているのだ。最悪の方法で。


「……その便せんの方は、好きな人の背中を見て目線でハートマークを描いた後に、イシュタル、私に愛をって心の中で唱えると両思いになれるおまじない。それに、イシュタルは性愛の女神らしくて……それをしたら、相手とエッチも出来るって……」

「凛恋は誰にも渡さないし、俺は俺以外の男に、凛恋とそんなことさせない」

「しない! 絶対に凡人以外とエッチなんてしない! 嫌だもん! そんなの気持ち悪くて絶対に嫌ッ!」

「だったら大丈夫だな。俺も凛恋も他のやつとエッチする気なんてないんだから、こんなまじないなんて意味ない」


 俺は小包封筒に出した物を戻す。中に戻しながら、俺は唇を噛んだ。

 顔も名前も何処の誰かも分からない人間から、自分とエッチをするようなまじないをされる。

 それで感じる凛恋の恐怖は想像も出来ないほど大きい。


「凡人くん!」

「凛恋のお父さん……これが郵便受けに入っていました」

「今警察に通報した。すぐに来てくれるそうだ」


 凛恋のお父さんがそう言いながら、俺が差し出した小包封筒の中身を見る。そして、唇を噛んで悔しそうな顔をして視線を逸らした。


「パパ、私は大丈夫。凡人が側に居てくれるから」

「そうか。ありがとう、凡人くん。君に泊まってもらっていて良かった」

「いえ……あの、それでその封筒を見る前に、家の前に刻雨の男子が立ってて。俺達を見て走り去ったんですけど」

「何ッ!? 顔は? 名前は分かるのか!?」

「……一年の頃に同じクラスだった石川敦(いしかわあつし)っていう男子」

「分かった。それも警察に話してみよう」


 凛恋のお父さんがそう言った直後、家のインターホンが鳴る。警察が来てくれたのだろう。

 凛恋のお父さんは小包封筒を持って部屋を出て行く。凛恋のお父さんが出て行った後、凛恋は俺の体を支えにして立ち上がろうとする。


「凛恋、無理をするな」

「ううん、ちゃんと話さないと。中に入ってる物のこととか石川のこととか」

「……そうだな。俺も凛恋と一緒に警察に見たことを話す」


 俺は凛恋の体を支えながら立ち上がる。

 凛恋は震えた体のまま目に涙を滲ませながら、俺の顔を見上げて笑顔を作った。

 その笑顔を胸に抱き寄せて隠し、俺は何度も凛恋の頭を撫でる。


「凛恋、無理しなくていいから」


 俺がそう言うと、凛恋のむせび泣く声が聞こえて、胸の辺りがジワリと滲むように熱くなった。


 警察に全て説明をした後、俺は風呂に入って凛恋の部屋で凛恋と手を繋いで座っていた。凛恋はルームウェアを着て楽な格好をしているものの、体に力が入って強張っている。


 警察に小包封筒とその中身を渡して石川のことも話した。

 そして、石川の住所は俺も凛恋も分からなかったが、警察は俺達のところに来た警察官とは違う別の警察官に連絡をして、事情を聞くため石川の家に行かせたらしい。


 石川に事情を聞いた結果、石川は俺達が見た通り八戸家の前に居た。でも、小包とは無関係だったらしい。


 石川は俺と凛恋が一緒に住んでいるという噂を確かめるために、友達伝いに凛恋の家の場所を聞いて来た、と言っていたそうだ。

 郵便受けには何も入れていないと言っているらしい。


 小包封筒については警察が調べるのを待つしかない。でも、警察は石川に凛恋が石川を怖がっていることを伝えて、これ以上凛恋に付き纏うと罪に問われるかもしれないと注意してくれたようだ。

 これで石川のことはひとまず安心していいはずだ。


 石川の件はひとまず収まった。でも、凛恋のストーカー被害が解決したわけじゃない。

 一度凛恋に付きまとっていた男も無関係で、怪しかった石川も無関係。

 いや……そこから先は俺のやることじゃない。犯人探しは警察の仕事だ。


「凡人……チューしよ」

「俺も凛恋とキスしたかった」


 横から凛恋の唇を塞ぎ、すぐに舌を絡めた深く熱いキスに変える。

 凛恋の唇と舌の感触に浸っていると、凛恋がキスをしながら手を鞄に伸ばした。凛恋の指先が引っ掛かった鞄は倒れて、凛恋は鞄の中にあるドラッグストアのロゴが入ったビニール袋の取っ手に指を引っ掛けて引っ張り出す。


 俺は凛恋の引っ張り出した袋から箱を一つ掴みながら凛恋を抱き上げて、一緒にベッドになだれ込んだ。




 甘い凛恋の香りが充満する部屋で、俺と凛恋は焦るように互いの服に手を掛ける。

 誰にも急かされているわけでもないのに慌てて互いの服を脱がせ脱ぎ捨て、一糸纏わぬ姿になった俺達は、まるで引き離されることを恐れるように必死に抱き締め合った。そして、俺は凛恋の体に触れた。


「かずとっ……もっと触って……」


 凛恋に求められて、俺は凛恋の柔らかい肌に触れながら、凛恋にキスをした。

 何度も何度も、キスをした。


 凛恋の体の震えを止めるために、凛恋の恐怖を消し去るため……いや、そんな正当的な理由じゃない。


 ただ、ただただ凛恋が好きで、凛恋の体に触れたくて、俺は凛恋の温かい体に触れる。


「ああっ……かずっ……とぉ……」


 凛恋の体に触れていた俺は、凛恋の甘く可愛らしい声を聞きながら、ゆっくりと凛恋の体に自分の体をぴったりと貼り付ける。

 凛恋が俺の背中に手を回してくれて、俺は全身を凛恋の熱に包まれた。


「かずとっ……もっと抱き締めてっ」


 俺はその凛恋の可愛い声を聞きながら、もっと凛恋の声を聞きたい、もっと凛恋を感じたい、そんな衝動に突き動かされて凛恋の体を抱き締める。


「凛恋っ、好きだっ!」

「凡人っ、大好きっ!」


 俺と凛恋は互いに愛し合い、互いの愛を確かめ合った。




 汗ばんだ体で凛恋を抱き寄せると、ニコッと笑った凛恋が俺の臭いをクンクンと嗅ぐ。


「凡人の匂いは落ち着く」

「汗臭いだろ?」

「凡人の匂いはいい匂いなの! 私の凡人の匂い」


 凛恋がクンクン俺の臭いを嗅ぐものだから、俺も凛恋の匂いを嗅ぐ。

 自分の汗の臭いなら顔をしかめるのに、凛恋の甘い香りと混ざった凛恋の汗の匂いは全く嫌じゃなかった。

 むしろ、もっと凛恋の匂いを嗅ぎたくなった。


「ちょっ、汗臭いって……」

「凛恋は俺の臭いを嗅ぐのに、俺が凛恋の匂いを嗅ぐのはダメなのか」

「わっ、分かったわよ…………臭くない?」

「全然臭くない。めちゃくちゃ良い匂いがする。ずっと嗅いでたい」

「私も凡人の匂い嗅いでたいから嗅いでていいよ」


 他人が聞けば顔をしかめるような会話も、俺と凛恋の間では恥ずかしげもなく交わせる。

 互いに抱き締め合い余韻に浸っていると、俺の体に回された凛恋の手に力が入る。


「…………あの封筒に入ってたやつを見た時、本当に気持ち悪かった。穴が空いたゴムもおまじないのトランプと手紙も……本当に気持ち悪くて……嫌で嫌で仕方なくて……」

「絶対にそんなことさせないから」


 俺は震える凛恋の唇を塞ぎ、好きな気持ちを凛恋の体と心に染み込ませるように愛を絡める。

 穴が空いたコンドームに凛恋とエッチをするまじない。それを考えれば、送り付けてきた奴の薄汚い考えは分かる。俺は、そんなこと絶対に許さない。

 ゆっくりと唇を離すと、凛恋は荒くした息を整えて俺の顔を見上げる。


「凡人、引かないでね」

「俺が凛恋で引くことなんて絶対にない」


 凛恋の頭を撫でながら言うと、凛恋は俺の胸に頬を当ててギュッと俺を締め付けた。


「私、凡人とエッチすると、凡人の赤ちゃんほしいなって思うの」


 凛恋のその言葉に、俺は自分の心がゾクッと脈打つのが分かった。


「か、勘違いしないでね! 今すぐどうとかじゃなくて! その……将来、そうなったらいいなって思うってことで……」


 言い訳をするように慌てて言う凛恋は、真っ赤な顔をして俺から離れようとする。

 それを引き寄せるように俺は凛恋の体を抱き寄せる。


「凛恋……それ、ヤバい。めちゃくちゃ興奮する。スイッチ入っちゃった」

「かかか、凡人!? その、私もまだ覚悟出来ないし! そもそも凡人にもそんな苦労させたくないし! だから――」

「分かってるよ。子供作りたいって話じゃないから。そうやって、そこまで凛恋に好かれてるのが嬉しくてドキドキしたってことだ」

「そ、そっか。よかったぁ~」


 凛恋はホッとした様子で胸を撫で下ろす。凛恋が手を置いた胸をジッと見ていると、凛恋がニコニコ笑いながら俺の眉間を指で突く。


「こら、彼女が真剣な話をしてる時に胸を見ない!」

「ごめん」


 凛恋はクスクス笑った後、ぐにゃっと顔を歪めて涙を流した。


「どこの誰かも分からない奴にさ……その……」

「凛恋は俺の側から絶対に離れるな」

「かず……と?」

「俺の側から絶対に離れなければ、俺は誰にも凛恋に触れさせない。誰にも触れさせなかったら、凛恋が怖がってることも何も心配ない」

「凡人……うん……凡人、ありがとっ……」


 凛恋はお礼を言いながらも、まだ涙を流している。

 それを見て、俺は凛恋と目線を合わせて額をくっ付ける。


「凛恋、どうした?」

「凡人?」

「その涙、嬉し涙じゃないだろ」

「かずっ……と……ごめん、ごめんなさいっ……」

「凛恋? 一体……どうしたんだ?」


 目から止めどなく涙を流す凛恋は、手の甲で何度も何度も目を拭う。でも、凛恋の涙が止まる気配がなかった。


「凡人にっ……凡人に謝らなきゃいけなくて……」

「凛恋は何も謝ることなんてないだろ」

「私……私はあの時……凡人の優しさを利用したのッ!」


 凛恋は両手で顔を覆って声を出して泣く。でも俺には、すぐに凛恋の言葉の意味が分からなかった。


「凡人が私にケーキを持って来てくれた日……凄く不安で、体にあの男の気配がまとわり付いてるみたいで気持ち悪かった。それで……凡人が来てくれて…………凡人に全部消してほしくて……私も、私とエッチしたい奴と同じだよね……自分のことしか考えてない。自分がエッチしたいから、相手の弱みに付け込んでエッチしようってするんだ……」


 凛恋の話は、凛恋がストーカー事件でろくに食べ物が食べられなくて、希さんに連れられて俺がケーキを持って行った時の話だ。それを思い出して、俺は凛恋の目を真っ直ぐ見る。

 凛恋の目は、涙と不安でゆらゆらと揺れている。


「ずっと謝らなきゃいけないって思ってて、昨日も思ったの。……でも、幸せに甘えて、幸せで押し流して忘れようとして……でも早く謝らないと」

「凛恋はさ、エッチしたいって言われたら誰でも出来るか?」

「出来ない……出来るわけない……したくない。絶対に絶対、凡人以外としたくないっ!」

「俺だって凛恋以外だったら絶対に断ってたよ。でも、凛恋だったから、大好きな凛恋だったからしたんだ。それにさ、俺だって凛恋に謝りたかったんだ。大した決心もなくて凛恋とエッチした。ごめん」

「凡人は私を慰めようとしただけだから悪くない!」

「じゃあ凛恋も悪くない。それで大丈夫だ」


 俺は凛恋の涙を拭いてギュッと抱き締める。


「凛恋、もうそれは気にしなくていいからさ」

「えっ?」

「とりあえず、凛恋が入れた分のスイッチ切るの手伝ってくれよ」

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