【六九《何でも分かりたい》】:二
ドラッグストアの前で切山さんと合流し、俺達は三人で切山さんの自宅に向かった。
今日は純喫茶キリヤマの店内ではなく、切山さんの部屋まで通され凛恋と並んで座る。
切山さんが飲み物とケーキを用意してくれて、俺の目の前には美味しそうなスフレチーズケーキが置かれる。
「ありがとう萌夏」
「ありがとう切山さん」
「どういたしまして」
ニコッと笑う切山さんが座ると、俺はコーヒーを一口飲んでフッと息を吐いた。
「そういえば、多野くんが凛恋の家に住んでるの、噂になってるよ」
「……そうか」
俺は凛恋の家に住んでることを俺と凛恋の家族以外だと、希さん、栄次、切山さんにしか話していない。
噂が立つということはどこからか、俺が凛恋の家に住んでいることが漏れたのだろうが、三人がそれを言いふらすとは思えない。しかし、それを聞いて思い当たったことがあった。
「だから石川が見てたのか」
「石川?」
「ああ。今日、石川がうちの教室の中を見てたって小鳥が言っててな。その噂を聞いたからだって考えれば、理由は納得出来る」
「あいつ、まだ凛恋のこと諦めてなかったの? ほんっとキモイわねー」
自分の分のカップに一度口を付けた切山さんは、呆れと嫌悪を一緒に吐き出すようにため息を吐く。
隣に座る凛恋が俺の手をギュッと握り不安そうに視線を俺に向ける。その凛恋を安心させるように、俺は凛恋の手を握り替えして笑顔を返した。
「でも、どこから漏れたんだろ。私達から漏れるわけないし」
「考えても仕方ない。知られるのは良いこととは言えないけど、知られたからと言って一緒に居るのを止めはしないしな」
「あらあら、お二人さんは相変わらずアツアツだね」
切山さんがニコッと笑って凛恋に視線を向ける。すると、凛恋はその明らかなからかいの視線にも屈せず、凛恋からからかうような笑顔を向けた。
「萌夏の方はどうするの? 三年生から告られたんでしょ?」
凛恋にそう言われた切山さんは苦い顔をして手を振る。
「振った振った、とっくの昔に振ったわよ」
「切山さんが告白されてたなんて知らなかったな」
「ちょっと友達に紹介されてメールして、それで友達交えて三回くらい遊びに行ったら告白されたの。でもさ~、告白の台詞が『彼氏居ないんだったら付き合わない?』だったのよ。あり得ないわ」
「それはあり得ないわね……」
凛恋も苦虫を噛み潰したような顔になり、目の前に置かれた紅茶のカップに口を付ける。
まあ、二人の反応も無理もない。彼氏が居ないなら付き合おうと言われたということは、切山さんは彼氏が居なければ誰とでも付き合うような子だと思われたということだ。
それは、切山さんの友達としては腹立たしい。
「そんな男、振って正解だな」
「ホントよ。振った後に三回くらいメールが来たけど、もうメールしないでくださいって断った。はぁ~、私、なんか軽い女って噂でも立ってんのかな~」
「いや、男が悪かっただけだろ」
「そうそう。萌夏のことちゃんと知ってる人は、萌夏が軽い女の子なんて思わないから」
「ありがと。それにしても問題は私より石川よね~。あいつ、うちの女子には相当評判悪いのに」
「石川、女子に評判悪いのか?」
「そりゃそうでしょ。一年の頃から凛恋に付きまとって、挙げ句の果てに男の人が怖くなってる凛恋に近付いて無理矢理、腕を掴んだのよ? もう評判って言葉が存在しないくらい女子に嫌われてるわよ」
石川のことは石川が絡んでくる時くらいしか気にしなかったから知らなかったが、切山さんの話を聞いて、正直ざまあみろと思った。
凛恋を怖がらせた罪としては軽い気はするが、高二男子で学校の女子から嫌われるのは辛いものがあるだろう。
「で、多野くんの女子の評判は上がったわよ。それに、凛恋もね。多野くんは凛恋を守って、凛恋も池水から多野くんを守って。少なくとも女子の間では公認カップルね」
「凡人! 私達公認カップルだって!」
凛恋が嬉しそうに俺の腕を引っ張る。しかし、公認カップルという言葉に、俺は気恥ずかしさを感じる。
俺としては公認非公認はどうでもいいから、そっとして置いてほしい。
「でも、石川も一周回って根性あるわよね~。完全に凛恋から嫌がられて、周りの女子からも嫌われて、その上、凛恋の彼氏の多野くんに撃退されて。もうこれだけ揃えば、どんなにバカな奴だって完全に見込みゼロって分かるのに、まだ諦めないなんて。全然褒めるつもりはないけど、その根性は凄いわ。めちゃくちゃキモイけど」
「……私は本当に迷惑。私は凡人以外の男の人に好かれたくない」
そう言った凛恋に、切山さんは視線を向けてため息を吐く。
「凛恋はそう思ってても、現実はダメなのよね~。凛恋って髪を黒に染めてから前よりも人気出ちゃったし。男って黒髪が好きなのかね~」
ジーッと凛恋を見詰める切山さんは、言葉を切ってケーキを口に運ぶ。
凛恋はずっと可愛い。
金髪で派手だった頃も、凛恋は同年代の女子よりも色気があったし誰とでも明るく話す凛恋は人気が高かった。でも、ほぼ見た目が一八〇度変わった今も、変わる前と変わらず可愛い。
黒髪に黒縁眼鏡の凛恋は、化粧も少し前より大人しくなったこともあり、大人っぽい色気ではなく幼げな可愛さが出ている。
それに、俺に対してはずっと近くに居て甘えてくれるから、そういう可愛さも感じる。
「凛恋は元々素材が良いからどんな見た目でも可愛くなっちゃうからね。今回の場合は派手さがなくなった分、元々の可愛らしさが見えて、多分、前の派手な頃とのギャップで余計に視線集めてモテちゃうのよ」
「凛恋が黒髪になった時は俺もビックリしたな」
凛恋に改めて視線を向けてそう言うと、凛恋は小さくはにかんで頬を朱色に染めた。
「でも……凡人だけだった。見た目を変えても私だって分かった男子は」
「俺は顔じゃなくて声で分かったからな」
「そっか。でもそれ、もっと嬉しい」
「いや~、公認カップル様のお惚気が見られるなんて、ご馳走様」
また切山さんにからかわれて、俺は切山さんにからかうなと視線を向ける。しかし、切山さんは楽しそうにクスクスと笑った。
「そういえばもうすぐ夏休みねー」
「そういえば、今年はキャンプするの?」
「うーん、今年はしないかもねー。里奈が彼氏と別れたし」
「溝辺さん、有馬と別れたのか」
「うん、結構彼氏の言いなりっぽくされてたからね」
切山さんは「なんと言えば良いか」という風な困った表情をしたが、結局はあまり気にした言い方とは言えなくなった。
「言いなりって言っても、お互いに好きだったとは思うの。でも里奈の方が有馬くんに好き好きってアピールしまくって付き合った感じだったから、ずっと有馬くんの言うこと聞いてご機嫌取りみたいになってたんだよね。だから、有馬くんが良くないことをしても止められなくて、従うしかなかった感じかな」
他人の恋路に対して何かを言う権利は俺にはない。でも、俺からは有馬が本気で溝辺さんのことを好きだったとは思えない。
本当に好きなら、彼女に彼女の友達の恋路を壊させるようなことはさせない。
「…………初エッチの相手も有馬くんだったらしいんだけどさ。初エッチの時、里奈が痛がっても止めてくれなかったらしいの。その時、別れろって言えば良かったって今は後悔してる。でも、里奈はそれでも有馬くんのことを好きだったし、別れなとは言えなかった……」
「友達に恋人と別れろって言い辛いだろうな」
友達に恋人と別れろと言うと、友達の恋人を否定することにもなるし、友達の恋人を好きな気持ちも否定することにもなる。
それは、友達に言うには躊躇われる。
相当気心の知れた間柄でも、そんなことを躊躇わずに言うことは出来るわけがない。だから、切山さんが気に病む必要も理由もなかった。
でも……有馬のことは前よりも嫌いになった。
嫌がる彼女に構わずエッチをするなんて、男として許せるわけはない。たとえ、相手が好きじゃない溝辺さんだとしても。
「凡人はそんなことしなかったよね。絶対に、絶対、私の気持ちを一番に考えてくれる。だから、私は本当に凡人が彼氏で良かったと思ってるよ」
凛恋が俺の手を包み込んで安心させてくれる。
「ホント、凛恋はずーっと多野くん大好きだよね。凛恋からは多野くんの嫌なところとか一個も聞いたことないし」
「だって、凡人に嫌なところなんてないし」
凛恋の言葉を聞いて切山さんは、またニヤーっと笑った。でもすぐにニッコリと温かい笑顔に変わる。
「凛恋、お願いがあるんだけどさ」
「ん?」
「多野くんのこと名前呼びしていい? 希も名前呼びしてるし」
「萌夏なら良いよ」
凛恋と切山さんの間でそんな会話が交わされる。
しかしおかしい、俺のことを話しているのに俺は全く会話に混ざっていない。
「凡人くんも、私のことは萌夏って呼んで」
「分かった」
そう言うと、凛恋がスマートフォンを見て「あっ」と声を上げる。
「そろそろ帰らないと」
「そうだな、凛恋のお母さんも心配するし」
凛恋のスマートフォンを横から覗くと、そろそろ帰らなければいけない時間だった。
萌夏さんの家を出て、薄暗い道を凛恋と手を繋いで歩く。
「なんかさ、凡人と帰る家が同じって変な感じ」
「だよな。俺も緊張が抜ける気がしない。俺が頼んだことだけど、冷静に考えたらとんでもないことだよな。付き合ってる彼女と一緒に住みたいなんて」
「でも、私はチョー嬉しい! 一日中凡人と一緒に居られるから」
「俺だって凛恋と一緒に居られるのは嬉しい」
凛恋の手を握りながら、俺は石川のことを思い出していた。
石川が凛恋のことを諦めていない。それを知って、俺は怒りを感じていた。
石川のことを凛恋は拒絶している。俺も凛恋に石川を近付けたくない。凛恋のことを石川が思っているのも許せない。
「凡人?」
「ん?」
「私、石川のこと大嫌いだから」
「えっ?」
「……凡人以外の男の人も苦手だから、絶対に凡人以外の人は好きにならないから」
「凛恋、どうしてそんなことを?」
歩きながら凛恋がそう言うのを聞いて戸惑う。そして、凛恋の手が震えているのを感じて焦った。
「凡人以外の人から好かれるの、本当に迷惑でしかないの。だから、心配しないで」
「俺は凛恋の気持ちは疑ってな――」
「凡人が私のこと疑ってないのはちゃんと分かってる。でも、学校で石川のことを小鳥くんに聞いた時も、さっき萌夏から聞いた時も、そして今も、凡人は凄く思い詰めてる」
俺が石川のことを気にしているのを凛恋は感じていた。
それを凛恋は、俺が石川に凛恋を取られるんじゃないかと心配していると思ったんだ。
もちろん、俺は凛恋が俺以外の男に取られる、俺以外の男を好きになるなんて思っていない。でも、石川のことを気にしていたのは変わりない。
凛恋を安心させるために一緒に居るのに、凛恋を心配させてしまった。
「こら、今度は私のこと心配させたって思い詰めてる」
「俺は凛恋を心配させないために一緒に――」
「私は凡人のことが好きだから一緒に居るんだけど、凡人はそうじゃないの?」
「俺も凛恋が好きだから一緒に居る」
「じゃあ、それ以外に理由作らないで」
「ああ」
凛恋が笑顔で前を向いて歩くのに付いて行きながら、凛恋の手を強く握る。
好きだから一緒に居る。もちろん俺は凛恋が好きだから凛恋と一緒に居る。でも、それで凛恋の家に住んでいることが許されるとは思っていなかった。
だから、正当性のある理由が必要だと思っていた。
確かに、それは必要だ。凛恋のお父さんやお母さん、うちの爺ちゃん婆ちゃん、他の周りの人を納得させるには、正当な理由が無いとダメだ。でも、それは凛恋との間には必要ない。
「俺も学習しないよな……凛恋と別れてる時に、好きな気持ちが一番大切だって気付いたのに」
「凡人は真面目だから仕方ないかもねー。でも、凡人は私のことを好きだから石川のこと気にするんだよね?」
「ああ。あいつは凛恋を怖がらせた。俺はあいつに凛恋が取られるなんて思ってない。ただ、あいつがまた凛恋を怖がらせないか疑ってるんだ」
「そっか。私もまだまだだな~。凡人のことで分からないことがあるなんて」
凛恋の歩調が早く荒くなる。それを後ろから見て、俺は思わず吹き出した。
「あ! 凡人に笑われた!」
「だって、凛恋が本気で悔しがってるのが可愛くて」
「だって、好きな人のことは何でも分かりたいじゃん。…………重い、かな?」
「いや、めちゃくちゃ嬉しい」
「良かった! これからもお互いに色んなところ分かっていこうね!」
「ああ、俺も凛恋のこともっと分かるようになる」
明るい凛恋のおかげで、すっかり石川のことで持っていた暗い気持ちが晴れた。
ずっと凛恋はそうだ。俺が暗い気持ちになっても、凛恋がいつでも励ましてくれて明るくしてくれた。
「さーて、早く帰ってママと夕飯の準備しないと!」
ブンブンと繋いだ手を元気良く振る凛恋と一緒に俺も手を振って歩き出す。
嬉しそうな凛恋の顔を眺めて楽しんでいた俺は、八戸家の近くまで来て立ち止まる。
八戸家の門の前に立つ人影が見えたからだ。日が沈み掛けて暗くなった外で目を凝らした俺は、その人物の姿をはっきり見えて思わず声を漏らした。
「石川?」
「なッ! クソッ!」
俺の声が届いたのか、石川は道の向こうに走り去って行く。
「なんで……石川がうちに……」
「凛恋、大丈夫だ。あいつは逃げたから」
凛恋を安心させようと、凛恋を抱き締めて必死に背中を擦る。抱き締めた凛恋の体はガタガタと激しく震えていた。
「あいつ、うちに来たことないのに……あんなやつに家の場所、教えたことないのに!」
「凛恋、大丈夫だから!」
「なんで、うちの前に……」
凛恋は涙を滲ませて俺の胸に顔を埋めてしがみつく。
「とにかく家に入ろう。石川のことは凛恋のお父さんに話して警察に言おう」
凛恋の体を抱き締めながら、凛恋に見えないように拳を握った。
ふざけるな、絶対に許さない。
こんなに凛恋を震えさせて怖がらせて。もう好きな気持ちは誰にも否定出来ないなんて思えない。
石川が、あいつなんかが凛恋のことを好きなんて絶対に許せない。
どうして凛恋を苦しめるんだ。
本当に凛恋のことが好きなら、凛恋が怖がるようなことをするはずがない。
あいつは、ただ自分が好きな気持ちを押し通したいだけだ。
自分の独りよがりな好きな気持ちを叶えたいだけだ。まるで、凛恋を傷付けたストーカーみたいに。
…………ストーカー、みたいに?
俺はサッと背中に寒気が走る。石川は一年の頃からずっと凛恋を好きだった。
今日だって、学校でもうちのクラスを覗いていたし、今だって凛恋が教えていない凛恋の家の前に立っていた。
凛恋の家に送り付けられてきた写真は、最近の凛恋だけではなく金髪の頃の写真もあった。
「凛恋、とりあえず中だ。家の中なら絶対に安心だから」
俺は考えをそこで止めた。まずは凛恋だ、何よりも最優先にしなければいけないのは凛恋のことだ。他のことは後回しでいい。
俺は凛恋の両肩を抱いて足早に八戸家の門を潜ろうとする。その時、俺の視界に郵便受けが入った。
そこには、茶色い小包封筒が挟まっていた。
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