【六四《温かな時間》】:一

【温かな時間】


「本当に申し訳ない」

「凡人くん! 頭を上げて!」

「そうだよ、多野くんは悪くないじゃん! 悪いのは……私達だし」

「うん……」


 家に呼んだ希さんと切山さんに頭を下げると、希さんと切山さんにそう言われ、俺はゆっくりと頭を上げた。


「私は、凡人くんと凛恋が元通りになってくれたことが嬉しいから。凛恋……良かったね」


 希さんは目にいっぱい涙を溜めて凛恋の側に座り、ギュッと凛恋の体を抱き締める。

「うん……ありがとう、希」


 凛恋も涙を流しながら希さんを抱き締め返す。その二人から目を離し、栄次に視線を向けた。


「栄次……」

「俺は信じてた」

「は?」

「俺はカズが絶対に凛恋さんを守るって信じてた」

「栄次……ごめん」

「カズは凛恋さんをあの男から守った。それで良い。本当は言いたいこともないこともないけ――」

「栄次、余計なことは言わないでね」


 希さんが釘を刺すように栄次に言うと、栄次は苦笑いを浮かべて両手を持ち上げた。


「この通り、彼女に怒られる」

「当たり前だよ。栄次は凡人くんに遠慮がなさ過ぎるんだから」

「だって……あの時はカズが凛恋さんに必要だったから」


 困った様子の栄次は、希さんに弁解をする。しかし、希さんに睨みを返されて黙った。


「丸く収まったって言いたいけど……池水の処分が納得いかないわよね。多野くんに酷いことしておいてまだ、教師を続けてるなんて。処分はなんて言ったっけ?」

「萌夏ちゃん、戒告だよ。一応、懲戒処分には入るけど、実際は口頭注意と同じかな」

「それって怒られたってだけでしょ? 生徒に手を上げといて怒られるだけって」

「でも、昇進昇給には少なからず影響が出るんだけど……」

「あいつは給料とか昇進よりも女子目当てでしょ、どうせ」


 ジュースを一気飲みした切山さんは、ペットボトルから追加のジュースを注ぐ。

 戒告処分は確かに、免職や停職に比べれば軽い。でも、正直、池水にどんな処分が下ろうがどうでも良かった。


「俺は帰るよ」

「栄次?」


 俺は立ち上がった栄次を見て戸惑う。そして、視界の端に居た凛恋が俯くのが見えた。それで、すぐに納得出来た。


 凛恋はストーカーのせいで男性を怖がるようになった。

 それは凛恋の父親に対してもで、父親を怖がるのなら栄次のことを怖がっても当然だ。だからか、栄次は凛恋の側に居ないようにしているのだろう。


「私も栄次と帰るね」

「私も帰ろ」

「ありがとう、みんな」


 三人が一緒に部屋から出て行くのを見送ると、凛恋が隣に寄ってきて手を握った。


「凡人……ごめんね」

「なんで謝るんだよ」

「栄次くんが良い人だって分かってるの。でも……体が震えて視線も合わせられなくて――」

「凛恋の言う通り栄次は良いやつだからな。そのうち慣れるって」

「うん。ありがと……」


 凛恋は雰囲気が大人しくなった。

 それは見た目もだが、やっぱりストーカー事件の影響もある。でも、焦って何もかも元通りにしようなんて、俺が考えてはダメだ。

 それで一番辛いのは凛恋だし、凛恋が一番、今を苦しんでいるんだから。


「凡人……今日もしたい」

「凛恋、ストレス解消のためならダメだ。そういうのでしても俺は嬉しくない」

「違う! 私は凡人が好きで――」

「じゃあいい」


 凛恋を抱き締めて頭を撫でると、凛恋が耳元で小さく息を吐くのが聞こえた。


「ずっとね……夜寝る時は指輪つけて、テディベアを抱き締めて寝てたの。それで、凡人が側に居てくれる気がしたから」

「ごめん。もう離れないから」

「ありがとう。私も、もう凡人から絶対離れない」




 学校では、俺と凛恋がよりを戻したことは瞬く間に広まったようで、校内を歩くとそういう話し声が聞こえてくる。

 まあ、学校内でも凛恋が手を繋いでいるせいもある。


「凛恋、手は離しても大丈夫だろ?」

「手を離したら凡人が取られる」

「俺はバーゲン品か何かなのか?」

「凡人は一生に一人の限定王子様」

「…………希さん、笑わないでくれるか?」


 凛恋の隣で一緒に歩いていた希さんがクスクス笑う。しかし、それは凛恋の台詞にではなく、俺に対しての笑いだった。


「だって凡人くん、顔真っ赤だから」

「そりゃあ、恥ずかしいだろ。その……王子様って言われると」

「凡人、ごめん……」

「いや! 嬉しいんだ! 凛恋に好きでいてもらえてるって分かるし!」


 シュンとしてしまう凛恋に、俺が焦ってフォローをすると、凛恋はホッとして柔らかく微笑む。


「うん。でも次は王子様じゃなくてナイト様にするね」

「…………希さん、笑わないでくれるか?」

「プッ……ごめんなさい」


 言い方の問題じゃない。と言いたかったが、凛恋と別れていた時のことを思えば、羞恥に耐える方が断然良かった。


 三人で音楽準備室に行くと、既にそこには露木先生が座っていた。しかし、机に突っ伏していて顔は見えない。


「露木先生、どうかしたんですか?」

「…………みんなぁ~」


 三人で椅子を出して座ると、露木先生は体を起こして深いため息を吐いた。


「森滝(もりたき)先生が……」

「「「また森滝先生ですか……」」」


 露木先生の悲痛な言葉に、俺達三人は同時に同情の言葉を漏らす。

 森滝先生とは、数学担当の女性教師で、今は二年の別クラスの担任教師をやっている。

 露木先生より年上で、露木先生にとっては職場の先輩ということになる。


 その森滝先生だが、どうやら露木先生にライバル心を持っているらしく、ことある毎に噛み付いてくるらしい。

 そして、それでストレスを溜め込んだ露木先生は、昼休みに俺達にそれを話してストレス発散をする。


「学期末テストの結果が出たでしょ? そしたら森滝先生に言われたの」

「今度はなんて言われたんですか?」

「学年一位二位三位が揃っていて良かったですねって……」


 それを聞いて、俺は眉をひそめ、凛恋と希さんは苦笑いを浮かべた。

 今回の学期末テストでは、希さんが一位、俺が二位、そして筑摩さんが三位を取った。

 それに対してのコメントだろうが、森滝先生の性格を考えると結構棘のある言い方で言われたのだろうと予測出来た。


「昨日は、男の先生達に夏休みの予定聞かれて浮かれるな、でしたっけ?」

「うん……」


 露木先生は力無く頷く。


「ひがみかな」「ひがみだな」「ひがみですね」


 希さん、俺、凛恋が同時に言うと、露木先生はまた大きなため息を吐いた。


「ただでもストレスが溜まるのに勘弁してぇ~……」


 空気の抜けたような風船のように萎む露木先生は、遅い動きで机の上にゆっくりとした動きでコンビニの袋を置いた。

 俺達も昼飯の準備を始め、希さんが自分の弁当箱を出し、俺がソーセージパンを出すと、目の前に黒い弁当箱が置かれた。


「はい凡人の分」

「ありがとう」


 俺はそれを遠慮せずに受け取る。

 これは凛恋が俺のために作ってくれた弁当で、もちろん最初は遠慮した。だが、凛恋がどうしても食べてほしいと言い張るので、今では遠慮なくもらっている。


「多野くんの胃袋はガッチリ掴んでるね」

 露木先生がニコニコ笑って話しているのを見ながら、弁当箱の蓋を少し開け、俺はすぐに閉じた。

「凛恋、今日の弁当は――」

「今日はいつも以上に頑張ったから食べて!」


 明るい笑顔でそう言われると食べないわけにはいかない。

 俺は意を決して開けると、そこにはカラフルな弁当があった。しかし、一番インパクトがあるのはおにぎりだった。

 ハート型に作られたおにぎりに、細く切られた海苔でメッセージが書かれている。


「大スキか~」


 ニヤニヤ笑う露木先生が、更に視線をおかずの方に向けて目を見開いた。


「全部ハート型!」


 ハンバーグや卵焼き、それから付け合わせの煮物の具材まで全部ハート型に作られている。そしてメインディッシュのオムレツには……。


「今日はウチで? …………多野くん?」


 メッセージを読み上げた露木先生は俺にそう言って怪訝そうな目を向ける。

 俺はその視線を受けて、当然のように答えた。


「今日は凛恋の家で遊ぼうって誘いですよ」

「へぇ~、そーなんだー。ふぅ~ん」


 そう言った露木先生は俺の方を見るが、それ以上弁当に関して何かを言うことはなかった。


「凡人、はい、あ~ん」

「凛恋……二人が見――」

「…………いや?」

「あ~んっ! うん! 美味い!」

「良かった!」


 パッと明るく笑う凛恋を見てホッとする。

 前よりもベタベタ加減がかなり増し増しになった凛恋は、周りに居る人の人数が減ってくると、そのベタベタ加減が更に増し増し増し増しになっていく。

 二人っきりになると、片時も離れないという凛恋の意思が伝わってくるほどだ。


「八戸さん、私以外の先生の前では少し気を付けてね。あまり良い顔はされないから。八戸さんも、それに多野くんも」

「は、はい」


 俺は凛恋が作ってくれた弁当を食べながら、露木先生や希さんと話す凛恋の様子を見る。


 凛恋は大分明るさを取り戻して来た。でも、それは女子とだけで、やっぱり男子とはまだ会話することも出来ない。

 焦らないと決めていても、前の元気で明るい凛恋を見たい気持ちもある。


 凛恋は俺と話す時に気を遣うようになってしまった。それが、俺に嫌われないようにしているのは分かる。

 それに、そうするように凛恋を変えてしまった責任は俺にある。


 気を遣われないことが良いこととは言えない。親しき仲にも礼儀ありと言うように、多少の気遣いは必要だ。でも、凛恋の場合は気を遣い過ぎている。

 それには、やっぱり心の距離が離れてしまったという寂しさがある。


 それを素直に言えない俺も悪い。

 そうやって負い目を感じている俺の方も、凛恋に気を遣ってしまっているのかもしれない。


 また付き合えている嬉しさはある。でも、その嬉しさを素直に喜べない自分も居た。

 また付き合えたから全て丸く収まった。そうは絶対に言えない。俺が凛恋に付けた、付けてしまった傷は一生消せない。


 どれだけ謝ってもダメだというのは分かる。でも、凛恋の傷を癒やせる方法も思い付かない。

 傷付けたのは俺自身なのに……。


「凡人? 美味しくない?」

「いや! めちゃくちゃ美味い!」


 隣で不安そうに首を傾げる凛恋に、俺は明るく答えながら弁当を食べる。

 でも……ただ笑っているだけじゃ、何も変わらない。

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