【五七《コンフリクト》】:一

【コンフリクト】


 朝、目が覚めて朝飯を食べ終えて、俺はベッドの上に寝転がる。


 昨日、ステラの告白に応えなかったことに後悔はしていない。でも、また一人になったことの辛さを感じる。


 一人の寂しさを感じないために付き合う。きっとそうやって誰かと付き合える人は居るのだろう。

 それが恋人を作る理由になる人も居るんだろう。でも、俺にはそれは出来なかった。


 ステラは良い子だ。

 良い子だからこそ、ただ寂しいだけで気持ちに応えてはいけない。

 ステラの気持ちはそういう軽い気持ちで扱って良いものじゃない。でも、その結果、俺はまた一人に戻った。


 告白にはかなりの勇気がいる。

 ステラはその勇気を振り絞って俺に告白してくれたはずだ。でも、俺はステラの告白を断った。


 普通、告白して断った側と断られた側は疎遠になる。

 ステラも告白して断られた俺に会うのは辛く感じるはずだ。そして、俺も告白を断ったステラに会い辛い。


 ベッドから体を起こしてスマートフォンを手に取る。そして、ステラの番号を呼び出そうとして止めた。


「切山さんからか……」


 ステラへの電話を止めた直後、切山さんから着信が入った。

 俺はそのまま無視しようかと思った。でも、結局画面をタッチして電話に出た。


『もしもし多野くん、久し振りだね』

「そう、だな」


 切山さんと話すのは、俺と凛恋が別れたあの日以来。


『今日この後、時間ある?』

「いや、俺は――」

『お願い。少しでいいから』

「…………分かった」


 断ろうと思った。でも、なんとなく断る気になれなかったというのが一番大きい。

 一人が寂しかったから? というわけではない。

 電話口から聞こえる切山さんの声が切実だったからだ。


『ありがとう。外に待ち合わせでいい?』

「ああ。どこに行けばいい?」


 切山さんの提案を承諾して、俺は電話を切った。




 切山さんはドーナツとアイスティーを注文し、俺はアイスコーヒーだけを注文した。

 店の奥にある、テーブルを挟んで向かい合う形の二人席に座ると、目の前に座った切山さんが頭を下げた。


「本当に、ごめんなさい」

「なんで切山さんが謝るんだ」

「私が、ちゃんとしてたら、こんなことにはならなかったから……」


 こんなこと。それが俺と凛恋が別れたことを示しているのは分かる。しかし、それは切山さんの責任じゃない。


「俺と凛恋が別れた原因は切山さんじゃない。だから、それで謝られても困る」

「……凛恋はあの日、机にあの封筒が入ってるのを見付けて、無視しようとしたの。でも、里奈と佳奈子が絶対に中を確かめた方が良いって聞かなくて、それでうちのパソコンでデータを見たの」


 切山さんはドーナツにも飲み物にも手を付けることなく、両手を膝の上に置いて絞り出すように話す。


「中から沢山データが出て来て、希と私は、それを見てすぐにこれは悪意のある誰かのいたずらだって思った。でも、里奈はいたずらだとしてもこれは現実にあったことで、浮気してるのは間違いないって言った。それにすぐ反論したのは凛恋だったの。凡人は浮気なんてしないって言い張った。でも、佳奈子が男は知らないところで何をしてるか分からないって言って、里奈には多野くんと会ってない時に多野くんが何をしてるか知ってるのって凛恋が問い詰められて、それで……里奈が言ったの。ずっと黙ってたけど、私の彼氏が多野くんが凛恋以外の女子と腕組んで歩いてたって」


 切山さんはそれを言って首を振る。


「そんな話、凛恋は信じなかった。それどころか怒ったの。でもそれが当たり前、自分の彼氏のことを悪く言われたら怒って当然。でも……里奈が言ったの。そこまで言うなら、試してみようって」


 俺はアイスコーヒーを飲みながら、視線を切山さんから外す。

 切山さんの話を全部信じようとは思わない。でも、仮に切山さんの話が全て事実だとしても、結局俺の答えは変わらない。


「里奈は、あの証拠を突き付けて、凛恋が証拠を信じてるって思わせて、それでも違う信じてくれって多野くんも言い張ったら、これは偽物だって認めるって言った。でも、その時の私達は分かってなかった。それが、凄く酷いことだって……。本当にごめんなさい」


 切山さんは頭を下げる。でも、頭を下げられても、やっぱり困るとしか言いようがない。

 要するに、俺は凛恋から試されたのだ。俺が本当に凛恋だけを好きかどうかを。

 それは、試す必要があると思われていたということで、結局は凛恋は信じてくれていなかったということにしかならない。


「好きな人から、好きな気持ちを試されることが、どんなに悲しいことか分かってなかった。でも凛恋は――」

「試した時点で、俺のことを信じてなかったってことだろ」

「そんなことない! 凛恋は本当に多野くんのことを信じてたの! でも里奈が――」

「もう終わったことだ。今更話をしても何も変わらない」


 椅子から立ち上がって話す切山さんの言葉を俺は遮る。でも、切山さんは両目から涙をいっぱいに流して何度も頭を下げる。


「多野くん……お願い。凛恋には多野くんが必要なの。お願い……もう一度凛恋と――」


 その言葉を聞いて俺は立ち上がり、椅子に座って俯く切山さんを見下ろす。そして、言葉を掛けた。


「ごめん」


 俺には切山さんの求めている言葉を返すことは出来ない。やっぱり俺はまだ、心の整理が出来ずにいる。




 休み明け、昼休みの教室、目の前で弁当を広げる小鳥は、ニコニコ笑いながら俺を見る。


「凡人! 午後の授業、二時間連続で体育なんて珍しいね!」

「そうだな」


 小鳥の言うとおり、なんでそんなことになっているのか分からないが、午後の授業は二時間連続で体育になっている。

 体育の授業は、上手くサボれれば天国だが、サボれなければ地獄だ。


「今日は男女混合のバレーボールだって聞いたよ」

「そうか……」

「凡人って体育嫌いだよね」


 目の前でクスクス笑う小鳥は、箸でウインナーを摘んで口に運んだ。


 何故か分からないが、小鳥はずっと俺について回る。

 最初は撒いていたし話し掛けて来ても適当に返していた。しかし、どんなにぞんざいに扱っても、小鳥は変わらずニコニコ笑顔で話し掛けてくる。

 見た目は限りなく大人しめ女子に近いのに、メンタルは異常に強い。そのメンタルの強さに負けて、俺は意図的に撒くことを止めた。まあ、扱いのぞんざいさは変えないが。


「僕は結構好きだよ。体育」

「そうか」

「学校から帰ってジョギングに行くのが日課なんだ。凡人も一緒にやってみない?」

「パス」

「そっかー。でも、気が変わったらいつでも言って!」

「気が変わることはない」


 俺は食べ終わったパンの袋を丸めて立ち上がり、ゴミ箱に向かって歩いて行く。そして、振り返った瞬間に眉をひそめる。

 小鳥と希さんと凛恋が、俺を含めた四人の机を繋げて置き始めたのだ。


「凡人! 八戸さんと赤城さんがトランプやろうって!」


 小鳥が嬉しそうに手を振ってそう言う。俺はそれを見て、小鳥に背を向けて教室の出入り口に歩いて行く。


「わわわっ! 凡人! どこ行くの!?」


 後ろからバタバタと走ってきた小鳥に腕を掴まれる。いつもジョギングをしているからか、走り出しが早くて逃げ切れなかった。


「俺はいい。勝手に三人でや――」

「はいはい。凡人も一緒にやるんだよー」


 見た目は女子っぽいのに、いつもジョギングをしているせいか力は強い。

 無理矢理引っ張って来られた俺は、小鳥に両肩を押されて椅子に座らされる。隣にはトランプを切っている凛恋が居た。


「凡人、無理矢理ごめんね。四人でやった方が楽しいから混ざってくれると嬉しい」

「ジジ抜きだから四人が丁度良くて」


 凛恋と希さんがそう言うのを聞いて、俺は視線を小鳥に向ける。

 小鳥は、楽しそうに配られたトランプを確認し、ペアになっているカードを中央に捨てていく。


 俺は意図的に孤立しているタイプの人間だが、小鳥は意図せずに孤立してしまっているタイプの人間だ。

 だから、凛恋と希さんに誘われて嬉しかったんだろう。でも、意図的に孤立している俺としては面倒だ。

 仕方なく、俺が自分の前に配られた手札の整理を始めると、希さんが小鳥に話し掛けた。


「小鳥くん達は体育のチームは決まってる?」

「ううん、僕達はまだだけど」

「じゃあ、私達と一緒にやらない? 丁度、男子が二人足りなくて」


 今の状況には、色々と不自然なところがある。

 まずは、あの希さんが積極的に男子と話しているところ。

 いくら小鳥が見た目がほぼ……いや、限りなく女子に近いと言っても、大人しい希さんがこんなに積極的に話すわけがない。


 次に、男子が二人足りないということ。

 男女混合ということは、おそらく男子三人女子三人で組むことが推奨されているはず。

 その組み合わせなら、普通は女子三人のグループを作ってから、男子三人のグループを探す。しかし、希さんは「丁度、男子が二人足りなくて」と言った。ということは、既に女子三人男子一人の組み合わせが出来ているということになる。

 そんな組み合わせが都合良く出来るわけがない。


 そして最後、これが最も重要な不自然箇所だが、希さんも小鳥も、俺が小鳥とセットだと考えていることだ。

 小鳥には悪いが、俺は小鳥とセットになった覚えはない。


「あれ? でも、さっき別の男子が赤城さんと八戸さんと組みたかったって言ってたけど」

「あー、それはあっちが男子三人で組んでたから。私達は男子が二人足りなかったから断ったの」

「そうなんだ」


 凛恋の言葉に納得した様子の小鳥は、手札の整理が終わったのか、ニコニコと実に楽しそうな笑顔を俺に向けている。


「凡人は一緒のチームでいい?」


 隣で手札の整理をする凛恋が俺に尋ねる。


「凡人、いいよね?」


 前から小鳥がうるうるとした目を向けている。これは断らないでくれということなんだろう。


「俺は運動じゃ戦力にならない。運動部の男子を探した方がいいぞ」

「ううん、私は……凡人と一緒のチームがいいから」

「凡人~、お願いっ!」

「分かった。分かったから、小鳥は身を乗り出すな」


 立ち上がってズイズイと迫ってくる小鳥の煩わしさに負けてやけになって答える。

 体育の先生に「また多野と小鳥はチームが決まってないのか」と言われて哀れみの目を向けられないと思えば、多少の面倒くささも我慢出来るだろう。


「流石凡人!」

「何が流石か俺にはよく分からん」


 自分の手札の整理を終えてそう言うと、凛恋と希さんかクスッと笑う。

 その笑いにばつの悪さを感じて、視線を手札に集中させた。

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