【五五《不可侵領域の相対》】:二

「でも、ステラは気にしなさそうだな」


 最初に缶ジュースをおごった時、ステラは不思議そうな顔をしていた。

 演奏を鑑賞するチケット代の代わりと話したが、自分はプロではないからお金を貰うような演奏ではないと言っていた。


 ステラにとっては、自分の演奏は未完成なのだ。

 あんな、鑑賞した人全ての言葉を失わせる程、衝撃的な演奏が出来るのに、その演奏が出来る本人自体はそうは思っていない。

 それはボーッとしているとか抜けているとか、そういう軽い話じゃない。

 ステラはまだ上のレベルに行こうとしているのだ。

 そういう思考は常人の俺では出来ない、天才のステラだからの思考だ。


 見た目は少し高一にしては幼いのに、存在感は今まで見てきた誰よりも大きい。いや、俺なんかじゃ、ステラの全体像なんて全く見える気はしない。


 本屋を出てから公園まで続く道の途中、俺はコンビニの敷地に入る。

 コンビニに行くたびに思うが、街の郊外にあるコンビニはどうしてこんなにだだっ広いのだろう。運送トラックのような大型車両が入りやすいためなのかもしれないが、それにしても店の大きさと比べるとアンバランスさを感じてしまう。


「いらっしゃいませ~」


 店の中に入ると、やる気のない男性店員の声が聞こえる。そして、入って右手に見えるレジカウンターを見て、俺は眉をひそめた。


 コンビニのユニフォームを着た黒髪の真面目系イケメン店員。その店員の顔に見覚えがあった。

 俺をボコボコに殴った男の一人だ。


 俺と目が合った男性店員は、口元をニヤッと笑わせる。どうやら、店員も俺のことを覚えていたらしい。


「凡人? 凡人! こんなところでどうしたの!?」


 店の奥から出てきた私服姿の凛恋が、パッと明るい笑顔を向ける。凛恋とあの男はバイト先が同じなのだから、あの男が居るのなら凛恋も居て当然だ。だが、顔を合わせたくない人に二人同時に会うのはついてない。

「今帰り?」

「いや、この後用事がある」

「そうなんだ! 私、バイト終わりなの。せっかくだし途中まで一緒に帰らない?」

「俺は用事があるから」

「途中まででいいからお願い」


 強く断れば良いだけの話だ。強く拒否すれば諦めるに決まっている。


「分かった。途中までなら」


 でも、断れなかった。

 その理由は確かなものじゃない。だけど、一緒に帰りたいと言った凛恋の口調と表情に違和感を抱いた。

 ただ、一緒に帰りたいだけ以外の理由がある。そう感じてしまう雰囲気があった。でも、俺はその違和感を確かめる気はない。

 俺と凛恋の関係はもう、その違和感を確かめる関係ではない。恋人でも友達でもない。

 ただの学校のクラスメイトだ。


「ありがとう!」


 凛恋の表情がまたパッと明るくなる。俺はその表情から目を逸らして、店の奥に足を進める。


 レジカウンターからあの男がこっちを見ているのが分かる。だから、さっさと買い物を済ませて立ち去りたい。


 おにぎりやサンドイッチの並ぶ陳列棚の向かいにコンビニスイーツの陳列棚があり、そこに並んだ沢山のコンビニスイーツを見下ろして息を吐く。

 様々な種類のスイーツがあり、どれを買えばいいのかよく分からない。俺の好みで選ぶのも手だが、男と女子では食べ物の好みも違う。


「チョコプリンかミニチーズタルトがおすすめ」


 後ろに手を組んで、俺の顔を覗き込みながら凛恋がニコッと笑って言う。

 俺が選ぶより女子のおすすめを選んだ方が失敗する確率は少ない。


 プリンの方はスプーンで食べないといけない分、手のひらサイズのミニチーズタルトの方が封を開けるだけでいいから食べやすい。


「凡人ならタルトを選ぶと思った」


 俺がチーズタルトを手に取ると、隣からその凛恋の声が聞こえる。だが、大して反応はせずにレジへ持っていく。


 レジには当然あの男が居て、俺がカウンターの上にチーズタルトを置く。

 男がチーズタルトのバーコードを読み込ませながら、俺ではなく凛恋へ視線を向けた。


「この人って凛恋ちゃんの元彼でしょ? より戻ったんだ、良かったね」

「いえ……違います」

「そっか。じゃあ、新しい彼氏探さないと。凛恋ちゃん可愛いんだから、色んな男と付き合わないと勿体無いよ」

「私は、自分の好きな人とだけ付き合えればいいですから」


 隣でニコニコ笑って話す凛恋から目を離して、男の手元に向ける。

 さっきバーコードを読み込ませてから手が動いていない。


「そうなの? でも、俺のことも試してみない?」

「すみません。そういうの迷惑なんで止めてください」

「えー、そんなこと言わないでよー」

「あの、仕事してくれませんか?」


 いつまで経っても会計をしようとしない男に苛立ち、俺は視線を男の顔に向けて言う。しかし、男は全く申し訳なさそうな顔はせずに笑っていた。


「ごめんごめん。税込み二〇〇円ね」


 俺は財布から一〇〇円玉二枚を取り出して置き、商品を受け取ってコンビニの出入り口へ歩いて行く。


「凛恋ちゃん、またね」


 凛恋から完全に拒否されたのに、全くめげた様子のない男の声が聞こえる。


 コンビニを出て歩き始めると、隣に凛恋が並んで小さくため息を吐いた。


「あの人、大学生でよくバイトに入ってるんだけどさ。シフトが合うたびにあんな感じなの。チョー迷惑。ハッキリ、迷惑って言ったけどきっと効果ないのよねー」


 隣で話す凛恋は、横から俺の顔を覗き込んでジーッと視線を向ける。


「凡人、さっきの店員さん伊田さんって言うんだけど会ったことあるでしょ? それに、その時凄く嫌な思いさせられたでしょ」

「いや、初対面だ」


 凛恋は確信のある声と表情で言う。でも、俺とあの男はコンビニでも初対面の対応をしたし、あの男とその仲間にボコボコにされた場面は誰にも見られていないはずだ。


「マジ最低。あいつ絶対に許さない」


 俺が嘘を言っても、凛恋は全く信じようとしない。でも、俺があの男と初対面でも初対面じゃなくても大して何も変わらない。


「凡人……本当に迷惑で本当に嫌だったら断って。…………手、繋いでもいい?」


 まただ。あの時、一緒に帰りたいと言われた時と同じ違和感。でも、俺はまた同じ選択をする。

 俺と凛恋はもう、そんな関係じゃないから。


「それは出来ない」

「…………そっか。だよね……ごめん」


 違和感が確信に変わる。何かあるのが分かる。

 前の俺なら、凛恋と付き合っていた時の俺なら、どんなことがあっても確かめた。でも今の俺は確かめない。

 別れたという結果が先に出て来て、その次に自分を信じてくれなかったという現実が上乗せされる。


 聞く必要はないという言い分が湧いて、その後にもうその権利も義務もないという言い訳が湧く。

 隣を歩く凛恋は、少し俺との距離を詰める。でも、手は繋ごうとしない。

 体に触れないギリギリの位置を並んで歩く。


 会話もなく無言で歩いていると、あの公園の前にたどり着く。

 公園の入り口で立ち止まった俺の横を通り過ぎた凛恋は、俺の方を振り返って少し首を傾げる。


「凡人?」

「俺はここに用事があるから」

「ここに用事?」


 凛恋は公園の奥に視線を向けて不思議そうな声を出す。しかし、普通なら薄暗い夜の公園に用事なんてあるわけないから、不思議に思われても仕方がない。

 でも、俺にはここに用事がある。


「おわっ!?」「ちょっ!」


 急に俺の片手が引っ張られ公園に引きずり込まれる。しかし、空いている手が懐かしい温かさに包まれる。凛恋が俺の手を握って反対に引っ張っている。


 俺は凛恋から視線を外し、自分を公園に引っ張っている主の方に視線を向ける。

 俺が視線を向けた先には、紺色のセーラー服を着たステラの後ろ姿が見えた。


「ステ――」

「凡人から手を離して」


 ステラは立ち止まって振り返り、俺の言葉を無視してそう言う。

 その言葉は、反対の手を引っ張る凛恋に向ける。心なしか、ステラの表情がムッとしているように見える。


「あなたこそ、いきなり凡人の手を引っ張ってどういうつもり? そもそも誰?」


 凛恋は俺の手から手を離さず、ステラに視線を向ける。

 その視線は訝しげで、ステラの出方を窺っているように見える。


「私は凡人のヴァイオリニスト」

「ヴァイオリニスト?」

「そう、この公園で凡人のためだけにヴァイオリンを弾いている」


 二人は俺の手から手を離し、一歩踏み出して向かい合う。

 向かい合う二人を横から見ている俺は、二人の雰囲気に気圧されて言葉を発することも出来ない。


「貴女は、誰」

「私は……私は凡人の友達よ」

「そう、ただの友達。ただの友達がここで何をしているの?」

「凡人と一緒に帰ってたの」

「凡人はこれから私のヴァイオリンを聴く。だから貴女は帰って」

「じゃあ、私も一緒に――」

「帰って」


 ステラは拒絶する。

 そのステラの表情は初めて見るもので、語調も初めて聞くものだった。

 冷たい、絶対的な拒絶。

 俺に言われているわけではないのに、背筋にスッと静かな寒気が走る。そして、まるで喉元にナイフを突き付けられているような恐怖も感じた。


 そんな表情と言葉を向けられた凛恋は、ステラの真正面で目を見開いていた。しかし、恐怖に退く気配は見せず、キッと視線を鋭くする。


「帰る」

「ステラ!」


 ステラは小さく声に出して公園を出て行く。

 俺はその背中に声を掛けてステラの肩に手を置く。すると、ステラが振り返って俺の顔を見た。

 そのステラの顔を見てもさっきの恐怖は感じなかった。


「これ、いつも演奏を聴かせてくれるから」

「私に?」


 小首を傾げるステラの手に、ミニチーズタルトが入ったコンビニの袋を握らせる。

 すると、ステラは俺の後ろを見て、小さく口元を微笑ませた。


「ありがとう。家に帰って食べる。じゃあ、また」

「ああ」


 ステラがスタスタと夜道を歩いて行くのを見送り、俺は後ろを振り返る。すると、振り返った先には、俯いて両手の拳を握り締める凛恋が居た。


「邪魔してごめん。私も、帰るから……。一緒に帰ってくれてありがと」


 凛恋はそう言って、駆け出すように振り返って元来た道を走り出す。それで俺は気付いた。


 この公園は、凛恋の家とは真逆の方向だったことを。

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