【五一《思い出を重ねないように》】:二

 放課後は、中学時代ならすぐに家に帰ってゲームをやっていた。でも、今は家に居ることも億劫だ。


 春休み、俺は爺ちゃんに家から叩き出された。

 その時、本気で家に戻る気はなかった。でも、街を歩いているところを田丸先輩に見付かり、俺は無理矢理家に連れ戻された。

 婆ちゃんは俺が戻ってきて泣きながら喜んではくれた。でも、俺はあの日から爺ちゃんと一切口を利いていない。


 一方的に俺だけが悪いと決め付けて殴ってきた爺ちゃんと、俺は和解なんてするつもりはない。

 俺は信頼していた人に裏切られたのだ。それに、結局、凛恋だけじゃなかった。


 希さんも栄次も体の良い嘘を吐いて俺を騙した。

 俺が都合良く解釈出来る嘘を吐けば、俺がその嘘に載せられて凛恋と仲直りすると思われていたのだ。

 心の裏で、そんな単純な人間だとあざ笑われていたのだ。

 そんな俺の状況なんて分かろうとしなかった、聞こうともしなかった爺ちゃんに俺が謝ることなんてない。


 俺は爺ちゃんと出来るだけ顔を合わせないために、出来るだけ外で時間を潰す。しかし、時間を潰すと言っても街をフラフラと歩き回るだけで、何かをするわけじゃない。

 空が薄暗くなってきた頃、俺は買う気もないゲームをゲームショップで眺めた後、それに飽きて外に出た。

 春と言っても、日が落ちればまだ肌寒い。小さく吹く風は肌に冷たさを打ち付けていく。


「あー、いい女、居ねーかなー」

「そう言うことを言ってる奴は出会えねーよ」


 男性の馬鹿話が正面から聞こえてくる。他人の邪魔なんて考えず、歩道に三人並んで歩く男性達。そのうちの両側の男二人がそんな話をしていた。


「義徳(よしのり)~、義徳の伝でいい女紹介してよ~」

「お前に紹介すると俺の評判が落ちる」

「だよな~。こいつはすぐヤろうとするし」

「だって、ヤりてーじゃん」


 ゲームショップから離れると、街灯だけの明かりしかなく、人通りよりも車通りの多いこの道は歩行者が俺達以外居ない。

 このまま後ろから追い抜きたいのだが、左側はずっとブロック塀が続いていて、右側はガードレールが続いている。どちらかが途切れるまで、このまま我慢するしかなさそうだ。


「義徳はどうなのよ。前のなんだっけ? バイト先の客の女はどうしたんだ?」

「ああ、飽きたから別れた。でも、今は別の子狙ってる」

「マジマジ? なんて子?」

「いや、名前聞いても俺等には分かんねーだろ!」


 左の男がボケて右の男が突っ込む。すると、三人は実に楽しそうに笑っている。

 正直、後ろでずっと聞いている俺からしたら何が面白いのか分からない。


「名前は八戸凛恋。刻雨高校の二年だってさ」

「うお~! JKかよ! やべぇ~、俺も明日からコンビニのバイト始める!」

「お前はコンビニのバイト初めて、中年のババアとヤってろ!」


 また下品な笑い声を上げて三人が笑う。でも、俺は面白くないどころか、頭の血管がプチプチと鳴る音が聞こえるような気がしてきた。


「で? その凛恋ちゃんってどんな子なの?」

「見た目は黒髪黒縁眼鏡の清楚系。でも、スマホの待ち受けは別人みたいに派手なギャル系だった」

「へぇ~、義徳的にはどっちが好み?」

「いや~あれはどっちもだな。日替わりで好きな時にどっちもやらせたい感じ」

「でもさ~、自分の画像待ち受けにしてるのはないわ~。なんか、自分大好きって感じでウザそう」

「いや、その画像は男とのツーショットだった。男の方は冴えないやつだったけどな」

「んだよ、彼氏持ちかよ~」


 左の男が頭を抱えてガッカリした声を出す。しかし、中央の男が醜悪な笑い声を上げた。


「それがさ、別れたんだってよ。その彼氏と」

「マジ!?」

「ああ、んで、彼氏のこと忘れられなくて待ち受けにしてる感じだな、あれは」

「でもそれってチャンスじゃね? 失恋の悲しみに漬け込んで誘えば、楽に行けそうじゃん」


 右側の男が楽しそうに話に食いつくのを後ろで見ながら、俺は右手の拳を握った。


 俺は一体何に怒っているんだろう。

 人が人を悪く言うことの気持ちの悪さにだろうか。いや、ダラダラと話をしながら歩いていつまで経っても道を空けないことに対してだ。

 前の三人のせいで俺はいつもの三分の一のスピードでしか歩けていない。


「いや、飯に誘っても断られるし、一緒に帰ろうって言っても断られる」

「うへっ、ガード固ッ!」

「いや、でも今度凛恋ちゃんの歓迎会やるからな。その時に連れ込む」

「義徳やる~。義徳がちょこっと優しくすれば、傷心のJKなら簡単に股開――イッテッ! んだてめえ!」


 俺は、左側の男と中央の男の間を突っ切って前へ出た。

 二人とも同時にぶつかったが、左側の男が俺の左肩を掴んで振り向かせる。


「すみません。三人並んで邪魔だったので」

「ああ? 高校生のガキが大人に舐めた口利いてんじゃねえぞ?」

「ちょっと待て」


 中央に立っていた男が、俺の顔を見て、フッと薄ら笑みを浮かべる。


「こいつ、さっき話してたJKの元彼だ」

「へぇー、元カノが義徳に取られそうで、惜しくでもなったんでしゅかー?」


 小馬鹿にした態度を取る男を無視して歩き出す。しかし、すぐにまた肩を掴まれて振り向かされた。


「おーおー、人にぶつかっといて何にも無しかよ」

「すみませんでした。失礼しまっ――ッ!」


 適当に言葉を投げ付けている途中、男に制服の襟を掴まれて、俺はブロック塀に思いっきり体を叩き付けられた。

 右肩を強くブロック塀にぶつけて、肩が潰れるような痛みが走る。


「あんまり大人舐めんじゃねーぞッ!」

「ガハッ! カッ!」


 首を掴まれて、再びブロック塀に叩き付けられる。

 背中をぶつけて息が詰まり前屈みになった顔に、男の拳が飛んでくる。左頬に拳を受けるが、崩れそうな膝に力を入れて踏ん張る。


「凛恋ちゃんに言っといてやるよ。元彼くんが知らない女とラブホ入るの見たってな。失恋したての女なんてちょっと優しくすれば――ガッ! イッテェなッ!」


 右手の拳を握って体全体を使って振るう。その拳が、中央に立つ男の頬へ綺麗に入った。


「俺の信じてた凛恋は……てめぇみたいなクソ野郎のことなんか相手にするかッ! 凛恋は……凛恋はッ!」


 俺の信じてた凛恋は優しくて明るくて、友達思いで、それでずっと俺の味方で居てくれた。


 刻季の奴等から馬鹿にされたって、刻雨の奴等から馬鹿にされたって、世間の人から犯罪者の息子だって馬鹿にされたって…………母さんから捨てられたって……ずっと、ずっとずっと! 俺の味方をしてくれた。


 俺の信じてた凛恋はずっと俺の味方だった。


「俺の信じてた凛恋を汚すな」


 人は過去へ遡れない。でも人は過去を振り返る。

 辛い時、苦しい時、過去にあった楽しい思い出に浸ろうとする。


 希さんに聞かれた。優愛ちゃんに聞かれた。


 凛恋のことを嫌いになったのかと。


 そんなことを聞かれて、嫌いになったなんて言い切れる程、俺は単純な人間じゃない。

 俺は、俺の信じていた凛恋のことがまだ好きだ。

 でも……もうその凛恋は居ない。でも、もう居ないからこそ、これ以上汚いもので塗り潰されるのが嫌だった。


 これ以上、人と関われば人の嫌な部分がどんどん重なっていく。そうしたら、綺麗だったものがどんどん汚くなっていく。


 もうこれ以上……俺は思い出を重ねない。重ねたら、あの楽しい思い出が遠くなる。だから――。



「帰っぞ」

「あー疲れた疲れた。この後カラオケ行こーぜ。義徳、女三人呼んでくれよ! あっ、凛恋ちゃんと凛恋ちゃんの友達呼ぼうぜー」

「上手く行けばJKとヤれるぞー」


 ブロック塀に背中を預けたまま、笑って去っていく男三人の後ろ姿を見送る。

 もう一発くらい殴りたかったが、そんな元気は残っていなかった。


 威勢よく突っ掛かった割りに、俺が相手に食らわせられたのは一人一発ずつ。

 その代償に俺は数一〇発もらった。数えるのも馬鹿らしい。


「いってっ……」


 このまま歩道に座り込んでいたら、歩いてきた人に見付かる。

 あいつ等にやられている間、誰も通らなかったことが奇跡なのだ。


 ブロック塀に手を突いて、塀沿いをゆっくり歩き出す。

 手の甲で口を拭うと、手の甲に真っ赤な血が付く。このまま帰るわけにはいかない。

 公園に寄って口をゆすがないと。それに、傷口も洗っておかないと。


 動きの鈍い体を引き摺るように歩道を歩き、ガードレールの向こう側を流れる車に何台も抜かれながら、必死に前に進む。

 すっかり暗くなった空の下、やっとの思いで公園に辿り着き、公園に入ってすぐにある水場に歩いて行く。そして俺は、蛇口のハンドルを捻って、蛇口から出た水で口をゆすいだ。


「イツッ!」


 水を手ですくって顔の傷を洗うと、ヒリヒリと水が染みて痛みが頬を内側から突く。

 まだ、立って歩けているのだからマシな方だ。でも、少し休みたい気分だった。


「ん?」


 俺が水場の縁に手を突いて顔を上げると、公園の奥に白い人影が見えた。

 街灯の放つ淡い光がスポットライトのように照らす石製のベンチ。

 そのベンチの上に、白いワンピースを着た女の子が立っていた。

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