【五一《思い出を重ねないように》】:一
【思い出を重ねないように】
「今年一年、皆さんのクラスを受け持つことになりました。担任の露木真弥(つゆきまや)です。よろしくお願いします」
「うおーっ! 露木先生のクラスとかサイコーだ!」
クラスに一人は居るお調子者が声を上げると、クラスの中には笑い声が溢れる。当然、俺は笑っていない。
先生は困った笑顔をお調子者に向けて、自己紹介を続けていた。しかし、露木先生は大分変わった先生だ。
まず、教室の席の場所が、出席番号順じゃない。
大抵の先生は、進級当初は出席番号順で、その後は学期毎か月毎に席替えを行う。しかし、露木先生は教室に来た時言ったのだ。
「好きな席に座ってね」と。
俺は教室の中央の列、最後尾に座っていたが、そこから動かなかった。席に対して特にこだわりがなかったというのもある。それに何より、動くのが面倒だった。
「凡人、よろしく」
「凡人くん、よろしくね」
右側に凛恋が座り左側に筑摩さんが座る。何処の席に座るのかは自由だが、それでも面倒くさい。幸い、筑摩さんは左隣の男子に話し掛けられ、凛恋は前に居る希さんと話し始めたから、俺は一人で黙っていることが出来た。
「あ、あのぅ……」
また話し掛けられた。今度は真正面に座る男子だ。
机の天板から視線を上げると、視線の先には男子の制服を着た女子が座っていた。いや、男子の制服を着ているのだから男子なのだろうが、顔立ちは中性的どころか限りなく女性に近い。髪型もボブカットで女子のような髪型をしている。
「僕、小鳥瀬名(おとりせな)って言います。これからよろし――」
「俺は誰ともつるむ気はない」
小鳥には悪いとは思う。
雰囲気が大人しいというか、何か常にビクビクしている小鳥にとって、面識のない相手に話し掛けるのは勇気が必要だったはずだ。だが、その勇気を使う相手が悪かった。
「多野凡人くんだよね? 僕のことは瀬名でいいから、僕も凡人って呼んでいい?」
「…………俺のことは放っておいてくれ」
「でも――」
「おいおい、仲良くしよーぜ! これから一年間一緒に勉強する仲間だろ?」
いつの間にか朝礼が終わって、休み時間になっていたようで、クラスのお調子者がうるさい笑顔を浮かべながら近寄ってくる。
小鳥の方は、こういう人間が苦手なのか、俯いて黙り込んでしまう。
「じゃあ、あんたが小鳥と仲良くしてやってくれ」
「いやー、俺と小鳥はキャラが違うからなー。第一、女みたいだし」
そのお調子者の言葉に小鳥は俯く。それを見ながら、お調子者に視線を向けた。
「これから一年間一緒に勉強する仲間なんだろ? だったら、キャラは関係ないんじゃないか?」
「あっ、いやー。それはなんつーかさー。気の合う奴で一緒に居た方が良いだろ?」
「俺と小鳥は気が合わないみたいだ」
「高校生にもなって、そんなわがまま――」
「ププッ!」
急に左から吹き出して笑う声が聞こえる。その声の主は、筑摩さんだった。
「ち、筑摩、何で笑うんだよ!」
「だって、面白いから」
お調子者は、筑摩さんに笑われて顔を赤くしながら声を荒らげる。しかし、筑摩さんは変わらず笑いながら言葉を返した。
「だって、きみが凡人くんに言ってる言葉、全部凡人くんに言い負かされてるんだもん。だから、ちょっと面白いなって」
筑摩さんはニコニコ笑いながらお調子者に視線を合わせる。
「人にお節介を焼くことが悪いことだとは思わないけど、下心が見えるお節介は逆効果だよ? 小鳥くん本人にも、それを見ている周りにも」
お調子者が筑摩さんの言葉をどれだけ理解しているかは分からないが、お調子者は筑摩さんに暗に言われたのだ。「良い人と思われたいってバレてるよ」と。
お調子者は俺と小鳥を仲良くさせようとした。しかし、自分は面倒くさいから俺に小鳥を押し付けようとした。
それは仲を取り持った、ではなく厄介払いをしたと取られる行動だ。しかも、それを周囲に目立つように、これみよがしにやっている。
内心では「他人に気を遣える俺、良い奴」なんて思って笑っていたのだろうが、そのやり方が下手くそ過ぎた。
「まあとにかく、仲良くしてやれよ」
雲行きが怪しいのを察したのか、お調子者はそう言って話を切り上げて立ち去って行く。
視線を左に向けると、筑摩さんがニコニコと笑って手を振っている。
お調子者は他人から暗に「あいつは良い奴だ」と思われたい人間だった。そしてお調子者は、自分が良いことをしてると思っていない。というのを装ってる。
そんなお調子者とタイプは違うが、筑摩さんも人から良く思われたい人間だ。
ただ、それは特定の個人に対してかつ露骨な好意。だが俺は、それを感じても面倒くさいとしか思わない。
進級初日から数日が経ち、俺は酷く疲れていた。
初日からずっと、目の前に座っている小鳥が、しつこく毎回ことある毎に話し掛けてきたからだ。
休み時間になったら、趣味は何かとか、新しい各教科担当先生の話とか、それはもう、話す意味があるのか分からない話を一方的に話し掛けてきた。
俺はその全てを聞き流していたが、それでも周りが騒がしいのは面倒だった。
でも、昼休みになった今は、上手く小鳥を撒くことが出来て、一人でゆっくり出来ている。
「凡人さ――凡人先輩!」
渡り廊下の上で缶コーヒーを飲んでいると、横から聞き覚えのある声が聞こえた。視線を向けると、刻雨高校の女子制服を着た優愛ちゃんが立っていた。
優愛ちゃんは、俺の顔を見て、両手でゴシゴシと目を擦った後に駆け寄ってくる。
「凡人先輩……お久しぶり、です」
「…………別に先輩は付けなくていいよ」
「凡人さん……凡人さんッ!」
優愛ちゃんは学校の中なのに、俺の腕を掴んで引っ張り、目から涙を流して俺の名前を呼ぶ。
人との関わりを絶った俺でも、その優愛ちゃんの涙には胸をギュッと締め付けられた。
「お姉ちゃんから凡人さんと別れたって聞いて、それで理由を聞いてもお姉ちゃんは『私が凡人を傷付けたの。だから、私が全部悪い』って言うだけで、何も他に相談してくれなくて……」
「優愛ちゃんは気にしなくて良いことだ。それにこの問題は終わったんだ」
「凡人さんはもうお姉ちゃんのこと、嫌いになったんですか?」
希さんと同じように卑怯な言い方だと思った。でも優愛ちゃんは希さんと違って純粋に尋ねている。でも、俺には同じ答えを返すしかなかった。
「もう、どうも思ってないよ」
「そんな……」
優愛ちゃんは力なく俺の手から自分の手を離し、体の横にダラリとぶら下げる。
「……お姉ちゃん、凡人さんのこと、まだ好きです」
「そうか。でも、もう別れたんだ」
「別れたってまた付き合えます!」
「ごめん、無理だ。俺は、凛恋のことを信じられない。凛恋の言動が全部嘘に見える。絶対に何か裏があるって勘繰る。だからもう無理なんだ」
「お姉ちゃん、凡人さんと別れてから凄く元気がなくてずっと家の中に閉じこもってました。でも、やっと友達に強引に外に連れ出してもらえた次の日です、お姉ちゃんが髪の色を昔に戻して、コンタクトを止めたのは。その次の日には、お姉ちゃんがアルバイトを始めたんです。それで、私に言ったんですよ」
優愛ちゃんは俺の顔を見上げて、必死にすがり付くように言った。
「『私、一からやり直す』って。私、それはお姉ちゃんがまた凡人さんに好きになってもらおうと頑張るってことなんだと思ってます。だから、お姉ちゃんにチャンスを下さい! もう一回、お姉ちゃんとやり直そうって――」
「優愛ちゃんは頭が良いから、覆水盆に返らずってことわざを知ってるだろ?」
「凡人さんッ!」
「人と人との関係は元に戻すことなんて出来ない。人間関係は時間と共に変化して、元だった人間関係は元通りに戻したいと思った時は、既に過去へ過ぎ去ってる。優愛ちゃんは過去に戻れる?」
「そんなの、出来ませんけど……」
「そう。人は過去に戻ることなんて出来ない。だから、もう過ぎてしまった過去に元通りなんて無理なんだ。過去と同じことを真似てなぞることは出来るかもしれない。でも、それは元通りなんて言わないだろ?」
「本当に……ダメなんですか」
「ああ。優愛ちゃんがお姉ちゃん思いの良い子で、お姉ちゃんのことが好きで、お姉ちゃんのことを心配しているのは分かるよ。でも、今回のことは俺と凛恋の話なんだ。いくら優愛ちゃんが頑張ってもどうにか出来る問題じゃない」
非情になろうとして、非情になりきれなかった。圧倒的な拒絶で突き放した方が優愛ちゃんも諦めが付く。でも、泣いている優愛ちゃんを見たら、中途半端に傷付けただけだった。
中途半端に付けられた傷は、思いっきりやられるよりも痛いし惨い。それは俺が非情になりきる強さを持っていなかったせいだ。
やっぱり、俺は脆弱な人間だった。
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