【五〇《原点回帰と決別。そして巡る》】:二

 スーパーマーケットの自販機コーナーに連れて行かれて、俺は眉をひそめる。相談に乗ると言っておきながら、この環境は相談に乗れるような環境じゃない。


「ジュース奢ってやるよ。何がいい?」

「結構です」

「遠慮するなって」

「結構です」

「そう、か」


 横谷先輩は炭酸ジュースを買って、ベンチに座っている俺の隣に座る。

 プシュッと音を立てて缶を開けた横谷先輩は、炭酸ジュースを口にしてニヤニヤと笑った。


「何だよ、家の人と喧嘩でもしたのか?」


 俺の左頬を指さして、横谷先輩はニヤッと笑う。


「反抗期も程々にしておけよ~」

「はあ……」

「あっ! もしかして八戸さんに振られたのか? まあ、いかにも八戸さんは多野って感じの子じゃなかったもんな~。でも気にすんなって、女なんて世界に星の数ほど居るんだぜ。そのうちのたった一人に――」

「もう凡人くんと話さないでもらえます?」


 ベンチに座り込んでいる俺と横谷先輩の前に影が落ちる。視線を上げると、ニコッと笑う筑摩さんが立っていた。

 オフショルダーのトップスとロングのフレアスカート。そのシンプルな服装の筑摩さんは、相変わらずニコニコと笑みを浮かべている。


「きみは?」

「私ですか? 私は、凡人くんに片思い中の刻雨高校一年、筑摩理緒です」

「おお、多野もやるじゃないか。この子の方がお前には合って――」

「じゃあ、そういうことなので失礼しますね」


 筑摩さんが俺の腕を掴んで走り出す。後ろから、横谷先輩の「頑張れよ~」という軽い声が聞こえた。

 スーパーマーケットを出て歩き出すと、すぐに筑摩さんが俺の腕から手を離して振り返る。


「さっきの凄く失礼な人、誰?」

「前の高校の、刻季高校の先輩です」

「何か、何も考えてないような人だよね」


 初対面であるはずの横谷先輩をそう評価した筑摩さんは、俺に一歩近付いて下から俺の顔を見上げる。


「大丈夫?」

「いや、怪我は大した怪我じゃ」

「違う。……大丈夫?」

「だから、怪我は――」

「違う。凡人くんの心は大丈夫かなって」


 ザワザワという街の喧騒が一気にしぼんでいく。でも、それは喧騒が小さくなったわけではなく、俺の聞こえている音が小さくなったのだ。


「もちろん、怪我も心配だけど、少し付いて来てほしい場所があるの」

「ちょっ……」


 付いて来てと言われても、強引に腕を引っ張られるのだから付いて行くしかない。でも、俺にはこのまま筑摩さんに付いて行ったとしても、誰からも咎められない。だから、別に何の問題も無い。


 筑摩さんはスーパーから離れ、国道沿いの歩道をずんずん進んでいく。

 この辺りは良く通る場所だが、住宅街だから通り抜けることばかりだ。


「今の凡人くん、誰も信じられなくなってると思うけど、私はそれで良いと思うよ」


 前を歩いて振り替えずに歩く筑摩さんの背中を俺は見る。


「逸島先輩、処分されないんだって」


 別に、逸島の状況なんてどうでも良かった。でも、その『処分されない』という言葉は胸にずっしりのし掛かる。


「逸島先輩の実家は大きな病院。それで、刻季と違って刻雨は私立だから、寄付金を優先したみたい。つまり、お金で黙らされちゃったってこと。今回の件で傷付いたのは、本当は凡人くんだけだったんだよ? 逸島先輩も傷付いてない、米野くんも逸島先輩が処分されないから同じように不問。それに、一番傷付いている振りしてたあの人も」


 住宅街を抜けて、少し行った場所にあるファストフード店。その窓際の席に見慣れた人の姿があった。凛恋と溝辺さんだった。


「正面に居るのは溝辺さんの彼氏さんと、入江裕也くんって人。さっき、凡人くんに会う前に見掛けたの。結構長い間しゃべってるみたい」

「俺にはもう、関係ありませんから」

「そっか、でも私には関係あるから付き合って」


 ニコッと笑った筑摩さんがファストフード店に入って、凛恋と溝辺さんの座る席の近くに俺を座らせる。


「飲み物買ってくるから待っててね」


 手を振ってスタスタと歩いて行く筑摩さんの背中から、目の前にある木目調のテーブルに視線を落とす。


「でもさ~凛恋も別れて正解だと思うわけよ。だってそもそも、あいつと凛恋じゃ釣り合わないし。凛恋はもうちょっと明るいイケメンと付き合うべきだって。入江くんみたいなさ」

「溝辺が俺を褒めるとか珍しいな」

「まあ、私には東司が居るし、入江くんには構ってあげられないけどね~」

「いーよ溝辺は」

「あの……里奈、私……」

「でも、八戸さん、里奈の言う通り早く忘れた方がいいぞ。男なんてこの世にゴロゴロ居るんだし。八戸さんはモテるんだから、一人の男に固執するのは良くないって。それに、初めて付き合った彼氏だったんだろ? 初めて付き合った彼氏とずっと一緒に居ること自体あり得ないんだし」

「そーそー、それにちょっと疑ったくらいで別れるとか、情けなさ過ぎでしょ。所詮、凛恋のことなんてその程度にしか思ってなかったのよ」


 後ろから聞こえる会話に俺は目を閉じ、深く息を吸ってゆっくり吐く。


「凡人くんの好みが分からなかったから――」


 俺はテーブルの上にお金を置いて立ち上がる。正面に居る筑摩さんは俺の方を目を丸くして見ていた。


「筑摩さん、俺にもう関わらないでくれ」

「え?」

「俺は、もう誰一人信用しない」


 希さんの言葉を思い出す。


『あの日からね。友達関係がギクシャクしちゃって……仲が悪くなってバラバラになったわけじゃないの。でも凛恋に里奈ちゃんが遠慮しちゃって……ほら、里奈ちゃんが焚き付けたことで火種が大きくなっちゃったから。それで、責任感じて』


 栄次の言葉を思い出す。


『希と凛恋さんが仲直りした日。俺と希に凛恋さんが、カズと仲直りしたいって言ったんだ』


 その言葉を思い出して、俺は笑った。


 人は平気で嘘を吐く。

 相手にバレないから別に良いと、浅はかな行動を取る。

 それが相手に期待を持たせようとかやる気を出させようとか、そういう意図があったとしても、やっていることは人を騙しているということだ。


 責任を感じて? バカバカしい。

 責任を感じている人が、別れて正解、釣り合ってないなんて笑いながら話すか。いや、そんな訳はない。

 仲直りしたい? 俺を舐めるのもいい加減にしろ。仲直りしたい人が、男女四人で飯なんて食うか? しかも、相手の一人の入江という男は……凛恋が好きだった相手だ。


 良かった、人を信頼しないと決めていて。良かった、人に期待しないと決めていて。もし、今の俺に誰かを少しでも信頼しようという気持ちがあったら、完全に心が壊れていた。


「かず、と……」

「えっ!?」

「うわっ! マズっ!」


 後ろから聞き慣れた声が俺の名前を呼ぶのが聞こえて、その後に女と男の声が聞こえる。でも、誰の声かなんてどうでも良かった。


「とにかく、もう付きまとわないでくれ。迷惑だ」


 迷惑だと言っても、もう俺は何も思わない。俺には友達が居ない。だから、友達の気持ちなんて考える必要はない。


「あの、凡人くん……私……」

「俺の方には話すことはない」


 敬語を使うことも忘れて、俺はファストフード店を出る。テーブルの隙間を早足ですり抜け、店の出入り口にある自動ドアを潜る。


「凡人ッ!」


 後ろから聞こえる声を頭の中から弾き飛ばす。絶対に聞き入れないように心の耳を塞いだ。


「待ってッ! 待ってお願いッ!」

「離せ」


 後ろから腕を掴まれて、俺は振り返って短くそう口にする。


「あれは違うのッ! 里奈に気分転換に出ようって誘われて、それで行ったら里奈の彼氏と入江くんが居て。それで、帰ろうとしたの! でも、里奈が帰してくれなくて!」

「そうか」

「凡人?」

「それで? なんでそれを俺に言うんだ?」

「えっ?」

「別に良いだろう」

「じゃあ……」


 俺の方を見ている凛恋の顔に明るさが戻る。そして、俺の方に一歩踏み出した凛恋の肩を押し返した。


「凡人……なんで」

「彼氏居ないんだから、新しい男探しても問題ないだろ」

「凡人……ごめんなさい……私は――」

「信じたんだろ。あの証拠を、溝辺さんの言葉を、それで良いだろ」

「凡人…………私、不安で……凡人が私より可愛い女の子に取られちゃうかもって不安で! それで……田丸さんと鷹島さんの写真見て……頭が真っ白になって……そしたら、里奈が怒ってて、それで何も言えなくて……」


「人って平気で嘘を吐くんだよ。希さんが言ってた。溝辺さんは責任を感じてたって。でも、あの人は俺をバカにして笑ってた」

「…………凡人ッ! 希は今日のこと何も知らないから!」

「栄次が言ってた。凛恋が俺と仲直りしたいって。でも、男と……入江と一緒に居ただろ」

「栄次くんは悪くないの! それに入江くんは――」

「自分を変えるほど好きな相手だろ」

「私が好きなのは凡人だけッ!」

「人は平気で……嘘を吐くんだよッ! 人は……人は……信用出来ない生き物なんだ」


 俺は元に戻る。誰も信じていなかったあの頃に。

 そして、一瞬でも人を信用しようと思った時期があった自分が恥ずかしい。


 もう、誰の言葉も聞きたくない。


 言葉はいくらでも偽れる。そんなものをいくら聞いたって、いくら重ねられたって、それはいくらでも偽れる不確かなものでしかない。いや、他人自体がいくらでも偽れる存在だ。

 見た目でニコニコ笑っていても、心の中では笑いかけている相手のことを馬鹿にしている。

 大人しそうに、優しそうに装っていても、実際は人を人とも思っていない冷酷な存在だ。


 そんな、不確かで不透明なものを信じても、信じた側が一方的に傷付くだけでしかない。

 だから、俺は……自分しか、自分という確かなものしか信じない。



 もう桜の花も散ってしまい、気温以外で全く春らしさを感じない新学期、俺は高二に進級した。

 使う教室は校舎の一階から二階に変わり、窓から見える景色も高くなったことで外の光が一階よりも強い気がする。


「凡人くん、おはよう。今年もよろしく」


 ニコッと笑って手を振った筑摩さんがそう言って歩いて行く。俺には関わるなと言ったのに、懲りずに話し掛けてくる。

 視界の端では、別の席に座る希さんがこっちを見ているのが分かる。でも、その視線には合わせない。関わるのはごめんだ。


 俺は一人で過ごす。

 中学は一人で過ごせていて気楽だった。誰かに合わせる必要もないし、好きな時に好きなことを好きなように出来る。

 自分の時間だって大量に確保出来る。


「うわっ! めっちゃ可愛い子が来たっ」

「えっ!? 誰だよあの子、うちの学年に居たっけ?」


 クラスに居る男子がざわつき始め、俺はその教室に響く騒音を遮断するため、机の上に突っ伏して寝ようとした。しかし、腕で耳を塞ぐ前に上から声を掛けられる。


「あの」

「…………」


 凛恋の声だ。また懲りずに話し掛けてきた。俺はもう一人で居るって決めた。今更、何を言われても考えを変えるつもりはない。


「あの!」

「俺はもう、凛恋とは関係な――」


 しつこい凛恋に、俺は顔を上げて拒絶しようとする。しかし、顔を上げた瞬間に思考が吹っ飛んだ。


 ミディアムウェービーヘアは変わらない。でも、金髪だった髪色は、真っ黒になっている。しかも、黒縁眼鏡を掛けていた。

 派手な見た目だった面影は一切無く、地味な見た目になっている。


「…………やっぱり、凡人だけだった。私が誰かって分かったの」


 凛恋はニッコリと笑う。でも、俺はその凛恋から視線を逸らした。


「もう、俺とは関係ないだろ。関わらないでく――」

「私と友達になって下さい」

「はっ?」


 目の前でキュッと唇を噛んだ凛恋は、一度手の甲で目を拭って、深々と俺に頭を下げた。


「私と、友達になって下さいっ!」

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