【四七《歩き抜く理由》】:三

 歩こう会がスタートすると、臨海公園の出入り口から一斉に生徒が歩き始める。俺達四人も、先頭集団から少し遅れて臨海公園を出た。


 スタートしてからはしばらく海岸線にある遊歩道を歩くことになる。しかし、冬の海の潮風は冷たい。

 横から吹き付ける冷たいその潮風に、スタート早々、生徒達の集団から嘆く声が聞こえる。


「寒~!」

「初っ端からキツ過ぎだし~」


 切山さんと凛恋も冷たい潮風に打たれて顔をしかめ身を縮ませる。

 まだ雨は降っていないが、雨が降る前兆なのか右手に見える海の波が高く時化ている。


 足下は石タイル舗装の道で、しっかりした道だから砂浜を歩かされるより歩きやすい。しかし、右手の砂浜をランニングする生徒の集団が居た。


「……あいつ等は何をやってんだ?」

「ああ、あれ全員野球部の生徒よ。なんか、野球部はスタート地点から次の休憩所まで砂浜をランニングするんだって」

「……バカなのか?」

「プッ……まあ、伝統なんだって。それに、運動部は全部、どの部の部員が一位でゴール出来るか競ってるって言ってた。野球部は最初に走って距離を稼ぐらしいけど、サッカー部と陸上部は二日目の山を越えた後から走り始めるんだって」


 笑いながら説明してくれた切山さんの話を聞いてゾッとする。

 歩くだけでも大変なのに、運動部の連中は走らされるらしい。俺は運動部に所属してなくて良かった。しかも、野球部は砂浜を走っている。

 まあ、トレーニングの一環としてやっているのだろうが、後々にかなり響いてきそうだ。


 しかし、開始前の校長先生の挨拶で「歩こう会は競争ではありません。ですので、一位になっても何の表彰もありません。歩こう会は、他者と競い合うわけではなく、長い距離を歩くことによって、自分自身と向き合い自分自身の弱さと戦うことに意味があります」と話していた。だが、現実は部活同士で一位を競っているわけで、学校全体で行事の取り組み方が統一されていない。

 それを考えると、学校という組織で意思がばらけているのは良いことなのか疑問に思えてくる。


「私達は平和的に歩けて良かったわよね~。誰かと競争しなくて良いし」

「うん。楽しく歩けていいよね」


 スタートしたばかりだからか、凛恋も希さんも表情が明るく楽しそうに会話をしている。周りに居る生徒も、一緒に歩いている気の合う者同士で楽しそうだ。


 進行方向、向かって右側から吹き付ける風が向かい風じゃなかったことは良かった。しかし、無風ではないから歩き辛くはある。

 左に流されないように少し踏ん張らなければいけないから、普通に歩くよりしんどい。


 ザバザバと激しい波音とゴウゴウという突風の音を聞きながら歩く俺は、正面に続く長い人の列を見て小さくため息を吐く。

 列の先頭は既に目で追える範囲にはない。だが、まだスタートして一時間も経過していない。


 人が一時間に歩ける距離は四キロ程度と言われている。しかし、それは平坦な道を普通の体調の人が歩き続けて四キロということだ。

 道が坂道になっていたり、右手に見える砂浜のように足下が緩かったりすると歩くスピードは遅くなる。

 それに仮にずっと平坦な道だとしても、歩き続けて疲労が溜まれば当然、歩くスピードは落ちる。これから先、一時間に歩けるスピードは常に時速四キロなわけはない。


 八〇キロを二四時間で歩き切るには、一時間に少なくとも三・四キロ歩かなければいけない。

 普通に平坦な道を歩いて時速四キロなのだから、時速三・四キロはかなり厳しいものがある。


 まあ、八〇キロを二四時間で歩き切るのは、それこそ競っている運動部の連中くらいのものだろう。


 歩こう会の説明を聞いた当初は、二四時間で八〇キロは死ねると思ったが、実際はそれよりも幾分余裕のある時間設定になっている。


 歩こう会のそれぞれのチェックポイントには、リタイア基準タイム……厳しい言い方をすれば足切りタイムが存在する。そっちの方は当然余裕を持って設定されてはいるらしい。


 刻雨高校へ到着しなければならないタイムリミットは明日の二一時。スタート時刻が今日の九時だったから、全行程のタイムリミットは三六時間あることになる。

 そう考えると、睡眠時間を省けば三〇時間を歩きに当てることが出来ることになる。

 だとしたら、一時間に二・七キロ歩けば良いから、良心的な時間設定に見えなくもない。

 見えなくもないが、八〇キロを歩いたことがないから、その数字が本当に良心的なのか判断しようもない。


 まあ、この歩こう会も今年から始まった行事ではないし、過去の運営データもあるのだろうから、運動部の少数精鋭しか踏破出来ない、なんてことにはしていないはずだ。

 誰でもコツコツ歩き続ければ歩き抜けるなら、右手に見える野球部のように気負わなくて言い分、楽な気がしてきた。



 臨海公園を出てしばらく経つと、既に人それぞれのペースが違うからか、先頭集団と開きが出始める。

 まあ、先頭集団に居るのは部活動生を含めたやる気勢達だろうし速くて当然だ。少し前まで右手に見えていた野球部の連中も遥か視界の先に小さく見えるくらいになっていた。


 周囲を人に囲まれなくなった分歩きやすくはなったが、視界が開けたせいで視界がより先まで見えるようになった弊害があった。

 それは、何処までも続く、海岸線の変わらない景色が退屈さを感じさせるのだ。

 退屈さがあると「あとどれくらい歩けばいいのだろう」とか「なんか足が疲れてきた」なんてことを考え始める。そうなると、体が蓄えている疲労に加えて精神にも疲労が溜まってくる。


 今までどれくらい歩いたとか、どれくらい時間が経ったか、そういうことを考えても仕方がない。余計疲れるだけだ。そう思って何か思考を変えようと思う。


「そういえば、凛恋の妹ちゃんがうちに入学するんでしょ?」


 俺が思考を巡らせようとした時、切山さんがそう話し始めた。そういえば、優愛ちゃんは中三だから来年度からは高校一年生になる。

 何処の高校を受験するかは分からないが、姉の凛恋が刻雨に居るのだから、同じ高校を受験する可能性も大いにある。


「入試に受かったらよ。まあ、優愛なら余裕で受かると思うけど」

「優愛ちゃん、うちの中等部だし成績良いからね」

「ホント、なんであんなに頭良くなったんだろ。私と同じ物を食べてるはずなのに」

「でも、凛恋も十分頭良いじゃん。あっ、それは凛恋の素質じゃなくて多野くんのお陰か」


 切山さんがニヤッと笑って、凛恋をからかう構えに入る。だが、凛恋を切山さんがからかうと、大体、俺も間接的に火傷をするから困る。

 どうせなら俺が火傷しない話題でからかってほしい。


「ただ、宿題一緒にやってるだけなんだけどな」

「ううん、私が分かんないところを凡人がちゃんと教えてくれるし、凡人に言われたことだとすぐ覚えられるから」


 凛恋がチラッと俺に視線を向ける。その視線を見て、切山さんがニヤニヤ笑いながら凛恋の脇腹を突く。


「そうよね~凛恋は多野くんから色々教えてもらって色々覚えたもんね~」

「萌夏~? それ以上言ったら許さないからねっ!」

「多野くん多野くん! 凛恋からいっぱい聞いてるよ~」

「こら~!」

「キャー! 凛恋に襲われる~」


 俺に耳打ちして来ようとした切山さんが、迫り来る凛恋から逃げるために走り出す。凛恋も切山さんを追いかけて走り出して行った。

 こんな序盤で走って体力を消耗して大丈夫なのだろうか?


「凡人くん、ありがとう」

「ん? いきなりどうしたんだ?」


 隣を歩く希さんが、前に走って行った二人を見て微笑みながらそう言う。その「ありがとう」が何を指しているのか分からず俺は聞き返す。


「私も一緒に歩かせてくれてるのと、萌夏ちゃんも一緒に歩かせてくれてること」

「それは、別に俺が――」

「全部知ってるよ」

「凛恋が言ったのか?」

「うん。でも、萌夏ちゃんには凡人くんからの提案っていうのは言ってないの。凛恋は普通に、私達と歩こうって誘ってた」

「まあ、それが正しい誘い方だな」


 どんな誘い方をしても、凛恋が気を遣っているというのは分かってしまうだろう。だから、変に言葉を重ねるよりも素直に誘われた方が受ける側の切山さんも受けやすい。


「でも、最初は萌夏ちゃん、断ったの。萌夏ちゃんが居ると凡人くんが気を遣うでしょって」

「切山さんがそんなことを」


 俺が、俺が居ると切山さんが気を遣うと思っていたように、切山さんも、切山さんが居ると俺が気を遣うと思っていたらしい。


「でも、凛恋が――ププッ!」


 言葉を続けようとした希さんがいきなり笑い出す。何か思い出し笑いをしたらしい。一頻り笑った希さんが、ニッコリと穏やかな笑みを浮かべて言う。


「凛恋が萌夏ちゃんに言ったの。『凡人は私と居たって気を遣うから、萌夏が居たって同じよ』って」

「なんだそれ」

「でも、凛恋らしいなって思った。本当に凡人くんのことを理解してる凛恋らしい言葉だなって。確かにそうだから、凡人くんはいつだって誰と居たって周りの人に気を遣える人だから」

「まあ、そりゃあ気は遣うだろ。凛恋は大切な彼女だし、希さんは大切な親友だ。それに、切山さんは凛恋と希さんの大切な友達だし、俺も世話になった良い人だからな」


 切山さんは切山兄の件で多大な迷惑を掛けたし、それにことある毎に開かれる、凛恋の仲間内の会では場所や食べ物飲み物の提供もしてくれている。

 何より、溝辺さんと共に場を明るくしてくれている人だ。

 切山さんがやっていることはどれも俺に出来ることではないが、特に場を明るくすることは俺には絶対に出来ない。

 だから、そんな俺に出来ないことをいつもやっているのだから、少しくらい恩返しをしておかなければ罰が当たる。

 まあ、恩返しと言っても、ただ一緒に歩くだけのことしかやってはいないのだが。


「萌夏ちゃん、本当に落ち込んでたから。だから、誘ってもらって本当に凄く嬉しかったと思う。私も、凄く嬉しかったから」

「そういえば、希さんは凛恋に誘われた時、凄く驚いてたな」


 凛恋が希さんを誘った時のことを思い出す。誘われた後は嬉しそうに凛恋にベッタリしていたが、誘われた瞬間は驚いていた。まるで、誘われるなんて思っていなかったみたいに。


「だって、せっかく彼氏と二人っきりで過ごせる時間なんだよ? それなのに、私も一緒なんて普通ビックリしちゃうよ」

「でも、希さんが凛恋の立場だったら凛恋を一人にしないだろ」

「それはそうだけど……」

「それに、難しいことは考えなくていいんじゃないのか? 楽しければ何だって良いだろ」

「そうだね。凡人くんは楽しんでる?」

「まあ、今のところは」


 俺がそう言うと、希さんはクスクスと笑って俺を下から見上げる。


「凡人くんと並んで歩くのって久しぶりだね」

「まあ、確かに二人で歩くことはなかったな」

「あったよ。凡人くんが凛恋のことを好きになって悩んでる時と、凛恋のバイト姿を見る時」


 希さんの発言を聞いて冷や汗が出る。正直、最初の方は思い出したくはない。恥ずかしさで体から火が出そうだ。


「バイトの方だけ覚えてくれれば良かったんだが……」

「忘れられないよ。だって、初めて凡人くんとしっかり話せたことだし、凄く嬉しかったことだもん。凛恋が好きで頑張って好きになってもらおうとしてた凡人くんが、凛恋のことを好きだって知れた時だったんだから。その上、凛恋と離れ離れになりたくなくて凄く悩んでて、心配もしたけど、青春の甘酸っぱい感じがして凄く胸がキュンキュンした」

「止めてくれ~」


 思わず頭を抱えて地面に打ち付けたくなる恥ずかしさに襲われる。青春の甘酸っぱい感じなんて、俺から一番ほど遠いことだ。


「凡人くんって恥ずかしがり屋だよね」


 希さんは何だか嬉しそうな顔をしているが、俺はからかわれているのだから少しも嬉しくはない。


「希さんがからかうからな」

「私がからかえるのは凡人くんくらいだよ」

「それは喜んでいいのか悲しんでいいのか分からないな」

「う~ん…………喜ぶのはちょっとおかしいかも?」

「じゃあ悲しんでおくか」

「それはダメ! 凡人くんが悲しんでると、凛恋が悲しむから!」

「じゃ、大人しく希さんにからかわれておくしかないな」

「フフッ…………うん!」


 希さんとは長い付き合いだ。でも、いつもよく一緒に居る栄次と、彼女の凛恋と比べたら話さない。

 さっき希さんとも話したが、じっくり二人で話す機会はほとんどなかった。


 でも、やっぱり希さんは良い人だ。


 見た目は大人しそうだけど、よく笑うしよく話す。それに、物凄く友達思い。それから人をからかう。


「凡人くん?」

「は、はい?」


 希さんがニッコリ笑って俺を見る。


「変なこと考えてないよね?」

「考えてませんです」


 それと、忘れかけていたが、怒りながら笑う希さんは怖い。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る