【四七《歩き抜く理由》】:四

 海岸線をひたすら歩き続けた刻雨生は、途中で一〇分の小休止を挟んで、最初のチェックポイント兼、昼休憩場所に辿り着いた。


「お昼だー!」


 凛恋が数歩先に駆け出して両手を挙げ背伸びをする。凛恋に続いて希さんと切山さんが駆け出す。


 女子は一致団結すると、こういう時にあり得ないエネルギーを発揮する。

 そのエネルギーは女子特有のもので、男子は発揮出来ない。でも、そういうエネルギーは端から見ているだけで元気をもらえる。


「ほら! 凡人行くよ!」

「ああ!」


 前で手を振る凛恋に呼ばれて近付くと、隣に並んだ凛恋がそっと手を繋ぐ。


「良いのか?」

「うん、萌夏に言われた。『私のことを気にし過ぎ』って」

「気にし過ぎって……彼氏と別れたことか」


 凛恋も希さんも、切山さんと話す時に、俺と栄次の話を、彼氏の話をしなかった。いや、恋の話をしなかった。

 それは、きっと切山さんに別れた元彼のことを考えさせないように気を遣ったからだ。


「彼氏と別れたって話はよく聞くの。でもさ……私の友達で彼氏に振られて別れたの、萌夏が初めてだったから」

「どうすれば良いか分からなかったのか」

「……うん」


 繋いだ凛恋の手が握り締められるのを感じる。そして、凛恋は寂しそうだ。


「凛恋の優しさも希さんの優しさも、切山さんには伝わってるぞ」

「え?」

「ほら」


 視線の先を指さす。

 視線の先では、両手に昼食のおにぎりが入ったパックを抱えた切山さんが走ってくる。


「凛恋~! おにぎり貰って来たよ~!」


 遠くからそう声を上げながら走ってくる切山さんの姿を見ながら、俺は凛恋の手を握り返す。


「歩き疲れてるはずなのに、友達のためにおにぎり貰って走ってくれる人が、凛恋の優しさ分かってないわけないだろ。凛恋がよく俺に鈍感だって言うだろ? その鈍感の俺でも分かる優しさが、空気読める切山さんに伝わらないわけないだろ」

「凡人……」

「そこで呼ぶのは、俺の名前じゃないだろ?」


 そっと凛恋の手を離し、優しく凛恋の背中を押し出す。押し出した凛恋の背中は、一気に俺から離れて行く。


「萌夏ッ! ありがとう!」


 切山さんに駆け寄って行く凛恋を眺めていると、切山さんから遅れてお茶のペットボトルを抱えて来た希さんが駆け寄る。

 それを見届けて、俺は近くにあった芝生の地面に座り込む。


 座った瞬間に、歩きの疲れがドッと溢れる。

 ふくらはぎを手で揉み解しながら、溢れた疲れにため息を吐く。

 まだ半日も歩いていないのに、かなり疲労が溜まった気がする。今からこんなことだと、明日どころか午後からの歩きも不安になってくる。


「凡人、なんで一人で先に休んでんのよ~」


 俺の上に影が差したと思ったら、上から凛恋の声が聞こえる。その声に顔を上げると、上から凛恋が軽く頬を膨らませた後、ニッコリ笑う。


「凡人だけズルい! 私も休むー! あー、疲れた~」


 凛恋が隣に座りながら倒れ込んで来て、俺は凛恋の体をとっさに支える。

 倒れて来た凛恋は、ジーッと俺の顔を見た。


「凡人」

「先に休んでごめ――」

「萌夏が友達だと思ってるの、私と希だけじゃないわよ」


 凛恋が小首を傾げながら微笑む。その直後、また俺の上に影が差した。


「多野くん、お疲れー。はい、おにぎり」

「あ、ありがとう」


 上から切山さんがおにぎりの入ったパックを両手で差し出す。それを受け取り、俺は戸惑いながらお礼を言う。


「はい、凡人くん」

「あ、ありがとう」


 希さんが、結露の付いたペットボトルを差し出しながら座る。それを受け取って、俺は凛恋に視線を戻す。


「さっ、午後からまた歩きだし、ゆっくり休もー」

「にしても、すーぐ多野くんの所に走って行って、イチャイチャしちゃって。多野くんに汗の臭い嗅がれちゃうぞー」


 ニヤァーっと人の悪い笑みを浮かべて切山さんにからかわれる凛恋は、真っ赤な顔でそっぽを向く。


「凡人は私の汗の臭いが大好きだから大丈夫だし!」


 ムキになって言った凛恋の言葉に頭を抱える。チラリと視線を上げて見た希さんと切山さんの顔は真っ赤になっていた。


「えっ……あっ! 今の無しっ!」


 我に返った凛恋が焦ってさっきの発言を取り消す。しかし、取り消せるわけがない。


「凛恋……それはちょっと無理だと思うよ?」

「凛恋って……多野くんに汗、嗅がせてるんだ」

「萌夏ぁ~」


 いつもより勢いは弱いものの、切山さんが凛恋をからかう。そして、凛恋はいつもより大分勢いの弱い抵抗をする。


「さーて、何おにぎりかなー」


 俺はペットボトルの蓋を開けてお茶を一口飲む。そして、おにぎりのパックを開いて一つを手に取ってかぶり付く。


「それにしても、おにぎり二つって少ないよな~」

「そ、そうだよね! あれだけ歩いたのにおにぎり二つって少ないわよね!」


 凛恋が俺の話に乗ってきてくれる。しかし、希さんと切山さんは二人でクスクスと笑い合う。


「安心して、みんなには秘密にしておくから」

「そうだね。四人の秘密にしよう」


 切山さんと希さんがそう言って笑い合う。完全に、二人に手を引いてもらった形だ。


 俺は小さくため息を吐いて隣の凛恋を見ると、凛恋は両手を合わせて無言で謝っている。

 散々希さんと切山さんにからかわれたし、凛恋の謝っている姿を見れば、俺からこれ以上責める気にはならなかった。

 まあ、そもそも凛恋を責めるつもりなんてないが。


 四人で昼飯を食べているが、休憩場所になっているここは海水浴場。

 幸い、芝生が敷かれている場所があって、砂浜に座らされるなんてことはない。しかし……風が強い。


「ほら凛恋、チャンスだよ」

「何のチャンスよ」

「多野くんに、キャー寒いーって抱き付けるチャンス」

「そんなチャンス無くてもいつでも抱き付けるし!」


 おにぎりを食べ終え、ペットボトルのお茶をチビチビ飲みながら出発まで足を休める。

 次のチェックポイントのタイムリミットまでに着ければ、休息時間はいくらとってもいい。取り過ぎるとタイムリミットには間に合わないが、取らな過ぎて倒れてはマズい。


 俺も運動を日頃やっている人間ではないが、三人も日頃運動をするような人じゃない。

 切山さんと凛恋は最初飛ばしていたし、希さんは他の二人より体力が低いのか、この海水浴場まで歩く時に少し歩くペースが遅くなった。だから、もう少しだけ休憩をとった方が良い。


「はい、みんな」


 リュックサックを漁っていた凛恋が、中から小さな小袋を希さんと切山さんに差し出す。


「凛恋? これは?」

「クッキーよ。疲れた時には甘い物が良いって言うし」

「ありがと凛恋! うわー! めちゃくちゃ美味しそー!」


 小袋を開けた切山さんが歓声を上げる。希さんも表情を明るくして小袋を握っている。

 だけど、俺の手元には何もない。


「凡人にはこれ!」

「凛恋……」


 凛恋がリュックサックから差し出したのは、さっき希さんと切山さんに渡した小袋よりも一回りも二回りも大きな袋だった。


「ほほー、私達のより大きい」

「当たり前でしょ。凡人は私の大切な彼氏なんだから特別待遇よ」


 凛恋のくれた袋を恐る恐る開けると、中には凛恋の手作りクッキーが沢山入っていた。


「あっ、凡人の袋には私の分も入ってるんだから全部食べないでよ?」


 凛恋が袋に手を突っ込んでクッキーを一枚手に取り一口かじる。俺も袋に手を突っ込み、凛恋の手作りクッキーを手に取る。

 手作り感溢れるきつね色に焼かれたバタークッキーは綺麗で、凛恋が丁寧に焼いてくれたのが分かる。

 勿体無いという気持ちが出た。でも、凛恋の手作りクッキーを食べたいという欲求に負けてかじり付いた。

 出来立ての温かさはない。だけど、かじった瞬間にサクッという食感と共に、香ばしいバターとバニラの香りが口いっぱいに広がる。


「美味い」

「良かった!」


 凛恋の弾んだ声が聞こえ、横から凛恋の手が袋からクッキーをもう一枚手に取って頬張った。


「凡人」

「ん?」


 凛恋が横からクッキーが入った袋の裏側を突く。それを見て、凛恋の指がさす先を見る。

 袋の裏には、可愛いクマのキャラクターが描かれたメモ紙が、二つ折りにされて貼り付けられていた。


 チラッと凛恋の目を見ると、凛恋は頬を赤らめてはにかむ。

 俺はゆっくりメモ紙を開くと、そこに女の子らしい、凛恋の可愛い文字が書かれていた。


『一緒に楽しい思い出作ろっ!』



 昼休憩をして海水浴場を出てから約二時間。周囲にはまばらだが歩こう会を行う刻雨生が見える。その全ての人が黙々と歩き続けている。

 空の上には相変わらず厚い雲が覆っている。それに一緒に歩く三人の表情も曇っている。


 無理もない。間に休憩を挟んでいると言っても、朝からかなりの距離と時間を歩いている。女子の三人にはキツイはずだ。

 そう言う俺もかなり足が重い。でも、三人の前では疲れを見せるようなことは出来ない。疲れを見せれば、更に三人を疲れさせることになる。


 海水浴場を出てからは街中を歩いて来た。

 コースはちゃんとガードレールで区切られた歩道のある道が選ばれている。だから、まともに歩いている限り危険はない。

 それに、街中ということでコンビニやファストフード店といった商店が建ち並んでいる。そのお陰か、代わり映えしない景色を眺めずに済む。


 黙って歩くと、色々と考えることが出来る。でも、こういう時に限って考えられることは良くないことばかりだ。

 この後は街中にある公園で小休止を入れて、山のふもとにある総合運動公園を目指す。今日はそこで野宿することになる。


 先があとどのくらいあるのか分からない。だから、不安になる。


 このままのペースで歩き続けてリミットに間に合うのか。

 このままのペースで歩き続けて、切山さん、希さん、そして凛恋の体調を崩してしまわないか。

 八〇キロ先のゴールは途方もなく遠くて俺には見えない。だから、不安になる。不安になるから、足がどんどん重くなる。


「凡人」

「凛恋? 体調が悪くなったのか? 今すぐ、救護を――」

「こら! 早とちりし過ぎ! まだ私は大丈夫よ」


 下を向いていた俺の顔の前に、ぴょこっと凛恋の顔が出てくる。

 凛恋は姿勢を戻して俺の横を歩きながら、前を歩く希さんと切山さんの後ろ姿をチラッと見て俺の手を握る。


「結構……キツイね」

「大丈夫か?」

「凡人もキツイって言っていいんだよ?」

「えっ?」

「凡人がキツイって言ったらみんながキツくなるから、凡人は言わないんだよね? 優しい凡人は」


 手を繋ぐ凛恋は、少し大袈裟に繋いだ手を振りながら俺に近付く。


「ねえ、希、萌夏、歩こう会めっちゃキツくない?」


 凛恋は気怠げな声を出して、前を歩く二人にそう声を掛ける。凛恋に声を掛けられた二人は振り向いて、苦笑いを浮かべた。


「だよね。海水浴場を出てすぐは元気有り余ってたんだけど、街中入ったらドッと疲れが来たわ~」

「うん、ただ歩くだけなのに疲れるよね。それに、運動公園までどれくらい距離があるかも分からないし」


 凛恋に同意して、希さんも切山さんも弱音を吐く。でも、二人とも苦笑いなのに辛そうな顔をしてない。それどころか楽しそうにも見える。


「凡人はどう?」

「俺は……しんどいな。それに、男なのに情けないけど、このままのペースで最後まで行けるか不安だし、このままのペースだとみんなの体調が崩れないか不安だ」


 正直に疲れを見せて、不安を吐露した。そうしたら不思議と、足が軽くなった。全身の疲れも体から抜けていく感覚がした。


「でも、もうすぐ小休止の公園だろうし、そのあともう少し歩けば今日は終わり! だから、四人でもうちょっと頑張ろ!」

「凛恋~、もうちょっとじゃなくてゴールまでまだまだあるんだけど?」

「萌夏! せっかくやる気が出たんだから、そういうこと言わないでよ~」


 拳を突き上げた凛恋の気合いの入ったかけ声に、切山さんは疲れた顔で笑いながら茶々を入れる。でも、そのお陰でどんよりしていた雰囲気が明るくなった。

 再び歩き出した希さんと切山さんの後ろ姿は、さっきより足取りが軽く雰囲気も明るく見える。


「凛恋は凄いな。凛恋のお陰で雰囲気が明るくなった」

「なに言ってんのよ。凡人の方がもっと凄いっての」

「えっ?」

「ガードレールに守られてるのに、車の音が後ろから聞こえると絶対に振り返る。いつもは後ろから周りを気にしてるのに、横断歩道を渡るときだけ前に出て右左右って……小学生かっての!」


 俺の腕を抱いてクスッと笑う凛恋は、抱いた腕の手と自分の手を繋ぎ、がっちり指を組んで立ち止まった。


「凛恋? えっ……」


 振り返った凛恋は、空いた手でゴシゴシと目を擦る。手で隠れていた目は赤くなっていた。


「そんなことしてたら……最後まで保たないよ?」


 繋いだ手を両手で握ってくれた凛恋は、その手を優しく撫でてくれる。


「みんなで一緒に歩いてるんだから、みんなで一緒に頑張ろうよ。凡人だけ頑張っちゃダメだから」

「凛恋……」

「凡人だけ頑張って疲れて、一人だけリタイアとか絶対嫌だから」

「ごめん……」


 頑張った。というつもりはない。でも、気を張りすぎていたのは確かだ。男は俺一人だし、切山さんはもちろん、希さんのことは栄次に頼まれた。それに……凛恋を守らなきゃいけないと思った。


「ほら、行くよ」


 凛恋が手を引っ張って歩き出す。その凛恋の後ろ姿は、男の俺なんかよりもずっとたくましく見えた。

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