【四七《歩き抜く理由》】:二
刻雨高校伝統行事、歩こう会当日の朝。俺は刻雨高校のジャージの上に防寒着を羽織って、部屋の隅にリュックサックを置いて座る。目の前には真剣な表情で俺の体を揺する栄次の姿があった。
「カズッ! シャキッとしてくれ! 今日から明日の夜まで、希のことを無事に刻雨まで送り届けてもらわないといけないんだから!」
「栄次……朝っぱらからうるさい」
俺の家に朝早くにいつもの四人が集合したのだが、その中で栄次が人一倍うるさくてめんどくさい。寝起きの俺に朝から大きな声を上げられると頭に響く。
「栄次、そんな深刻な話じゃないから」
横で聞いていた希さんが笑いながら栄次をたしなめる。しかし、それに栄次は真剣な顔をして首を横に振った。
「いや、夜は外で野宿をするんだろ? 変な奴が来たらどうするんだ」
「みんなで固まって寝るから大丈夫だよ」
「男子も一緒なんだろ?」
「流石に、みんなが居るところで変なことをする人は居ないって」
希さんは栄次に心配されているのが嬉しいらしく、口元を緩めながら栄次と話している。
とりあえず、栄次を宥めるのは希さんに任せることにする。
「ほら、朝ご飯ちゃんと食べないと歩けないわよ」
「分かってる」
今日の朝食は凛恋がわざわざ朝来てくれて作ってくれたベーコンエッグ。
それを寝ぼけ眼で寝ぼけた頭のままモグモグと口に押し込む。
これが凛恋の作ってくれた料理じゃなかったら、眠気に負けて一口も食べられないところだった。
「ほら、口についてるし、もー子供じゃないんだから」
ティッシュ箱からティッシュを一枚取った凛恋が、俺の口元をそのティッシュで拭う。
それを見ていた希さんがニコニコ笑っていた。
「朝から見せつけるな~カズと凛恋さん」
栄次がからかうようにそう言う。凛恋は視線を返してニヤッと笑う。
「希のことが心配で、学校に行く前に凡人に希のことを頼みに来る栄次くんに言われたくないな~」
「強歩大会は知ってたけど、外で寝泊まりするのなんて知らなかったんだよ。だから、絶対にカズに希のことを頼んでおかないと、と思って」
「安心してよ。希のことは凡人と私と萌夏で守るから」
「カズはこんな感じだし、凛恋さんが居れば安心だな」
ニコニコ笑い合いながら話す栄次と凛恋を見ていたら希さんが、床に置いてあった小学校の卒業アルバムを見る。
「筑摩さん、本当に居たね」
「話を聞いた時は適当言ってると思ってたけど、マジだったとはね。しかも凡人と同じクラス」
希さんが広げたページは、小六の頃に俺が所属していたクラスのページ。
小学生らしい笑顔で写る他の生徒の中、写真の俺はただ独り、一ミリも笑っていない。
その俺の写真から大分離れた、ほぼ反対側の位置に、小六当時の筑摩さんの顔写真が載っていた。他の生徒ほど満面の笑みでは無いが、写真の筑摩さんは笑顔で写っている。
「栄次も覚えてないくらいの印象だし、今みたいに目立つ人ではなかったみたいだね」
「目立つ目立たないは関係ないわよ。問題なのは、あの筑摩が凡人に出会って凡人のことを好きになってたことよ!」
「……そこは、凡人くんに告白したことじゃないんだ」
希さんが苦笑いを浮かべる。
「だって悔しいじゃん! なんか負けたみたいで」
「凡人くんの彼女は凛恋なんだから勝ってるよ。凛恋の大勝利じゃん」
希さんが凛恋を励ますように言葉を掛けて手を握る。
俺は凛恋の気持ちが分かる。自分の知らない恋人を知っている誰かに対して、悔しいと嫉妬してしまう気持ちは。そういう気持ちを俺だって持つ。
凛恋が前に好きだった、凛恋のイメージを一八〇度変えた男子にはかなり嫉妬した。そして、それよりも前の凛恋に好かれたことのある男子や、凛恋を好きになったことのある男子の存在を考えると切りがない。
羨ましいと思うと同時に、ズルいと思い、そしてそこに居るのが俺だったら、もっと早く凛恋に出会えていれば、そんな考えるだけ無駄な想像が膨らむ。
希さんの言う通り、過去にどんな相手と関わろうと、凛恋の彼氏は俺だ。だから、過去の男なんて関係ない。
俺の完璧完全大勝利だ。……でも、やっぱり思い出させられると気になってしまうのだ。
「今日は、とにかく凡人と希を変な虫から守らなきゃ」
希さんの励ましで気合いを入れた凛恋が、グッと拳を握ってそう言う。
いくらなんでも、彼女と一緒に居る時に筑摩さんは来ないだろうし、守るべきなのは希さんだ。
それに俺からすれば、俺なんかよりも凛恋に変な男が寄り付かないように守る方が大切だ。
ジャージ姿の凛恋の胸元は女性らしく膨らんでいる。制服の時もその膨らみは分かるが、ジャージ姿の時はより分かりやすい。
そんな男の視線を嫌でも集めてしまう凛恋が、変な男に狙われるかもしれない。
それに、今日一緒に歩く希さんはもちろん切山さんも女子だ。だから、たった一人の男子である俺は、しっかり八〇キロの道のりを歩ききるまで、三人のことを守りきらなければいけない。
そう考えて俺は、そんな大変な状況で、果たして八〇キロを歩き切れるのかどうか不安になった。
歩こう会のスタート地点は刻雨高校ではなく、高校から遠く離れた臨海公園。
ここからスタートし刻雨高校を目指す。三〇時間の道のりをこんな簡単に言ってしまって良いものなんだろうか。
周囲に集まっている一年は、俺と同じように歩こう会初参加ということもあり、表情が人それぞれだ。
友人とこれから始まる未知のイベントに興奮して騒ぐ人。
途中リタイアという惨めな展開に恐れて顔を強張らせる人。
三〇時間歩くという行為にめんどくささを感じてため息を吐く人。
俺はため息を吐く人と同じようなものだ。ただ、凛恋と一緒ということはやっぱり嬉しい。
「おはよう、凡人くん」
「おはようございます」
しかし、集合した時点では凛恋とではなくクラス単位で集まる。出席確認があるからだ。
クラスで整列している時、いつの間にか隣に筑摩さんが立っていた。そして、朝から明るい笑顔を向けて挨拶をしてくる。その挨拶に、俺は朝の気だるさが抜けない挨拶を返す。
いつもより周囲の視線が強いと感じるのは、昨日の一件、昼休みに起こった騒動が無関係でないのは間違いない。
昨日の告白から一夜明けても、筑摩さんの態度に変化はない。
距離を詰めることも離れることもない。物理的にも精神的にも、いつもと変わらない距離に居る。
変わったのは周り……いや、俺を含めた筑摩さん以外の全員だ。俺は今まで以上に距離を取ろうと思っている。そして、周りの人間は俺と筑摩さんの動向を、無関心を装って注視している。
いや……どちらかと言えば筑摩さんの動向の方だけだろう。
女子からは否定されることの多い筑摩さんに注がれる女子の視線、それを俺が端から見て表現するなら、蔑視か軽蔑。
彼女の居る俺のことを堂々と人が見ている前で好きと公言した。それは、筑摩さんに否定的な立場の人なら筑摩さんを否定する材料になる。
今、筑摩さんが置かれている状況は針のむしろに座らされている状況で、普通の女子なら精神的に落ち込んでしまう状況だ。
でも、筑摩さんは一切落ち込んでいる様子はない。その理由は筑摩さんの性格なのだろう。だが、女子以外の視線にも理由があるように思える。
俺と筑摩さんから離れた遥か前方に、ポツンと一人立っている男子が居る。
その男子は、昨日筑摩さんに振られた男子だ。その男子の周りには、極端に離れているわけではないものの、周囲の生徒と僅かな距離が出来ている。
その距離は見た目では些細な距離だ。でも、周囲の生徒がその男子に向ける視線を合わせて考えると、途方もない距離が空いているように見える。
「筑摩さん、可哀想だよな。あんな奴に引っかかって」
「付き合って二日でヤろうとしたんだろ? しかも無理矢理」
後ろから男子の話し声が聞こえる。しかし、きっと俺の視線の先に居る男子には届かないだろう大きさの声だ。
隣では、その話し声が聞こえたであろう筑摩さんが平然とした様子で、列の正面に立つ池水先生の方を見ている。
人の噂が広まるのは早い。たった一日で人が孤立してしまうほどだ。
でも、その孤立した男子の様子が見えているはずの筑摩さんは、いつも通りだ。
三日だけと言っても付き合っていた元彼が自分との噂で孤立している。それを悲しいと思わなくても、嫌なことがあったなら「自業自得だ、ざまー見ろ」とほくそ笑むくらいはするはずだ。でも、筑摩さんはいつもと変わらない。
まるで、全く興味が無いように。
「筑摩、集合場所はあっちの階段前な」
「うん、こっちも合流したら行くね」
横から爽やかな短髪のスポーツマンタイプ男子が筑摩さんにそう言って、すぐに離れていく。どうやら、筑摩さんと歩こう会を歩く人らしい。
「凡人くんが一緒に歩いてくれなかったから、友達と一緒に歩こうって思ったんだけど、彼に声を掛けられちゃって。二人でって言われたんだけど、友達と一緒なら良いよって言ったの」
「そうですか」
別に歩く理由なんて聞いちゃいない。それに、筑摩さんが誰と歩いても特になんとも思わない。
何とも思うのは、俺以外の男子だろう。特に、前に居る振られた男子は人一倍思うところがあるはずだ。
「卒業アルバムに載ってたでしょ?」
「見ても覚えてませんでした」
「やった、気にして見てくれたんだ」
筑摩さんがそう言って小さくガッツポーズをしてはにかむ。それを見て察した。
あの小学校の同級生発言は、自分のことを俺に意識させるための発言だったのだ。そして、俺が見たということを知って、からかうのではなく喜ぶ。
その一連の行動を見て、俺は筑摩さんが男子に好かれる理由の一面を見た気がした。
きっと、少しでも筑摩さんを気になっている男子が、今の『自分のことを気にしてくれたことを喜んでいる筑摩さん』の姿を見たら思うのだろう。健気で可愛らしい女の子だと。
それに、ダークアッシュの髪は暗過ぎず明る過ぎず、丁度良い女子の清楚さを感じさせる。
健気で清楚で可愛い、そういう女子を好きになる人は多い。もしかしたら、その手で今までの彼氏は落としてきたのかも知れない。
でも、それを客観的に見られている俺には、健気で清楚で可愛いというよりも、打算的でずる賢く見えた。
「途中で会えるといいね」
またいつも通りニッコリ笑う筑摩さんから、視線を外して俺は正面に顔を向けた。そして、この人は好きになれないと心の中で思った。
出席確認と開始前の諸注意が終わると、歩こう会開始時間までの僅かな自由時間が出来た。その自由時間の間に、俺は凛恋達と合流して芝生の上に座っている。
「日が照ってなくて良かった。歩く上に熱いとか最悪だし。それに曇りだと暖かいし。でも、なんで太陽は出てないのに暖かいんだろ」
曇り空を見上げた凛恋が首を傾げる。
「放射冷却で放出された熱が逃げないからな」
「ホウシャレイキャク?」
「中学の頃に理科で習っただろ? 放射冷却は物体から熱が放出されて物体の温度が下がることだ。普通は夜のうちに地熱が放出されて宇宙に逃げていくんだけど、曇って雲が空を覆ってると、雲に防がれて熱が逃げにくくなるんだ。だから、晴れの日より曇りの日の方が朝の温度が高い」
「そうなんだ!」
「へぇー、多野くん物知り!」
驚く凛恋と切山さん。いや……だから中学の理科で習ったことなんだが……。
「でも、明日は雨だって言ってたよね?」
「らしいね。でも、雨天決行なんて酷いよな」
希さんも曇り空を見上げる。しかし、希さんは明日の天気を心配しているようだ。
今朝の天気予報で、明日の降水確率が八〇パーセントになっていた。ほぼ確実に雨が降るだろう。雨が降ると視界が悪くなる。それに地面が濡れて歩き辛くもなる。
順調に行けば、明日の一五時には刻雨高校に到着出来る。
それでも雨に降られず到着するのは不可能だ。
「合羽は持ってるけど、雨は嫌よねー」
「そーそー、濡れると面倒くさいし~」
切山さんが顔をしかめて気怠げな声を出す。それを見て、本当に切山さんを誘って良かったのかと思えてきた。
切山さんが彼氏と別れて、今日の歩こう会を一人で歩くことになるかもしれない。
そう凛恋から聞いて、彼氏と別れて辛いであろう時期に一人にするより、友達の凛恋と希さんと一緒に居た方が心強いだろうと思った。だから、凛恋に誘うように言った。
でも、ここに居るのは、切山さんが気心の知れている友達だけじゃない。
気心の知れていない俺が居ると、昨日の昼休みと同じように無理をさせてしまう。
今もきっと切山さんは無理をしている。それなら、切山さんを一人にさせないようにした意味が無い。
俺は適当に何処かで一人抜けるべきだろうか? でも、そうなると女子三人だけにすることになる。
それに、栄次に希さんのことを頼まれたし、俺だって凛恋を放っておくのは心配だ。
どうするのが正解なのか、それは分からない。俺が選んだ行動で、切山さんの精神的負担が軽くなったのか重くなったのか、それで俺の行動が正解だったのか不正解だったのか決まる。でも、それを俺に確かめる術はない。
「これから三〇時間歩くのか~」
「寝る時間を省くと二四時間くらいだよ?」
「それでも丸一日歩くってことでしょ? そんなに歩けるかな~」
「でも、歩けなかったらリタイアだからね。それはめちゃくちゃハズいから嫌よね」
「だよね、みんなが歩いている横をバスに乗って通り過ぎるんでしょ? なんか、学校に着いても周りの視線が痛そう」
三人はクスクスと笑い合いながら楽しそうに話している。
その三人の笑顔を見ていたら、もしかしたら俺の行動は正解だったんじゃないかと思えてくる。
『もうすぐスタートです。皆さん、スタート地点に集合して下さい』
拡声器で大きくなった声が聞こえる。多分、歩こう会実行委員の声だろう。
歩こう会は、三〇時間に及ぶ大規模な行事だ。だから、会長副会長等が属する生徒本部会や、各専門委員会長で構成される生徒会執行部会の人員では運営しきれない。
そのため、この歩こう会の時のみ、歩こう会実行委員会という組織が設置され、その組織が歩こう会の開催運営をする。
歩こう会実行委員は、歩くコース上やチェックポイントに控え、生徒の誘導やリタイア者のバス手配を行う。スタート地点への誘導も実行委員会の仕事のはずだ。
「いよいよね~」
凛恋が立ち上がりながら、臨海公園の出入り口に集まっていく生徒達を見ながら背伸びをする。後から俺も立ち上がってあくびを噛み殺すと、隣に居た希さんがみんなの方を向いて明るく笑った。
「絶対に、四人で一緒にゴールしようね!」
偶然にも円陣を組むような形で立ち上がった四人の中心に、希さんが手の平を下に向けて手を差し出す。
「もち!」
「当たり前でしょ!」
その希さんの手の上に切山さんと凛恋が同じように手を重ねる。そして、希さんと切山さん、それから凛恋が俺の顔を見る。
そういう、なんか青春とかスポ根みたいな雰囲気は、正直俺には似合わないと思う。でも、三人が楽しそうに笑っているから、こういう時くらいはそれに載せられるのも良いのかも知れない。
「ああ、絶対四人でゴールしよう」
凛恋の手の上に手を重ねると、希さんが満面の笑みで上に手を跳ね上げた。
「頑張ろーッ!」
「「「おー!」」」
希さんの元気の良いかけ声と共に、俺達の歩こう会はスタートした。
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