【四七《歩き抜く理由》】:一

【歩き抜く理由】


 笑えない冗談だ。筑摩さんが俺のことを好きだなんて。ただ俺がからかわれているだけにしか思えない。

 俺の小学校時代を知っている人なら尚更だ。


「何の冗談ですか」

「冗談じゃないよ?」


 警戒心剥き出しの俺にも、筑摩さんは変わらず笑顔を向けている。筑摩さんの人を食ったような笑顔は、底が深くて心の奥底が見えない。


「久し振りに再会して話そうと思ったら、八戸さんがすぐに連れて行っちゃって。それで、その後に二人が付き合ってるって知ったんだ」

「俺、寝るんで」


 視線を筑摩さんから外して机の上に再び突っ伏す。そして、目を閉じて額を組んだ腕に預けた。

 俺の隣に居る筑摩さんは、凛恋や凛恋の友達に見せている筑摩さんではない。


「凡人くんは昔からそうだったよね。凡人くんはいつも、凄く引いたところから人を見てた。小学生の頃の私には、凄く大人っぽく見えてた。でも、今見ても普通の男子とは違う」


 普通と違うということは正しい。ただ、それが俺のことを筑摩さんが好きという理由にはならない。

 きっとこれが溝辺さんの言っていた、気に食わない女子を彼氏と別れさせる方法なんだろう。しかし、選んだ相手が悪い。


 俺は生まれてこの方、他人の悪意に晒され慣れている。だから、周囲の人間が俺のことを嫌うのは日常茶飯事、当然のことだと思っている。だから、俺が人から好かれるなんてあり得ないとも思っている。

 そんな俺を、見るからに男子にモテるリア充女子の筑摩さんが好きなんてあり得ない。そんなバレバレな嘘は吐くだけ無駄だ。

 それに、筑摩さんは結構色んな男子と付き合ったり別れたりしているらしい。もし仮に俺が好きだとしたら、そう簡単にコロコロ恋人を変えるわけがない。


「もしかして、私が彼氏と付き合って別れることが多いって誰かに聞いてる?」


 俺は昼寝をしている。寝ている人が話し掛けられて答えなくても何も不自然じゃない。だから、俺は答えなかった。

 隣からは小さく「そっか~」という声が聞こえた後、クスッと笑う声が聞こえた。


「凡人くんは思い出の人だったの。私の初恋だったからね。ずっと心の端っこには居たよ。でも、思い出をズルズル引き摺ってても前には進めないから。だから、色んな人と付き合ったかな~。私、中学でイメージを変えてみたの。見た目に気を遣っておしゃれしてみたり、明るく話すように心掛けたり、そしたら私のことを好きって言ってくれる人がどんどん現れた。それで付き合って、なんか違うなって別れる、の繰り返し」


 大袈裟に「アハハ」っと笑う声が聞こえる。


「でも、凡人くんとは長続きしそうな気がする」


 勝手に付き合う話をされても困る。いや、迷惑なだけだ。俺には凛恋が居るし、筑摩さんと付き合う気なんて毛頭ない。


「理緒? あ、居た居た!」


 教室の中に、筑摩さんを呼ぶ男子の声が聞こえる。もしかしたら、筑摩さんの彼氏か誰かだろうか?


「あ、米野くんどうしたの?」

「ちょっと会いたくて。それと、弘忠(ひろただ)で良いよ。俺達、ほら……付き合ってるだろ?」


 付き合い立ての恋人同士の甘酸っぱいやり取りをすぐ横でやられても困る。

 しかしまあ、今、来たばかりの男子から見れば、俺は寝てるように見えるだろうし、そもそも俺の存在なんて意識さえしないだろうから問題ないのだろう。聞いている俺の方は問題だが。


「ああ、でもごめんなさい、私と別れてくれない?」

「えっ……」


 出来るだけ二人の会話から意識を逸らそうとした時、筑摩さんのその声が聞こえた。


「どうして……俺達、まだ付き合って三日じゃ……」

「付き合って二日目でエッチしようとする人とは付き合っていけない」

「昨日は、その……ごめん、つい理緒と付き合えて嬉しくなって、それに――」

「それに、私が簡単に男子とエッチする人だって噂でも聞いてたから、断らないと思った?」


 付き合い立ての二人の甘い会話でも始まるのかと思ったら、いきなり別れ話が始まった。

 男子の方の話が事実なら、三日という短い期間の付き合いになったようだ。


 恋人同士の進展は人それぞれだ。だから、早い遅いなんて話をするのは不毛な議論だ。

 でも、相手の気持ちを考えないで進展させようとするのは間違っている。

 その点で、男子の行動は間違っていたのだろう。


「正直、ガッカリした。米野くんってクラスで見てると真面目な人だと思ってたのに、私が簡単にエッチさせてくれそうだから告白したって分かって」

「そ、そんなつもりはないって!」


 教室で別れ話をするのもビックリだが、真横に他人の俺が居るのに話すのも更にビックリする。

 それに何より、筑摩さんは同じクラスの男子と付き合っていたらしい。それで、俺のことを好きだとか言ってたようだ。


 それにしても、男子の方は俺が寝ていると思っているから仕方ないが、筑摩さんの方は俺が起きていると分かっている。

 それなのにここで話を続けるというのは、俺にというよりも振った男子の方に惨い。


「それに、私、好きな人が居るから」

「好きな人って、もう?」


 男子が戸惑った声で聞き返す。そりゃ当然の反応だ。

 付き合って三日目で振られ、そして好きな人が居るなんて言われれば誰だって疑う。


「小学校の頃から好きだった人なの。つい最近再会して、やっぱり好きだって気持ちが忘れられない。体目的でしか私を見てない米野くんと違って、真面目で大人で紳士的な人」

「誰だよそいつ」


 男子の声に明らかに怒りの熱が籠められていた。

 振られた女子に好きな人が居て、自分と対比して口にされる。それはショックな話だ。

 そのショックが怒りに変換されても仕方がない。

 ただ、その怒りの矛先が筑摩さんなのか、別の誰かによってその怒りの正当性は変わってくるが……。


「多野凡人くん」

「多野って……多野ッ!」

「イッテッ! いきなり何すんだ!」


 筑摩さんが俺の名前を口にした次の瞬間、俺は横から強い衝撃に弾かれて吹っ飛んだ。

 隣にあった机と椅子にぶつかり盛大な音が鳴り響く。倒れてきた机が頭に当たりそうになって、咄嗟に左腕でかばった。

 左腕に机がぶつかり、重い衝撃と鈍い痛みが走る。


「凡人くんっ! 大丈夫!?」


 席から立ち上がった筑摩さんが俺の側に駆け寄ってしゃがみ込む。そして、俺の上に倒れた机を退かしてくれた。


「最低! 凡人くんは関係ないじゃない!」


 立ち上がった筑摩さんが、正面に居る男子にそう怒鳴りつける。俺はそれを下から見上げながら「自分が巻き込んでおいてそれを言うか」という言葉が喉元まで上ってきた。


 教室の外では騒ぎを聞きつけたのか人集りが出来ている。巻き込まれた上に、変に目立つなんて勘弁してほしい。


「凡人!?」

「凛恋……イテッ!」

「ちょ、どうしたの!?」

「そいつが俺の彼女を取ったんだッ!」


 筑摩さんに振られた男子が、癇癪を起こして俺を突き飛ばした上に、問題の全責任を俺に押し付けようとする。本当に勘弁してほしい……。


「はあ? 凡人が彼女を取った? バカみたいなこと言わないで」


 男子の話をそうバッサリ切り捨てた凛恋は、俺の方を見て心配そうに顔を覗き込む。


「凡人、大丈夫?」

「ああ、机が倒れてきた時に頭を庇って左手に机が倒れてきたんだ」

「保健室行こう。湿布を貼っとかないと、明日は歩こう会だし」


 凛恋に手を貸してもらい立ち上がると、筑摩さんに振られた男子が俺の方を睨み付けているのが見えた。

 そして、俺の胸ぐらを掴む。しかし、身長が俺より大分低いせいで迫力には欠ける。


「お前のせいで理緒が! 彼女が居るくせにふざけるな」

「いや、俺に言われても――」

「米野くん、今すぐ凡人くんから手を離して。凡人くんは関係ない。私が一方的に凡人くんのことを好きなだけだから」


 その筑摩さんの言葉に、教室の外に集まった野次馬がざわつき始める。

 俺は、チラリと凛恋の方に視線を向けて様子を確認すると、凛恋は両腕を組んでジッと筑摩さんと男子を見ていた。


「クッ、クソッ!」

「アイタッ!」


 去り際に、ジュースの空き缶を俺に投げた男子は、そう吐き捨てて教室を飛び出して行った。

 修羅場に巻き込まれて突き飛ばされた上に、男子の恨みを何故か買って空き缶のオマケまで付いてきた。

 本当に、勘弁してほしい。


「凡人、早く手当てしないと」

「あ、ああ」


 俺は凛恋に手を引かれて教室を出る。前を歩いて行く凛恋の後ろ姿を見詰め保健室に向かいながら、どう状況を説明したものかと考えた。



 刻雨高校の保健室に向かうと、保健室の先生が不在だったが、救急箱が目の届きやすい場所に置いてあり、凛恋はその中から湿布を取り出して俺の左腕に貼ってくれる。

 一瞬、カッと熱せられるような熱さを感じたような感覚が走るが、すぐにじんわりと冷たさが広がってくる。


 凛恋が湿布を貼った俺の腕を撫でてくれて、俺の顔を見上げる。


「凛恋、あれは……」

「なんか面倒なことに巻き込まれたみたいね」

「ああ……」


 俺はとりあえず、教室に行ってから凛恋が駆けつけて来るまでに起こったことを話した。

 もちろん、筑摩さんが小学校の同級生だったらしいことも、その筑摩さんから告白されたことも。

 全てを聞き終えた凛恋は、小さくため息を吐いて俺の顔をまた見上げる。


「筑摩の奴、ついに動き出したわね。凡人に告白とかやってくれんじゃないの。とりあえず、小学校の話は今日凡人の家で卒業アルバム見て確認しよ。引っ越しの時に整理したから場所は分かってるし」

「凛恋、変な心配を掛けてるといけないから言っておくけど、俺は筑摩さんの告白は受けてないからな」

「分かってるわよ。でも、あんだけ人の居る前で堂々と好きって言ったってことは、本気で凡人のことを奪いに来るつもりだとしか思えないわ。良い度胸してんじゃない、あいつ」


 そう言った凛恋は、俺の手を引っ張って保健室の奥へ歩いていく。

 全体的に白を基調とした清潔感のある家具で統一してある保健室は、窓から差し込む光のせいで眩しい。

 窓にはその光を遮るための遮光カーテンが閉められているが、その効果も真っ白い空間では薄い。


 凛恋は間仕切り用のカーテンで仕切られている二台のベッドのうち、奥にある方のベッドの方へ歩いて行く。

 付き合っている恋人同士、人気のない保健室、仕切られたベッド、その三つを想像して胸がドキッと跳ね上がる。


「り、凛恋? さ、流石にマズイって」

「大丈夫よ。二つあるベッドの一つを使うだけなんだから」

「いや、二台あるから大丈夫って話じゃなくて」


 凛恋に手を引かれるがままベッドの奥まで歩いて行き、間仕切りのカーテンを完全に閉め切って隔離する。

 布一枚だけとはいえ、白い布団の敷かれたベッドと、その周辺は完全に孤立した空間になっている。そして、その空間の中に、俺と凛恋が二人っきり。


「凡人、座ろっか」

「あ、ああ」


 先に座った凛恋の隣に座る。そして、凛恋が俺の手の上に自分の手を重ねてきて、ビクッと体が跳ね上がった。


「り、凛恋、流石に学校じゃマズイって」

「嫌?」

「嫌じゃないけど、誰か来るかもしれないし」

「そんなに長い時間じゃないから大丈夫よ」

「いや……でも、流石に学校でエッチは……」

「えっ? …………ちょっ! ななな、何考えてるのよっ! そんなわけないじゃん!」

「へっ?」


 カッと顔を真っ赤にして、凛恋が両手を大きく振って否定する。そして、ジトッとした目で俺を凛恋が見る。

 その視線に耐え切れず、俺はさりげなく視線を逸らした。


「確かに保健室に二人っきりでドキドキするのは分かるけど、凡人はちょっと行き過ぎだし」

「ごめん」

「……期待した?」

「ちょこっと」

「ププッ、凡人の変態!」


 凛恋は笑って俺に変態と言いながら、俺の首に抱き付く。そして、下から首を傾げながら俺を見上げた。


「チューで我慢してね」


 凛恋のその言葉が聞こえたとほぼ同時に軽く唇にキスをされる。一瞬で離れた凛恋の唇を名残惜しく見ていると、艶やかな凛恋の唇が滑らかに動く。


「ごめんね凡人。ちょっと凡人のこと独り占めしたくて、こんなことして」

「いや、俺も嬉しいから大丈夫だ!」


 凛恋が謝るのを聞いて、焦ってそう言うと凛恋はクスクスと笑った後、いたずらっぽくニヤッと笑った。


「だよね~、学校でエッチしようとする変態さんだし~」

「そ、それは!」


 何か否定をしようとして、俺は止めた。これ以上何を言っても、俺がした勘違いが無しになるわけではないし、逆に言葉を重ねた方が墓穴を掘りかねない。


 凛恋は俺の左腕を優しく撫でながら、俺の肩に頭を預ける。

 言葉は発せず、ただ凛恋と寄り添い座っているだけ。でも、その時間が、俺が刻雨に来て初めてゆっくりと休めた昼休みになった。

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