【四六《暗灰の影》】:二
栄次と希さんが先に帰って行き、二人を見送った直後から、凛恋は俺の部屋に戻ってベッドに座ってニヤニヤと笑って俺を見ている。
俺はテーブルを挟んで正面に座り、俺をニヤニヤと上から見下ろす凛恋の視線から自分の視線を逸らし、コップに残ったジュースを飲み干す。
「甘えん坊の凡人くん?」
「…………」
「彼女と手が繋げなくて寂しかった凡人くん?」
「…………」
凛恋がニコニコ笑顔のまま、嬉しそうに弾んだ声でそう言う。だが、からかわれているのが分かっているから、俺は視線を合わせるが言葉は発しない。
「ほーら、こっちにおいで~」
凛恋は自分が座っているベッドの隣をポフポフと叩く。子供に語りかけるような、過剰に優しい声色の声に、俺の心には対抗心の火が燃え上がる。
「えっ! ちょっ、凡人!?」
コップをテーブルの上に置いた俺は、凛恋が叩いた凛恋の隣に腰を下ろし、荒々しく凛恋を抱き締める。
唐突に抱き締められた凛恋は驚き、戸惑った声を上げた。
「凛恋を……希さんに取られるかと思った」
「えっ!? ちょっ、そんなことあるわけないじゃん!」
「昼休みも二人でベッタリ仲良さそうにくっついてて、帰りだってずっと手を離さなかった。それに、家に来た後も隣同士でずっと寄り添ってて……それ見てたら、凛恋が希さんと――」
「ちょちょちょっ! ないって! 私も希もそう言う趣味じゃない! 私は凡人が好きで希は栄次くんが好きに決まってるって!」
「でも……世の中にはそう言う人も居るし、凛恋と希さんは仲が良いからもしかし――」
凛恋を抱き締めていた俺は、抱き締めていた凛恋にベッドの上へ押し倒された。そして、上から間髪入れずに凛恋の唇が俺の唇を塞ぐ。
体全てを俺の体に預ける凛恋は、上から唇を啄むキスをしながら俺の頭を何度も何度も右手で撫でる。
空いている左手は、しっかり俺の右手を握り締めていた。
「ごめんね、寂しい思いさせて、ごめんね凡人」
凛恋の悲しそうな声が聞こえて、俺の心に「やり過ぎた」という言葉と共に罪悪感が上ってくる。
「ご、ごめん凛恋! そういうつもりじゃなくて! 散々からかわれたから、ちょっと仕返しをしようとしただけで! 本当にごめんッ!」
凛恋の肩を押して唇を離させ、解放された口でそう言うと、凛恋は俺の上で横に首を振った。
「ううん、悪いのは私よ。あの時、凡人が私と手を繋げなかったのが寂しいって言ったのは本心だった。それが嬉しくて舞い上がっちゃって、調子に乗ってからかい過ぎた私が悪いの。……ごめんね、凡人」
「…………結構、寂しかったんだからな」
「うん」
「ちょっと、凛恋が遠くなってしまった気もした」
「じゃあ、これ以上近付けないってくらい近付こう」
そう言った凛恋が、リボンを外し、ブラウスのボタンを二つ開けながら言う。
「希にも近付けない。凡人だけとの距離に、近付こ」
魔の歩こう会前日の昼休み、俺はいつも通り凛恋の教室で昼飯を食べている。が、なんとなくいつもより居心地が悪い。
「午前中の体育めんどくさかった。よりによって担当が池水だったし~。胸が大きい子が走るのジーッと見ててキモかったし。これからしばらく体育が池水とか地獄だ~」
「種目選択の時は担当教師が誰だか分かんないからね~」
切山さんが池水先生の愚痴を話して溝辺さんがその話に乗る。普通の会話をしているように見えるが、何となく雰囲気が重く感じる。
「凛恋、ちょっと良いか?」
「えっ? うん」
俺は教室の外を指さして凛恋にそう言う。凛恋は少し戸惑った表情をしたもののすぐに頷いて立ち上がった。
「多野くんと凛恋は密会してなにするの~?」
「萌夏、あんまりからかわないでよ!」
からかう切山さんに凛恋がそう言うのを聞いてから一緒に教室の外に出る。
廊下は昼休みということで騒がしかったが、そのお陰で俺達の会話が目立つことはなさそうだ。
「凡人、どうしたの?」
「切山さん、何かあったのか?」
「……えっ? ど、どうして?」
「今日の切山さん、いつもより口数が多い」
切山さんは明るい人だ。でも、溝辺さんほど騒がしくはない。
いつもは凛恋のグループ一のムードメーカーである溝辺さんが話題を振り、切山さんがその話題に積極的に乗りながら、周りの人も会話を広げていく。そういうのが常だった。
別に切山さんから全く話題を提供しないということではないが、今日はそれが異常だ。
まるで、何か無理をして話しているような、そんな感じがした。
「やっぱ、凡人格好いい」
「俺にはぐらかさないといけない話なら話さなくて良いぞ」
「ち、違うの! その……萌夏……昨日彼氏と別れたの。彼氏に、好きな人が出来たって言われたって……」
凛恋の言葉を聞いて、俺は胸にズキンッという痛みが走るのを感じた。
好きだった恋人との別れ。俺は今まで経験したことはないが、切山さんの兄に凛恋が取られたと思った時、本当に辛かった。
何もかも投げ出してしまいたい気持ちになった。
俺の場合はそれが嘘で、勘違いで済んだが、切山さんの場合は違う。
現実に起こった事実なのだ。
「凛恋、俺は教室に戻る」
「凡人?」
「友達に無理させるな」
「凡人……うん、ありがとう!」
切山さんにとって俺は『友達の彼氏』だ。ずっと一緒に過ごしてきた『仲の良い友達』ではない。だから、俺が居る前では無理をして笑わなくてはいけなかった。でも、好きな人と別れた直後に無理に笑わないといけないのは辛過ぎる。
「切山さん、明日の歩こう会、どうするんだ?」
「……どうだろ、もしかしたら一人で――」
「切山さんも誘えよ」
「え?」
「好きな人と別れて落ち込んでる友達を一人にしちゃダメだ。そういう時に一緒に居てやるのが友達だろ」
「凡人……うん、そうだね、そうだよね。……ありがとう」
凛恋が手の甲で目を拭う。俺はそれを見て困り、凛恋の肩に手を置いて擦る。
「なんで凛恋が泣くんだよ」
「凡人、やっぱり優しいなって嬉しくなって。私の友達にもちゃんと気を遣ってくれて、それで優しくしてくれて心配してくれて……」
「ほら、凛恋が泣いてたら切山さんを元気付けられないだろ」
凛恋の目尻を親指で撫でて涙を拭うと、凛恋は深く頷いて教室に戻って行った。それを見送った俺は、自分の在籍しているクラスに戻る。
俺と凛恋のクラスは隣同士だから移動距離も短い。そして、凛恋のクラスと違いこっちのクラスは静かなものだ。
このクラスの生徒はほとんどの人が他のクラスや場所で昼休みを過ごす。だから、いつも昼休みはもぬけの殻になっている。しかし、今日は不幸にも人が一人だけ居た。
「あっ! 凡人くん。今日は早いね」
「ちょっと昼寝でもしようかと」
「そうなんだ」
俺の席は筑摩さんの隣だから、別の席に座るというのは不自然だ。だが、別の場所に座りたい気分だった。
俺は自分の席に座り、机の上に突っ伏して寝る。昼寝と言ったのだから邪魔はしてこないだろう。
「そういえば、喜川くんは元気?」
「えっ?」
寝に入ろうとしていた俺は、隣から聞こえる筑摩さんの声に体を起こす。
今、筑摩さんは『喜川くん』と言った。それは当然栄次のことを言っているのだろう。でも、栄次は筑摩さんのことを話した時に知らない様子だった。だから、筑摩さんと栄次に面識はないはずだ。でも、筑摩さんは栄次のことを知っている。
「やっぱり覚えてなかったんだね。私と凡人くんと喜川くん、同じ小学校の同級生なんだよ? まあ、私は小学校の頃は結構地味な見た目で目立たなかったから知らなくても無理ないかもね」
小学校の頃の同級生なんてほとんど覚えていない。小学校の頃は、栄次以外の人間は全員敵だったから覚える気もなかった。
「喜川くんはあの頃からモテたけど、隣のクラスの赤城さんと付き合ってるんだって? 赤城さんは真面目だし頭も良いし可愛いから喜川くんとお似合いかもね」
「栄次は希さんとは別れないと思うよ」
「え? あっ、私、喜川くんのことは好きじゃなかったし、今は会ったこともないから全然そんなつもりじゃないよ」
クスクス笑いながら栄次への好意を否定する筑摩さんは、頬杖を突きながらニコッと笑った。
「私は、喜川くんみたいな人は苦手だったし。でも、いつも人に囲まれて慕われてるのは羨ましかったかな?」
普通に笑っているように見える。でも何故か言葉に含みを感じ、笑顔は人を食っているように見える。
「凡人くんのことはね、ずっと覚えてたんだ。みんなにいじめられても、絶対にいじめに屈してなくて。それどころか、悪口言う人に笑って見せることもあったよね。文化祭の前日に校門前で見かけた時、すぐに分かったよ」
「俺は全く覚えてませんでした」
「酷いな~。まあ、でも、結局小学校時代は一言もしゃべらなかったから当然だと思うよ。覚えてない以前に、私のことなんて凡人くんは知らなかったと思うし」
未だ楽しそうに笑う筑摩さんは、ダークアッシュの髪を耳に掛けながら柔らかく微笑んだ。
「私が好きなのは、小学校の頃からずっと凡人くんだけだよ」
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