【四三《さやかに彼女は煌めき》】:二

 筆記試験が全て終了し、俺は問題用紙と解答用紙を回収する担当教師の姿を見ながら、心の中で希さんにお礼を言った。

 希さんが見せてくれた、刻雨の定期テストの問題がかなり役に立った。


 全く同じ問題ではなかったが、出題傾向が同じだったこともあって、入試対策として勉強したものが全て役に立った。

 今度、直接お礼を言わないといけない。


「多野凡人さん、この後は隣の教室で面接を行います。私に付いてきて下さい」

「はい」


 解答用紙と問題用紙を回収しクリアファイルに挟んだ担当教師に言われ、俺は席を立つ。

 どうやら面接までは休憩が無いらしい。まあ、休憩をする時間がないことで早く終われて、それで早く凛恋に会えるのだから却って良かった。


「名前を呼ばれるまでここでお待ち下さい」

「はい」


 担当教師に続いて廊下に出ると、そう言って担当教師が隣の教室の中に入っていく。

 どうやら、面接の担当もするらしい。


「多野凡人さん」

「はい!」


 息を吐こうとする前に名前を呼ばれ、俺は返事をして閉じられたドアに近付く。

 右手の拳を軽く握り、ドアを二回軽くノックする。


「どうぞ、お入り下さい」


 教室内から聞こえる声を聞いて俺はドアを横に引き開ける。そして、俺は目の前に広がる光景に戸惑った。

 教室の机は端に寄せられていて、代わりに長机が置かれ、長机の向こうには五人の面接官が座っていた。


「失礼します」


 一瞬、戸惑ったものの、何とかそう声を出して目礼する。

 教室に入って振り返り、自分が開けたドアを閉じながら、俺は心の中で毒づいた。

 面接官が五人なんて聞いてない。大抵、二人か三人だろう。


 再び振り返り、中央に座るグレーの背広を着た男性に向かって一礼する。たった一人の面接に五人の面接官。

 俺に注がれる視線は鋭く厳しいものに見える。


 やっぱり、俺が犯罪者の息子だから、慎重に判断する気なのだ。だから、沢山の人に評価をさせるために面接官を五人にしている。


『大丈夫、心配しなくて良いから、大丈夫だから。大丈夫、大丈夫』


 焦りに負けそうになった頭の中に、その凛恋の言葉と凛恋の感触が蘇る。

 それが、スッと俺の高鳴り掛けた鼓動を抑えてくれる。そして、震えそうになっている手足に込められた無駄な力が抜けた。


「どうぞ、お掛けになって下さい」

「はい、失礼します」


 椅子の横に立ってもう一度一礼し、ゆっくりと椅子に腰掛けた。


「受験番号と氏名をお願いします」

「受験番号一番、多野凡人です。よろしくお願いします」

「では、本校を志望した理由を聞かせて下さい」

「はい。今年の刻雨祭にも参加させて頂き、刻雨高校の生徒の皆さんがとても活発に楽しく文化祭を運営されていて、その明るい雰囲気の学校に惹かれ刻雨高校に転入したいと思い志望いたしました」


 志望動機は必ず聞かれる質問。だから、面接対策で用意している答えをスラスラと口にする。

 本音では文化祭なんて、ただめんどくさい行事だと思っているが、そんなことをバカ正直に口にしても確実に落とされる。


「文化祭に参加されたのですか。どうでしたか?」

「はい。中庭にあった模擬店では刻雨高校の皆さんが明るい接客をされていて雰囲気がとても明るかったです。校舎内の出し物も それぞれのクラスで個性が出て面白いものが沢山ありました。なかでも、生徒の皆さんがクラス毎にオリジナルのTシャツを着ていて一体感があるなと感じました」


 我ながら上手くやったと思った。文化祭の感想なんて聞かれるとは思っていなかったが、無難な答えを何とか返せたと思う。


「そうですか。クラスTシャツは我が校の伝統なんですよ」


 中央に座っている男性の面接官が笑顔を浮かべてそう言う。どうやら印象は悪くはないようだ。


「将来の進路は決まっていますか?」


 別の面接官からそう質問が飛んでくる。これも、想定した質問だ。


「はい。私は大学進学を目標にしています」

「大学に進学して就きたい職業等はありますか?」

「今は将来就きたい職業までは考えていませんが、高校三年間でしっかり勉強して、将来の選択肢を狭めてしまわないように大学進学を目指しています」

「なるほど、ありがとうございます」


 それから五人の面接官が無言で互いの視線を合わせている。どうやら、これで面接は終わりにしてくれるようだ。

 無難な質問で終わる。そう安心した時、一番端に座っている紺色のスーツを着た女性が手を挙げて俺を見た。


「あの、最近感動したことはありますか?」


 その発言に、俺は完全に意表を突かれた。もう終わりだと思って気を抜いた瞬間に想定していない質問。

 それで、一瞬にして頭の中が真っ白になる。


「私が最近感動したことは……」


 無言はダメだ。そう思ってその言葉を口にした時、また凛恋の唇の感触が蘇る。そして、凛恋の笑顔が頭に浮かんだ。


「私が最近感動したことは、自分に、自分を支えてくれる沢山の人達が居ると知ったことです」

「詳しくお話し頂けますか?」


 面接官の女性に促され、俺は何も頭の中で考えが纏まっていない話を話し始めた。


「はい。私は、前の高校でいじめを受けていました。そのことで失声症という病気を患い、一時期声を出すことが出来なくなりました。でも、私には、そんな私を支えてくれる家族と友達が居ました」


 爺ちゃんと婆ちゃんは、自分達も精神的に辛いのに、俺が入院している間、俺のことをずっと心配してくれた。

 鷹島さんは、クラスの連中が、学校のほとんどの奴等が俺を嫌っているのに、俺のことを友達だと言ってくれて、落書きに汚された机を綺麗にしてくれた。


 田丸先輩は、俺の入試を心配してお守りをくれた。

 希さんは、俺の入試勉強のために過去問題を元に一緒に対策を練ってくれたし、ずっと優しい笑顔で励ましてくれた。

 栄次は、落書きに汚れた俺の机を見て本気で怒ってくれたし、ボコボコにされた俺を必死に助けようとしてくれた。それに、俺が刻雨に行くことの背中も押してくれた。


 そして、凛恋は、ずっと……最初からずっと俺のことを好きで居てくれて、ずっと俺のことを支えてくれた。


 俺のために泣いてくれて、俺のために怒ってくれて、俺のために笑ってくれた。

 凛恋が作ってくれた手料理は頑張りのエネルギーになったし、凛恋と交わしたキスや、凛恋と抱き締めて愛し合ったことは、俺が前へ進み続ける勇気になった。

 凛恋との愛は、俺が生きようとする活力になった。


「私には私を支えてくれる人が沢山居ます。そのためにも、私は人生を生きていかないといけないと思いましたし、私を支えてくれる人達に恥じない生き方をしなければいけないと思いました。そういう人に出会えたことが、最近……いえ、人生で一番感動したことです」


 たかだか一六年程度しか生きていない俺が『人生で一番』なんて言っても笑われるだけに決まっている。でも、今の俺にはそうなのだ。

 一六年間生きた俺にとっては、俺の周りにこんなに沢山の人が居ることが、一番感動したことで、とても尊いことなのだ。


「ありがとうございます」

「では、これで面接を終了します」


 ニッコリ笑った女性がそう言った後、中央の男性が面接終了を告げる。俺はそれを聞いて立ち上がり、面接官五人に深々と頭を下げた。


「本日はお忙しい中、お時間をいただき誠にありがとうございました」



 入試の全てが終わり、俺は荷物を持って校舎を出る。校舎を出た途端に、疲れがドッと押し寄せて足取りが若干鈍る。

 確実に受かった、とは言い切れない。でも、悪くはなかったと思う。筆記試験には手応えがあったし、面接も何とか乗り切れたと思う。


「はぁ~、疲れた……」


 まだ刻雨の学校内だということを忘れて、ため息と共に吐露する。

 これで、今年で一番心配だったことが終わった。その安堵を感じて、また体からドッと疲れが溢れる。


 冬休みということで、当然、刻雨高校に生徒の姿はない。

 学校職員は来ているとは思うが、みんな校舎内に居るようで校舎の外には見当たらない。


「凡人ッ!」


 校門に向かっていると、校門から凛恋が手を挙げて駆け寄ってくる。その後ろには、栄次と希さんの姿もあり、希さんが小さく手を振っている。


「お疲れ凡人!」

「お疲れ凛恋。めっちゃ疲れた……」


 凛恋に手を握ってもらい、凛恋の手の温かさにまたホッと息が漏れる。


「試験、どうだったんだ?」


 凛恋と手を繋いで校門を出ると、爽やかな笑みを浮かべる栄次に尋ねられる。


「筆記は多分問題なし。これは希さんのお陰だ。本当にありがとう」

「ううん。私は取っておいた過去問を見せただけだし。それに、私が教えなくても凡人くんはほとんど解けてたし」


 希さんが両手を振ってそう言いながら優しく微笑む。


「でも、問題は面接だな。ボロが出てなければいいけど」

「もー、朝もそうだったけど心配し過ぎだって」

「でも――」

「絶対凡人は受かるの! で、私は凡人と同じ学校に毎日一緒に通えてチョー幸せ! オッケー?」

「オ、オッケー」


 ニパッと笑う凛恋にそう言い切られ、俺は押し流されるように肯定する。


「安心したら腹減った。何か食べたい」


 時間は一二時半を回っている。もう昼飯に良い時間だ。


「お昼は決めてるから、行こ!」


 凛恋がそう言いながら手を引いて歩き出す。

 いつもならファミレスに行って、いつも通り雑談しながら食べることになる。だが、凛恋はいつものファミレスとは逆の方向へ歩いて行く。

 昼になって太陽が高くなったが、風はまだ冷たい。


「凡人、チョー寒い~」

「こら凛恋。腕にぶら下がるなよ」


 両手で俺の腕を抱いていた凛恋が、俺の腕にぶら下がるように体重を掛ける。

 いくら凛恋が細くて軽いと言っても、俺の筋力で人一人を支えられるわけがない。


 道すがらに見える景色を見渡すと、何処もクリスマス一色になっている。

 クリスマスをこんなに意識したのも、人生で初めてかも知れない。

 うちでは今までのクリスマスは、特に何かを祝うことも無かったし、ケーキさえも買わなかった。


 爺ちゃんも婆ちゃんもクリスマスに関心は無かったし、俺もクリスマスに興味は無かった。

 幼い頃からそうだったこともあって、俺は今までクリスマスプレゼントという物を貰ったことが無い。


 やったことがないと言っても、クリスマスにはクリスマスツリーを出して、クリスマスケーキと七面鳥の丸焼きを食べ、クリスマスプレゼントを贈る行事なのは知っている。

 もちろん、本来のクリスマスがそういう行事ではないことも。


 小学校低学年の頃は、栄次がクリスマスに何を買って貰うか話をしていた記憶もあった気がするが、小六の頃にはそんな話はしていなかったはずだ。

 多分、栄次が気を遣って言わなくなったんだろう。


 クリスマスソングが聞こえてくる駅前に着くと、凛恋がスマートフォンを確認し、素早く何かメールを打ってポケットに仕舞う。


「凛恋、今日の昼飯は何処に行くんだ?」

「ん? 私と希の行きつけのお店」

「凛恋と希さんの行きつけのお店?」


 当然、俺は凛恋でも希さんでもないから、二人の行きつけのお店と言われても分かるわけがない。ということは、着くまで秘密ということなのだろう。


 足を進める凛恋はどんどん駅前から離れて行く。

 駅前から離れると一気に賑やかさが減って落ち着いた雰囲気の街並みになる。そして、凛恋の足が一軒のお店の前で立ち止まった。


「こらこら! なんで引き返すのよッ!」


 回れ右をして帰ろうとした俺の腕を、凛恋が力強く引っ張って引き戻す。

 再び店の正面に連れ戻された俺は、見覚えのある店の外観に視線を向けた。


 モダン調の外観の喫茶店らしいたたずまいの建物。ここは、凛恋の友達である切山さんの実家がやっている喫茶店、純喫茶キリヤマ。

 俺がその純喫茶キリヤマの正面に立たされているということは、ここが今日の目的地なのだろう。


 しかし、俺はこの店に良い思い出は無い。

 いや……店のケーキやコーヒーは美味しかったし、この店で凛恋がアルバイトしている時に希さんに連れてきてもらって、凛恋の貴重な店員の制服姿を見ることが出来た。

 だが、俺は夏にこの純喫茶キリヤマでバリスタをしている切山晶さんと対峙した。


 切山晶さんは凛恋の友達である切山萌夏さんの兄で、凛恋に好意を持った人だった。

 この切山兄があまり良い人とは言えず、俺はその切山兄のせいで凛恋と別れる寸前まで追い詰められていた。

 その時は、希さんと切山萌夏さん、そして栄次の登場で切山さんと凛恋が何でもないことを知らされてなんとかなった。だが、あの時のことを綺麗さっぱり忘れたわけじゃない。


「大丈夫だって、萌夏があの人は今日店に来させないって言ってたから。それに、今は大学生の彼女が居るらしいし」

「そ、そうか」

「それに、仮にあの人が居たって私は嫌いだからガン無視するし」


 凛恋も切山兄のことが嫌いらしく、顔をしかめてそう吐き捨てる。だが、凛恋がそう言ってくれると安心だ。


「とにかく入ろ」


 凛恋が店のドアを開いて中に入る。すると、中から騒々しい声が聞こえてきた。


「おお! やっと来たー!」

「いらっしゃい。多野くん、入試お疲れ~!」


 相変わらず賑やかな溝辺さんが入り口まで走って来て、ここの娘である切山さんは凛恋が着ていた物と同じバリスタ風制服姿で料理を運んでいる。

 店内には、いつも凛恋と仲の良い面々が集まっているようで、漏れなくその面々の彼氏も付いてきている。つまり、大人数だ。


「お待たせ! お腹減った~」


 凛恋が俺を引っ張りながら店の奥に入っていく。

 俺は入試で疲弊した体に鞭を打って付いて行きながら、凛恋の横顔を見る。俺の視界に見えた凛恋はとても楽しそうで、俺はそれを見て何も言わず凛恋に導かれるまま座席に腰を下ろした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る