【四三《さやかに彼女は煌めき》】:一

【さやかに彼女は煌めき】


 今日は、高校生的には冬休み初日であり、世の中的にはクリスマス、そして俺としては刻雨高校への転入試験のある日。


 試験は八時半に集合し、国語、数学、英語の筆記試験があり、その後に面接が行われる。予定では一二時半には終わる予定だ。


 中三の時に受けた、刻季高校の入試の時よりも遥かに緊張する。だが、俺はこの入試に必ず受からなくてはいけない。俺の人生を再スタートさせるために、何より応援してくれるみんなのために。


「凡人、準備は済んだのか?」

「筆記用具も受験票も持ってる」

「制服じゃなくて良いのか?」

「ボロボロになって使えないって刻雨の先生に説明したら私服で大丈夫だって言われた」

「試験が始まる前には必ずトイレは済ませておけよ」

「爺ちゃん……流石にそこまで心配しなくていいって」


 過剰に心配する爺ちゃんにため息を返すと、横に座っていた婆ちゃんが小さく笑う。そう言えば、刻季の入試の朝もこんな感じだった気がする。

 朝飯を食べてゆっくりしていた俺は、居間にある壁掛け時計の針を見て立ち上がる。そろそろ出掛ける時間だ。


 玄関に向かって靴を履いていると、後ろから肩を叩かれる。後ろを振り向くと、田丸先輩が立っていた。


「凡人くん、これ」


 田丸先輩がそう言って両手で俺に赤いお守りを差し出す。


「修学旅行に行った時に、北海道で買ってきたの。学問の神様のお守りだから」

「ありがとうございます」

「頑張ってね」


 俺がお守りを受け取ると、田丸先輩はそう言って小さく手を振りながらニッコリと笑った。



 家を出て、寒空の下、身を縮ませながら歩く。流石に一二月も半ばになれば真っ昼間でも寒い。

 筆記は多分問題ない。不安な筆記があるとすれば英語だが、希さんに貰った刻雨の定期テスト問題の難易度を見ても問題ない点数を取れる自信はある。ただ、問題は面接だ。


 面接は大体聞かれる質問は決まっている。だが、そういう想定出来る質問以外の質問が来た時が問題だ。


 栄次のようなスーパーコミュニケーションマスターなら、想定外の質問にも難なく答えられる対応力がある。でも、俺はコミュニケーション経験値が絶望的過ぎる。

 そんな俺が想定外の質問が出てきた時に、上手く返答出来るとは思えない。運良く切り抜けられれば良いが、そこで詰まったりとんでもない答えを返したりしてしまったら、かなり減点されてしまう。


「良かった! 間に合った!」


 家を出てすぐ、その声が聞こえて落としていた視線を上げると、目の前から凛恋が飛び付いてきた。


「凛恋!?」


 ベージュのトレンチコートの裾からは、タイツに包まれた凛恋の長く細い足が見える。そして、トレンチコートの隙間から、黒いミニスカートの裾がチラリと見えた。


 凛恋は、すぐに俺の腕を抱いて隣に並ぶ。

 今日の凛恋は、いつも以上に他人の目に触れさせたくない。トレンチコートとミニスカートにタイツの組み合わせは、凛恋を一段と大人っぽく、色っぽく見せている。今の凛恋は、同年代の男に限らず、大人の男の視線も集めてしまいそうだ。


「凛恋、その格好どうにかならないのか?」

「えっ!?」


 自分の格好を確認した凛恋は、不安そうな顔を俺に近付ける。


「もしかして、凡人の好みじゃない?」

「いや、大人っぽくてめちゃくちゃ色っぽい。だから、あんまり人目を惹くような格好は――」

「凡人の目を惹けてるなら良かった。ほら、ちゃっちゃと歩かないと遅れるわよ」


 俺の腕を引っ張りながら、凛恋が俺の一歩前を歩き出す。

 今日は入試が終わった後に会おうと話していたから、まさか入試前に会えるとは思っていなかった。

 さり気なく抱かれている手で凛恋の手を握る。


「大丈夫よ」

「凛恋?」

「そんなに心配しなくても大丈夫よ。私が受かったんだから、私より頭が良い凡人が落ちるわけないでしょ?」

「凛恋は成績も十分良いし、それに面接も良かったんだろ」


 凛恋は、成績も十分良いし可愛いし性格も良いし何より可愛い。成績も性格も外見も良いなら、面接で高評価に決まっている。それに比べて俺は…………。


「凡人は絶対に受かるの! 何が心配なの?」

「面接が、少し……」


 少しとは言ったものの、大分心配だ。


 転入編入する人には、それぞれ事情がある。引っ越しや経済的な理由がそれだ。でも、それらはどうしようもない、だから試験をする立場の人達も転入編入に寛容になれるし許容出来る。でも、俺は普通じゃない。


 確かに、俺が転入をする理由は、いじめが過熱し学校に居られなくなったことだ。だが、その過熱した理由は、俺の母さんが犯罪者だったからだ。


 犯罪者の息子。それは世間一般の人達から見たら、印象の良いものではない。そして、当然それは面接でも印象が良くない。

 学校は沢山の生徒が通っている。そして、その生徒には当然、親や俺にとっての爺ちゃん婆ちゃんのような保護者が居る。その保護者達が、犯罪者の息子と同じ学校に自分達の子供を通わせたがらない。


 俺の母さんのように、自分の子供の存在を否定する親も居る。だが、大抵の親という存在は、子供を大切にするものだ。

 もし、刻雨高校が俺の転学を認めたら、少なからず……いや、多くの批判が出るはずだ。「なんで、犯罪者の息子を自分の娘息子と同じ学校に通わせるのか」と。


 その批判は当然で、誰だって犯罪者の家族と一緒の場所に居たくはないと思うだろう。

 俺が刻季の生徒に暴力を振るわれ入院している間、家には沢山の人が来ていたらしい。テレビ局や新聞記者、雑誌記者と言ったマスコミはもちろん、一般の人も。みんな、俺達を否定しに来ていた。


 爺ちゃんは警察OBで、その娘が詐欺罪で逮捕。それは話題性もある、だからマスコミが飛び付いたのは必然的だった。そして、それに加えて俺が受けた暴力事件。その事件も、世間では意見が二極化していた。


 加害者家族。俺のような身内に犯罪者が居る人はそう呼ぶらしい。


 テレビの報道番組に出るコメンテーターやタレントの全ては揃って『加害者家族の保護の重要性を再確認して、法整備を見直すべきだ』という意見を言っている。でもそれは「犯罪者の家族なんて保護する必要なんて無い」なんて意見は言えないからだ。

 そんなことを言えば、確実にイメージダウンしてテレビ出演が減ることが想像出来るからだ。でも、テレビに関係ないインターネットの電子掲示板はそうじゃない。


 インターネットの電子掲示板は、スレッドやトピックという決められたテーマについて話し合う場所を作る。スレッドやトピックを作ることは、インターネット用語で『立てる』という。そのスレッドで、俺のスレッドが立った。もちろん、加害者家族についてのスレッドだ。


 そのスレッドでは、母さんの事件の概要と俺の巻き込まれた暴力事件の概要が、インターネットのニュース記事を引用する形で書き込まれていて、それに対しての書き込みがあった。でも、その書き込みは、テレビ番組のコメンテーターやタレントとは一八〇度違う意見だった。


『詐欺師の息子、ボコボコにした奴等良くやった』

『世の中から犯罪者の因子は徹底的に排除すべき』

『被害者側は保護すべきだ。でも、加害者側は自業自得』


 そんな意見が、沢山書き込まれていた。

 そのスレッドには、俺個人は特定できないものの、暗に俺を指すような隠語が作られ、報道が過熱している時は、俺を指す隠語を用いた誹謗中傷の書き込みが沢山あった。

 それは見なければいいものだった。でも、それを見て、安心出来たこともあった。それは、非難されているのは俺だけだったことだ。


 凛恋はもちろん、栄次や希さんのことは何一つ書き込まれていなかった。それだけが、不幸中の幸いだったと言える。


 インターネットの電子掲示板のほとんどが匿名掲示板と呼ばれ、書き込んだ人個人の特定が出来ないものになっている。

 もちろん、IPアドレスを辿れば個人の特定が出来るが、IPアドレスは開示されてないから掲示板の運営者しか知り得ない情報だ。だから、一般に書き込んでいる人や掲示板を見ている人達は、お互いが誰かも分からない。

 それに、自分が誰であるかも相手に分からない。その匿名性だからこそ、攻撃的な書き込みをしても自分の社会的印象に全く影響がないから、本音が書き込まれる。


 いくら、テレビの報道番組で加害者家族の保護がテーマになっていても、一般市民に一番近い電子掲示板では加害者家族への批判が書き込まれる。報道番組は建前で電子掲示板は本音なのだ。


 そんな、本音では世間に批判されている俺を転学させるメリットは刻雨にはない。むしろデメリットの方が大きい。多少成績が良かったとしても、それがデメリットと天秤に掛けて勝るメリットになるとは言えない。


「俺は犯罪者の息子だから……きっと、落とされる」


 視線を舗装されたアスファルトの道上に落としながら、俺はそう呟く。その俺の体が急に横へ引っ張られる。

 俺の腕を引っ張って急に横へ向かって歩き出した凛恋は、細い路地に入ってブロック塀に俺の背中を押し付ける。


 押し付けられた際の軽い衝撃を背中に受けながら、ギュッと目の前から抱き締められる。俺の鼻先には甘い香りを漂わせる凛恋の髪が揺れ、視線の先には真っ直ぐ俺の目を見る、凛恋の綺麗な瞳がある。


「受かる」

「凛恋……」

「絶対に受かる」

「……」

「大丈夫、心配しなくて良いから、大丈夫だから。大丈夫、大丈夫」


 俺を抱き締める凛恋がそう言いながら何度も何度も俺の頭を撫でてくれる。そして、優しく唇を重ねてくれた。

 唇を重ねて、深く深く想いを重ね絡めながら、凛恋は何度も何度も俺の頬を、頭を、首筋を、胸を撫でてくれる。


 凛恋のキスを受け入れていると、心の中にある不安が押し流される。心の中を頭の中を凛恋でいっぱいにされて、不安を抱く余裕がない。圧倒的な勢いで流れ込んでくる凛恋の存在が、一瞬にして俺の中を埋め尽くした。

 俺は、時間を忘れて、凛恋に没頭した。



 彼女とキスをしていて入試に遅刻、なんてことにはならなかったが、刻雨高校に到着したのは集合時間ギリギリだった。そして、担当教師に案内された教室に入って息を吐く。

 教室には複数の席があるが、受験番号が貼られている席は一カ所だけ。今回の転入試験を受験するのは俺だけだ。それは、他人と一つの枠を争うことがないということで、それで合格が確定するわけではないが、少し安心することが出来た。


 試験は九時開始で一教科試験時間は五〇分。各教科の間に二〇分の休憩時間がある。

 案内してくれた担当教師が一旦教室を出て行ったのを確認して、俺はドサッと自分の席に腰を下ろす。


「試験直前にあのキスはヤバイだろ……」


 そう口にしただけで、俺の唇に残った凛恋の唇の感触が蘇る。

 この状況だと、覚えた英単語を頭の中で反すうしたり、数学の文章問題から先に解くべきか簡単な計算問題を確実に潰していくか考えたりするのが普通だ。でも、俺の頭の中は、そんな試験に対する不安から来る考えではなく、凛恋のことしかない。


 凛恋の格好が凄く色っぽくて魅力的だったことや、凛恋の手が温かかったこと。

 それから、凛恋の香りは変わらず澄んでいて香しかったことに、撫でてくれた凛恋の手が優しくて安心出来たこと。そして、凛恋のキスで俺を埋め尽くされたこと。それらでまた、俺の中を凛恋でいっぱいにされる。


 凛恋のお陰で変な緊張をしなくて済んでいる。でも、凛恋の余韻が残っているせいで、頭の中はもっと凛恋を感じていたかったという考えが浮かぶ。だけど、入試を終わらせた後はまた凛恋に会える。


 担当教師が教室に戻ってくる。その手には試験問題が握られていて、正面にある教卓に置かれた椅子に座って腕時計を確認していた。

 椅子から立ち上がった担当教師は、俺の机の左端に問題用紙を裏返して置き、右側に解答用紙を同じく裏返して置く。


 視界の端に見える、教室の壁掛け時計の長針がもうすぐ天辺を指そうとしている。それを見ながら、俺は担当教師に悟られないように深く息を吸う。


「始めて下さい」


 その声が聞こえた直後、問題用紙と解答用紙をひっくり返す。そうしながら俺は、さっさと終わらせて凛恋に会いたい。そんな、緊張感の欠片も無いことを考えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る