【四二《幸福な空間》】:三
話を逸らすためか、凛恋が更に顔を近付けて俺の画面を見る。その時に、凛恋の柔らかい頬が俺の頬に触れる。その頬が少し強く押し付けられ、凛恋がわざと頬を触れさせているのが分かり、胸の鼓動が速くなる。
「やった! 倒した~」
「とりあえず、一回目は倒せたな~」
親玉ワイバーンを倒してクエストをクリアし、報酬画面を見ながら息を吐く。これより先のクエストは限界だから、大人しく装備を新しくするためのアイテム集めをした方が良さそうだ。
「ご飯を食べ終わったら三人でワイバーンクラウンズを周回して凡人のアイテム集めね」
ニコッと笑う凛恋が俺の隣に座る。そして、さりげなく俺の手に自分の手を重ねようとした瞬間、玄関のドアが開く音と共に男性の声が聞こえた。
「ただいま」
「パパ~お帰りなさい!」
優愛ちゃんが廊下に駆け出していく。それを見て、俺はすぐにゲーム機を鞄に仕舞って立ち上がり姿勢を正す。
仕事から帰ってきて疲れているであろう凛恋のお父さんに、ゲームをしてだらけているところを見せるわけにはいかない。
「お、お邪魔しています」
「いらっしゃい、凡人くん」
ダイニングに入って来た凛恋のお父さんに頭を下げると、俺に穏やかな笑顔でそう言ってくれる。出だしはなんとか乗り切れたようだ。
背広姿の凛恋のお父さんの後ろには、お父さんのビジネスバッグを両手に持った優愛ちゃんが立っている。
「あなた、今日の夕飯は凛恋の手作りよ」
「そうか。凛恋の手料理が食べられるなら、凡人くんには毎日来てもらわないとな。俺が頼んでも、めんどくさがってなかなか作ってくれないし」
「ちょ、パパ!」
お父さんにからかわれた凛恋は真っ赤な顔をして反論しようとするが、凛恋のお父さんが着替えるためか一旦ダイニングを出て行く。それを見送りながら、凛恋はチラッと俺の方を見た。
「お姉ちゃんが料理を作るのはお昼が多いからね~。パパはなかなか食べる機会が無くて」
「なるほど」
優愛ちゃんがクスクス笑いながらそう言って、ビジネスバッグを抱えながらダイニングを出て行く。それを見送ると、真っ赤な顔のまま凛恋が寄ってきて俺の前に立つ。
「か、凡人? 私は別にパ――お父さんに差別とかそういうことをしてるわけじゃなくて」
「誰も凛恋がそんなことをするなんて思ってないって」
「そう?」
「それに、もし凛恋がそういう人だったら、お父さんが帰ってきた瞬間に日本酒のグラスなんて準備しないだろ?」
俺が凛恋にそう言うと、凛恋は更に顔を真っ赤にして俯く。凛恋の後ろの方に見えていた凛恋のお母さんが一瞬目を丸くし、すぐにニッコリ微笑んだ。
「凛恋の話してたとおり、凡人くんは凄く周りを見ているのね」
「えっ?」
「ママ! 余計なこと言わないでね!」
「はいはい」
俺が聞き返そうとするも、凛恋に止められて会話が終わってしまう。あのまま続いていれば、もしかしたら凛恋が俺についてどんな話をしているのか聞けたかもしれない。それは、かなり残念だ。
凛恋のお父さんの着替えが終わると、五人でテーブルに着く。俺は凛恋の隣に座り、正面には凛恋のお父さんとお母さんが座る。そして、凛恋の斜め前には優愛ちゃんが座った。
「お~、今日の晩飯は豪華だな~」
「ふ、普通だって!」
凛恋は凛恋のお父さんにそう言うが、テーブルに並べられている料理を見て、俺はこれが普通なのかと戸惑う。
主菜であるハンバーグは赤みがかったソースが掛かり、そのソースには白い別のソースも少量掛かっている。なんか、凄い高級洋食店で出てきそうなハンバーグだ。
副菜には、彩りの良い野菜とキノコがたっぷり使われたサラダと、鮮やかな黄色をしたスープがある。そのメニューを見て、これが普通な訳がないと思った。
「す、凄い……」
「だ、だって、凡人に美味しいご飯を作るって約束したから……。さっ、さあ食べよう食べよう!」
凛恋が顔を真っ赤にしながらみんなにそう促す。
「じゃあ、いただきます」
俺が両手を合わせてそう言うと、みんなも同じように挨拶をして食事を始める。
最初にどれから手を付けるべきか迷うが、意を決してハンバーグに箸を伸ばす。本当は箸で食べ物を切り分けるのはマナー違反だが、ハンバーグを一口ではいけないし、そもそも凛恋がせっかく作ってくれた料理を一口で終わらせるなんて出来ない。
家庭料理ということで多少のマナー違反も許されると判断して、箸でハンバーグを一口大に切り分ける。
「中から肉汁が」
ハンバーグに箸を刺した瞬間、ジュワッと中から肉汁が吹き出し、ハンバーグに掛かったソースと絡む。一口大に切ったハンバーグにソースと肉汁を絡め、俺は箸で挟んで口の中に放り込んだ。
香りの良いソースは甘辛く、ハンバーグに良く合っている。今まで食べたことのない上品な味だ。
視線を横に向けると、凛恋がジーッと俺の様子を見ているのが見えた。
「めちゃくちゃ美味しい。なんか、上品な味だな」
「ホント? 赤ワインソースを作って、生クリームと合わせたの。赤ワインソースだけよりもまろやかになると思って」
「赤ワインソースの掛かったハンバーグなんて初めてよ。いつもうちでは市販のデミグラスソースを掛けているし」
凛恋のお母さんがニッコリ笑って言う。どうやら、俺が来るということでかなり手間を掛けさせてしまったようだ。
「いや~凡人くんが来てくれて本当に良かったよ。凛恋の気合いの入った料理が食べられるなんて幸せだ」
日本酒の入ったグラスを傾けて一口飲んだ凛恋のお父さんが、朗らかに笑いながら俺に視線を向ける。
「凛恋は父の日には毎回手料理を作ってくれるんだが、ここまで豪勢なのは初めてなんだよ。おおそうだ、それと凡人くんにはもう一つお礼を言っておかないとな。凡人くんとお付き合いしてから、凛恋の成績が目に見えて上がったんだ。本当にありがとう」
「パ、パパ!」
「凛恋に勉強を教えてくれているみたいで、ありがとう凡人くん」
「マ、ママまで……」
凛恋は真っ赤な顔をして俯く。
確かに、俺は凛恋と一緒の時に宿題をするし、その日の復習を一緒にする。その時に、刻季と刻雨で授業の進行度は違うものの、凛恋の分からないところを教えていた。それで成績が上がったのは知らなかったが、凛恋のお父さんとお母さんにお礼を言われるほどだとは思わなかった。
「確かに一緒に勉強はしましたけど、多分それは凛恋が頑張ったからですよ」
「いいえ、凛恋は凡人くんとお付き合いするまで、ろくに勉強はしてなかったから凡人くんのお陰よ」
凛恋のお母さんが優しい笑顔を向けてそう言うが、凛恋の方は顔を強ばらせて姿勢を正す。なるほど、凛恋のお母さんは希さんと同じ、静かに怒るタイプの人らしい。
今のは怒っているというより「気を抜かずに勉強をしなさい」と釘を刺されているという感じだが、確かに静かな迫力があった。
その後、食事をしながら凛恋の幼い頃の話や家での凛恋の話をした。どれも、凛恋は恥ずかしがって止めようとしたが、俺は聞いていて楽しかった。
俺が居ない時の凛恋がどんな様子なのか知れるのは素直に嬉しい。それだけ、俺が凛恋を理解出来ていってるということだからだ。それに、やっぱり家族と一緒の凛恋は貴重だった。
恥ずかしがったり怒ったり、そして笑ったり、全部俺と居る時とは少し違う表情だった。
生まれてきてずっと一緒に過ごしてきた家族だから出せる信頼感というか空気感。それは、絶対に俺では作れないものだったからだ。
また口に出して変な心配を掛けたくなかったから言わなかったが、羨ましかったし嬉しくなった。
食事が終わると、凛恋と優愛ちゃんに連れられて凛恋の部屋に行き、ファンフューをやった。久しぶりに三人でゲームをして、じゃれ合う凛恋と優愛ちゃんを見られて心が穏やかになった。
ここ最近で、一番楽しくて、一番落ち着ける時間だった。
楽しい時間が過ぎるのは早く、そろそろ帰る時間になった。
「そろそろ帰るよ」
「えっ!? まだ一九時じゃん!」
「そうだよ凡人さん!」
俺が帰りを切り出すと、凛恋も優愛ちゃんも引き留めてくれる。その二人の気持ちは嬉しいが、二人はこれからお風呂にも入らないといけないし、何より二人は明日学校がある。
それに、いくら二人が良いと言っても長居をするのは良くない。
「俺も試験勉強しないといけないしさ」
そう理由を作って立ち上がると、凛恋と優愛ちゃんは一緒に立ち上がった。
帰る前にダイニングに行くと、ソファーでくつろいでいる凛恋のお父さんとお母さんが俺の方を振り向いた。
「長居して申し訳ありませんでした。これで失礼します」
「あら? もう帰るの? もう少しゆっくりして行ってもいいのよ?」
「ほ、ほら! ママもああ言ってるしもう少し――」
「優愛、凡人くんの都合も考えなさい」
俺を更に引き留めようとする優愛ちゃんを、凛恋のお父さんが穏やかな声でたしなめる。それに、優愛ちゃんは露骨にシュンとした表情をして俯いた。
「また遊びに来るし、優愛ちゃんもまた遊びに来てよ。今日はアイテム集め一緒にしてくれて助かった。ありがとう」
「はい! 今度は、ワイバーンクラウンズよりも強いボスをやりましょう!」
ニッコリと明るく笑う優愛ちゃんは両手をグッと握って気合いを入れるポーズをする。
凛恋のお父さんお母さん、そして優愛ちゃんに見送られて外に出ると、凛恋が家の外まで付いてきた。
「凡人……帰るの早いし」
「凛恋は明日学校だろ?」
「もうちょっと居てもいいじゃん」
拗ねた表情で俺の袖口を掴む凛恋を、俺は優しく頭を撫でながらブロック塀に追い詰める。辺りは暗く、街灯の光も届いていないこの場所は夜の闇に紛れている。そして、俺と凛恋はその闇に覆い隠されている。
凛恋の手を握りながら凛恋にキスをする。啄むように凛恋の唇を求め、凛恋はそれに応えてくれる。
長く深いキスを終えて唇を離すと、目の前に真っ赤に上気させて息を荒くした凛恋の顔があった。
「やっぱ、凡人のチューはズルい。こんなチューされたらもっと帰したくなくなっちゃう」
凛恋は俺の背中に手を回してギュッと俺の体を抱き締め引き寄せる。熱くなった凛恋の体温を間近に感じて、俺も凛恋の腰を引き寄せて抱き寄せる。
「ヤバイ……」
「どしたの?」
「エッチしたい……」
「ちょっ! ここじゃダメだからね!」
思わず欲望を口にすると、凛恋がボッと顔の赤みを上げて慌て始める。流石に俺もこんな寒い夜空の下でそんなことをする気は全く無いが、これだけ近くに凛恋を感じていれば、そりゃあドキドキもする。
「とりあえず今日はお預けね」
「分かってる」
「私だって……凡人の本気チューのせいでちょっとスイッチ入っちゃったし……」
「ちょっと?」
「……ううん、バッチリ入っちゃった」
凛恋が俺の胸に顔を埋めて深呼吸をする。
「ふわぁ~……凡人の匂い嗅ぐと安心する~」
そう言った凛恋は「よしっ!」と短く声を出して俺から離れた。
「凡人、明日は凡人の家ね。今日はお父さんとお母さんと優愛も居たけど、明日は凡人と二人っきりが良いな」
「了解。明日は出前を取ろう」
「えっ! いいよいいよ。明日も私が作るし」
「多分、疲れて夕飯作る体力ないと思うぞ?」
視線の下に居る凛恋をからかうためにそう言うと、凛恋は真っ赤な顔のまま目を丸くし、目を細めて俺の鼻を摘まんだ。
「凡人のエッチ!」
「イデデッ」
俺は、俺の鼻を摘まむ凛恋の手を軽く叩いてギブアップの意思表示をしながら、視線を凛恋の顔に向ける。
見えた凛恋の顔は、とても楽しそうで明るくて可愛い笑顔をしていた。
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