【四二《幸福な空間》】:二

 次の日の夕方、俺は久しぶりに凛恋の家の前に立っていた。今日は、八戸家の夕食に招待された。


 右手には食後のデザートにでもと思い、行き掛けにケーキ屋に寄ってきた。だが、何が良いのかは分からなかったから、こっそり希さんに電話をして希さんのおすすめを買ってきた。


 正直、不安しかない。

 昨日の夜、スマートフォンでテーブルマナーを調べてみたが、一夜漬けで覚え切れるものではなかった。

 フランス料理のテーブルマナーとイギリスのテーブルマナーは違うというのは分かった。だが、料理の知識が無い俺には、どっちのテーブルマナーで食べるべき料理なのか料理を見ても判断出来ないし、そもそもどっちのテーブルマナーも頭の中に入ってはいない。


 せめて、今日の八戸家の夕食が和食ならなんとかなる可能性がある。和食なら、幼い頃から爺ちゃんに躾けられたことが役に立つはずだ。


「先に凛恋に連絡した方が良いよな」


 インターホンを鳴らして直接訪ねるのも一つの方法だが、凛恋に先に出てきてもらってワンクッションあった方が精神的に楽だ。

 凛恋の電話番号を呼び出して電話を掛けようとすると、八戸家の玄関が音を立てて開く。その開いた玄関の奥から顔を出したのは、優愛ちゃんだった。


 優愛ちゃんとは、俺が失声症になってから会ってない。いや、俺が会いづらかったというのもある。

 俺が失声症になった理由は、母さんの逮捕と母さんの言葉が原因だ。俺と優愛ちゃんが会うということは、それを優愛ちゃんに考えさせてしまうことになる。優愛ちゃんは凛恋に似て優しい。だから、絶対に俺に気を遣わせてしまうと思った。


「凡人さんっ!」


 玄関から飛び出して来た優愛ちゃんは、俺の名前を呼んで飛び付いてくる。


「久しぶりですね!」

「優愛ちゃん、久しぶり。元気にしてた?」

「はい! 私、もうファンフューも最新アップデートのラスボスまで行きましたよ!」

「そっか。俺はまだ最新のやつはやれてないな」


 最近の俺はゲームをやるという精神的な余裕が無かった。だから、ファンフューも最近は全くやっていない。


「今日は私が一緒に進めてあげますね!」

「そうだね。優愛ちゃんに協力してもらおうかな」


 メールで凛恋から『優愛が楽しみにしてるから、ファンフュー出来る用意してて』と来ていたから、ゲーム機を持って来ている。後で凛恋を交えて三人で遊ぼう。

 ニコニコ笑う優愛ちゃんを見下ろしていると、再び玄関が開く音が聞こえた。そして、視線を上げた先には、真っ赤な顔をして怒っている凛恋が居た。


「優愛っ! 私が見てないところで凡人に抱き付くなんて! 何考えてんのよっ!」

「久々の再会を喜ん――ふぎゃっ!」


 顔を押されて俺から強引に引き離された優愛ちゃんは軽く声を上げる。その優愛ちゃんから俺へ視線を向けた凛恋は、目尻を吊り上げて俺を睨み上げる。


「凡人の浮気者っ!」

「別に浮気はしてな――」

「彼女以外の女の子と抱き合ってた!」

「いや、でも優愛ちゃんだ――」

「優愛だって女の子でしょうが!」

「でも、凛恋の妹だ――」

「それでもダメッ!」


 両頬を膨らませる凛恋は、手で優愛ちゃんをシッシッと追い払う。それを見て、優愛ちゃんは唇を尖らせて不満を露わにするも、姉の凛恋に逆らえず家の中に戻って行った。

 玄関のドアが閉まるのを確認すると、凛恋はまた俺に視線を向けて両頬を膨らませる。


「凡人」

「ん?」

「とりあえずチュー一回で許し――んんっ……」


 右手に持ったケーキの箱が傾かないように気を付けながら、左手で凛恋の腰を抱き寄せる。そして、優しく唇を重ねてすぐに離すと、凛恋が首を抱いて、また両頬を膨らませる。


「チューが短い」

「家の前だから流石――」


 下から突き上げるように凛恋が俺の唇を奪う。腕を俺の首に回して、優しく頭を撫でてくれる。


「凡人、緊張し過ぎ」

「仕方ないだろ。彼女の家で夕食なんて俺にはハードルが高過ぎる」

「何も心配しなくても大丈夫だって。凡人はいつも通り、私の作ったご飯を美味しいって食べてくれれば良いんだから」

「もしかして、今日、凛恋が作ってくれたのか?」

「当たり前でしょ。凡人が来てくれるのに、何も作らないなんてあり得ないし。さっ、入って入って!」


 凛恋に手を引かれて玄関のドアを抜けると、ダイニングの出入り口から顔を出していた優愛ちゃんがサッと引っ込む。


「凡人が来るって優愛に言ったら、昨日からずっと楽しみにしてたのよ。優愛は凡人が大好きだからねー」

「お邪魔します」


 玄関から廊下に上がった凛恋の後に続いて俺も八戸家へ上がる。いつも、八戸家へ来る時は緊張するが、今日は特別その緊張が強い気がする。いや、気のせいじゃない、確実に今までで一番緊張している。


「凡人くん、いらっしゃい」

「こんばんは。本日はありがとうございます」

「そんなに堅苦しい挨拶はしなくていいのよ」


 凛恋のお母さんにクスクスと笑いながらそう言われ、若干恥ずかしくなる。


「そーですよ、凡人さん! 大した料理は出てきませんし」

「優愛は、晩ご飯抜きね」

「えぇ~! ひっ、酷い!」

「私の料理は大した料理じゃないんでしょ? じゃあ、優愛はいらないってことじゃん」

「そ、そんなことは言ってないって! 凡人さんをリラックスさせるために言っただけで!」


 相変わらず仲の良い凛恋と優愛ちゃんの会話を聞いていると、凛恋のお母さんが近付いてきて優しく微笑んだ。


「今日は、帰って来てすぐに二人で買い物に行ったのよ。優愛の方はただついて行っただけみたいだったけど」

「二人はいつ見ても仲が良いですね」


 二人が話す様子を凛恋のお母さんと眺めていると、凛恋は両手を腰に置いて大きなため息を吐いて優愛ちゃんを見下ろした。


「分かった。夕飯を食べたかったら、凡人が暇しないように一緒に遊んでて」

「ファンフューやってていい?」

「そうね。私と同じ所まで一緒に進めといて」

「りょーかいっ! 凡人さん! ファンフューやりましょうっ! ゲーム機を持ってくるのでソファーに座って待ってて下さい!」


 優愛ちゃんは急ぎ足でダイニングを出て階段を駆け上がっていく。その階段を上がる優愛ちゃんの足音を聞いていると、凛恋がニコッと俺に微笑んだ。


「少し優愛と遊んであげて。その間に準備するから」

「ああ」

「ほら、突っ立ってないで座って」

「し、失礼しま――」

「もー! 堅すぎだって~」


 笑われながら凛恋に押されてソファーに座らされる。俺がソファーに座った直後、優愛ちゃんがゲーム機を持ってダイニングに戻ってくる。


「フフフッ、仕方がないから凡人さんを進めてあげようかな~」

「優愛先生、よろしくお願いします」


 前までは俺が優愛ちゃんのフォローをしていたが、今回はその立場が逆転している。それが嬉しいのか、誇らしげな顔をしてドサッと隣に優愛ちゃんが座った。



「その魔法強いな~」

「いいでしょ~」


 ニコニコと嬉しそうに笑う優愛ちゃんとファンフューをやる俺は、画面中央でワイバーン三体に囲まれながらも、強力な範囲魔法でワイバーンを焼き尽くす優愛ちゃんのキャラクターを見る。


 今戦っているワイバーンクラウンズというボスは、親玉ワイバーン以外に、雑魚ワイバーンがワラワラと湧いてくる。こういう雑魚敵の多いボスは、優愛ちゃんのような魔法使いが大活躍する。

 大抵ボス本体よりも周囲に居る雑魚敵が面倒だからだ。

 その面倒な雑魚敵を複数同時に手早く倒せる魔法使いに相性が良い。それに、最新のボスまで倒しているというだけあって、優愛ちゃんのキャラクターはレベルも装備もかなり強い。


「でも、凡人さんはやっぱりすごいですよね。その装備で普通に戦えてますし」

「いや、でもそろそろ素材集めて武器くらいは変えないと火力不足っぽいんだよな~」


 ファンフューは、ボス敵を倒したときに手に入るアイテムを組み合わせて新しい武器や防具を作る。だから、大抵の人は同じボス敵を何度も倒してアイテムを集め、装備を新しくしてから次のボス敵に挑む、というやり方をする。

 しかし、とりあえず凛恋が進んでいるというところまで行くために、俺は装備を新しくせずに戦っている。

 今の装備でボスに勝てているのは、優愛ちゃんのキャラクターがかなり強化されていて、優愛ちゃんの攻撃力が高いからだ。


「でも、相変わらず凡人さんは攻撃を避けるの上手いですね」

「ファンフューは基本的に攻撃は避けないといけないゲームだからね~」

「でも、初見のボスの攻撃とか普通に避けてますし。私は初めて戦うボスはほとんど攻撃食らって死んでの繰り返しですよ」

「多分みんな大体そんな感じじゃないかな? まあ、俺みたいに初めて戦う敵はとりあえず離れて攻撃パターンを見る人も居ると思うけど」


 話しながら、自分のキャラクターを操作し銃を使って親玉ワイバーンに攻撃を加える。


「う~ん、やっぱり前のボスでアイテム集めした方が良かったかな~」

「でも、このワイバーンのアイテムは、フューチャー側の良い銃と剣が作れますし」

「そうなんだ。でも、俺の攻撃、一ドット分くらいしか削れてないよ? ほら」

「アハハ! 確かに!」


 俺のキャラクターの貧弱さをネタにして笑っていると、俺の顔の横にスッと凛恋の顔が現れる。後ろからゲーム画面を覗き込んでいるようだ。


「ちょっ、そこまで行くの早くない?」

「大体優愛ちゃんのお陰だけどな」

「凡人~、人に攻略させてもらって悔しくないわけ~?」

「お姉ちゃん、凡人さんはここまで一度も死んでないんだよ」

「はぁ!? 嘘でしょ? 途中の首の無い騎士は絶対死んだはずだし!」

「ああ、某国のデュラハンか。あれの大回転斬り三連発はビックリした。まともに食らってたらやられてただろうな」


 凛恋の言った、首の無い騎士。ゲーム内の名前で言うと某国のデュラハンは、凛恋の言う通り多分大抵の人が初見の時にやられたはずだ。俺も、運が良くなかったら死んでた。


「あれは本当に凄かった! やっぱり凡人さんは上手いって分かる切り抜け方だったし!」

「どうやって切り抜けたのよ。あれって近接型のフューチャーじゃ、大回転斬りの三発目は避けられないでしょ?」

「フフフッ、三発目は回復アイテム使って耐えたんだよ」

「はぁ? 意味分かんないんだけど? てか、なんで優愛が自慢げなのよ!」

「イタタッ!」


 凛恋が優愛ちゃんの頭を拳で挟んでグリグリと拳を捻る。俺は、地道に親玉ワイバーンを攻撃しながら、凛恋の疑問に答えた。


「大回転斬りの三発目を食らってダメージを受けて、ヒットポイントがゼロになる直前に回復アイテムを差し込むんだよ。ダメージ量は決まってるから、俺のヒットポイントで耐えきれない分を、回復アイテムの回復量で補ったんだ」

「そんな切り抜け方出来るなんて知らなかった」

「でも、ちゃんとゼロになる直前に回復が始まらないと耐えきれないから、お姉ちゃんには無理だね~」

「なるほど、優愛も真似してやってみたけど出来なかったってわけね」

「うぐっ……」


 優愛ちゃんは図星を突かれて露骨にうろたえる。確かに凛恋の言う通り、優愛ちゃんは俺と同じやり方をやろうとして見事に某国のデュラハンに斬り捨てられていた。


「優愛ちゃんのキャラクターは魔法系だから、そもそもヒットポイントが少ないからな~。あの方法でも多分切り抜けられないだろ」

「でも、凡人さんはホント凄いと思いました。回転斬りのモーション見た瞬間に一発目と二発目に緊急回避を合わせて回避して、三発目来るって分かったらすぐに回復アイテムを差し込む準備してましたし」

「結構フューチャー側だと連続攻撃でそういう場面に出くわすことが多いからね。必須ではないけど、出来ると便利なテクニックだね」

「だって、お姉ちゃん」


 優愛ちゃんに顔を向けられた凛恋は、唇を尖らせてそっぽを向く。さっきの凛恋の話と今の優愛ちゃんの顔を見ての判断だが、どうやら凛恋は大分某国のデュラハンに苦戦したようだ。


「もう倒せそうじゃない」

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